2010年12月9日木曜日

帝国主義が跋扈する時代へ突入

今年、日本人物理学者、科学者による(受賞は最後とも揶揄される)ノーベル賞の受賞が相次いだ。しかし、その影でノーベル平和賞はこのところ政治色の色合いが強い。ノーベル平和賞受賞からは今の世界の縮図、そして未来図が読み取れるのではないか。
昨年は、”未だ何もやっていない”オバマが核廃絶を唱えたとして平和賞を受賞した。

要するに今後の軍事大国アメリカの在り方を問う、ということであったと思うが、と同時に、世界に「世界の警察としてのアメリカ」の役割を終えようとしていることを意味付けられた。

そして、今年12月10日、中国で国家政権転覆罪で懲役11年の刑を受けている劉暁波氏の受賞。受賞式は、本人不在のまま特別な演出によって行われるのだという。そして中国の圧力。

劉氏の受賞に対して、あまりにも大国としては大人げない前時代的な行動をとり続ける中国共産党。いま、中国は、世界中華帝国を目指して、その経済力と軍事力を盾に大きな戦略の元に国家運営をしている。

本来なら国家として国民総出で祝福すべきノーベル平和賞受賞の輩出を、報道させず、また(12月9日の産經新聞出)中国による各国への授賞式出席を見送るようにとした圧力に屈し、これまで中国をはじめ、ロシア、パキスタン、アフガニスタン、イラク、イラン、サウジアラビア、エジプト、スーダン、キューバ、ベネズエラ、ベトナム、フィリピン、カザフスタン、ウクライナ、チェニジア、モロッコ、セルビア、コロンビアなど19カ国が授賞式欠席する見通しだそうだ。

誠に残念至極といわざるを得ない、国際社会の由々しき問題である。これら中国の圧力に屈した国々には、中国との関係性において、人権や自由よりも優先しなくてはならない目先の利益誘導が働いていることは間違いないことだろう。

しかし、大中華帝国主義が復権しつつある今、こうした国々は、唯物論(共産主義)国家に加担し、その手を染めて、19世紀から20世紀に賭けて繁栄を謳歌した民主主義を終焉に向わせているということを恐れなくてはならない。

あまりにも経済発展し、軍事的優位に立った虚像国家が向う先は、人類のあまりにも苦しい時代に突入することを意味している。生来の自由性を奪われ、人権(人間が神によって作られたるものであることの証)剥奪による恐怖が世界を覆うことが予想される。

このまま日本も国家としての方向性を見失い、同盟国アメリカの威信が損なわれれば、来るべき人類の未来はこれまではまったく異なる世界へと誘われることになるだろう。自由を奪われ支配される存在へと民主主義国家は向っていくのか、それとも新しい価値観の創造により、真なる繁栄大国として日本が成長し、民主主義を標榜する国々と手を携え、明るい宇宙時代を迎えようとするのか、今、人類は二つの選択肢の前に立たされている。

自由と繁栄主義を選びとる、勝ち取る未来は、決して安穏している日々の中には訪れないはしないことを肝に銘じたい。

2010年10月31日日曜日

日本を憂う

先日(10月26日午後)、櫻井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所の「会員の集い」なるものに出席した。

なるものというのは、私自身がまだこの国家基本問題研究所(略称:国家研)の会員に登録していないためだ。その内というかいつなっても構わないのだが、一応、10月28日の会が私にとっては、ファーストコンタクトとなった。

終始気高いオーラを放ち続ける櫻井よしこ氏自らが司会を務められ、登壇者の間にコメントを挟みながらの進行だった。登壇者は、櫻井よしこ氏の他、北村稔京都大学文学部史学科教授と、杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏、民主討議員で前防衛大臣政務官の長島昭久氏の4名だ。最後の方に、自民党の若手議員の主賓席側からの短い(3分程度)スピーチがあったが、メインは上記4名である。

