日本の国難を憂える一市民です。 仕事は執筆業、撮影を生業にしています。 まともなことをまともにいえる(これは保守政権への奪還を目指すものです)日本にしていきたいですね。 マスコミによる国民コントロール、売国奴から日本を守りたい!その一心でブログを書き綴ります。夢のある未来を築いていきましょう!
2013年7月14日日曜日
2013年7月7日日曜日
2013年7月5日金曜日
2013年6月12日水曜日
「Love is all you need」(愛さえあれば)中高年のためのロマンティツク・ラブコメディ♪
人生の先がそろそろ見え始めた頃、中年期。
それは40代なのか、50代なのか定かではないけれど、必ずやってくる人生の未来。
というか、そのものずばり真ん中に足を踏み入れている私ですが・・・(^_^;)
そんな中高年に送るポジティブなラブストーリーを今日は観てきました。
タイトルは、 「Love is all you need」(日本語タイトル=愛さえあれば)。
デンマークの女性監督が描くストレートなロマンチックラブコメディ。
先の見えた中年には、子供のこと(最後の総仕上げ)、わが身のことに、パートナーの病など起こるべくして起こるトラブルがある。
その時に見えてくるのが「真実の愛」。いや、そんなど真ん中なことを、ど真剣に笑いもなく描いているわけじゃない。でも見えてきてしまうのが、人生を長く生きただけある中年の男と女。
完治したわけじゃない乳がんを明るく乗り越えた感に見える妻イーダ。夫は自分の体以上に自分の存在そのものを愛してくれているから、乳房再建手術は必要ないと 医師に伝える。その直後、夫の浮気を自宅で目撃。言い訳は、「病気した君を見るのがつらかった。俺の気持ちも理解してくれ」と。(ちょっとセンシティブな男の気持ちに浮気も同情の余地ありという気持ちにさせるシーン)
実はここで既に泣いた。
そんな傷心妻に思いもよらないアクシデントから生まれる新たな出会いが・・・。
舞台は、紺碧の海にレモンの果実が実る美しい島、南イタリア・ソレントへ。
ここからの展開は家族の身に起きるドラマあり、男女の接近あり、波瀾万丈の様相を見せるのだが、そのことがきっかけで、「自分にとって大切なものは何か」「限りある時間を誰と、どんなふうに生きていきたいか」 を登場人物の中高年たちに投げかける。
(決して重たい展開ではなく、あくまで南イタリアの爽やかな気候のまま、ありのままの人間を受け容れつつ、今の自分にできることに向かい合う。登場人物は自立した軽やかな女性像だ。)
非常にストーリー展開も素直で、かつ家族の中にある異文化にもメスを当てたヒューマンドラマでもあるけれど、あくまで本質は、大人の酸いも甘いもかみ分けてきた大人の男女の温かいラブストーリーだ。
私はこの映画で2回泣いた。2回目に思わずしらずに涙してしまったのは、007でも活躍した甘いマスクのピアーズ・ブロスナン扮するフィリップの表情だ。イーダを気遣い「病気のことを聞いてもいいかい?」と慈愛に満ちたまなざしで手を取り尋ねるシーンだ。
なぜ、3秒足らずのピアーズ・ブロスナン(フィリップ)のこの表情に涙が出てしまったのか、後でパンフを読んで知ったことだけど、実際のピアーズ自身が癌で最初の奥様を亡くしているということがあったためだ。演技を超えてシンクロする悲しみの中に「本物の愛」が伝わってきたからなのだ。
あくまでポジティブに考え、ユーモアを忘れず、自分自身と冷静に向き合うイーダという女性。最後は、本物の愛に出会い、ハッピーエンドを迎えるのだが、最後の最後まで、これまでの人生を誠実に愛深く生きてきたからこそ出会えた本物の愛。
