夜、自宅に戻り、テレビをつけてみると竜巻が発生のため、茨城で30棟もの家屋が倒壊になったこと、死傷者が50名も出たことが分かりました。
日本で被害が出る程の竜巻が起きるのは珍しいことと思います。
しかも関東圏だけではなく、わたしの実家のある四国・徳島でも1センチ周囲程の雹(氷の塊)が降ったそうです。「全国区で」ということになります。
先の雹(氷)を見た直後に書いたブログと重なる内容にはなりますが、やはりこの問題、私は無関心でいることが出来ません。
なぜなら、神々というのは気候を自由に操ることが出来る存在であると伺っているのです。中東のアラーやジーザス、日本神道の神々も。その御技を天候を操ることでもって神の威光(神の意志)というものを地上のものを伝えてこられたのです。
であるならば、私たちはもっと神の意志、神の望まれる光の方向に気づかなくてはならないのではいでしょうか。天変地異は明らかに天意のはずです。時は、東日本大震災の翌年、左翼政権とそれを支持する環境左派の人々によって全原発が停止された翌日に起きた出来事。
国体が誤った方向にあるのなら、善人の上にも悪人の上にも等しく、天変地異という形でその御意向を、お姿をお現しになるのではないでしょうか。
この状況が続けば原発停止の挙げ句、今夏は猛暑で生命を断つ方も現れるでしょう。また、人命はもちろんのこと、日本の中小企業をはじめとする企業への打撃は言うまでもありません。また世界で最も高い技術と、世界が認めた日本の原子力技術を継承することができず、第三国などの海外へ輸出することが出来なければ日本の経済的損失のみならず、海外の人々にとっても電気を供給する、という貢献を出来ずに終わってしまうかもしれないのです。
代替エネルギーへの移行はまだまだ諸手を挙げて喜べる程、簡単なことではありません。また、日本の原発が停止する一報で、万が一、北朝鮮が核開発がうまく行って日本に弾道ミサイルを打ちこんで来る、というようなことでもあれば、原発さえ稼働していれば日本は、報復、いや先制攻撃(どちらも穏やかではありませんね)、抑止力としての核を開発することさえできたのです。
しかし、その道は断たれたことを日本は発信したことで,世界の見る目はどう変わるか分かりません。まさしく猛獣の中に解き放たれたウサギか鹿のようなそんざに見えるのではないでしょうか?(なぜならアメリカも中国との協調路線を重視しており、アジア地域からその防衛戦力をひいていっていますよね?)
そんなアジアの状況の中、日本は自主防衛こそが自らを安全にこの国家を運営していく道なのです。
まさしくその矢先のことです。
よくよく、国家運営の責任者として民主党政権には考えて頂きたいと思います。
次々に原発を停止し、国体を弱体化させているという罪を、この国の守り神である神々はどうみているのか。神の警告として今日のことは受けとめよう、この小さな海洋国家に、左派政権を誕生させた国民の悲劇は自ら受けとめ、この状況を打破するその一歩を今日も明日も刻んでいかなくてはならない。
その思いを多くの方々と共有していきたく思います。
日本の国難を憂える一市民です。 仕事は執筆業、撮影を生業にしています。 まともなことをまともにいえる(これは保守政権への奪還を目指すものです)日本にしていきたいですね。 マスコミによる国民コントロール、売国奴から日本を守りたい!その一心でブログを書き綴ります。夢のある未来を築いていきましょう!