私もこの国家基本問題というものには常日頃関心を寄せているのだが、いかんせん力不足でジャーナリストとしてもまだまだ政治的発言力が低い立場にある。

そこで既に力を蓄えられている国家研や櫻井さんのようなジャーナリストと親交を深めさせて頂き、活動の場を増やしたいと願っての参加ではあったが、しかし、実際に参加してみると向学になったのはいうまでもないが、参加者の年齢層の高さに驚いた。

実際に開始ぎりぎりで駆け込んでみると、(鶴の間の恐らくニューオータニで最も広い会場ではないだろか)演台の櫻井さんが米粒は大げさだが、かなり小さくにしか見えない。それほど大きなスペースに椅子と机がぎっしりと並べられているのだが、見渡す限り、年配、高齢者なのだ。明らかに戦争体験を子供の頃にしている、もしくは戦争に出陣した経験があるのではとおぼしき方々が多数を占める集まりなのだ。

若くて40代、50代くらいの方も見かけなくはなかったが、恐らくこの時のお集りの方々の平均年齢は、75歳くらいであったのではないだろうか。

賢明な読者の皆さまは、ブログのタイトルとここまでの話で何をいわんとしているかお気づきのことと思われるが、まさしく国家の問題に真っ正面から向き合わんとする会合に積極的に出かけてこられる方々が戦争世代であり、日本の行く末を案じておられるのは最もだが、働き盛りの世代はもとより、若者影が一切見受けられないことへの危惧、いや、その事自体恐ろしく憂いそのものを痛感したのである。

ふーっと、思わずため息をその場でつきそうになる私であったが、まあ、救われたのは、思いの他、党を離れた場では、前出の長島昭久氏(民主)がまともなことをいう、本気で日本の国益をことを考えていらっしゃる御人であったことが判明したことだ。まあ、個人としてはそうなんだろうし、極左以外の政治家は。

長島氏の言葉で印象に残ったのは、「もはや民主党政権が悪いというだけの話ではなくて、日本の安全保障の問題は、国民的議論にしていかなくてはならない。日本の仕組みそのものを変えていかなくてはならない」と発言したことだ。

私は、その時「また、菅さんに遠慮して」、「やっぱり民主党員だな」というようなことが一瞬頭によぎったものの、今日の日本政治、対中国の在り方を静かに思い起こした時、まさしく、くしくもこの民主党議員の長島氏のいわれたことが本当に物事の本質なのだという思いに駆られた。これは日本国全体の行く末を決める大きな大きな報告転換を求められる事態なのだ。

最後に櫻井よしこ氏は「民主党政権ではこの国難を乗り切れない、ということを結論として締めくくりたいと思います」とおっしゃっていたが、まさしく「政権交代」も辞さず、迅速に国際情勢に対応していかなくてはならない待った無しの状態でもある。

しかし、今日のNHKの朝の「討論番組」をみていても本音を言える政治家は誰一人としていなかった。日本の国益について、対中国政策としての国防について、誰も何もいわない。政治家のお得意な「きっちりと国際社会に訴える」「しっかりと中国問題を対応する」は何を?『何をどうやって?』
今は、総論、総花的な話をしている時ではない。どの党もサラリーマン的に角の立たない発言に注力している。

しかし、今は、早急な具体策を求めているのだ。国家としての戦略を、対中、対米戦略を。国家の根幹を揺るがすこの領土問題に対して、どう自衛権、防衛権を駆使し、中国からもロシアからも、また米国との防衛関係をどう日本は国家として位置づけていくのか、その道筋を、シナリオをこそ作っていかなくてはならないのだ。

日本の将来に渡って国益を確保するのが政治家の仕事ではないか。


そんな当然のことを選挙受けが悪いからとTVメディアで語ることを恐れる政治家を日本の代表のように意見を求めるメディアはもっと根本的な意味の悪である。

日本人の政治への無関心、本音の議論を閉ざす風潮を作り上げたのは他でもない、大マスコミと保身のみで政治活動を行ってきた戦後から脈々と続く政治家たちの責任だ。

これに異論を唱える政治家がいたならば、大手マスコミがいたならば立ち上がって堂々と今こそ本音を主張せよ、と申し上げたい。フリーのジャーナリスト、そして心あるこの問題に対して日本国を憂えている人々を能動的に巻き込んで、今こそ日本の進むべき道、国家を守るということにいて”議論の旋風”を巻き起こすべき時である。