あまり詳細をお伝えしすぎるのは、映画を観る楽しみを奪ってしまうようだが、それでも実際にこの映像を観てみなければ味わえないストーリーの醍醐味と、登場人物のキャラクターに面白味がある。
女性監督ならではのきめ細やかなストーリーに映画の世界だけではない、「自分自身にも起こりうる真実のラブストーリー」としてマジックにかけられるのも心地よい。最後の最後まで、人生とはわからないものだよ、と。よい意味で「自分の人生にもっと期待してもよいのでは?」と勇気を与えてくれるこの映画に乾杯!ぜひ、多くの方に観て頂きたい、中高年に希望を与えてくれる稀有なる作品である。3か国語での国際色豊かな会話も映画を観る上での驚きと楽しみの一つだ。6/27までは上映。http://www.aisaeareba.jp/
それは40代なのか、50代なのか定かではないけれど、必ずやってくる人生の未来。
というか、そのものずばり真ん中に足を踏み入れている私ですが・・・(^_^;)
そんな中高年に送るポジティブなラブストーリーを今日は観てきました。
タイトルは、 「Love is all you need」(日本語タイトル=愛さえあれば)。
デンマークの女性監督が描くストレートなロマンチックラブコメディ。
先の見えた中年には、子供のこと(最後の総仕上げ)、わが身のことに、パートナーの病など起こるべくして起こるトラブルがある。
その時に見えてくるのが「真実の愛」。いや、そんなど真ん中なことを、ど真剣に笑いもなく描いているわけじゃない。でも見えてきてしまうのが、人生を長く生きただけある中年の男と女。
完治したわけじゃない乳がんを明るく乗り越えた感に見える妻イーダ。夫は自分の体以上に自分の存在そのものを愛してくれているから、乳房再建手術は必要ないと 医師に伝える。その直後、夫の浮気を自宅で目撃。言い訳は、「病気した君を見るのがつらかった。俺の気持ちも理解してくれ」と。(ちょっとセンシティブな男の気持ちに浮気も同情の余地ありという気持ちにさせるシーン)
実はここで既に泣いた。
そんな傷心妻に思いもよらないアクシデントから生まれる新たな出会いが・・・。
舞台は、紺碧の海にレモンの果実が実る美しい島、南イタリア・ソレントへ。
ここからの展開は家族の身に起きるドラマあり、男女の接近あり、波瀾万丈の様相を見せるのだが、そのことがきっかけで、「自分にとって大切なものは何か」「限りある時間を誰と、どんなふうに生きていきたいか」 を登場人物の中高年たちに投げかける。
(決して重たい展開ではなく、あくまで南イタリアの爽やかな気候のまま、ありのままの人間を受け容れつつ、今の自分にできることに向かい合う。登場人物は自立した軽やかな女性像だ。)
非常にストーリー展開も素直で、かつ家族の中にある異文化にもメスを当てたヒューマンドラマでもあるけれど、あくまで本質は、大人の酸いも甘いもかみ分けてきた大人の男女の温かいラブストーリーだ。
私はこの映画で2回泣いた。2回目に思わずしらずに涙してしまったのは、007でも活躍した甘いマスクのピアーズ・ブロスナン扮するフィリップの表情だ。イーダを気遣い「病気のことを聞いてもいいかい?」と慈愛に満ちたまなざしで手を取り尋ねるシーンだ。
なぜ、3秒足らずのピアーズ・ブロスナン(フィリップ)のこの表情に涙が出てしまったのか、後でパンフを読んで知ったことだけど、実際のピアーズ自身が癌で最初の奥様を亡くしているということがあったためだ。演技を超えてシンクロする悲しみの中に「本物の愛」が伝わってきたからなのだ。
あくまでポジティブに考え、ユーモアを忘れず、自分自身と冷静に向き合うイーダという女性。最後は、本物の愛に出会い、ハッピーエンドを迎えるのだが、最後の最後まで、これまでの人生を誠実に愛深く生きてきたからこそ出会えた本物の愛。
