2011年4月24日日曜日

ICU(国際キリスト教大学)の白熱教室が面白い(今夜は…)

4月23日(土)夜中の再放送だがICUの「白熱教室」が面白い。

今夜のお題は、NGO・ワールドビジョンの活動についてだが、「エイズ支援について」を議論している。日本の学生らしからぬミッション系大学ならではの”神学におけるエイズ議論”が飛び出すあたりは面白い。

面白いという言葉は不適かもしれないが、クリスチャンの非営利目的団体の活動として支援すべきかどうか、信仰面からもその在り方を議論しているのだ。「キリスト教だからできるのか?キリスト教だから出来ないのか」進行役の講師が投げかける。

「クリスチャンの活動のあるべきす姿とは…」。神学的側面の議論を深めていければさらに有意義な本当の意味での白熱教室になると思うのが、今回の教室は、「NGOの特性を探りつつ、クリティカル・シンキングを鍛えたり、ロジカル・シンキングを鍛えたりすることが目的」だそうだ。

ある学生は「支援については慎重であるべき。エイズそのものについて神学論的に検討した上で、次のステップに支援すべきかどか具体論があるべき」と述べている。「なるほど」。

『そもそもなぜエイズという病気が発生したのか。神からの警告という側面はなかったのか』

キリスト教的な呪縛はさておき、救済行為には必ず通過すべき壁というものがるのかもしれない。欧米社会においては主流となる勧善懲悪の世界観と、「愛と慈悲の心」を発露させる救済、この両者は、様々な足かせを持ちつつも折り合いを付けながら、目の前にある危機(エイズ)に際して動かずにはいられないものなのだろう。

キリスト教以外のその他の宗教においても実際の救済の活動においては、常に考えておかなくてはならないことだろう。

そもそも「なぜエイズという病気がなぜ現れ、また拡がり続けているのか」。因果の理法に照らし合わせ物事を正しく見るできたのならば、宗教的呪縛でも何でもなく、自ずと答えは
各人の心に与えれることだろう。

宗教的な真実は必ずあると思う。

しかして救済とは、宗教的真実をいうだけでは議論するだけでは何の役にも立たないのである。それだけは世界宗教になるべく教えを広めるものとして、肝に銘じておきたいと思う。

現代の宗教的バックボーンを基軸とした救済活動には、かつてない無限大の広がりと、光が込められることに期待されている。