2011年5月15日日曜日

五月晴れの渋谷で菅政権退陣を求めるデモが…。

今日も美しい五月晴れだが、昨日もそれに劣らず快晴、好天のなか、有志2千名余りで渋谷と、菅さんのお膝元、吉祥寺周辺でデモが決行された。









渋谷で集結したのは、NHKホール前にある代々木公園だ。

ここ数日、震災時に強い現政権、「非常時に政局等やっている場合などではない」などものが分かったように語るキャスターや政治評論家、一部の経済人など、この国難の状況をまったく理解していないと言わざるを得ないのではないか。

震災による影響下の元、赤字計上する企業が続出、震災後の影響も読めないまま、特別損出は昨年同時点での約2兆9千億円を上回っているという。

そうした状況下のなか、菅政権は何をやっているか。
打ち上げ花火のようなポピュリズズムによる「浜岡原発停止」を事実上、中部電力に申し渡した。代替エネルギーの見通しのないなか、法的に一切、非のない民間企業に多大な損失を負わせ、日本のこれまでのエネルギー産業の方向転換を迫るものだった。

これだけの重要事項を総務省の算出した地震予測に基づき、内閣の一部の同意で総理大臣が決定した。当の民主党与党議員の間でもこの中電への対応について唐突感が否めないと反感を持っている議員も多く、ましてや野党自民党にあっては、この時期代替エネルギーの見通しのないなか、一企業に責任を押し付ける菅内閣の手法に憤懣やるかたない思いを持っている人は少なくないはずである。

いち早く危機感を持ってインタビューに答えたのが石破元防衛大臣だが、それにしても野党の動きも「原発=危機」「原発=悪」の国民一般が持つイメージに正論を言えないところが何とも情けないところである。

科学的根拠の根本が曖昧な中、中部電力の立場としては現政権の圧力、そして国民感情などを考慮すれば原発停止はやむを得ない対応ではあったのだろう。

ただ何もかもが、原発=危ないから、という理由で何のめども立っていないうちに、日本の4割の原発を止めてしまうことには、大震災からの復興、日本経済の復興を目指す国としては、妥当な判断とは言い難い。

未曾有の震災という状況をあくまで逆手に取った左翼発想による菅氏の独裁的政治決断は、日本の近い将来に大きな影を落とすだろう。

この決定が、日本の不況を長引かせるだろうし、また夏場を迎えるにあたって、電力不足が深刻化した際に、現政権は一体どう言い訳するつもりなのだろうか。中部電力に発電再開を依頼するのだろうか?あるいはアメリカに電力エネルギーを借り受けるのか?アメリカからは以前申し出あったようだが。

ただ、そんな潔い決断が菅総理にできるとは思えないし、このままいけば原発エネルギー=悪だからエネルギーは使わなくてよい、経済発展はあきらめろと、国民を洗脳している姿しか現政権からは浮かばないのだ。

しかし、民主党政権にありがちな(普天間問題に見る)実験及び、不幸最小社会を延々とやっている暇はこの国にはないはずである。エネルギー開発は時間のかかることであり、それまでは現行通りのエネルギー政策で、技術立国日本の立場を継続していくことが日本国民の多くの幸福に繋がることではないのか?

もうそろそろビジョンなき国家観から脱して、こういう時だからこそ、東北復興に際しても速やかな、国債発行に、そして経済効果を出せるところにエネルギーを注力することが急務だろう。日本は経済大国として世界にどういう姿を指し示すのか、真剣にこの国のリーダーは、国民は、考え行動しなくてはならない。安易に原発を止めたところで経済発展なき国に国民を幸せにすることは出来ないのだから。

この混沌は菅政権が長引けば長引くのである。どうか心ある人がいたならばこの国のまずいリーダーに、目先の政権延命のみに執着する男にどうか引導を渡していただきたい。

それには日本人の見識と経済発展に対するこれ迄の恩恵に対して真摯に振り返り、改善すべき点は改善し、継続すべきは点は、継続すべきとする勇気も必要だろう。

重ね重ね、多くの国民の皆様には大局からの声を揚げて頂きたい。
この菅政権の延命だけを図るポピュリズムに正義はないと判断したならば、菅政権打倒に力を貸して頂きたい。

何としてもこの貧乏神政権、菅政権だけは存続させてはならないと、渋谷でのデモを終えてより一層、心を強くしたものである。

2011年5月8日日曜日

マルキシズムからの脱皮。資本主義マインドを決意する!

