2010年6月16日水曜日

珠玉のメッセージ「未来創造の経済学」に学ぶ

昨日、発売されたばかりの新刊タイトルはズバリ「未来創造の経済学」。
手に入れたのは港区高輪にある幸福の科学の宗教施設、東京正心館である。

もちろん一般の大手書店などでも手に入るものだが、昨日は宗教施設で行われる大川隆法総裁の説法「国家社会主義とは何か」の日だと思い込み訪れた結果、得たものだった(ちなみに講演会は6月22日火曜日13時〜)

この必然とも思える出来事は、じっくりとこの書籍を味読することとなり、心の自由性と経済の自由性がどれほど人間の魂に躍動感をもたらすのか、ということを身を持って体験することとなった。
霊言とは実に神秘的な現象であるが、この世での人間の人智を遥かに超えた神秘の力が挑んでいるとしたら、それは人類にパンドラの箱を開いても伝えようとしている何かがあるということではないだろうか。

あまりここで抽象的な話をしたところで意味はない。自由を限りなく愛し、その業績が今持って多くの人々を照らしだしている敬愛すべき経済学者ハイエクの霊言より、幾つかのメッセージを抜粋し紹介したい。

第一章「自由の死」を最も恐れよ 2010年4月9日 ハイエクの霊示

「各人が、それぞれの持ち場で最善の努力をするほうが、結果的には全人類の前進になる」ということです。そうであるばらば、国民にとって大事なことは何であるかというと、「自由の死を最も恐れなければならない」ということです。
「自らが自らの手足を縛り、お上あるいは一部の特権エリートに、その身を委ねてしまう」ということは、「自由の死」を意味します。(中略)

あなたがたは、「投票型民主主義という自由があるではないか。投票の自由がある以上、大丈夫だ」と思いがちです。しかし、ヒトラーのナチス党も民主主義的課程から生まれたものであることを忘れてはなりません。人々はナチス党に投票したんです。

だから、「民主主義は両刃の剣、諸刃の剣であって、どちらにだって転ぶ。人々に良識があれば、良いものになることもあるが、人々から良識が失われている状況においては、残念ながら、自ら不幸を呼び、”集団自殺”を起こすこともある」ということです。(中略)

「大きな政府ができれば、自分たちの面倒を見てくれる」と考え、そういう福祉国家ができることに一種のユートピア幻想を持っているひとが数多くいます。「それは、自分たちの自由の死を意味し、自分たちの未来を特定の人たちに預けてしまうことになる」ということを、理解していない人が数多くいるのです。(中略)

多数の意見というものは、未知の領域においては必ずしも正しいとは言えません。経験則上、「正しい」と、はっきり分かってるものについては、よろしいのですけれども、「これから始まる未知の領域においては、多数の意見が正しいとは言えなくて、新しい起業家なり発明家なりが道を拓くことが多い」ということを知らなくてはいけないのです。


大川隆法著「未来創造の経済学」ハイエクの章より抜粋。

信仰心があるとかないとか、幸福の科学がどうとかではなくて、虚心坦懐にこの20世紀に降り立った巨人ハイエクのスピリッツを感じとり、多くの日本人がこれ以上違った選択をしないよう、心していくのみである。

尚、大川隆法総裁渾身の説法、そして”霊言”に関心のある方はご連絡を。
何か一言と思われるかたもどうぞ遠慮なく。
本日はこれにて。

2010年6月7日月曜日

中国におけるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の役割とは

今日は6月6日。相変わらず日本の政治はぱっとしない。
そうした中、日本では日々、世界中の人の苦しみは忘れ去られているようだ。

アジア諸国の共通の課題として近隣国の北朝鮮の問題がある。(引いては中国問題に繋がるが)人間として最も基本的なこと『基本的人権』が蹂躙され続けている。

最近、日本でも映画「クロッシング」が公開され、また未公開映画「キムジョンジリア」が一部日本のメディアで紹介されるなど、北朝鮮の凄惨さが民主主義国家に伝えられている。実際、日本に逃れてきた脱北者の話では、「現実はクロッシングで描かれていることの100倍は悲惨」なのだという。

ここではその脱北者の話については触れないが、内容は想像していた以上で、もしかしたら第二次世界大戦のホロコーストに匹敵する悲惨さなのかもしれないと思った。思想犯にされた場合、幼い子供でも精神病棟に隔離され家族との面会は一切なく精神が崩壊する。挙げ句人間としての尊厳は失われ動物のようになってしまうのだという。

なぜ、同一民族である国民に対してこうも非道な仕打ちが出来るのか。長年に渡って洗脳され続けた国民は、互いに監視し合う中で人権意識が損なわれ、人間としてのまっとうな感覚が失われてしまったのだろうか。しかし、それが彼らの本来の姿ではないことが脱北した人の言葉を聞けばわかる。