2012年5月6日日曜日
ついに日本の神々の鉄槌が下されたか
今、まさに出かけんとしていた矢先、ベランダで固い物があたる物音が。。
目をやるとそこには雨の音に混じってかつて見たこともないような大きな白い塊、氷が幾重にも重なって振ってきているのだ。
「こんなの見た事ない!」そう、45年生きてきてこんなに大きな氷の塊を見たのは初めてだ。それも何というか、白い大きな結晶はまるで地上で細々としたことで煩い生きる人間をあざ笑うかのように、まるでこの世を浄化させんとばかりにむち打つように強く、勇ましく降りしきってくるのだ。
ベランダに打ち付ける氷に矢も盾もいられず、一度はベランダの戸をきっちりとしめ、冷静さを取り戻そうと自室のパソコンに向ったのだが、この状態を収めておきたいとカメラを構えた。なかなかうまく映すことができなかったが、10分程して雨音がやみ、氷がみるみるうちにさーっと小ぶりの雨へと変わっていった。直後、集合住宅の前の通路や裏手の中庭で子供が泣き叫んだり、町内会のお世話役の方が声をかけて回っている声が響いてきた。
外階段を下りて駐車場に目をやればついさっきまで穏やかな光と風を浴びて美しく照り返していた新緑がそこいらじゅうに葉を撒きちらし、まるで台風の後のような光景になっている。テレビはこの間、緊急臨時ニュースになるようなこともなくあくまで、栃木で死者がでたこと、茨城で30棟が東海したことなどがテロップで流れていた。
私は、内心この状況に焦っていた。
ほんとうにこれで終わることができるのか。なぜ、みんなこんな恐ろしい光景を前に、これが日本神道の神の怒りなのだと感じとることができないのか!?
「これは当たり前のことじゃない!」わたしの心はつぶやいている。
日本にはつい昨年、東北大地震が起き1万人近い死者、行方不明者を出し、何万人もの人が被災者となったが、左翼政権が続く中、これで終わったとは決していえないだろう。
石原慎太郎都知事が、先の件を「天罰だ」と発言したらたちまち、バッシングにあい、訂正せざるをえなくなったが。それでもこの神の国は、地上で住まう人間がこの神の国、日本に信仰を取り戻し、国土を守る政権を奪取しない限りはこのような突然の雨風、氷、地震などを使って何らかの人間への気づきのメッセージを与えようとされるのではないだろうか。
私は身をもってそうした恐さを実感することがある。
自分自身への戒めでもあるが、自然の脅威は時に奢り高ぶる人間への警告へと変わることがあるのだ。
神社へ参るのも良いだろう。時には心を静めて柔らかな心を取り戻し、真なる自己との対話、心で繋がる仏神との対話を試みるもよいだろう。いずれにしろ何らかの形で、この国の人々は、これまでとは違うステージに一歩を踏み出さなくてはいけないのだ。変わらなくてはならないことがあるのだ。
来月は、宗教法人幸福の科学から「ファイナル・ジャッジメント」と題する映画が公開になるが、実際、人間は神に試しを与え、真実の自己と対面させるため時に厳しい選択を迫ることがある。
私自身も多分に漏れず、試されている一人である。
この現実を、今日の天の怒りのような天候を受けとめ、心を新たに引き締めていきたい。
今日GWの最後、今後の日本を占う意味でも大きな衝撃を与えた天変地異のひとつであったように思う。一人ひとりの心の素直さ、善なる心が試されている。
目をやるとそこには雨の音に混じってかつて見たこともないような大きな白い塊、氷が幾重にも重なって振ってきているのだ。
「こんなの見た事ない!」そう、45年生きてきてこんなに大きな氷の塊を見たのは初めてだ。それも何というか、白い大きな結晶はまるで地上で細々としたことで煩い生きる人間をあざ笑うかのように、まるでこの世を浄化させんとばかりにむち打つように強く、勇ましく降りしきってくるのだ。
ベランダに打ち付ける氷に矢も盾もいられず、一度はベランダの戸をきっちりとしめ、冷静さを取り戻そうと自室のパソコンに向ったのだが、この状態を収めておきたいとカメラを構えた。なかなかうまく映すことができなかったが、10分程して雨音がやみ、氷がみるみるうちにさーっと小ぶりの雨へと変わっていった。直後、集合住宅の前の通路や裏手の中庭で子供が泣き叫んだり、町内会のお世話役の方が声をかけて回っている声が響いてきた。
外階段を下りて駐車場に目をやればついさっきまで穏やかな光と風を浴びて美しく照り返していた新緑がそこいらじゅうに葉を撒きちらし、まるで台風の後のような光景になっている。テレビはこの間、緊急臨時ニュースになるようなこともなくあくまで、栃木で死者がでたこと、茨城で30棟が東海したことなどがテロップで流れていた。
私は、内心この状況に焦っていた。
ほんとうにこれで終わることができるのか。なぜ、みんなこんな恐ろしい光景を前に、これが日本神道の神の怒りなのだと感じとることができないのか!?