今日は若者の集う渋谷にてミッション系大学教授(鈴木真美哉氏)の有難い講話を聞いた。途中参加だが、要点だけでも書き記し今後の指針の一つとしていきたいと思う。※ただし重要と思われる後半のポイントのみ。

1)資本主義経済の本質について
『富は一人ではつくれない。みんなでつくりましょうというのが資本主義』
『資本主義とは、宗教的、道義的理由を持つ(プロテスタントがキリスト教国の中で発展したことになぞらえて)。「基本は理想と愛」。それを体現しているのがギリシャのヘルメスである。ヘルメス神を理想とすればよい。』注)ヘルメスは地中海貿易の生みの親であり、貨幣経済の基礎を築いた実在の英雄、神秘思想における”錬金術師”、創造主と同義語にもされる古代ギリシャの王。B.C3000年頃

2)Be Positiveであること。
『Be Positive=積極思考』ピンチの時にチャンスと考えられるかどうか。
『ピンチはチャンスである』その論拠に世界恐慌の時にIBMもTOYOTAも大きくなった。創業者の豊田佐吉ではなく、二代目が時代を見据えて車を作ることにした。初代が長生きしていたらTOYOTA自動車はなかったかもしれない。<ピンチの裏側には必ずチャンスが潜んでいる>それを実践したのが上杉鷹山である。

3)Think Big =Big Moueでないと駄目
大きく考え、言葉にすることで実態化してくる。
「思うことは出来る」ということである。

4)信仰生活(他力の本質)
信仰生活による奇跡の連続が起きている(幸福の科学を指す)。信仰による奇跡が起きる人と、起きない人の研究をしている。観察してきて分かったこと。『自分の私生活を信仰より優先させる人には奇跡は起きないが、信仰を自分の私生活よりも優先させる人には奇跡が起きているという事実がある』信仰生活の実践あってこそ…、祈り、念いを向けることで他力が望む。

5)もしも経済的に豊かになりたかったら…
『資本主義的経済に打ち込む』
将来結果が出ることに投資をすること。
「一歩でも二歩でも発展するようなことを一日の中でしたかどうか?」投資はダイエットと同じ、その日だけ一日しても意味がない。毎日続けることで結果がでる。未来が変わる。

※まとめとして(豊かになるには…)
①人をあてにしない
②人のせいにしない
③資本主義の注射を打つように毎日何かしら投資をやり続ける
④最後は智慧一本(ビル・ゲイツを見れば分かる、これが21世型の資本主義である)

レジュメを見直してみても教授のお考えは資本主義、自由主義思想の息吹に裏打ちされているし、整理された言葉の一つ一つが清々しいと思う。

自分自身はこの話を聞きながら、一塊のフリーランスで仕事をするだけなく、いつかは起業(きちんと収益を上げる形で)をしなくてはならないと感じた次第。豊になるには、基本、創業者精神がなくてはならないのだ。ここに記載した以外の真美哉教授の貴重な講話内容は魂で受け止めつつ、実践し、またお目にかかるチャンスにここに明記したいと思う。

豊かな一日を送るために『朝起きた時に、今日一日を幸せなものにする、と決めることだ』とある方が言っていたが、この資本主義精神も『今日一日また一歩大金持ちへの自分に近づいた』と自己認識することが大切なのではないかと思う。

