2015年12月29日火曜日

「武士の娘」この時代ふたたび

年末モードに突入した2015年12月29日。

朝はゆっくり起きてBSをつけたところ、長岡藩の元家老の娘であり「武士の娘」を書いた杉本鉞子とその友人フローレンスの生涯を描いた「武士の娘 鉞子とフローレンス ~奇跡のベストセラーを生んだ日米の絆~」が再放送されていました。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2393055/

「これは面白い」タイトルだけで実感し、身を乗り出すように全編2時間弱をあますところなく観たわけですが、やはり面白かった。いや、それだけでなく今、もっとも日本で知られるべき女性のオピニオンリーダーの一人ではないのかと思いました。

恥ずかしながら私は「武士の娘」はタイトルだけで書籍を読んだことがなかったのですが、今回のドキュメンタリードラマを通じて著者杉本鉞子の人生にぎゅっと日米の歴史、日米交流と戦争の歴史が一人の女性の中に詰まっていると感じました。

25歳の時たった一人で会ったこともない日系人青年に嫁ぐために着物姿で米国に渡った日本人女性、武士の娘。その後、フローレンスという女性に出会い、生涯にわたって鉞子を理解し、その執筆活動を支えるわけですが、なんとも不思議な二人のつながり、強い運命の出会いを感じます。

そして、鉞子が米国で生きていくため、日本人を理解してもらうためにも「武士の娘」は書かざるを得ない状況になるわけですが、当時、米国における日本の評価は、十年単位で変わる世界情勢に翻弄されており、米国内では日本人が差別され、安全に暮らすことさえできない時代が長く続いていました。


日米におけるエポックメイキングともいえる時代は、第一次世界大戦で日本がロシアに勝利し、その後、中国に侵攻?(歴史的解釈は多々ある)したあたりですが、ここから米国が日本を警戒し、在米日本人に対する嫌がらせが始まります。

日本人への風あたりが強くなる中、夫の店はつぶれ、鉞子と娘二人、日本に帰国するのですが、娘たちの高等教育のため米国へ戻ることを決意。鉞子の夫の遺骨を抱えて日本に来日していたフローレンスとともにニューヨークへと渡ります。生活のためコロンビア大学で日本語と日本文化を教える講師職を得て、執筆活動を本格化させます。

最初はなかなか認められなかったものの、フローレンスの助言を受けて鉞子は自身のことを書き始めそのエッセイが認められるようになってきます。「武士の娘」はこれまで寄稿したエッセイが1冊の本となり、ベストセラーになるのですが、第二次世界大戦の兆しが見え始めた頃、日米関係は悪化し、鉞子は、再び娘たちとフローレンスとともに日本へと帰国することになります。戦争という大きな日米を取り巻く時代環境によって、翻弄され続ける鉞子たちですが、それゆえ戦前、戦後を通して、「武士の娘」は大きな意味を持ちます。


フローレンスは、死の間際に日本語訳の「武士の娘」を出版して欲しい、戦争へ突き進む日本人の心にもこの書が必要だと、日米の和平を鉞子に託して亡くなります。フローレンスとの約束が果たされたのは、第二次世界大戦下の只中。スパイ扱いされかねない鉞子の立場にあって大変な思いをして出版にこぎつけたようです。

戦火を生き延び、昭和25年、78歳で死去するまでの間、続々と鉞子のもとに「武士の娘」を読んだという人々が訪れます。中には「この本がもっと多くのアメリカ人に読まれていたなら戦争は起きなかったでしょう」と、鉞子に伝えに来た米兵の姿もドラマでは描かれています。

鉞子が今も健在の日本人女性に宛てた手紙には、「なぜ、戦(いくさ)が起きたかをさぐり、このようなことが二度と起こらないようにすることが大切である。そのために命のある限り祈り続ける」といったことが綴られていました。
 
http://www.amazon.co.jp/dp/4480027823

手紙を受けとった知人女性は、単に「戦争はいけない」「戦争をした日本が悪い」というようなことは誰もがいうような時代に、「なぜ、戦(いくさ)が起きたかをさぐり…」と書かれているところに、鉞子の素晴らしさ、稀有なる人物であることが感じられたと話されていました。

今を生きる私たちは、武士の娘として日本人の本質を伝えようとした鉞子に、本来の国際人としての日本人の在り方と、凛とした日本人の生き様を学ぶべきときにきているのではないでしょうか。ますます時代はこの書を、著者の生き方を伝えることを欲しているように思います。