2010年9月25日土曜日

空しい戦い(日本VS中国 尖閣諸問題)

今回の尖閣諸島問題くらい空しい国家間vsもないだろう。

以前小泉内閣の時にも中国船の領海侵犯があったけれど、”国外追放”という手段を取って、あえて中国と争わず、相手を無視してみせることで事なきを得たことがあった。(その影では中国の主権拡張が広がったが…)

日本の自衛隊法及び自衛権の改正など周辺状況が整っていなければ正直言って日本の国内法に則って戦いようがないのだ。

小泉さんはその辺したたかだったと思う。
しかし、それもやはり通用するのは一度位でその場凌ぎの策にしか過ぎないのは読者賢者の皆さんが知るところだろうと思う。

しかし、今回、民主政権の危うさが露呈されることになったのは、内閣改造があって、外交通とされる前原大臣が就任したこともあってか、表向き始動において戦う姿勢をみせたことからだ。

戦える土壌がないのにも関わらず、だ。

「いったい政府はどうやってこの問題を解決に導くのか、中国を怒らせて日本にとってどんな解決法があるというのだろうか」私の素朴な疑問はここにあった。けんかを仕掛けるのか簡単だけど、しかし勝てる目算はあるのか?ということだ。

こうしたディープな問題、とりわけ国家主権をかけて戦うときには万難を排して、決死の覚悟で戦う決意があるのかどうか、真剣にして慎重に内閣揚げて検討しなくてはならないだろう。国家総出で、自衛隊法を改正してまで戦う気概があるのかということをいっているのだ。そこまでの道筋を菅内閣は考えておられただろうか?
前原大臣、一体あなたはどうお考えでしたか?

そんなに簡単に中国をそしる余裕が今の日本国内にはあるのでしょうか?議論していますか?国防問題、日頃から、日本人は危機感感じていますか?朝鮮半島、台湾問題、尖閣諸島問題。いったん、パンドラの箱を開けたら大変、でっせ。

ええ、あなた方現菅政権に戦う気概が、とことんあるなら私は何も言いません。応援しまっせ。けれど、中途半端に相手を攻撃しておいて舌の根も乾かぬうちに、その矛先を引っ込めて「領海犯を何の取引もせずにただで開放してやる」なんていうのは、一番みっともない戦略性のない手法やで。

一番脳のない解決手法や。(あっ、なぜか関西弁になってきた、地がでてしまうわ)

それはそれはおこちゃまでしたな、未熟でしたわ。

コレにはいくら極左政権に鈍い国民でもちと口をあんぐりさせたんと違いますか?

左派のマスコミですら、ニュースで最低限の情報は伝えようとしているのは見て取れる。

しかし沖縄地検には驚いたわ。
あんな国益を放棄する、大胆な発言をよく一地方公務員が口に出せるもんだな。国家公務員だったかどうかは知らんけど。

よくもこんな大それたことを一地検にいわせるなんて、あんた仙谷の阿波狸さんよ、一体どうなっとるんだい、あんたの頭んなか?影の総理よろしく極左の腕を持ってした解決策がこれですか?