『今日一日』で区切れば、何かしら前向きになれる一歩があるはず。自分の目標を一日で区切り、今日の一日を輝かせることをまずは目標にしたい。明日からの人生をきらめかせ、真なる資本主義マインドで生きられるかどうかは自分自身の念いと日々のDecisionにかかっているのだから。

2011年5月6日金曜日

デフレに思う。0-111食中毒と外食産業難

集団食中毒を発生させた人気焼肉店「焼肉酒家えびす」のフーズ・フォーラス社。つい数日前このニュースが報道されるまでは、テレビ番組でも「安いのに、高級店並みのサービスを提供する優れた外食チェーン店」として紹介され社業は順調そのものに見えていた。

たまたま番組を観ていた私は、確かに関心する内容ではあったのだが、正直、余りの安さに「そのサービスでこの価格帯は、一体どういう仕入れをしているのだだろうか」と、外食産業の取材を15年も続けてきた筆者としては、にわかに疑念を感じざるを得なかった。

そして数日後、あの事件が明るみに。
テレビ番組で紹介された1週間か10日後くらいのことだっただろう。何と恐ろしいことか。まるでお天道様だけが見ていたかのごとく、唯一であり、そして決定的ともいえる最大のミス。「食材」、「衛生」という外食産業においてもっとも基本にして大切なことのずさんとは。見られていないと思ったところをあざ笑うかのごとく事件は表面化したようだ。

お亡くなりになられた方、まだ治療を受けていらっしゃる方には誠に気の毒な話だが、ある意味このからくりは消費者には知らされることはなかったが、起きるべくして起きたことと思えてならないのだ。それくらい「食材とは、価格とは正直なもの」ではないだろうか。

日本人の多くが食の安全意識高く、安全な水やミルクを求めて中国人が日本に日常品を求めてやってくる程のお国柄でがあるが、それでも昨今では外国産(主に中国、アジア)の加工食品に加え、外食産業の入荷元が気になるところである。

この問題の核心は、ある意味、日本の長期に渡るデフレ経済の産物によって引き起こされたと考えるべきだろう。ここ数年リーマンショック以降日本のデフレは加速化し、多くの飲食店は苦境を強いられていた。こうした社会状況にあって、外食大手チェーン店ででは、「日々の食材をいかにして安く、効率よく仕入れるか」、とういうことに経営の多くを費やし、日々、神経をすり減らせてきたことだろう。同外食チェーン店が個人店の約3分の1の価格帯であることからすれば、火を見るよりも明らかだ。

筆者自身も、外食チェーン店などに食事にいくに際し食の危険性は感じさせられていた。懸念ごとでもあった。しかし私自身の主たる取材先で、この時代にあっても健全経営を遂げている不動の人気メニューを持つ個人店においては、こうした課題に対しては、真逆の態度を取っているようにも見受けられるのだ。

というのは、つい先日も横浜にあるとある老舗手打ち蕎麦やに取材で訪れたのだが、そちらの店主と雑談していると、「私は人にものをまけてくれと言うのが一番嫌いなんです。」というのだ。
「この商売をやる前は牛乳屋で、昔はまけてくれとよく言われたものです。一本10円20円の頃、それを数円でもまけたらどうなると思いますか?だから私は、技術を身につけて他と差別化図って、まけてくれって言われなくても済むものを始めたんです。(当時手打ち蕎麦屋は横浜ではなかった)自分が蕎麦屋を開いてから取引業者に一回も負けてくれ、とは言ったことないです。だからこういう厳しいときでも融通してくれるのでしょうね。お互いに気持ちよく仕事をやってこられたからだと思いますよ。」というのだ。

既にこの店には二代目が育ち、世代交代の感もあるが、40年来変わらぬ大きな車海老目当てに天蕎麦を所望する客足は衰えを見せていない。その秘訣とはこうした取引業者との信頼関係構築にあったようだ。今では、人気の秘密食材の車海老も大きなものは中国産でしか手に入らず、中国本土でも人気で日本では品薄になっているようだが、それでもこの店には優先的に卸問屋が回してくれるという。それが数十年経って、苦しい時にも相手のことを思って一度も値下げを要求しなかった大将への対価といえるものなのだろう。

