2011年5月15日日曜日

五月晴れの渋谷で菅政権退陣を求めるデモが…。

今日も美しい五月晴れだが、昨日もそれに劣らず快晴、好天のなか、有志2千名余りで渋谷と、菅さんのお膝元、吉祥寺周辺でデモが決行された。









渋谷で集結したのは、NHKホール前にある代々木公園だ。

ここ数日、震災時に強い現政権、「非常時に政局等やっている場合などではない」などものが分かったように語るキャスターや政治評論家、一部の経済人など、この国難の状況をまったく理解していないと言わざるを得ないのではないか。

震災による影響下の元、赤字計上する企業が続出、震災後の影響も読めないまま、特別損出は昨年同時点での約2兆9千億円を上回っているという。

そうした状況下のなか、菅政権は何をやっているか。
打ち上げ花火のようなポピュリズズムによる「浜岡原発停止」を事実上、中部電力に申し渡した。代替エネルギーの見通しのないなか、法的に一切、非のない民間企業に多大な損失を負わせ、日本のこれまでのエネルギー産業の方向転換を迫るものだった。

これだけの重要事項を総務省の算出した地震予測に基づき、内閣の一部の同意で総理大臣が決定した。当の民主党与党議員の間でもこの中電への対応について唐突感が否めないと反感を持っている議員も多く、ましてや野党自民党にあっては、この時期代替エネルギーの見通しのないなか、一企業に責任を押し付ける菅内閣の手法に憤懣やるかたない思いを持っている人は少なくないはずである。

いち早く危機感を持ってインタビューに答えたのが石破元防衛大臣だが、それにしても野党の動きも「原発=危機」「原発=悪」の国民一般が持つイメージに正論を言えないところが何とも情けないところである。

科学的根拠の根本が曖昧な中、中部電力の立場としては現政権の圧力、そして国民感情などを考慮すれば原発停止はやむを得ない対応ではあったのだろう。

ただ何もかもが、原発=危ないから、という理由で何のめども立っていないうちに、日本の4割の原発を止めてしまうことには、大震災からの復興、日本経済の復興を目指す国としては、妥当な判断とは言い難い。

未曾有の震災という状況をあくまで逆手に取った左翼発想による菅氏の独裁的政治決断は、日本の近い将来に大きな影を落とすだろう。

この決定が、日本の不況を長引かせるだろうし、また夏場を迎えるにあたって、電力不足が深刻化した際に、現政権は一体どう言い訳するつもりなのだろうか。中部電力に発電再開を依頼するのだろうか?あるいはアメリカに電力エネルギーを借り受けるのか?アメリカからは以前申し出あったようだが。

ただ、そんな潔い決断が菅総理にできるとは思えないし、このままいけば原発エネルギー=悪だからエネルギーは使わなくてよい、経済発展はあきらめろと、国民を洗脳している姿しか現政権からは浮かばないのだ。

しかし、民主党政権にありがちな(普天間問題に見る)実験及び、不幸最小社会を延々とやっている暇はこの国にはないはずである。エネルギー開発は時間のかかることであり、それまでは現行通りのエネルギー政策で、技術立国日本の立場を継続していくことが日本国民の多くの幸福に繋がることではないのか?

もうそろそろビジョンなき国家観から脱して、こういう時だからこそ、東北復興に際しても速やかな、国債発行に、そして経済効果を出せるところにエネルギーを注力することが急務だろう。日本は経済大国として世界にどういう姿を指し示すのか、真剣にこの国のリーダーは、国民は、考え行動しなくてはならない。安易に原発を止めたところで経済発展なき国に国民を幸せにすることは出来ないのだから。

この混沌は菅政権が長引けば長引くのである。どうか心ある人がいたならばこの国のまずいリーダーに、目先の政権延命のみに執着する男にどうか引導を渡していただきたい。

それには日本人の見識と経済発展に対するこれ迄の恩恵に対して真摯に振り返り、改善すべき点は改善し、継続すべきは点は、継続すべきとする勇気も必要だろう。

重ね重ね、多くの国民の皆様には大局からの声を揚げて頂きたい。
この菅政権の延命だけを図るポピュリズムに正義はないと判断したならば、菅政権打倒に力を貸して頂きたい。

何としてもこの貧乏神政権、菅政権だけは存続させてはならないと、渋谷でのデモを終えてより一層、心を強くしたものである。

2011年5月8日日曜日

マルキシズムからの脱皮。資本主義マインドを決意する!