日本の国益のために生命を賭すことが出来ない政治家には即刻退場頂くことを祈るばかりだが、日本の国難はこれからはじまったばかりだ。

2010年8月27日金曜日

誕生日を迎えました(私の予感)

いやはやこの歳にして誕生日も何もあったものではないですが、しかし、この世に生を受けた事実を、その逃れようのない事実にいやが応にも向き合わざるを得ない1両日であるように思うのです。

8月後半になり、にわかに身辺が慌ただしくなり始めました。
何かがきっといま、動き出しているのです。きっと、それは良い方向に。

そして「変われ」といわれているのは、私だけではなくもちろんこの国の同胞、21世紀の地球に生きるすべての民族、すべての国の国民がメッセージを受けているように思うのです。きっと、私だけが受け取っているメッセージではないと思います。

ああ、そうそう、今年に入り頻繁に宇宙からのコンタクトや、アブダクションの解明も進みました。実際に30年ももっと以前からあったことではありますが…。霊界通信できる偉大な魂の肉体を通じて、宇宙人の魂を持つ方のリーディングもなされましたね。幸福の科学総裁大川隆法(エル・カンターレ)によって。これはもうとにかくすごいことが起きているってことですね。

つまりは、目先のことだけしか考えていない方には分かりづらいことと思いますが、「聖なる使命を持つ人間は目覚めていなさい」ということでしょう。

つまりは、人類の創世記にあたることが起きているといっても過言ではないと思うのです。

このブログを読んだ皆さんも目覚められるように、私自身の魂もいま、大きく覚醒しようとしています。これまでの過去を振り払い、何か大きな海洋に船出しようとしている感じがひしひしとしているのです。これを決して無視できませんね。自然体でありのままにこの感覚を受け止め、生き方を見つめ直す時にきているのだと思います。


何か無理にというよりも、宇宙人にアブダクションされた記憶が少しずつ蘇り始めたような感覚で。もともとあったものを「常識的ではない」と、記憶の奥に閉じ込め封印されていたものを必要があって、いまの人類の進化に、目覚めさせようとしている感じがするのです。
(抽象的ですみませんね)

でもいま、いえることは「私たちは時代の要請があって生まれた」ということだけです。

現在、「日いずる国が日沈む国になろうとしている」などと海外メディアでGDPの件で揶揄されていますが、これで終わるわけがありませんね。使命のある日本が。日本人が。この国は神様の国ですから、何といっても。どれだけ大きく考えても、大きすぎることはない程、大きな使命を抱えているのです。ぜひ、そう信じて下さい。


そして、深淵なる目的と使命を持った国民が集合想念を持ち同時代に生まれたのです。

私にも分からない計り知れない変化がこの国に、この星に迫って来ているのではないかということだけはいえると思います。もう少々お待ち下さいね。真実が明らかにされる日まで。

そして、私自身、これからはかつてない程のスケールでダイバーシティー「多様性の甘受」を体験してみたいと思います。自らの心の内にぜひともその機会を与えたいと願っています。そして、これからはいままでとは異なった心象を発見し、楽しんでみたいと思います。


きっと新たな運命を生き始めますね。

愛すべき皆さんの人生もきっとこれからが本番ですよ。

これからを楽しみに過ごしていきましょうね。

2010年8月15日日曜日

戦後65年を迎えて(2010年8月15日)

本来なら戦後65年の節目の年として、日韓併合100年という歴史を俯瞰して、時の政府は、新たな「歴史認識」を発表しなくてはなならない時にきているのだと思う。未だ日本では正統な議論がなされることのないままこの時を迎えてしまったが。

私自身は、戦前生まれの両親のもとで育てられ、祖父母が戦時中にどのように地域社会の中で尽くしてきたかということを母親から子供時代に聞かされたこともあった。13歳の頃にはヒロシマ原爆記念館を家族で訪れ、戦争で亡くなった罪のない人々の痛みにも触れ、そのときの戦争を憎んだ気持ち、衝撃は忘れることはない。

しかし、今日のマスコミを始めとする一般的な「日本が犯した戦争」と位置づけられる戦争懺悔論には違和感を憶えずにはいられない。そもそも日本人が侵略行為を行ったとして、「アジアの方々に多大な迷惑をかけた」というのが極左政府の見解であるようだが、果たしてそうだろうか。

日本人が満州へ、現在の台湾へ。そして朝鮮半島へ。日本からも労働力として日本の人材を送り込みインフラを整え、学校を創設したからこそ、当時の国の生活が向上した。そして、イギリスやフランスに統治されていたインド、ベトナム、カンボジアのようなアジアの国々を開放し、これ以上アジア諸外国を蹂躙されないためには、アジアから大国が出る必要があったのではないでしょうか?