ポル・ポトといいアジアにおける独裁者の共産主義体勢、先軍体勢は実に恐ろしいものだ。

一党独裁国家の中国には底の見えない恐さを感じるが、それ以上に北朝鮮が絶望的なのは、国交を持たず、市場経済の導入が破綻したことだ。(現在はデノミを導入、その後さらに経済は悪化している)。よって、いまのところ現体制を崩壊(権力者の死もしくは権力の剥奪)させることによってしか国民が自由になる術は浮かばない。

もちろん1%の可能性でも内部から崩壊していくというシナリオがないことはないけれど、それでも取り残されている国民にそれだけの知力、気力、財力があるかどうかが問題だ。

映画「キムジョンジル」でインタビューに答えていた脱北者は、『北朝鮮を抜け出すまでは外国は自国の事しか考えない悪い国だと聞かされていた』という。そして日本からの援助があったことも知らないというのだ。上層部の横流しは話によく聞くが、援助を受けていたお米の一部は、外貨欲しさに韓国に輸入していたという。(そんなバカな話はあるまい!)

という訳で本日の表題、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の話である。
北朝鮮からの脱北ルートは主に中国東北部になるわけだが、ご存知の通り中国は北朝鮮との外交を重視し、脱北者を積極的に捉え北朝鮮に送り返している。この理由には、脱北者には政治的亡命意識が弱く政治的理由ではなく、生活苦で自国を逃げ出してきた、つまりはカリフォルニアに不法滞在するメキシカンと同じだという味方をしているからだという。

そうした解釈の裏には限りなく流失してくるであろう北朝鮮の人々の受け入れ問題がある。何万、何十万と想定できる難民を受け容れる用意がある国などはほとんどなく、これ以上の負担を背負いたくないという各国の本音だろう。

しかしだ、何よりも攻めを負うの中国政府の対応だ。
政治的本質が北朝鮮と同通する中国は、北朝鮮との関係にのみ重きを置き、自国に戻れば絶対に国際法上も許されない拷問や、あるいは死刑に値する処罰が待っていることを分かっていながら、脱北者を積極的に引き渡す。

その残忍さは中国の内政そのもに通じるが、せめて一時預かり、国際法上守られるべき人権に照らし適切な対応を取る義務があるはずだ。それが出来ない中国政府には、UNHCR(国連難民高等弁務官)が動かなくてはならない。UNHCRは、北朝鮮が人権侵害国家であるが故、中国には安易に脱北者を引き渡さないことを約束させなければばらないのだ。たとえ中国の出方がどうであれ、UNHDRには通告の義務はある。それがいま、出来ないという現状を国際社会は何と見るか。

中国にも駐在するというUNHCRの意味は一体何なのか?
『すべての難民・被災民を人道的に保護すること』がその創立の目的ではないのか。

UNHCRは、中国から北朝鮮への強制送還、そして北朝鮮政府による公開処刑、精神病院への強制収容、北朝鮮のおけるあらゆる拷問に対して禁止命令を実行せよ。

政治的既得権目当てにアフリカ諸国だけを援助することなく、今ここにあるアジアの現実にも目を向けてもらいたい。様々な問題があるにしろ、命をかけて逃げ出してきた人々に新たなチャンスを与えることなく、葬りさることは民主主義国家に生まれた人間としてその責務を果たしていないのではないか。また人権蹂躙国家に加担する中国が国連の常任理事国として相応しいかどうか、諸外国はもっと検討すべきである。

一人の人間の力ではどうする事も出来ない状況がそこにはあるが、それでも同じアジアの同胞として何か手助けできることがないか、もっと真剣に考えてみたい。

日本政府はこの問題に対してもっと積極的にUNHCR働きかける義務があるだろう。

次期政権に期待できる事ではないが、過去の菅首相の責任(シンガンス釈放嘆願事件)を考えた際に気の毒なアジアの同胞を救う行為はばかられることではあるまい。

単に戦略的互恵関係などといって自国を差し出すような民主党政権にはほど遠い、自己犠牲的精神を発揮しなくては実現できない話ではある。

2010年6月1日火曜日

お別れはお早めに…(社民離脱に思う)

日付変わって昨日のことになるが社民党が民主党との連立政権を正式に離脱した。

最初から『読めていた事』と言えばそうではあるが、郵政票獲得のために画策した亀井静香の国民新党が何とかぶらさがっているものの、この連立政権は発足時より、各政党の思惑だらけ、政局がらみの利潤共有のみでの繋がっていることは大半の国民の目には明らかであったと思う。