「これは当たり前のことじゃない!」わたしの心はつぶやいている。
日本にはつい昨年、東北大地震が起き1万人近い死者、行方不明者を出し、何万人もの人が被災者となったが、左翼政権が続く中、これで終わったとは決していえないだろう。
石原慎太郎都知事が、先の件を「天罰だ」と発言したらたちまち、バッシングにあい、訂正せざるをえなくなったが。それでもこの神の国は、地上で住まう人間がこの神の国、日本に信仰を取り戻し、国土を守る政権を奪取しない限りはこのような突然の雨風、氷、地震などを使って何らかの人間への気づきのメッセージを与えようとされるのではないだろうか。
私は身をもってそうした恐さを実感することがある。
自分自身への戒めでもあるが、自然の脅威は時に奢り高ぶる人間への警告へと変わることがあるのだ。
神社へ参るのも良いだろう。時には心を静めて柔らかな心を取り戻し、真なる自己との対話、心で繋がる仏神との対話を試みるもよいだろう。いずれにしろ何らかの形で、この国の人々は、これまでとは違うステージに一歩を踏み出さなくてはいけないのだ。変わらなくてはならないことがあるのだ。
来月は、宗教法人幸福の科学から「ファイナル・ジャッジメント」と題する映画が公開になるが、実際、人間は神に試しを与え、真実の自己と対面させるため時に厳しい選択を迫ることがある。
私自身も多分に漏れず、試されている一人である。
この現実を、今日の天の怒りのような天候を受けとめ、心を新たに引き締めていきたい。
今日GWの最後、今後の日本を占う意味でも大きな衝撃を与えた天変地異のひとつであったように思う。一人ひとりの心の素直さ、善なる心が試されている。
2012年5月4日金曜日
仏・サルコジ大統領VSオランド候補討論に観る日本のゆくえ
昨日あたりから日本でもフランス大統領候補の討論会の様子が断片的に紹介されている。
オランド候補は最大野党社会党の党首でいわば左派にあたるわけだが主張が面白い。
ユーロ危機等の経済問題を抱えるサルコジ大統領が緊縮財政による財政再建を訴えれば、左派で雇用対策や社会保障の充実を主張するオランド候補が「緊縮財政だけでは景気は回復することはできない。成長戦略を盛り込むべきだ」と反論する。確かに西側のコンサバティブの経済評論家や保守政治家層ならいいそうな発言だが、緊縮財政花盛りのヨーロッパで、しかも、左派の党首がそうした発言をするのは少し面白い。
また、フランスといえば原発を120機も保有しているといわれるが、やはり原発は国の財産なのだ。
サルコジ大統領は、最後懸命に原発の必要性を訴え、古くなった原発も『フランスの原発は最高水準にある。日本の福島は地震ではなく、津波によって冷却装置が直撃されたのであって原発自体に問題があるわけではない。フランスでは津波が起こりようがない」と熱弁を振るった。この討論番組を一部報道した朝日では、古館伊知郎アナによって、「勝手なことばかりお互いに言ってる感じがする。福島の原発も地震によって亀裂が入った可能性があることが噂されている」と、一蹴した。
しかし、日本のマスコミはこぞって原発反対を訴え、その理由をさもありなんとくっつけてくるのだが、まっこうから原発を国にとって必要なエネルギーとして持論を力強く展開したサルコジ大統領の熱意をみならってもらいたいとさえ思う。何ら論理性を持って実証されていない『原発=危険』の図式を繰り返し、国民の不安を煽るだけで何ら国益に資することのない不毛な発信といえるのだ。
左派の社会党でも国家の実益を考え、「緊縮財政だけでは国が富むことはない」と積極的に成長戦略を取り入れようとするフランス次期大統領候補。『フランスの原発技術は最高峰だ』として国家の基幹産業を守ろうとする現役フランス大統領。
どちらも各政策においては違った顔を持つが、それでも日本のようなどちらともつかないような政策論争、主体が何なのかさえ分からない日本の政争の愚とは明らかに違う。
日本のマスコミも政治家も虚心坦懐に日本の未来にとって何が国益に叶うことなのか、何を守れば政治家として、日本のマスコミとして使命を果たしたといえるか、もう一度、真摯に問うべきではないだろうか。