あまり詳細をお伝えしすぎるのは、映画を観る楽しみを奪ってしまうようだが、それでも実際にこの映像を観てみなければ味わえないストーリーの醍醐味と、登場人物のキャラクターに面白味がある。
女性監督ならではのきめ細やかなストーリーに映画の世界だけではない、「自分自身にも起こりうる真実のラブストーリー」としてマジックにかけられるのも心地よい。最後の最後まで、人生とはわからないものだよ、と。よい意味で「自分の人生にもっと期待してもよいのでは?」と勇気を与えてくれるこの映画に乾杯!ぜひ、多くの方に観て頂きたい、中高年に希望を与えてくれる稀有なる作品である。3か国語での国際色豊かな会話も映画を観る上での驚きと楽しみの一つだ。6/27までは上映。http://www.aisaeareba.jp/
2013年6月7日金曜日
「食べログ」に思う。匿名性とネットビジネス
以前から噂されている《食べログ》のやらせ問題。
実際に業界内には、「良い評価を投稿するから月額5万円で契約してください」というような業者が横行しているようで、カカコム本体がリテールの飲食店から広告費をもらっているというケースがあるのかどうか定かではませんが、それについては、☆を操作するというようなことが目的事態で行われてはいないようです。
なぜ急にこうしたことを書いているかというと、わたしの場合は、20代から情報誌などの取材で数多くの都内各地の飲食店に行くことが多いのですが、最近のWEB系の広告媒体では、つまらぬ話ではあるのですが、「食べログ」の☆の数で取材先をチョイスするという”馬鹿な”ことが行われているのです。
あまりクライアントのことを悪くいうようなことはもちろんNGですが、ただそういう偽りの(真剣に投稿している人もいますが)情報に振り回されて情報を発信するプロはずの人たちが、実際に行ってみると『そうでもなかった』店について、おいしかった、どこそこがよかったなど、媚びたことを書かなくてはならないことがいやなのです、単純に。
以前、まあ90年代、2000年初頭の頃ではありますが、当時はよかった(て、年よりみたいですね)。
大手の雑誌編集者(そうでないところも?)皆、店やモノを取り上げる際には必ず覆面取材をして(名乗らず)二回目で取材交渉を行う、というのが通常のスタイルでした。
結果、同じお店に行って取材時も含めると二度三度と食事するという、まるで行きつけの店のようになってしまうのですが、編集者は皆、自分の足で見つけた「自慢の店」を外部スタッフに得意げに紹介していて、強気な態度で、店の一押しメニューすべての皿を注文していたものです。
そんな時代を知っているだけあって、なんだかネットの時代とは言えども、コストを抑えて素人情報に振り回されるわれわれクリエイター、取材者は何とも自分自身の価値が落ちたようにも感じられてなりません。
ネット情報が氾濫する時世を反映してか、最近では情報料として『1万円申し受けます』とか、ドン引きな、まったく人情もメディアに対する愛着もないような金銭を要求してくる飲食店も現れてきました。これは、われわれの責任でもあるかとは思いますが、なんだかとても世知辛い世の中です。
だからなんでしょうかね。今日の話はまとまりませんが、ネット時代の情報発信を考えるのと同時に、口コミサイトがどうのこうのだけではなくて、ネット上の匿名性自体にも疑問を感じるものです。
だから無責任に批判したり、表現が極端になっても自分の責任を感じないような鈍い感性の人間が育てられていくのではないかと・・・。現在、ネットでは、facebookや、一定のソーシャル以外ではほぼすべて匿名で発進できるようになっています(その最たるものは掲示板、2chとかですが)。