今日は若者の集う渋谷にてミッション系大学教授(鈴木真美哉氏)の有難い講話を聞いた。途中参加だが、要点だけでも書き記し今後の指針の一つとしていきたいと思う。※ただし重要と思われる後半のポイントのみ。

1)資本主義経済の本質について
『富は一人ではつくれない。みんなでつくりましょうというのが資本主義』
『資本主義とは、宗教的、道義的理由を持つ(プロテスタントがキリスト教国の中で発展したことになぞらえて)。「基本は理想と愛」。それを体現しているのがギリシャのヘルメスである。ヘルメス神を理想とすればよい。』注)ヘルメスは地中海貿易の生みの親であり、貨幣経済の基礎を築いた実在の英雄、神秘思想における”錬金術師”、創造主と同義語にもされる古代ギリシャの王。B.C3000年頃

2)Be Positiveであること。
『Be Positive=積極思考』ピンチの時にチャンスと考えられるかどうか。
『ピンチはチャンスである』その論拠に世界恐慌の時にIBMもTOYOTAも大きくなった。創業者の豊田佐吉ではなく、二代目が時代を見据えて車を作ることにした。初代が長生きしていたらTOYOTA自動車はなかったかもしれない。<ピンチの裏側には必ずチャンスが潜んでいる>それを実践したのが上杉鷹山である。

3)Think Big =Big Moueでないと駄目
大きく考え、言葉にすることで実態化してくる。
「思うことは出来る」ということである。

4)信仰生活(他力の本質)
信仰生活による奇跡の連続が起きている(幸福の科学を指す)。信仰による奇跡が起きる人と、起きない人の研究をしている。観察してきて分かったこと。『自分の私生活を信仰より優先させる人には奇跡は起きないが、信仰を自分の私生活よりも優先させる人には奇跡が起きているという事実がある』信仰生活の実践あってこそ…、祈り、念いを向けることで他力が望む。

5)もしも経済的に豊かになりたかったら…
『資本主義的経済に打ち込む』
将来結果が出ることに投資をすること。
「一歩でも二歩でも発展するようなことを一日の中でしたかどうか?」投資はダイエットと同じ、その日だけ一日しても意味がない。毎日続けることで結果がでる。未来が変わる。

※まとめとして(豊かになるには…)
①人をあてにしない
②人のせいにしない
③資本主義の注射を打つように毎日何かしら投資をやり続ける
④最後は智慧一本(ビル・ゲイツを見れば分かる、これが21世型の資本主義である)

レジュメを見直してみても教授のお考えは資本主義、自由主義思想の息吹に裏打ちされているし、整理された言葉の一つ一つが清々しいと思う。

自分自身はこの話を聞きながら、一塊のフリーランスで仕事をするだけなく、いつかは起業(きちんと収益を上げる形で)をしなくてはならないと感じた次第。豊になるには、基本、創業者精神がなくてはならないのだ。ここに記載した以外の真美哉教授の貴重な講話内容は魂で受け止めつつ、実践し、またお目にかかるチャンスにここに明記したいと思う。

豊かな一日を送るために『朝起きた時に、今日一日を幸せなものにする、と決めることだ』とある方が言っていたが、この資本主義精神も『今日一日また一歩大金持ちへの自分に近づいた』と自己認識することが大切なのではないかと思う。

『今日一日』で区切れば、何かしら前向きになれる一歩があるはず。自分の目標を一日で区切り、今日の一日を輝かせることをまずは目標にしたい。明日からの人生をきらめかせ、真なる資本主義マインドで生きられるかどうかは自分自身の念いと日々のDecisionにかかっているのだから。

2011年5月6日金曜日

デフレに思う。0-111食中毒と外食産業難

集団食中毒を発生させた人気焼肉店「焼肉酒家えびす」のフーズ・フォーラス社。つい数日前このニュースが報道されるまでは、テレビ番組でも「安いのに、高級店並みのサービスを提供する優れた外食チェーン店」として紹介され社業は順調そのものに見えていた。

たまたま番組を観ていた私は、確かに関心する内容ではあったのだが、正直、余りの安さに「そのサービスでこの価格帯は、一体どういう仕入れをしているのだだろうか」と、外食産業の取材を15年も続けてきた筆者としては、にわかに疑念を感じざるを得なかった。

そして数日後、あの事件が明るみに。
テレビ番組で紹介された1週間か10日後くらいのことだっただろう。何と恐ろしいことか。まるでお天道様だけが見ていたかのごとく、唯一であり、そして決定的ともいえる最大のミス。「食材」、「衛生」という外食産業においてもっとも基本にして大切なことのずさんとは。見られていないと思ったところをあざ笑うかのごとく事件は表面化したようだ。