子供達の読む国語や現代史の教科書に詳しく「武士の娘」や、鉞子自身について紹介していただければと切に望む次第です。

2015年11月29日日曜日

言葉の死とコミュニケーションが生まれるとき

言葉=コミュニケーションでもないと思うのですが、言葉と仕事というべきか、仕事とコミュニケーションともいうべきか・・・。最近、気になる自分自身の課題ですね。たとえば、同じ方向性を持てなく持った者同士がコミュニケーションをとろうとしても、埋められない言葉の壁を感じるようになり、言葉そのものが本来の役割以上の意味を持たなくなる、つまり言葉の死というものを感じました。

どうしてこの相手との会話は自分の言霊がスムーズに出てこないのか。日が浅いというよりも、繋がりが薄いと感じる仕事関係者との間でのことですが、その相手との会話の状況をよく思い返して見ると、相手が結論ありきで会話のストーリーを進めていることに気づきました。つまりその相手にとって持っていきたい結論、会話の落とし所があるということですね。あるいは何か思い込みがある時とか・・・。その相手の思考を敏感に感じとってしまう自分がいて、素直に言葉がでなくなる、自分の言葉で話せなくなるんです。

それとは真逆に、ああ、なんと心地よく会話が進められる相手だろうか、と感じることもあります。人間には波長というものがあって、大抵のことはこの波長があう人との会話や、何か共通の体験ともいえるものがあってシンパシーを感じる部分があれば心地よいと感じるのではないでしょうか。だから滑らかに思考し、言葉がスムーズにでる。人間としての共感力もあると思いますが、私が最近体験した会話のスムーズなパターンは、お互いの苦労を想像し思いやれるような境遇を体験したときです。

どういったケースであれ、縁あって相対する相手を理解したい、仲良くなりたいと常々、思っている私ではありますが、それでもストーリーありきの計算づくめの相手との会話には自身の思考が停止してしまうような強い違和感が生まれます。こればっかりは仕方のないことなのかもしれなませんが、皆んなが仲良しこよしのお友達やおめでたい人ばかりではないし。けれど、そうなってくるとこの世の中、自分が相手に乗せられて騙されないようにしなくてはならないと窮屈に身構えた状況で、常に損得で会話を考えなくてはいけなくなってしまいます。

無論、言葉を司るライターを生業としている者としては、相手に屈しないぞ、という思いが本音であり、相手にコントロールされないように自分の頭と心を満足させられる会話の技術を磨いておきたいものだと思います。やや頑固ですけどね・・・^^。

自分の思いを正しく言語に乗せて、心と頭を一体化させること。そんなやりとりの先には、心地よい人間関係と目標の達成に向かわせるものがあると思います。

事を有利に進めたいがゆえに言葉を使う、会話を誘導することは、人間社会においては生きていく上で必要なことのかもしれませんが、残された貴重な人生、できるだけ言葉を飾らずに、素直な言葉を使って人との関係性を深めていきたいと願っています。


2015年11月17日火曜日

暴力に対して暴力では何も解決はしない

2001年の9.11から14年が過ぎたというのに益々テロの脅威は増し、サウジアラビアなどの一部の外交同盟国を除いては、中東全土を巻き込んでの欧米とのテロの戦いに入ってしまいました。

油の問題なのか、宗教の問題なのか、といえばそもそもはアメリカとイスラエルの癒着に始まる油の利権争いであり、これまで搾取され続けた西アジア、アラブ諸国の独立国家としての威信をかけた戦いだといえるでしょう。

つまり民族や宗教における同族による連帯を掲げて戦ってはいるものの、背景にあるのは、もうこれ以上、自分たちを支配下に置こうとする異教徒たち欧米列強(第二次世界大戦を彷彿とさせますが)の?思い通りにはさせないという強い抵抗とも言えるものです。

なので、フランスにおけるテロも残忍そのもので、決してテロ行為は許されざるものではありませんが、これに対してどう対処していくべきかは、報復合戦ではもうどこにも行き着かない、つまりは第二次世界対戦でアメリカが広島に原爆が落としたように、国を壊滅状態にまで落としいれないと決着がつかないところまで行くことが考えられるのです。

なんといったらよいのでしょう?