今回の食中毒事件は食肉の危険性のみならず、「人間の信頼関係、商売の清廉潔白な取引というものは、安さの押し売りでは買えない」ということを教えてくれてもいるのだ。

消費者である我々も安全、安心、健康を買いたければやはりある程度の代償を支払う必要がある。それは改めて認識せざるより他はないのである。

だからといって、安さゆえの手抜き工事や、それに見合った食材を消費者の生命を危険にさらしてまでも提供してよいという理屈には決してなり得ない。

若い野心家の起業家にとって大変、手痛い教訓ではあったと思うが、すべての人、経営者がこの安さの魔力、罠にかかる危険性があることだけは肝に銘じておくべきだろう。

『日本経済はどうデフレを克服できるか。』
食中毒事件の鍵ともいえる一因がそこに内在しているのではないだろうか。各業界や企業におけるデフレ克服の取り組みは、大いなる創意工夫と智慧が必要ではあると思うが、どうかこの国が貧乏神に取り憑かれ、そのまま奈落の底に沈み込むようなことだけはあってはならないと思う。

企業の上流は、ぜひ勇気を持ってデフレ解消にも取り組んで頂きたいと思う。日本人の収入低下は大きな課題でもある。消費のモチベーションを向上させるためにもぜひとも企業には、働きに見合った対価を惜しまず支払うことも検討していただきたい。それは(自社)、己のみならず、他の人々のためであり、国全体のためであり、引いては必ずやブーメランのごとく自社に跳ね返ってくることでもある。

2011年4月24日日曜日

ICU(国際キリスト教大学)の白熱教室が面白い(今夜は…)

4月23日(土)夜中の再放送だがICUの「白熱教室」が面白い。

今夜のお題は、NGO・ワールドビジョンの活動についてだが、「エイズ支援について」を議論している。日本の学生らしからぬミッション系大学ならではの”神学におけるエイズ議論”が飛び出すあたりは面白い。

面白いという言葉は不適かもしれないが、クリスチャンの非営利目的団体の活動として支援すべきかどうか、信仰面からもその在り方を議論しているのだ。「キリスト教だからできるのか?キリスト教だから出来ないのか」進行役の講師が投げかける。

「クリスチャンの活動のあるべきす姿とは…」。神学的側面の議論を深めていければさらに有意義な本当の意味での白熱教室になると思うのが、今回の教室は、「NGOの特性を探りつつ、クリティカル・シンキングを鍛えたり、ロジカル・シンキングを鍛えたりすることが目的」だそうだ。

ある学生は「支援については慎重であるべき。エイズそのものについて神学論的に検討した上で、次のステップに支援すべきかどか具体論があるべき」と述べている。「なるほど」。

『そもそもなぜエイズという病気が発生したのか。神からの警告という側面はなかったのか』

キリスト教的な呪縛はさておき、救済行為には必ず通過すべき壁というものがるのかもしれない。欧米社会においては主流となる勧善懲悪の世界観と、「愛と慈悲の心」を発露させる救済、この両者は、様々な足かせを持ちつつも折り合いを付けながら、目の前にある危機(エイズ)に際して動かずにはいられないものなのだろう。

キリスト教以外のその他の宗教においても実際の救済の活動においては、常に考えておかなくてはならないことだろう。

そもそも「なぜエイズという病気がなぜ現れ、また拡がり続けているのか」。因果の理法に照らし合わせ物事を正しく見るできたのならば、宗教的呪縛でも何でもなく、自ずと答えは
各人の心に与えれることだろう。

宗教的な真実は必ずあると思う。

しかして救済とは、宗教的真実をいうだけでは議論するだけでは何の役にも立たないのである。それだけは世界宗教になるべく教えを広めるものとして、肝に銘じておきたいと思う。