強いていえば、なぜか本来は保守であるはずの自民党出身者の寄せ集めであった民主党に、郵政改革で自民を離脱した亀井氏率いる国民新党が加わり、少なからず日本に根付いた護憲派と呼ばれるリベラル(左派)・社民党との3党が「大きい政府路線」で一致団結しタッグを組むことを実現した。唯一この点だけは、一貫して彼らの政治方針は一致していたと思う。

実際にはどういう経緯で改憲派であった小沢一郎が社民に近づき、いつの間に護憲派よろしく中国共産党にすり寄り、東アジア東亜圏なるものを鳩山と共に構想するように至ったのかは分からない。

日本を代表するような政治家(闇将軍)小沢、その信条の変節ぶりは本人でしか知り得ない部分があるだろうが、推測を許してもらえるとするならば、やはり「自民党とは逆にいく事で民主党の存在感をアピールしたかったのではないか」ということと、さらに「長きに渡る野党生活でいつの間にか根性がひねくれ左傾化し、政界で暗脈するうちに社会主義思想(中共への思慕?)の中に、未来の権力者としての夢を拡大させていたったのではないか」ということだ。

しかし、この連立政権において最大の障害であった社民党の真性左派である核心、アメリカとの外交問題(基地問題)の前に、その思惑はもろく崩れ去ろうとしている。

小沢がいかに選挙目当てで(労組や日教組などの組織票狙い)愚策を労したとしても、さすがに日本国の最高責任者(事実上)である鳩山には、『米国を切り捨てる』などそんな勇気も気概も持ち合わせてはいなかった。(胸をなで下ろすもこれからが大変だ)

どんなに内閣発足当時『日米中の三角形・対等な関係』といったところで、アメリカの核の傘に守られて生きるより他ない日本国民の生命を危険にさらしてまであがきを続けても何ら利することはないということを、鳩山はようやくこの8ヶ月で悟るに至った。

これが鳴りもの入りで政権交代を遂げた民主党政権の断末魔、鳩山のすべてなのだ。

遅まきながら、鳩山がしごく当たり前の(それでもまだ足りないが)日本の政治家としてのあるべき姿に近づきつつある今、福島瑞穂の社民党とは決別をせざるを得なくなったのは、むろん当然のことだ。原点に戻っただけの話だ。

それが何だか昨夜から深夜にかけてニュースでは福島(少子化大臣)と辻本(国交副大臣)の女二人が、泣いて泣いて、女の涙でだいぶ同情を誘ったようだった。しかしこの数ヶ月間、普天間基地問題が揺れに揺れ、総理の判断を惑わすような社民党からの圧力で日本の国は大きな外交的損失を受けたことを忘れてはなるまい。

国益とは無関係に「沖縄には基地を作らせない」の一点ばりで、アメリカにバッシングされた日本は、TOYOTAが叩かれ、肝心のギリシャ金融問題でも国際社会において何ら存在感を示すことが出来なかった。アメリカに嫌われた同盟国には、グローバル外交などできやしないのだ。

また日本の海域では、中国の調査船が海上保安庁の調査船を追い回してみたり、海上自衛隊護衛艦に中国軍の艦載ヘリが接近したりと、まともに米国ともつきあえない弱っちい日本をあざ笑うかのように中国になめた行動を取られ続けている。(来日した温家宝のリラックスした満足げな表情には日本の属国化が近づいたかと思った)

実際、韓国の軍事行動も辞さないとする李大統領の毅然とした対応を鳩山はどう見ているのか。相手が中国であった場合は、誰に泣きついていくのだろうか。(もちろん米国しかあるまい)

自滅するだけの鳩山政権だが、それでも8ヶ月、正直長過ぎたように思う。
まだ参院選では決着がついてないが、この後に及んでまだ総理の座に居座り続けようとする鳩山にそれを擁護する民主党の重鎮たちがいる。「鳩山くんじゃなくても誰がやっても同じ結末になったと思うな」とは、渡部恒三最高顧問の弁だ。

そんなところで決着はまだついてないが、しかし社民党とのそれと同じように別れは長引けば長引く程に、結論を先延ばしにすればする程に男女の仲と同じように、愛憎劇は酷なものになるだろう。

どうやら鳩山さんには神経が通っていないみたいだから平気そうだが、まともな人間なら、彼女(国民)との愛憎劇がこれ以上根深くなる前に潔く身を引くというものだ。
それともやもや今でも国民との間に蜜月を取り戻せるなどと甘い幻想を抱いているのではあるまいな。

鳩山さんもそろそろこの辺りで本物の男らしさを見せて『国民に真を問う』、『解散総選挙だー!』とたまには叫んでみてはどうか。

そうすれば愛想を尽かした国民(彼女)も「あら、少しはいいとこあったのね」と、別れ際に一瞬だけ振り向いてくれるかもしれない。