私一人の力で及ぶところでは全くないのでこうしてBlogにアップすることもためらわれる部分があるのですが、私は一人の人間としてこの承服できない行為に対してもある一定の理解と許しを与えられる人間でありたいと思うのです。

この残忍なテロ行為の連鎖、暴力を断ち切るためには今一度、人間の尊厳、本来の宗教の奥の奥にあるものを取り戻すべきだと思うのです。そして虚心坦懐に、平和な仏教国であり、森羅万象に神が宿ると考える神道の教えの中にこそ、イスラムとの共通点を見出し、救いの手を彼らにも差し出してよいのではないかと思うのです。

世界のあらゆる不条理に対して、全ての国の全ての人が同じ対応をとる必要はありません。「テロリストとは取引しない」それも正義でしょう。しかし、唯一の理解者が仲介役が現れることによってこの問題は解決の糸口が見出されると思うのです。

どうか日本の政治家も宗教家も民主主義国家という価値観を共有する国の同盟を尊重するだけでなく、相対するように見えるような相手(イスラム国)に対しても胸襟を開いて出来うる限りに善なる思いで対応していただきたい、と思います。なぜなら彼らの歴史において現在の行いに至るまでの理由がアメリカやヨーロッパの白人至上主義者たちにもあると考えられるからです。

過去に非があれば、それは虚心坦懐に認め、謝るべきでです。そして、どんな相手に対しても一理あると、許せる心で接しなければ未来は開けないものと思うのです。日本においては冷静な対応をとりつつ、あくまで公平な観点で、暴力だけでは解決しないことを双方に訴えて行くべきではないかと思います。

写真はアメリカの無人空爆によって負傷したナビラ・レフマンさん。「暴力に対する暴力では何も解決しない」と訴える。

2014年6月1日日曜日

野口健さんにみる、アルピニストはリアリスト

なかなか秀逸なTV講演番組「テレビ寺子屋」(フジテレビ)を思わずみいってしまった。

メジャーリーグ中継の後、すっかり夜もあけて「土曜のよふかしはこれで終わり。さて寝ましょう」
と思ったら始まってしまったのだ。それもすごく気になるはいり方で・・・(笑)。

以前から注目していたアルピニスト野口健さんの出演だ。
 
http://www.noguchi-ken.com/

このあとの講演のいいところを番組冒頭に流すのだが、「死ぬ覚悟もあれば、生きる覚悟もある」と、威厳すら感じさせる佇まいで話す野口さんに、もう眠ることはできなくなってしまった。
http://www.sut-tv.com/show/terakoya/backnumber/post_218/

「死ぬ覚悟と同じくらい生きることにも覚悟がいるんだ」と話はじめたのは、数々のヒマラヤ登頂で死と向き合わざるを得ない経験を野口さんがしてきたからだ。

下山途中に数多くみるアルピニストの亡骸。そして、ある時、体験したのは、仲間のアルピニストがもう息絶えるとわかっていて、自分は彼を見捨てて一人下山できるか、それとも一緒に死ぬことができるのか、という問いだ。

考えて考えて、そして、仲間に先に行くよう促されても野口さんは、彼が息絶えるまでその場を動けなかったそうだ。そして最後の仲間の言葉を聞いて、見送った後、野口さんは、下山しながらそのことについて、考え続けたそうだ。

その時、ビルマで大東亜戦争を戦い抜いて、最後は捕虜となって日本に帰ってきたおじいさんの言葉が深く思い起こされたそうだ。おじいさんは、参謀という立場で多くの部下を死なせてしまった。それにも関わらず自分だけは、日本に帰り、孫にまで恵まれて、幸せであればあるほど、「苦しい」と、野口さんには話していたそうだ。

野口さんは、「生き死にを覚悟する」経験を得たあと、
おじいさんや戦争のさなか「死ぬ覚悟」をしたであろう軍人に、重なる思いがうまれたそうだ。

その気持ちが現実に、「国のために死んでいった人を軽んじるようなことがあれば、その国は滅びる」と、遺骨収集に向かわせることになった。

野口さんの遺骨収集は今年で7年目だ。
2010年には所属していたNPOを離れ、個人として活動されているようだが、その思いと行動はより一層、熱くなっている。

野口さんのこの活動が少しずつでも、実を結び、日本でも戦争のことをタブー視せず、自由に話せる空気が生まれるといいなと思う。なかなか歴史教育というのは難しいことだけどね。

それでも、真なるリアリスト、野口さんに習って何か自分の思うところをかたちに行動にしていけたら、こんなに素敵なことはない。

http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html


2014年4月27日日曜日

果たして日本に女性首相は誕生するのか!?