現代の宗教的バックボーンを基軸とした救済活動には、かつてない無限大の広がりと、光が込められることに期待されている。

2010年12月9日木曜日

帝国主義が跋扈する時代へ突入

今年、日本人物理学者、科学者による(受賞は最後とも揶揄される)ノーベル賞の受賞が相次いだ。しかし、その影でノーベル平和賞はこのところ政治色の色合いが強い。ノーベル平和賞受賞からは今の世界の縮図、そして未来図が読み取れるのではないか。
昨年は、”未だ何もやっていない”オバマが核廃絶を唱えたとして平和賞を受賞した。

要するに今後の軍事大国アメリカの在り方を問う、ということであったと思うが、と同時に、世界に「世界の警察としてのアメリカ」の役割を終えようとしていることを意味付けられた。

そして、今年12月10日、中国で国家政権転覆罪で懲役11年の刑を受けている劉暁波氏の受賞。受賞式は、本人不在のまま特別な演出によって行われるのだという。そして中国の圧力。

劉氏の受賞に対して、あまりにも大国としては大人げない前時代的な行動をとり続ける中国共産党。いま、中国は、世界中華帝国を目指して、その経済力と軍事力を盾に大きな戦略の元に国家運営をしている。

本来なら国家として国民総出で祝福すべきノーベル平和賞受賞の輩出を、報道させず、また(12月9日の産經新聞出)中国による各国への授賞式出席を見送るようにとした圧力に屈し、これまで中国をはじめ、ロシア、パキスタン、アフガニスタン、イラク、イラン、サウジアラビア、エジプト、スーダン、キューバ、ベネズエラ、ベトナム、フィリピン、カザフスタン、ウクライナ、チェニジア、モロッコ、セルビア、コロンビアなど19カ国が授賞式欠席する見通しだそうだ。

誠に残念至極といわざるを得ない、国際社会の由々しき問題である。これら中国の圧力に屈した国々には、中国との関係性において、人権や自由よりも優先しなくてはならない目先の利益誘導が働いていることは間違いないことだろう。

しかし、大中華帝国主義が復権しつつある今、こうした国々は、唯物論(共産主義)国家に加担し、その手を染めて、19世紀から20世紀に賭けて繁栄を謳歌した民主主義を終焉に向わせているということを恐れなくてはならない。

あまりにも経済発展し、軍事的優位に立った虚像国家が向う先は、人類のあまりにも苦しい時代に突入することを意味している。生来の自由性を奪われ、人権(人間が神によって作られたるものであることの証)剥奪による恐怖が世界を覆うことが予想される。

このまま日本も国家としての方向性を見失い、同盟国アメリカの威信が損なわれれば、来るべき人類の未来はこれまではまったく異なる世界へと誘われることになるだろう。自由を奪われ支配される存在へと民主主義国家は向っていくのか、それとも新しい価値観の創造により、真なる繁栄大国として日本が成長し、民主主義を標榜する国々と手を携え、明るい宇宙時代を迎えようとするのか、今、人類は二つの選択肢の前に立たされている。

自由と繁栄主義を選びとる、勝ち取る未来は、決して安穏している日々の中には訪れないはしないことを肝に銘じたい。

2010年10月31日日曜日

日本を憂う

先日(10月26日午後)、櫻井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所の「会員の集い」なるものに出席した。

なるものというのは、私自身がまだこの国家基本問題研究所(略称:国家研)の会員に登録していないためだ。その内というかいつなっても構わないのだが、一応、10月28日の会が私にとっては、ファーストコンタクトとなった。

終始気高いオーラを放ち続ける櫻井よしこ氏自らが司会を務められ、登壇者の間にコメントを挟みながらの進行だった。登壇者は、櫻井よしこ氏の他、北村稔京都大学文学部史学科教授と、杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏、民主討議員で前防衛大臣政務官の長島昭久氏の4名だ。最後の方に、自民党の若手議員の主賓席側からの短い(3分程度)スピーチがあったが、メインは上記4名である。