私は以前から、勝間和代さんと同じ主張で、ネットのすべての情報発信は「匿名ではなく、実名で」されるべきだと考えています。実際には個人情報の悪用などネガティブのことも考えられなくはありませんが、それでも自ら主張を問うようなシチュエーションでは本名で発信されるべきだと思います。
あまりにも社会問題化するような事案があればもちろん考え直さなくてはなりませんが、どうして人は、匿名で情報を発信したがるのでしょうか。ある意味、これは人間の二面性を顕著に表しているのかもしれません。表向きの顔と匿名で通じるネット上の顔、人は皆、自分を守るために(どちらも自己発揮したい)使い分けないといけないのかもしれません。
かくいう私も日頃書けない本音の部分をときに食べログに投稿してみたくなります。しかしその内容があまりにもリアルで店に与える影響が大きいせいか、昨夜は、即削除依頼が来ちゃいましたね。まあ、そうでしょう。我ながら、ちょっと反省しました。あくまで主観であって自分にとって気になることと、他の人が気になることとは違いますからね(^_^;)
まあ、カカクコムさんも必要以上に裁判などに巻き込まれたくないでしょうから、ほどほどに、というお気持ちお察します。
というわけで行き過ぎた情報発信には気を付けなければなりませんが、しかし、本気発信ならぜひ匿名ではなく実名でね!と思います。2chの人たちも、まともな人で自分に自信があるならすべて本名で発信勝負すべきです(笑)。皆がそうするとこの世の中は「正直者がバカを見るではなく」、正直ものが得をする?いや、少なくともフェアな世界になると思いますね。
まあ、本気ならネットの世界ではなくて、リアルで勝負すべきなのでしょうけどね。
(正直、そこはなかなか受け皿がない)
リアルの世界では皆、人は忙しく生産性を生む情報しか聞きたがらないという人間の本性がありますからね。
とにかくこの世界を変えていくのは並のことではありませんが、やはりカカクコムのようなサイトや、きちんとした信憑性のあるビジネスをしていくならあくまで本名で投稿を!というのが私の持論であります。それだけは結論としてやっぱり思います。結果、人は自分の顔に責任を持ち、”本当のこと”しか書けなくなるのではないでしょうか。※ご意見あればお待ちしています。
実際に業界内には、「良い評価を投稿するから月額5万円で契約してください」というような業者が横行しているようで、カカコム本体がリテールの飲食店から広告費をもらっているというケースがあるのかどうか定かではませんが、それについては、☆を操作するというようなことが目的事態で行われてはいないようです。
なぜ急にこうしたことを書いているかというと、わたしの場合は、20代から情報誌などの取材で数多くの都内各地の飲食店に行くことが多いのですが、最近のWEB系の広告媒体では、つまらぬ話ではあるのですが、「食べログ」の☆の数で取材先をチョイスするという”馬鹿な”ことが行われているのです。
あまりクライアントのことを悪くいうようなことはもちろんNGですが、ただそういう偽りの(真剣に投稿している人もいますが)情報に振り回されて情報を発信するプロはずの人たちが、実際に行ってみると『そうでもなかった』店について、おいしかった、どこそこがよかったなど、媚びたことを書かなくてはならないことがいやなのです、単純に。
以前、まあ90年代、2000年初頭の頃ではありますが、当時はよかった(て、年よりみたいですね)。
大手の雑誌編集者(そうでないところも?)皆、店やモノを取り上げる際には必ず覆面取材をして(名乗らず)二回目で取材交渉を行う、というのが通常のスタイルでした。
結果、同じお店に行って取材時も含めると二度三度と食事するという、まるで行きつけの店のようになってしまうのですが、編集者は皆、自分の足で見つけた「自慢の店」を外部スタッフに得意げに紹介していて、強気な態度で、店の一押しメニューすべての皿を注文していたものです。