先の戦争に対して、私の両親や周囲の大人が総括するような、個人的見解を述べるようなことはなかったけれど、ある種、保守派である我が家では、「戦争を起こした日本は悪」「日本人が悪い」というような単純な議論にはならなかった。

それよりも無言の内に、先の戦争でお国のために、天皇陛下のために自らを犠牲にして今日の日本の繁栄の礎を築かれて先祖に対する哀悼の思い、尊崇の思いのようなものを肌身で感じられるような家庭教育がそこにはあったような気がするのだ。

私の両親は信仰深いひとたちであったし、起業もしていて働きものであった。
戦争そのものも「誰かのせい」にするような風潮もなく、かといって礼賛することもなく、ただただ先人の苦労を思い、祖父母や日本人という勤勉に努力し、義を重んずる民族に生まれたことを感謝するような思いを手向けていたように思うのだ。

さて、いまの時代はどうであろうか。
終戦65年を迎えて、戦後生まれの人が8割を超えたというが、日本がアメリカと戦い、その結果、敗戦を迎えたものの、それによって今日の繁栄を手にいれたという真実を知らない若もの世代、親から戦争の話を聞かなかった若い世代が圧倒的に増えているのではないだろうか。

若者に限らず、団塊世代の「日本の戦時教育が悪かった」として自信を根こそぎはぎ取られ、左傾化した世代は、日本の戦後をどう見ているだろうか。家庭ごとに両親から受け継がれた教育は異なるものではあるだろうが、どうも談話と称して、現政権が、朝鮮半島への謝罪を繰り返している状況を見ると、これは総じて日本の戦後史観が正しく論じられることなく今日を迎えてしまったことであり、それに対して危惧を感じざるを得ないのだ。

昭和40年代生まれの私が、それより上の世代のことを論じるにははばかられるものがあるが、それでも真実と思われることを語り続けなくてはなるまい。

本日も某番組でNHK出身の人気ジャーナリストによる戦後を語る特別番組が組まれているが、その番組にゲストとして出演していた女優が番宣で「日本人がまた戦争を繰り返さないという自信が私には持てなくなりました。過去の過ちを繰り返す可能性がないだろうか」というようなことを堂々と発言していた。

これは思想的にいえば左翼発言ということになるだろうが、決して本人にリベラルの意識があっての発言ではないかもしれない。あくまで個人的な番組に出演しての雑感を述べたものであるだろうがそれでも彼女の言葉の真意を解説すれば、「私たちの先祖は第二次世界大戦という過ちを犯したのだ。」「日本人は過去間違いを犯した民族なのだから、また今を生きる私たちも過ちを犯しかねない」ということをいっているのだ。

果たしてそうなのか。前述したことと繰り返しになるが、それはあなたの戦後受けた左傾教育がそういわしてめているのではないか。

本当に日本が世界大戦を戦った理由とは?

そして日本人が生命を賭けてお国のために、愛する祖国、そして愛する人々を守るために戦った理由が果たして分かるのだろうか?

私はこの国を思い、その尊い生命を散らしていった先祖を思う時、決して安易な戦争反対論を唱え、日本を骨抜きの国にしてはならないと思う。

いつか堂々と戦争責任論を日本人の口で語り、そして日本の本当の意味でのリーダーシップによって諸外国を幸福にしていきたいと思うのです。

2010年8月6日金曜日

8月6日 広島原爆投下の日に

8月6日8時15分。慎んで英霊の皆様に、日本国を支えて下さった先祖の皆様にご冥福をお祈りいたします。

今日は世界初の原爆投下から65周年を迎える日です。
65年とは実に歴史の重みを感じさせる歳月ではありませんか。

広島市内を歩けば過去のものとするには痛ましく、まだ時間が止まったようにさえ感じることでしょう。私が初めて広島原爆記念館を訪れたのは、小学校4年生の時でした。2泊3日の家族旅行でした。