私もこの国家基本問題というものには常日頃関心を寄せているのだが、いかんせん力不足でジャーナリストとしてもまだまだ政治的発言力が低い立場にある。

そこで既に力を蓄えられている国家研や櫻井さんのようなジャーナリストと親交を深めさせて頂き、活動の場を増やしたいと願っての参加ではあったが、しかし、実際に参加してみると向学になったのはいうまでもないが、参加者の年齢層の高さに驚いた。

実際に開始ぎりぎりで駆け込んでみると、(鶴の間の恐らくニューオータニで最も広い会場ではないだろか)演台の櫻井さんが米粒は大げさだが、かなり小さくにしか見えない。それほど大きなスペースに椅子と机がぎっしりと並べられているのだが、見渡す限り、年配、高齢者なのだ。明らかに戦争体験を子供の頃にしている、もしくは戦争に出陣した経験があるのではとおぼしき方々が多数を占める集まりなのだ。

若くて40代、50代くらいの方も見かけなくはなかったが、恐らくこの時のお集りの方々の平均年齢は、75歳くらいであったのではないだろうか。

賢明な読者の皆さまは、ブログのタイトルとここまでの話で何をいわんとしているかお気づきのことと思われるが、まさしく国家の問題に真っ正面から向き合わんとする会合に積極的に出かけてこられる方々が戦争世代であり、日本の行く末を案じておられるのは最もだが、働き盛りの世代はもとより、若者影が一切見受けられないことへの危惧、いや、その事自体恐ろしく憂いそのものを痛感したのである。

ふーっと、思わずため息をその場でつきそうになる私であったが、まあ、救われたのは、思いの他、党を離れた場では、前出の長島昭久氏(民主)がまともなことをいう、本気で日本の国益をことを考えていらっしゃる御人であったことが判明したことだ。まあ、個人としてはそうなんだろうし、極左以外の政治家は。

長島氏の言葉で印象に残ったのは、「もはや民主党政権が悪いというだけの話ではなくて、日本の安全保障の問題は、国民的議論にしていかなくてはならない。日本の仕組みそのものを変えていかなくてはならない」と発言したことだ。

私は、その時「また、菅さんに遠慮して」、「やっぱり民主党員だな」というようなことが一瞬頭によぎったものの、今日の日本政治、対中国の在り方を静かに思い起こした時、まさしく、くしくもこの民主党議員の長島氏のいわれたことが本当に物事の本質なのだという思いに駆られた。これは日本国全体の行く末を決める大きな大きな報告転換を求められる事態なのだ。

最後に櫻井よしこ氏は「民主党政権ではこの国難を乗り切れない、ということを結論として締めくくりたいと思います」とおっしゃっていたが、まさしく「政権交代」も辞さず、迅速に国際情勢に対応していかなくてはならない待った無しの状態でもある。

しかし、今日のNHKの朝の「討論番組」をみていても本音を言える政治家は誰一人としていなかった。日本の国益について、対中国政策としての国防について、誰も何もいわない。政治家のお得意な「きっちりと国際社会に訴える」「しっかりと中国問題を対応する」は何を?『何をどうやって?』
今は、総論、総花的な話をしている時ではない。どの党もサラリーマン的に角の立たない発言に注力している。

しかし、今は、早急な具体策を求めているのだ。国家としての戦略を、対中、対米戦略を。国家の根幹を揺るがすこの領土問題に対して、どう自衛権、防衛権を駆使し、中国からもロシアからも、また米国との防衛関係をどう日本は国家として位置づけていくのか、その道筋を、シナリオをこそ作っていかなくてはならないのだ。