そんな時代を知っているだけあって、なんだかネットの時代とは言えども、コストを抑えて素人情報に振り回されるわれわれクリエイター、取材者は何とも自分自身の価値が落ちたようにも感じられてなりません。
ネット情報が氾濫する時世を反映してか、最近では情報料として『1万円申し受けます』とか、ドン引きな、まったく人情もメディアに対する愛着もないような金銭を要求してくる飲食店も現れてきました。これは、われわれの責任でもあるかとは思いますが、なんだかとても世知辛い世の中です。
だからなんでしょうかね。今日の話はまとまりませんが、ネット時代の情報発信を考えるのと同時に、口コミサイトがどうのこうのだけではなくて、ネット上の匿名性自体にも疑問を感じるものです。
だから無責任に批判したり、表現が極端になっても自分の責任を感じないような鈍い感性の人間が育てられていくのではないかと・・・。現在、ネットでは、facebookや、一定のソーシャル以外ではほぼすべて匿名で発進できるようになっています(その最たるものは掲示板、2chとかですが)。
私は以前から、勝間和代さんと同じ主張で、ネットのすべての情報発信は「匿名ではなく、実名で」されるべきだと考えています。実際には個人情報の悪用などネガティブのことも考えられなくはありませんが、それでも自ら主張を問うようなシチュエーションでは本名で発信されるべきだと思います。
あまりにも社会問題化するような事案があればもちろん考え直さなくてはなりませんが、どうして人は、匿名で情報を発信したがるのでしょうか。ある意味、これは人間の二面性を顕著に表しているのかもしれません。表向きの顔と匿名で通じるネット上の顔、人は皆、自分を守るために(どちらも自己発揮したい)使い分けないといけないのかもしれません。
かくいう私も日頃書けない本音の部分をときに食べログに投稿してみたくなります。しかしその内容があまりにもリアルで店に与える影響が大きいせいか、昨夜は、即削除依頼が来ちゃいましたね。まあ、そうでしょう。我ながら、ちょっと反省しました。あくまで主観であって自分にとって気になることと、他の人が気になることとは違いますからね(^_^;)
まあ、カカクコムさんも必要以上に裁判などに巻き込まれたくないでしょうから、ほどほどに、というお気持ちお察します。
というわけで行き過ぎた情報発信には気を付けなければなりませんが、しかし、本気発信ならぜひ匿名ではなく実名でね!と思います。2chの人たちも、まともな人で自分に自信があるならすべて本名で発信勝負すべきです(笑)。皆がそうするとこの世の中は「正直者がバカを見るではなく」、正直ものが得をする?いや、少なくともフェアな世界になると思いますね。
まあ、本気ならネットの世界ではなくて、リアルで勝負すべきなのでしょうけどね。
(正直、そこはなかなか受け皿がない)
リアルの世界では皆、人は忙しく生産性を生む情報しか聞きたがらないという人間の本性がありますからね。
とにかくこの世界を変えていくのは並のことではありませんが、やはりカカクコムのようなサイトや、きちんとした信憑性のあるビジネスをしていくならあくまで本名で投稿を!というのが私の持論であります。それだけは結論としてやっぱり思います。結果、人は自分の顔に責任を持ち、”本当のこと”しか書けなくなるのではないでしょうか。※ご意見あればお待ちしています。
2013年5月5日日曜日
「生きる力がわいてくる本」くじけそうなあなたへ 川村則行著
2013年のゴールデンウィークいかがお過ごしですか?
今年は意外にも東京で過ごす方が多いようにも感じます。人が東京に押し寄せているのでしょうか?