今、日本の産業問題も原発を含め、もう一歩踏み込んだ国家議論が必要ではないか。日本の、日本人による成熟した、国益についての発展的議論を切望するものである。
オランド候補は最大野党社会党の党首でいわば左派にあたるわけだが主張が面白い。
ユーロ危機等の経済問題を抱えるサルコジ大統領が緊縮財政による財政再建を訴えれば、左派で雇用対策や社会保障の充実を主張するオランド候補が「緊縮財政だけでは景気は回復することはできない。成長戦略を盛り込むべきだ」と反論する。確かに西側のコンサバティブの経済評論家や保守政治家層ならいいそうな発言だが、緊縮財政花盛りのヨーロッパで、しかも、左派の党首がそうした発言をするのは少し面白い。
また、フランスといえば原発を120機も保有しているといわれるが、やはり原発は国の財産なのだ。
サルコジ大統領は、最後懸命に原発の必要性を訴え、古くなった原発も『フランスの原発は最高水準にある。日本の福島は地震ではなく、津波によって冷却装置が直撃されたのであって原発自体に問題があるわけではない。フランスでは津波が起こりようがない」と熱弁を振るった。この討論番組を一部報道した朝日では、古館伊知郎アナによって、「勝手なことばかりお互いに言ってる感じがする。福島の原発も地震によって亀裂が入った可能性があることが噂されている」と、一蹴した。
しかし、日本のマスコミはこぞって原発反対を訴え、その理由をさもありなんとくっつけてくるのだが、まっこうから原発を国にとって必要なエネルギーとして持論を力強く展開したサルコジ大統領の熱意をみならってもらいたいとさえ思う。何ら論理性を持って実証されていない『原発=危険』の図式を繰り返し、国民の不安を煽るだけで何ら国益に資することのない不毛な発信といえるのだ。
左派の社会党でも国家の実益を考え、「緊縮財政だけでは国が富むことはない」と積極的に成長戦略を取り入れようとするフランス次期大統領候補。『フランスの原発技術は最高峰だ』として国家の基幹産業を守ろうとする現役フランス大統領。
どちらも各政策においては違った顔を持つが、それでも日本のようなどちらともつかないような政策論争、主体が何なのかさえ分からない日本の政争の愚とは明らかに違う。
日本のマスコミも政治家も虚心坦懐に日本の未来にとって何が国益に叶うことなのか、何を守れば政治家として、日本のマスコミとして使命を果たしたといえるか、もう一度、真摯に問うべきではないだろうか。
今、日本の産業問題も原発を含め、もう一歩踏み込んだ国家議論が必要ではないか。日本の、日本人による成熟した、国益についての発展的議論を切望するものである。
2012年4月29日日曜日
今あえて観た、幸福の科学対オウム真理教「朝まで生テレビ」
今から20年程前になる幸福の科学対オウム真理教の「朝まで生テレビ」。
このときに麻原教祖が出てきていたこと。教祖は出席せず、インテリ幹部によるやや難解な解説が共感を得られるところまでいかなった幸福の科学に対して、オウム真理教側が教団PRビデオやダライラマの映像を流し、原始仏教と何ら変わらないことを強調したことでまんまと彼らのペースでオウムにとって良い宣伝になってしまった。
当時の論客で今もってテレビ番組の中心にいる人はほとんどいないが、このとき、オウム真理教が危険な殺人集団であることを見抜けず、(まだ殺人事件は起きていなかったかもしれないが、着々と地下鉄サリン事件の計画は練られ、サティアンではマインドコントロール、拉致監禁が行われていた)テレビ番組で堂々と彼らの思想、言説を報道するなどまったく持って由々しきことであり、悔やみきれない思いがする。
もう少し事前にまともな調査を当時の朝日は出来なかったのか。
この番組を通して「幸福の科学よりもオウムが優勢」などと当時、論評されることが多くなっていたが、いずれにしてもこの番組では両者の価値の違い、本質の相違を何ら明らかにさせることが出来ず、当時の若者や社会に対して何ら益することのない無駄な討論番組に化けていたのではないだろうか。
それに対してはやはり論客がまだまだ正しく宗教を見定める、宗教に関する知見が足りないと言わざるを得ない。知識、論理、情熱、何らそうした意欲を感じさせることのない論客がでて新宗教の何を明かせるというのだろうか。この人選自体に疑問を感じ得ないのだが、宗教に素人のマスコミが宗教を裁く、あるいは査定する、ということの恐ろしさ、難しさをこの番組は物語っている。