両親は子供たちに原爆の実態を見せておくことが必要と考え、下の3人を連れて岡山方面の観光旅行から広島へと足を延ばしてくれました。

岡山から広島へ着く頃はなぜか居心地悪く、理由は分かりませんが父と母が車中で口喧嘩をしていたことが印象的でした。

楽しいはずの家族旅行がなぜか、広島へと近づく程に口が重くなり、私は幼少期からの敏感体質で、体がすっかり重たく何かを背負っているようにさえ感じていました。

そして、広島市内の原爆ドームへと向かう道すがら、当時、被爆した人皆川に飛び込んだという橋があって(橋の名前は今思い出せんが原爆ドームへ向かう途中に渡る橋です)その橋を渡る時に何とも重いものが肩にのしかかるようで、歩いても歩いても、この橋を渡り切ることができるのだろうかと、たかだが100メートル足らずの橋を背に思ったものでした。


自分でも不思議で、重いものから開放されたのか、宿泊する旅館についてからは、やたらとご飯が美味しかったことを憶えています。今までそんなにおかわりをしたことがなかったのですが、食べても食べてもお腹が満たされず、母親がびっくりするくらい三杯か四杯はおかわりしました。

きっと原爆ドームにいって、広島市街地を歩いて、成仏されていらっしゃらない英霊がたくさんおられたことと思います。その人たちの分も気づかず頂いてしまっていたのでしょうね。

原爆ドームの中では、最後の方にはたまらず「どうしてアメリカ人はこんなひどいことをしたの?」と母親に尋ねるふりをして、近くで真剣な眼差しで展示物を見ていたアメリカ人にわざと聞こえるように声を荒げたものでした。

月日が流れ、すっかり親米家となった私ですが、それでもあの時「子供の頃に原爆ドームを訪れたこと」、「広島の市街地を歩く」という経験をさせてもらったことは貴重な体験でした。原爆ドームを見たという事実は、私の人間形成に大きな影響を及ぼしたことでしょう。


そして今、世界は核兵器廃絶に向かって一歩を踏み出したかに見えるけれど、その前提にはもっと「Atomic Bom」=核兵器の恐さを世界中の人が知らなければならないと思うのです。

すべての日本国民が、そして世界中の人がこの悲惨な事実を受け止めなくては本当に広島の人たちが浮かばれることはないと…。

堪え難い苦しみと悲惨な光景が繰り広げられた場所、広島。人類が人類に対してこれほどの仕打ちが出来るだろうか、と「なぜ」「なぜ」と問い続けなくてはなならない場所。この事実こそが「ヒロシマ」の証であり、65年が経った今でも浮かばれえぬ人々の声なき声として私たちに語りかけてくるのです。ヒロシマは、人類にとって特別な場所です。

広島をまだ訪ねた事がない方がいたら、ぜひ、一度は訪ねてみて下さい。日本人として、その恩恵を受けた祖先として。私たちは過去を変えることはできませんが、その先祖の死を弔い、そして未来への祈りを捧げることは出来ると思うのです。

第二次世界大戦という時代を生きた日本人が、私たちの先祖がいたということを、私たちは決して忘れてはならないと思います。 二度とあってはならないこの日に。

2010年7月24日土曜日

またもや「朝まで生TV」をみるはめに

寝苦しい暑さが続く今日この頃、ついにまた「朝生」を観るはめに…。

でも今日のタイトルは、「激論!日本の若者」「目指すべき社会とは」だ。面白い。評論家のあー、名前忘れた。ドリームインキュベーターの堀さん、結構私の好きな評論家だ。しかしこの年寄り評論家に対して早稲田の教授、東浩紀(39)が吠えた。若者の心のつかめない堀氏に対して噛み付いたのだ…。ちょっとした決めつけの言葉にカチンときたみたいだったけど。