かくいう自分もその一人ですが、こういう時には普段なかなか思いを馳せることのできていない家族のことなどを考えてみたりするものです。
ズバリ、タイトルにもしました本の題名は、私の義理の兄にあたります精神内科医、川村則行の好著です。身内が言うのも何ですが、ここ何年もまともにおつきあいしていない間柄です。それでもここ数年は、本人の活躍は耳に入ることが多く(開業直後NHKでも取材されました)この広い世の中でどなたかのお役に立たれている事を嬉しく思う限りです。
そんな訳でつい先日、タイトルの書をアマゾンで購入してみました。
他にも著作は複数、他社出版社からも出版されていますが、アマゾンの本の中身を閲覧するでこちらに(PHP研究所発行「生きる力がわいてくる本」)決めました。
義兄の得意とするところの人間観察(まあ、精神内科医ですから当然ですが)が利いていて、これまで往診された患者さんの事例に沿って、「人はなぜくじけるのか」を紹介。人間のくじるける「心の法則」を解き明かしながら、「こんな時はどう考えればよいのか」(心が軽くなるか、幸せになれるのか)を川村独自の視点で紹介しています。
重ね重ね、身内が言うのもなんですが、40代半ば頃(今の私と同じ歳)に書かれたこの本は、円熟味を帯びて来ているように感じます。
実に様々な方の症例に合わせて、症状の根本原因を説き明かし、一刀両断すべきところは一刀両断し、一見冷たく感じられるかもしれませんが、その言葉の奥にあるものは人間への”愛”に他ならないと感じます。
また、具体的な症例も多岐に渡っており、どの方にもほとんどのケースが、「自分にもあてはまるのではないか」と感じられる事ではないかと思うのです。(誰しもが心の病にはかかる可能性はあるのです。)
詳細はこちらで書き記すよりもぜひ、一度ご一読頂ければと思うのですが、私自身、最近、自分に対して「正直にありたい」という気持ちを深めているところです。そして、なぜ、「人間はそのように考えるに至ったか」、という人間のバックボーンというものを改めて考える事の大切さを実感しているところです。
バックボーンを見つめ、新たな自分の人生を生きる切り口として、この本は非常に有効であると思われますので、ぜひ、義兄の辛口で切れ味鋭くも人間を真っ正直に見つめようとする学者魂に触れてみてください。
最後に、至ってプライベートな文脈ではありますが、私自身の姉に関する記述がありましたのでこちらを紹介したく思います。もう20数年になる二人の足跡ではありますが、社会に足場を固め、ふたり二人三脚で日々共に互いを助けとし、多くの方の方々に必要とされる人生を歩んでおられます事を心より、有難く、嬉しく思う次第です。
第4章 こんなときは、こう考えよう ーよくある悩みの処方箋ーより
「自分は自分らしく生きていないのではないかと思い始めたのは中学2年のころからで、(中略)しかしその後も、どうしても期待される人間像のように振舞おうとしたのです。
そういう無理をして相手の要求に応じるということをやっているのがくだらないと思えるようになったのは、二十七、八歳頃になってからです。妻と出会い、二十九歳で結婚したころからようやく自分らしくなれたような気がします。妻とは本音でしゃべることができるので、一緒にいるとカウンセラーと話しているような癒しの感覚を受けます。やっと自分らしく生きる場所が見つかったという感じです。」
この書籍の中で一番実感のこもっている言葉なのではないでしょうか。
川村則行氏とその妻である姉、浩子に愛と感謝をこめて。
今年は意外にも東京で過ごす方が多いようにも感じます。人が東京に押し寄せているのでしょうか?
かくいう自分もその一人ですが、こういう時には普段なかなか思いを馳せることのできていない家族のことなどを考えてみたりするものです。
ズバリ、タイトルにもしました本の題名は、私の義理の兄にあたります精神内科医、川村則行の好著です。身内が言うのも何ですが、ここ何年もまともにおつきあいしていない間柄です。それでもここ数年は、本人の活躍は耳に入ることが多く(開業直後NHKでも取材されました)この広い世の中でどなたかのお役に立たれている事を嬉しく思う限りです。
そんな訳でつい先日、タイトルの書をアマゾンで購入してみました。
他にも著作は複数、他社出版社からも出版されていますが、アマゾンの本の中身を閲覧するでこちらに(PHP研究所発行「生きる力がわいてくる本」)決めました。
義兄の得意とするところの人間観察(まあ、精神内科医ですから当然ですが)が利いていて、これまで往診された患者さんの事例に沿って、「人はなぜくじけるのか」を紹介。人間のくじるける「心の法則」を解き明かしながら、「こんな時はどう考えればよいのか」(心が軽くなるか、幸せになれるのか)を川村独自の視点で紹介しています。
重ね重ね、身内が言うのもなんですが、40代半ば頃(今の私と同じ歳)に書かれたこの本は、円熟味を帯びて来ているように感じます。