今後もこうした過ちを砂鉄をマスコミが踏まないように、いや踏ませないためにも、日本人がもう少し新々宗教に対する知見を深めて、本物の宗教、社会の幸福化に寄与する宗教を見抜く必要があるのではないか。
この当時、幸福の科学を学び、オウム真理教というとてつもない幻想殺戮集団によって、友人を殺された当時の若者として今もって思い返せば涙を禁じ得ない。
宗教は人間を立ち直らせ更生させる力を持ちえるが、翻って悪魔にも身を売る危険性をはらんでいる一面もある。日本人は宗教アレルギーでもあると言われているが、アレルギーを持つだけでは宗教の善悪についても判断することができず、そのまま蓋を閉じたままになってしまうのだ。私たち一人ひとりが宗教や、心の世界についてもっともっと虚心坦懐に学ぶ必要があるのではないのか。そしてそれが今を生きる私たちの使命ではないのか。少なくともあれから20年、私は生きてきて、そのことを忘れずに使命を果たしていきたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=QhetLKdjHeQ
このときに麻原教祖が出てきていたこと。教祖は出席せず、インテリ幹部によるやや難解な解説が共感を得られるところまでいかなった幸福の科学に対して、オウム真理教側が教団PRビデオやダライラマの映像を流し、原始仏教と何ら変わらないことを強調したことでまんまと彼らのペースでオウムにとって良い宣伝になってしまった。
当時の論客で今もってテレビ番組の中心にいる人はほとんどいないが、このとき、オウム真理教が危険な殺人集団であることを見抜けず、(まだ殺人事件は起きていなかったかもしれないが、着々と地下鉄サリン事件の計画は練られ、サティアンではマインドコントロール、拉致監禁が行われていた)テレビ番組で堂々と彼らの思想、言説を報道するなどまったく持って由々しきことであり、悔やみきれない思いがする。
もう少し事前にまともな調査を当時の朝日は出来なかったのか。
この番組を通して「幸福の科学よりもオウムが優勢」などと当時、論評されることが多くなっていたが、いずれにしてもこの番組では両者の価値の違い、本質の相違を何ら明らかにさせることが出来ず、当時の若者や社会に対して何ら益することのない無駄な討論番組に化けていたのではないだろうか。
それに対してはやはり論客がまだまだ正しく宗教を見定める、宗教に関する知見が足りないと言わざるを得ない。知識、論理、情熱、何らそうした意欲を感じさせることのない論客がでて新宗教の何を明かせるというのだろうか。この人選自体に疑問を感じ得ないのだが、宗教に素人のマスコミが宗教を裁く、あるいは査定する、ということの恐ろしさ、難しさをこの番組は物語っている。
今後もこうした過ちを砂鉄をマスコミが踏まないように、いや踏ませないためにも、日本人がもう少し新々宗教に対する知見を深めて、本物の宗教、社会の幸福化に寄与する宗教を見抜く必要があるのではないか。
この当時、幸福の科学を学び、オウム真理教というとてつもない幻想殺戮集団によって、友人を殺された当時の若者として今もって思い返せば涙を禁じ得ない。
宗教は人間を立ち直らせ更生させる力を持ちえるが、翻って悪魔にも身を売る危険性をはらんでいる一面もある。日本人は宗教アレルギーでもあると言われているが、アレルギーを持つだけでは宗教の善悪についても判断することができず、そのまま蓋を閉じたままになってしまうのだ。私たち一人ひとりが宗教や、心の世界についてもっともっと虚心坦懐に学ぶ必要があるのではないのか。そしてそれが今を生きる私たちの使命ではないのか。少なくともあれから20年、私は生きてきて、そのことを忘れずに使命を果たしていきたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=QhetLKdjHeQ
中国人権問題と世界のバランス