お亡くなりになられた方、まだ治療を受けていらっしゃる方には誠に気の毒な話だが、ある意味このからくりは消費者には知らされることはなかったが、起きるべくして起きたことと思えてならないのだ。それくらい「食材とは、価格とは正直なもの」ではないだろうか。

日本人の多くが食の安全意識高く、安全な水やミルクを求めて中国人が日本に日常品を求めてやってくる程のお国柄でがあるが、それでも昨今では外国産(主に中国、アジア)の加工食品に加え、外食産業の入荷元が気になるところである。

この問題の核心は、ある意味、日本の長期に渡るデフレ経済の産物によって引き起こされたと考えるべきだろう。ここ数年リーマンショック以降日本のデフレは加速化し、多くの飲食店は苦境を強いられていた。こうした社会状況にあって、外食大手チェーン店ででは、「日々の食材をいかにして安く、効率よく仕入れるか」、とういうことに経営の多くを費やし、日々、神経をすり減らせてきたことだろう。同外食チェーン店が個人店の約3分の1の価格帯であることからすれば、火を見るよりも明らかだ。

筆者自身も、外食チェーン店などに食事にいくに際し食の危険性は感じさせられていた。懸念ごとでもあった。しかし私自身の主たる取材先で、この時代にあっても健全経営を遂げている不動の人気メニューを持つ個人店においては、こうした課題に対しては、真逆の態度を取っているようにも見受けられるのだ。

というのは、つい先日も横浜にあるとある老舗手打ち蕎麦やに取材で訪れたのだが、そちらの店主と雑談していると、「私は人にものをまけてくれと言うのが一番嫌いなんです。」というのだ。
「この商売をやる前は牛乳屋で、昔はまけてくれとよく言われたものです。一本10円20円の頃、それを数円でもまけたらどうなると思いますか?だから私は、技術を身につけて他と差別化図って、まけてくれって言われなくても済むものを始めたんです。(当時手打ち蕎麦屋は横浜ではなかった)自分が蕎麦屋を開いてから取引業者に一回も負けてくれ、とは言ったことないです。だからこういう厳しいときでも融通してくれるのでしょうね。お互いに気持ちよく仕事をやってこられたからだと思いますよ。」というのだ。

既にこの店には二代目が育ち、世代交代の感もあるが、40年来変わらぬ大きな車海老目当てに天蕎麦を所望する客足は衰えを見せていない。その秘訣とはこうした取引業者との信頼関係構築にあったようだ。今では、人気の秘密食材の車海老も大きなものは中国産でしか手に入らず、中国本土でも人気で日本では品薄になっているようだが、それでもこの店には優先的に卸問屋が回してくれるという。それが数十年経って、苦しい時にも相手のことを思って一度も値下げを要求しなかった大将への対価といえるものなのだろう。

今回の食中毒事件は食肉の危険性のみならず、「人間の信頼関係、商売の清廉潔白な取引というものは、安さの押し売りでは買えない」ということを教えてくれてもいるのだ。

消費者である我々も安全、安心、健康を買いたければやはりある程度の代償を支払う必要がある。それは改めて認識せざるより他はないのである。

だからといって、安さゆえの手抜き工事や、それに見合った食材を消費者の生命を危険にさらしてまでも提供してよいという理屈には決してなり得ない。

若い野心家の起業家にとって大変、手痛い教訓ではあったと思うが、すべての人、経営者がこの安さの魔力、罠にかかる危険性があることだけは肝に銘じておくべきだろう。

『日本経済はどうデフレを克服できるか。』
食中毒事件の鍵ともいえる一因がそこに内在しているのではないだろうか。各業界や企業におけるデフレ克服の取り組みは、大いなる創意工夫と智慧が必要ではあると思うが、どうかこの国が貧乏神に取り憑かれ、そのまま奈落の底に沈み込むようなことだけはあってはならないと思う。

企業の上流は、ぜひ勇気を持ってデフレ解消にも取り組んで頂きたいと思う。日本人の収入低下は大きな課題でもある。消費のモチベーションを向上させるためにもぜひとも企業には、働きに見合った対価を惜しまず支払うことも検討していただきたい。それは(自社)、己のみならず、他の人々のためであり、国全体のためであり、引いては必ずやブーメランのごとく自社に跳ね返ってくることでもある。