実に様々な方の症例に合わせて、症状の根本原因を説き明かし、一刀両断すべきところは一刀両断し、一見冷たく感じられるかもしれませんが、その言葉の奥にあるものは人間への”愛”に他ならないと感じます。
また、具体的な症例も多岐に渡っており、どの方にもほとんどのケースが、「自分にもあてはまるのではないか」と感じられる事ではないかと思うのです。(誰しもが心の病にはかかる可能性はあるのです。)
詳細はこちらで書き記すよりもぜひ、一度ご一読頂ければと思うのですが、私自身、最近、自分に対して「正直にありたい」という気持ちを深めているところです。そして、なぜ、「人間はそのように考えるに至ったか」、という人間のバックボーンというものを改めて考える事の大切さを実感しているところです。
バックボーンを見つめ、新たな自分の人生を生きる切り口として、この本は非常に有効であると思われますので、ぜひ、義兄の辛口で切れ味鋭くも人間を真っ正直に見つめようとする学者魂に触れてみてください。
最後に、至ってプライベートな文脈ではありますが、私自身の姉に関する記述がありましたのでこちらを紹介したく思います。もう20数年になる二人の足跡ではありますが、社会に足場を固め、ふたり二人三脚で日々共に互いを助けとし、多くの方の方々に必要とされる人生を歩んでおられます事を心より、有難く、嬉しく思う次第です。
第4章 こんなときは、こう考えよう ーよくある悩みの処方箋ーより
「自分は自分らしく生きていないのではないかと思い始めたのは中学2年のころからで、(中略)しかしその後も、どうしても期待される人間像のように振舞おうとしたのです。
そういう無理をして相手の要求に応じるということをやっているのがくだらないと思えるようになったのは、二十七、八歳頃になってからです。妻と出会い、二十九歳で結婚したころからようやく自分らしくなれたような気がします。妻とは本音でしゃべることができるので、一緒にいるとカウンセラーと話しているような癒しの感覚を受けます。やっと自分らしく生きる場所が見つかったという感じです。」
この書籍の中で一番実感のこもっている言葉なのではないでしょうか。
川村則行氏とその妻である姉、浩子に愛と感謝をこめて。
2012年11月24日土曜日
安倍さんキター!保守への回帰は本物だーー!
今日、お昼に運命の出会いがありました~。
って、何かって吉祥寺駅前でちょうどマイクを握る自民党安倍総裁に遭遇したのです。
タクシーに乗ろうと思って降りたロータリーで。しかも落ちがありまして、私が少し駅から離れた場所で後で拾ったタクシーがちょうどその前に安倍総裁御一行様を駅前で下したタクシーさんだったのです。
いやあ、やっぱり運命の出会いでしたね。もともと、安倍ファンのわたくしではありますが、なかなか生安倍さん、街宣中の安倍さんにお目にかかることはなかったのです。ちょうど近隣の撮影にきていて、、、。しかし驚いたのなんのって、あの極左管直人のおひざ元である武蔵野にあんなに人が集まって文字通り人垣になるなんて。
ちゃりんこに乗った二十歳くらいの女の子が「安倍さんじゃんー!」って走ってこいでくるし。
交差点を行き交う人も皆注目したり、足を止めたりしてジャニーズやなんかではありませんが、まるでそんな感じでみなケータイ取り出して激写したりして、主には中高年ですが中には、若人の男の声で「安倍さーん」って黄色い声援を送るひともいました。なんだかとっても温かったですね。みんなが安倍さんを待望している(国会の責任者として)。いやなんていうか、単なる政治家というよりも保守のホープ、政界でのお父様?お兄様?いや神様?みたいな、なんか赤の他人とは思えない、保守の家族の代表のような気持ちになるんですな。
本当にその場にいた人にしかわからない空気ですが、安倍さんの沿道に集まる人、一人ひとりに目を合わすように有権者の人ひとりひとりの良心に訴えかけるような言葉の一つ一つにその姿勢に心打たれてならないんです。
その場にいたほとんどの人が、普段はまともに安倍さんや自民の実績を報道しないマスコミたちもどこかで良心が保守政治家の真摯な訴えを聞き逃さないぞ、と耳を傾けていたように思うんです。
本当にまだまだ保守政党への公平な報道は少なく、心もとない日本の政治ではありますが、今日、安倍さんの不惜身命を見た限り、私の保守の心にさらに火がともりました。非力ながら、心より安倍政権の誕生をお祈り申し上げます。
追記:安倍さんの目はどこか憂いを含んだ、しかし透明な澄んだ目でした。保守政治家としての、真剣に日本を立て直したいと願う本気の政治家としての哀しみが透明な目と、熱く澄んだ声になっているのだと。
心から安倍総裁を応援します。
そして、自民をはじめ政党を超えて保守政治家の皆様を心より応援いたします。それぞれの最善を尽くして二度と暗黒の左派政党にこの国の未来をゆだねることがないように!希望の未来に、太陽の昇る国を今ひとたび目指して!頑張ってまいりましょう!