日本の将来に渡って国益を確保するのが政治家の仕事ではないか。


そんな当然のことを選挙受けが悪いからとTVメディアで語ることを恐れる政治家を日本の代表のように意見を求めるメディアはもっと根本的な意味の悪である。

日本人の政治への無関心、本音の議論を閉ざす風潮を作り上げたのは他でもない、大マスコミと保身のみで政治活動を行ってきた戦後から脈々と続く政治家たちの責任だ。

これに異論を唱える政治家がいたならば、大手マスコミがいたならば立ち上がって堂々と今こそ本音を主張せよ、と申し上げたい。フリーのジャーナリスト、そして心あるこの問題に対して日本国を憂えている人々を能動的に巻き込んで、今こそ日本の進むべき道、国家を守るということにいて”議論の旋風”を巻き起こすべき時である。

2010年9月25日土曜日

空しい戦い(日本VS中国 尖閣諸問題)

今回の尖閣諸島問題くらい空しい国家間vsもないだろう。

以前小泉内閣の時にも中国船の領海侵犯があったけれど、”国外追放”という手段を取って、あえて中国と争わず、相手を無視してみせることで事なきを得たことがあった。(その影では中国の主権拡張が広がったが…)

日本の自衛隊法及び自衛権の改正など周辺状況が整っていなければ正直言って日本の国内法に則って戦いようがないのだ。

小泉さんはその辺したたかだったと思う。
しかし、それもやはり通用するのは一度位でその場凌ぎの策にしか過ぎないのは読者賢者の皆さんが知るところだろうと思う。

しかし、今回、民主政権の危うさが露呈されることになったのは、内閣改造があって、外交通とされる前原大臣が就任したこともあってか、表向き始動において戦う姿勢をみせたことからだ。

戦える土壌がないのにも関わらず、だ。

「いったい政府はどうやってこの問題を解決に導くのか、中国を怒らせて日本にとってどんな解決法があるというのだろうか」私の素朴な疑問はここにあった。けんかを仕掛けるのか簡単だけど、しかし勝てる目算はあるのか?ということだ。

こうしたディープな問題、とりわけ国家主権をかけて戦うときには万難を排して、決死の覚悟で戦う決意があるのかどうか、真剣にして慎重に内閣揚げて検討しなくてはならないだろう。国家総出で、自衛隊法を改正してまで戦う気概があるのかということをいっているのだ。そこまでの道筋を菅内閣は考えておられただろうか?
前原大臣、一体あなたはどうお考えでしたか?

そんなに簡単に中国をそしる余裕が今の日本国内にはあるのでしょうか?議論していますか?国防問題、日頃から、日本人は危機感感じていますか?朝鮮半島、台湾問題、尖閣諸島問題。いったん、パンドラの箱を開けたら大変、でっせ。

ええ、あなた方現菅政権に戦う気概が、とことんあるなら私は何も言いません。応援しまっせ。けれど、中途半端に相手を攻撃しておいて舌の根も乾かぬうちに、その矛先を引っ込めて「領海犯を何の取引もせずにただで開放してやる」なんていうのは、一番みっともない戦略性のない手法やで。

一番脳のない解決手法や。(あっ、なぜか関西弁になってきた、地がでてしまうわ)

それはそれはおこちゃまでしたな、未熟でしたわ。

コレにはいくら極左政権に鈍い国民でもちと口をあんぐりさせたんと違いますか?

左派のマスコミですら、ニュースで最低限の情報は伝えようとしているのは見て取れる。

しかし沖縄地検には驚いたわ。
あんな国益を放棄する、大胆な発言をよく一地方公務員が口に出せるもんだな。国家公務員だったかどうかは知らんけど。

よくもこんな大それたことを一地検にいわせるなんて、あんた仙谷の阿波狸さんよ、一体どうなっとるんだい、あんたの頭んなか?影の総理よろしく極左の腕を持ってした解決策がこれですか?

日本の国益のために生命を賭すことが出来ない政治家には即刻退場頂くことを祈るばかりだが、日本の国難はこれからはじまったばかりだ。