中国の強制妊娠中絶や人権侵害について広く世界に訴えていた人権活動家、陳光誠氏。救出されるも支援者の女性活動家が中国当局に拘束される。米中間で陳氏の扱いについては交渉中とされるも米国も人権侵害問題について経済バランス、軍事バランスの問題から一歩抜きん出て中国をリードすることが難しくなっているのが現状だろう。この状況は、対日本と中国のバランスにおいても言える。女性活動家は、日本政府に支援の生命を求めているが、日本政府は動いている様子はない。日本がいつこの問題に対してリーダーシップを取れるようになるのか?現政権では難しい。次期政権は、真正保守であり、他国の人権侵害状況に対してきちんとメッセージを発することのできる国家であってほしい。 http://jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012042800203
2012年4月25日水曜日
痛快!石原都知事の占領憲法無効破棄論☆
いやあ、実にyoutubeで全編視聴するまで知らなかった。
こういうシナリオであの、尖閣諸島購入の話がでたんですな。
実に石原さんらしいというか、実にまっとうな保守政治家ですね。
これはもう中国に命を狙われようとも日本の右翼は命がけで石原さんを守ればいいんですよ。日本で今、最も大切なことを大切な局面でおつしゃってくれたと思いますよ。
四の五の言わずに『いかに地球上における日本が地政学的に不利な地域であるか』って、つまりは、強権政治の支那と狂った北朝鮮に囲まれ、最北はロシアだと。
いかに日本国憲法の前文「日本国民は、(途中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の前提が成り立たない、幻想に過ぎない状況であるかを説いたのだ。
これははっきりさせるべきことだった。
アメリカがどうこう言えることではないんだ。むしろ、これをはっきりと言える日本人をアメリカは待っていたのかもしれない。
これまでの日本が中国や韓国に遠慮し、また憲法の縛りでどれだけ自国民を蔑み、自信を喪失させてきたことか。日本政府が外交上の手前や平和憲法の建前で日本国の純粋な利益に言及した発言を歴々の内閣が避けてきた。そのつけを今、石原氏が晩節の大仕事としてナタを振るっているのではなか。
石原氏は本気だと思う。
これに日本政府は民主党政権は応えられるのか?
氏がワシントンで会見した直後は威勢のいいことを内閣官房長官もいっていたが、氏が野田総理が米国に出発前に面会を希望しているがそれも調整が難航しているようだ。
野田政権はやはり嘘つき政権と揶揄されても仕方ない。中国の顔色ばかりを伺っている。
結局は、責任を取るのは石原さんであり、日本国民の善意の結集でしかないのではないだろうか。
ともかく石原さんのワシントン会見は日本人全員が視聴すべき内容だと思う。
戦後67年日本の在り方を問い直す良いきっかけになってくれることを祈って。
http://www.youtube.com/watch?v=fdcTgqkkJFE&feature=related
こういうシナリオであの、尖閣諸島購入の話がでたんですな。
実に石原さんらしいというか、実にまっとうな保守政治家ですね。
これはもう中国に命を狙われようとも日本の右翼は命がけで石原さんを守ればいいんですよ。日本で今、最も大切なことを大切な局面でおつしゃってくれたと思いますよ。
四の五の言わずに『いかに地球上における日本が地政学的に不利な地域であるか』って、つまりは、強権政治の支那と狂った北朝鮮に囲まれ、最北はロシアだと。
いかに日本国憲法の前文「日本国民は、(途中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の前提が成り立たない、幻想に過ぎない状況であるかを説いたのだ。
これははっきりさせるべきことだった。
アメリカがどうこう言えることではないんだ。むしろ、これをはっきりと言える日本人をアメリカは待っていたのかもしれない。
これまでの日本が中国や韓国に遠慮し、また憲法の縛りでどれだけ自国民を蔑み、自信を喪失させてきたことか。日本政府が外交上の手前や平和憲法の建前で日本国の純粋な利益に言及した発言を歴々の内閣が避けてきた。そのつけを今、石原氏が晩節の大仕事としてナタを振るっているのではなか。
石原氏は本気だと思う。
これに日本政府は民主党政権は応えられるのか?