皆様、応援よろしくお願いいたします☆
って、何かって吉祥寺駅前でちょうどマイクを握る自民党安倍総裁に遭遇したのです。
タクシーに乗ろうと思って降りたロータリーで。しかも落ちがありまして、私が少し駅から離れた場所で後で拾ったタクシーがちょうどその前に安倍総裁御一行様を駅前で下したタクシーさんだったのです。
いやあ、やっぱり運命の出会いでしたね。もともと、安倍ファンのわたくしではありますが、なかなか生安倍さん、街宣中の安倍さんにお目にかかることはなかったのです。ちょうど近隣の撮影にきていて、、、。しかし驚いたのなんのって、あの極左管直人のおひざ元である武蔵野にあんなに人が集まって文字通り人垣になるなんて。
ちゃりんこに乗った二十歳くらいの女の子が「安倍さんじゃんー!」って走ってこいでくるし。
交差点を行き交う人も皆注目したり、足を止めたりしてジャニーズやなんかではありませんが、まるでそんな感じでみなケータイ取り出して激写したりして、主には中高年ですが中には、若人の男の声で「安倍さーん」って黄色い声援を送るひともいました。なんだかとっても温かったですね。みんなが安倍さんを待望している(国会の責任者として)。いやなんていうか、単なる政治家というよりも保守のホープ、政界でのお父様?お兄様?いや神様?みたいな、なんか赤の他人とは思えない、保守の家族の代表のような気持ちになるんですな。
本当にその場にいた人にしかわからない空気ですが、安倍さんの沿道に集まる人、一人ひとりに目を合わすように有権者の人ひとりひとりの良心に訴えかけるような言葉の一つ一つにその姿勢に心打たれてならないんです。
その場にいたほとんどの人が、普段はまともに安倍さんや自民の実績を報道しないマスコミたちもどこかで良心が保守政治家の真摯な訴えを聞き逃さないぞ、と耳を傾けていたように思うんです。
本当にまだまだ保守政党への公平な報道は少なく、心もとない日本の政治ではありますが、今日、安倍さんの不惜身命を見た限り、私の保守の心にさらに火がともりました。非力ながら、心より安倍政権の誕生をお祈り申し上げます。
追記:安倍さんの目はどこか憂いを含んだ、しかし透明な澄んだ目でした。保守政治家としての、真剣に日本を立て直したいと願う本気の政治家としての哀しみが透明な目と、熱く澄んだ声になっているのだと。
心から安倍総裁を応援します。
そして、自民をはじめ政党を超えて保守政治家の皆様を心より応援いたします。それぞれの最善を尽くして二度と暗黒の左派政党にこの国の未来をゆだねることがないように!希望の未来に、太陽の昇る国を今ひとたび目指して!頑張ってまいりましょう!
皆様、応援よろしくお願いいたします☆
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