日本は古来より、天照大神に始まり、卑弥呼や、推古天皇など日本を実質的に女性が統治していた時代があった。

それが武士の時代が長く続いたせいか、近現代における政治の活躍に女性の姿はない。世界的には、欧米をはじめ、昨今では中南米や、東アジアなどの発展途上国においても女性首相が誕生している今日においてである。

日本の政治家には地盤、看板、カバンがなくてはならないといわれているように、2代目3代目の「政治や」が数を動かしているためか、民間に比べても女性の進出は少ない。



今、世界を見渡しても世界に通用する女性政治家リーダー(首相)は、ドイツのメルケル首相を筆頭に、国のパワーとしては下がるものの、オーストラリアのギラード首相、ブラジル初の女性大統領ルセフといったあたりだろうか。

ほかには、タイ史上初の女性大統領インラック、そして、お隣韓国でも18代目で初の女性大統領朴 槿惠(パク・クネ)などがおり、さらには、インド、パキスタンやバングラデシュなどのイスラム国家、アルゼンチン、コスタリカ、リトアニアなど小国にも女性首相は誕生しているのである。


女性首相といってもやはり傾向として活躍しているのは、国の力としても安定しているドイツなどの先進国であり、過去、イギリスを国民病から立ち直らせたマーガレット・サッチャーが、圧倒的な安定とパワーを感じさせるものだ。


私なりに考察してみるに、国家元首として成功しているマーガレット・サッチャーや、メルケル首相はいわゆる家庭もちである。それに引き替え、国を二分するような戒厳令まで敷いて危うい状況に陥ったインラック首相は1男がいるも独身、朴韓国首相は完全なる独身、中には暗殺された女性首相や、わけありで家族に首相を務めた男性がおり、その娘や妻がリベンジで戦っているケースが多い。

そうした家庭に問題のあるケースは短命で終わることが多いのだが、メルケルやマーガレットのように家庭的で理解のある夫を持った場合は、長期政権に至るケースが多い、といえるのではないのだろうか。

女性でありながらも一国の首相、国のリーダーである。
それを支えたのは、鉄の女の影で世間的には馬鹿なふりをしながらも、家庭では良き相談相手であったという夫ロバーツであり、この夫の支えなくしてはマーガレット・サッチャーは、11年の長きにわたってイギリスを正しく導いていくことは困難ではなかったのか、とさえ思えるのだ。

今日に立ち返って、女性が男性以上に社会で活躍するには、それなりの犠牲も必要なことだろう。それと同時に何よりも自分を支えてくれる、影ながらサポートしてくれる裏方の存在が必要なのではないだろうか。

普通の仕事をしていても日本では、まだまだゆるぎない男性社会であることを、強く思わされることがある。そうした男性論理の社会を生き抜いていくには、女性であっても男性であっても、影で自分を支え、癒してくれる存在があってこその輝きではないだろうか。

日本にはまだまだそうしたパートナーの存在が薄く、また、男性がそこまで内助の功に徹したいと思うほどの女性リーダーが育っていないのかもしれないが、これからのパートナーシップの変容に期待しつつ、どんな立場であっても双方がのばし合っていける人間関係というものを築いていきたいものだ。

そして、日本に限らず、世界的に見てもアジアはいまだ女性政治家が完全に政権を掌握し、安泰といえるレベルには達していない。この状況から見ても、各国とも女性リーダーの真価は試されているといえるだろう。

だからこそ、日本は若干の遅れをとっているにすぎず、アジアをリードする女性リーダーの到来にこれから期待できるのではないかと思わされるのだ。
そうした希望を持ちつつ、その希望が絵に描いた餅に終わってしまわないように、晴れある日本を押し上げていくためにも良き女性リーダーの登場に一役買いたいものである。

状況がいまだ整っていないにしても女性首相が誕生するころには、きっと日本は、真に上流国家として世界を導く立場にいるのではないだろうか。優しく、強い国を理想に、今とは少し異なる人々がこの国を背負ってくれる時代になることを願う次第である。

それは、我々の日々の少しずつの心がけ次第なのかもしれない。



2014年4月25日金曜日

苦手なカップル

いえ、まあいいんですけどね。
どうにも解せないカップルというのが私の中にありまして。
小田急線で見かけたいい中高年というよりも、男のほうは団塊世代の60代後半くらい(結構いい爺です)女性はおそらく声の感じで40前後くらいでしょうか。

電車のなかでいちゃいちゃ・・・
まあ、思ったんですけどね。若い子たちがいくら電車でいちゃいちゃしたって、多少、動物的に感じることはあっても不潔感はない。
でも、どうでしょう。いかにも後妻に入った風な中年がらみの女で、しかも娘と父親位歳の離れたカップルが手つないで二人だけにしかわからない会話をあえて、聞こえるような耳打ちでしゃべられても・・・。

いやあ、気持ちわるかったなあ。
どうにもこういうの受付られないんですよ、生理的に嫌悪感が(~_~;)いやあ、あえて、多くを語らずともお互いのことが分かり合えるくらいの距離感で、手をつないでいても微笑ましいくらいのかわいいカップルになりたいものです。(あっ、相手が!(^_^;))ガーン。

齢をとったら、これくらいが息の合った歩調でしょうか。