氏がワシントンで会見した直後は威勢のいいことを内閣官房長官もいっていたが、氏が野田総理が米国に出発前に面会を希望しているがそれも調整が難航しているようだ。
野田政権はやはり嘘つき政権と揶揄されても仕方ない。中国の顔色ばかりを伺っている。
結局は、責任を取るのは石原さんであり、日本国民の善意の結集でしかないのではないだろうか。
ともかく石原さんのワシントン会見は日本人全員が視聴すべき内容だと思う。
戦後67年日本の在り方を問い直す良いきっかけになってくれることを祈って。
2012年4月14日土曜日
自由への扉、エクソシスト
今回のBlogのタイトルを何にすべきか少々、悩みました。
心理学研究では新米の我が身ではありますが、過去、我家族に起きたことや過去の霊的体験から私には察しがついていることが数多くあります。この手のことについては…。
つまり何が言いたいかというと、ここ数日、テレビニュースを賑わせている「てんかん症状について」です。重大な事件を引き起こしているこの問題ですが、心理学的見地からも宗教的見地からも言える事があります(新米の身ですみません)。それは、てんかん症状とは、「必ず何かしらの霊的影響」を受けているということです。
察しの良い方であればお気づきのことと思いますが、泡を吹いて白目を剥く等のこの症状は、ずばり悪霊の影響を受けているということです。主に海外ではキリスト教圏であれば、エクソシストが活躍する場面でもあります。日本の場合は、あそこまで激しくなくても日常の中に闇が潜んで横行しているケースが見られます。もちろんその場合、本人も家族も霊的存在に対して無自覚で何ら対策が出来ていないことがほとんどだと思われますが。
原因として考えられるのは、当人の霊的な感応力にもあるとも言えますが、周囲(主に家族や親戚など近い存在)に悪霊が好むような家庭不和が存在したり、成仏できずに家族の周りを悪霊がうろちょろしているケースなどが考えられます。それ以外にも場所による縁故霊や、本人の趣味趣向によって引き寄せられる霊的存在もあるかと思いますが。
ただ言えることは、かんてん症状などに見舞われるきっかけとして、家族か、本人のいずれかが問題を抱えたケースが多いという事です。家族の中で悪霊の影響を受けた場合は、最も年下の人や、まだ社会的に確立されていない、家族の中でも弱い人のところに出てくるパターンが多いということなのです。
かくいうそのケースは、我家にも起きたことではありました。
家族の中で一番弱い存在である末娘の妹のところに考えられないような、本人とは無関係に「てんかん症状」として現れ、あるときは目に見えない圧力(霊的作用)による事故という形で現象が現れました。彼女が生まれてからこの方、家庭は平穏であったことはなかったのです。様々な身体的影響がこの妹には出始めました。ここでは詳細は書ききれないため割愛させて頂きますが…。
結局、何によって治ったかというと、最後は家族の一人が光を強くしたという事から脱出のきっかけを掴んだのです。正しい宗教(スピリチャリズム)に導かれたことで、闇に光があたり、本当の神の子としての自分に気づき、仏性を発見したことからです。そのことで暗い悪影響を与える霊的存在の姿があっという間に消えていったのです。
良いスピリチャリズムは数多く世の中に存在しているかと思いますが、これはなかなか得ようとして得られるものではないのかもしれません。ある種の試練を通過して、まるで約束された修行期間の終わりを告げるがごとく、ある日突然にその救いは現れるからです。
私たち家族が経験したことをここにすべて記す程のスペースはありませんが、このてんかんという症状(病気)必ずや治せる、治るものと私は考えます。
それにはまず、本人と家族が人間が霊的存在であることに気づくことが入り口だと言えるでしょう。世の中には怪しげなスピリチャリズムや宗教が存在しているとも思いますが、それでも正しい自己を求める心(救道心)、本来のハイヤースピリット(守護霊や高級霊とも言われる存在)に向き合う力があれば必ずそのきっかけは掴めると思います。
どうかこうした病気の方々には、単に病院に行くだけでなく宗教書や哲学書、良書をたくさん読んで、悪霊に負けないだけの光の供給を受けて頂きたいと思います。そしてよく調べて見て下さい。この病気の原因がどこにあるかを。負のスパイラルを断ち切るきっかけが必ず与えられることを信じて人任せにせず、オープンな形で救いを求めることから逃げないで頂きたいと思います。
