2014年3月9日日曜日

この頃つくづく思うこと(友人たち、そして愛する日本のすべての人へ贈る)

日本人は奥ゆかしい民族ですが、最近では犯罪に走ったり、自らの権利を主張する欧米型の人権主義者も多くなってきています。

何が言いたいかというと、そういう人権主義者のひとは、同時にリベラリストであることが多いわけです。いわゆる戦後型のですね。戦争下の日本において、自らの人生を最大限に伸ばしたり、自由に生きることができなかったのは事実だと思うのですが、ほんとうに悪いことばっかりだったのでしょうか?(先人の苦労は計り知れないこととは思いますが)

私の母は言います。
「昔は、おいしいジュース(夏に沖縄のフルーツジュースを贈った後)なんかなかったけど、それでも豊かだった。家族がみな一緒だった。そこには家庭の団欒があった。幸せだった。」

これは、母の子供時代(戦中・戦後)を回想しての話です。
母は昔から文章を書くのが好きなひとで、よく若いときから亡くなったおじいさんやおばあさんのことを筆にしたためていました。

その母の書き遺すおじいさん、おばあさんは、戦争時代に人として大切なことを守り抜き、豊かに生き抜いた誇り高き人たちとして描かれていました。おばあさんは「救国の母」と呼ばれ、良妻賢母の鏡として徳島新聞に報道されたこともあったひとでした。

だから、私は、そんな日本人が先の大戦を戦った先人たちが、まったく無謀な野蛮な行為として、戦争を仕掛けたとは思えないのです。

あの母から聞いたおじいさん、おばあさんは、公のために尽くし、神仏に感謝し、生命をはぐくんでくださった日本という国土に感謝して生きた人たちです。とても気高く生きた。苦しいことがあっても、弱音を吐くことなく、子供たちの未来に希望を託した。わたしは、その苦労を、気高さを忘れたくはありません。

それが私に生命をつないでくださった祖父祖母への、せめてもの恩返しだと思うのです。そして、ここに記しておきたいのは、戦争をしたくて戦争をする国家はないということです。少なくとも日本において、明治期以降、近代国家になってからは、一度もなかった。やむに已まれぬ大和魂はあったことでしょう。そして、当時のひとは、自分の人生も丸呑みして生きてきたと思います。

だからこそ、先の世界大戦を戦った日本人を悪くいう現代人に、権利主義者に、伝えたいことがあるのです。

いま、この一見平和に見えるグローバル世界になっていることが、先人たちの戦争という代償を払って得た結果だ、ということです。ひとは、最初から喧嘩せずしてお互いの実力を認め合い、仲良くし続けることは難しいものです。国家のレベルにおいても。どこかで文明の衝突、価値観の衝突は起こるものです。その究極の姿が、最終形が戦争だと。人間は、未熟かもしれないが、そのことでのみ、最終決着をつけるしかないことも起こりうる。

だからこその、いまの平和なんです。

平和はただで買えるものではない、ぜひ、このことを、皆さんに刻んでいただきたいと思います。
みなさんは、ご先祖様をどう思いますか?
日本人の子孫に生まれてよかったと思いますか?

「戦争したから不幸になった」。それは事実かもしれませんが、その悲惨な体験によって先人の尊い犠牲によって、今の自分たちがあることを、この身にしかと自覚して、これからの時代を生きていきたいと思います。

ケネディ大使インタビューに思う。

つくづく思うこと。

相変わらずこの国は、戦後の自虐史観による強烈な精神的呪縛受けている。

太平洋戦争に負けたことで日本人は、自分たち祖先を否定し、ことさらマイナス点を暴き出すことに余念がない。しかし、それは、ほんとうに太平洋戦争を戦い抜いた先人たちに対する正しい評価なのか。朝日系記者によるねつ造記事「南京大虐殺」に始まり、慰安婦問題、河野談話、村山談話。過去の首相たちは、中韓関係に配慮を重ね、その場はお茶を濁すという日本的手法で当時を逃げ切った。そのつけが今の我々にのしかかっているというのに、政府は大鉈をふって、過去の呪縛を断ち切るまでの腹積もりはないようだ。保守系の首相になった今でも、それだけ政治的逆圧力、左派マスコミの容赦ないアタックがあり、自虐戦後史に支配されている日本人が多いということだ。

先のクローズアップ現代に出演していたケネディ大使も完全なリベラリスト。

どこかの団体が○言と称して、彼女を持ち上げていたのが不思議でならないのだが、あの容姿に可憐な立ち振る舞い、明るい雰囲気、古き良き時代のアメリカを彷彿とさせるケネディ家の娘。そんな彼女のレッテルが親しみやすく、理解あるひとに見せがちだが、実際に彼女が言ったのは、従来のオバマ政権で繰り返されてきた日本軽視ともいえる見解だ。「太平洋地域の安定を脅かす、火種になる行為に対してアメリカは同盟国としていうべきことは言う」。「中韓とは話し合っていくことが大切」では、いったいどう話せば中韓が胸襟を開いて、友好的かつ建設的な関係構築に乗り出してくるというのだ。見せかけだけの騙しテクニックではなくて・・・。安倍総理は今もって気長に胸襟を開いている。それでも竹島を乗っ取り、尖閣周辺の領海侵犯を繰り返し、日本の国益を脅かし続けているのは奴らなのだ。もとをただせば、日本人の自虐史観が中韓に好き放題する隙を与えただけだが。

アーサー・ウォルドロンペンシルバニア教授は、3月7日(金)付の日経新聞。堂々二段抜きのコラムで「米国との同盟、過信は禁物」という見出しで、注意深く日米中関係について考察し、軍事的対応についても具体的に述べている。

詳細を割愛させていただくか、鳴り物入りで来日した政治家経験零のど素人ケネディ大使にそれなりの発言、日本の未来の行く末に対し重要なコメントを求めるのは無理があるという話だ。おそらく誰も期待していなかったと思うが、唯一左巻きの公営放送NHKだけは違ったようで、国谷キャスターの自国の保守政治家に対する冷たいあしらいに比べ、かつてないほどの素直なうなずきで、まるで環境左派のケネディに感銘を受けたとでもいう表情で聞き入っていたのだ。さらに失望をしたしだいである。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi01.htm