また私から折りをみて、病気から開放されるためのスピリチャリズムについて、自由への扉を叩けるような日記や論文を書いていきたいと思います。どうぞ乞うご期待下さい。
心理学研究では新米の我が身ではありますが、過去、我家族に起きたことや過去の霊的体験から私には察しがついていることが数多くあります。この手のことについては…。
つまり何が言いたいかというと、ここ数日、テレビニュースを賑わせている「てんかん症状について」です。重大な事件を引き起こしているこの問題ですが、心理学的見地からも宗教的見地からも言える事があります(新米の身ですみません)。それは、てんかん症状とは、「必ず何かしらの霊的影響」を受けているということです。
察しの良い方であればお気づきのことと思いますが、泡を吹いて白目を剥く等のこの症状は、ずばり悪霊の影響を受けているということです。主に海外ではキリスト教圏であれば、エクソシストが活躍する場面でもあります。日本の場合は、あそこまで激しくなくても日常の中に闇が潜んで横行しているケースが見られます。もちろんその場合、本人も家族も霊的存在に対して無自覚で何ら対策が出来ていないことがほとんどだと思われますが。
原因として考えられるのは、当人の霊的な感応力にもあるとも言えますが、周囲(主に家族や親戚など近い存在)に悪霊が好むような家庭不和が存在したり、成仏できずに家族の周りを悪霊がうろちょろしているケースなどが考えられます。それ以外にも場所による縁故霊や、本人の趣味趣向によって引き寄せられる霊的存在もあるかと思いますが。
ただ言えることは、かんてん症状などに見舞われるきっかけとして、家族か、本人のいずれかが問題を抱えたケースが多いという事です。家族の中で悪霊の影響を受けた場合は、最も年下の人や、まだ社会的に確立されていない、家族の中でも弱い人のところに出てくるパターンが多いということなのです。
かくいうそのケースは、我家にも起きたことではありました。
家族の中で一番弱い存在である末娘の妹のところに考えられないような、本人とは無関係に「てんかん症状」として現れ、あるときは目に見えない圧力(霊的作用)による事故という形で現象が現れました。彼女が生まれてからこの方、家庭は平穏であったことはなかったのです。様々な身体的影響がこの妹には出始めました。ここでは詳細は書ききれないため割愛させて頂きますが…。
結局、何によって治ったかというと、最後は家族の一人が光を強くしたという事から脱出のきっかけを掴んだのです。正しい宗教(スピリチャリズム)に導かれたことで、闇に光があたり、本当の神の子としての自分に気づき、仏性を発見したことからです。そのことで暗い悪影響を与える霊的存在の姿があっという間に消えていったのです。
良いスピリチャリズムは数多く世の中に存在しているかと思いますが、これはなかなか得ようとして得られるものではないのかもしれません。ある種の試練を通過して、まるで約束された修行期間の終わりを告げるがごとく、ある日突然にその救いは現れるからです。
私たち家族が経験したことをここにすべて記す程のスペースはありませんが、このてんかんという症状(病気)必ずや治せる、治るものと私は考えます。
それにはまず、本人と家族が人間が霊的存在であることに気づくことが入り口だと言えるでしょう。世の中には怪しげなスピリチャリズムや宗教が存在しているとも思いますが、それでも正しい自己を求める心(救道心)、本来のハイヤースピリット(守護霊や高級霊とも言われる存在)に向き合う力があれば必ずそのきっかけは掴めると思います。
どうかこうした病気の方々には、単に病院に行くだけでなく宗教書や哲学書、良書をたくさん読んで、悪霊に負けないだけの光の供給を受けて頂きたいと思います。そしてよく調べて見て下さい。この病気の原因がどこにあるかを。負のスパイラルを断ち切るきっかけが必ず与えられることを信じて人任せにせず、オープンな形で救いを求めることから逃げないで頂きたいと思います。
また私から折りをみて、病気から開放されるためのスピリチャリズムについて、自由への扉を叩けるような日記や論文を書いていきたいと思います。どうぞ乞うご期待下さい。
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