マジ切れに怒るtwitterフォロアーたちもいたけど、後で冷静になって自分の考えをまとめて「世代間の無理解、議論の平行線を解消しよう」と、とつとつと話た東教授はなかなか偉いと思った。

田原総一郎も自分が長くメディアに居座りすぎた「害悪」として認める発言もアリーの、「マスメディアは年寄りが多い」、という発言も飛び出して、なかなか面白い、これは。


この流れは社会全体の流れであるし、これから若者の逆襲は加速することだろう。
我々40代前半世代は、自称「若者」としてまだまだガンバりたいと思うけど、こういう若者バトル、実力が伴って、元気のいい20代、30代を応援したいと思う。

 ー先ほどのtwitterでのつぶやきー
20代、30代の若い現論人、知識人、企業家うんとたくさん出て来てほしい。ホントに今、日本はぐちゃぐちゃで何でもありの時代だからこそ、今なら世代交代が出来る!我々40代も負けていられないけど、もう一花咲かせたいけど、頑張れ20代、30代、若者世代!!

そして、経済評論家の勝間さんも切れの良い、なかなかいえない日銀のデフレ問題をすっぱ抜いていいぞ!円高で何が悪いんだい。日本の経済価値が世界で認められているというのに、デフレ信奉者、テクニカルの間違い、政府の経済音痴、絶対そうだと思うよ、私も。

勝間さん、若者、期待してるぜい☆ おいらもガンバローッと。

2010年6月16日水曜日

珠玉のメッセージ「未来創造の経済学」に学ぶ

昨日、発売されたばかりの新刊タイトルはズバリ「未来創造の経済学」。
手に入れたのは港区高輪にある幸福の科学の宗教施設、東京正心館である。

もちろん一般の大手書店などでも手に入るものだが、昨日は宗教施設で行われる大川隆法総裁の説法「国家社会主義とは何か」の日だと思い込み訪れた結果、得たものだった(ちなみに講演会は6月22日火曜日13時〜)

この必然とも思える出来事は、じっくりとこの書籍を味読することとなり、心の自由性と経済の自由性がどれほど人間の魂に躍動感をもたらすのか、ということを身を持って体験することとなった。
霊言とは実に神秘的な現象であるが、この世での人間の人智を遥かに超えた神秘の力が挑んでいるとしたら、それは人類にパンドラの箱を開いても伝えようとしている何かがあるということではないだろうか。

あまりここで抽象的な話をしたところで意味はない。自由を限りなく愛し、その業績が今持って多くの人々を照らしだしている敬愛すべき経済学者ハイエクの霊言より、幾つかのメッセージを抜粋し紹介したい。

第一章「自由の死」を最も恐れよ 2010年4月9日 ハイエクの霊示

「各人が、それぞれの持ち場で最善の努力をするほうが、結果的には全人類の前進になる」ということです。そうであるばらば、国民にとって大事なことは何であるかというと、「自由の死を最も恐れなければならない」ということです。
「自らが自らの手足を縛り、お上あるいは一部の特権エリートに、その身を委ねてしまう」ということは、「自由の死」を意味します。(中略)

あなたがたは、「投票型民主主義という自由があるではないか。投票の自由がある以上、大丈夫だ」と思いがちです。しかし、ヒトラーのナチス党も民主主義的課程から生まれたものであることを忘れてはなりません。人々はナチス党に投票したんです。

だから、「民主主義は両刃の剣、諸刃の剣であって、どちらにだって転ぶ。人々に良識があれば、良いものになることもあるが、人々から良識が失われている状況においては、残念ながら、自ら不幸を呼び、”集団自殺”を起こすこともある」ということです。(中略)

「大きな政府ができれば、自分たちの面倒を見てくれる」と考え、そういう福祉国家ができることに一種のユートピア幻想を持っているひとが数多くいます。「それは、自分たちの自由の死を意味し、自分たちの未来を特定の人たちに預けてしまうことになる」ということを、理解していない人が数多くいるのです。(中略)

多数の意見というものは、未知の領域においては必ずしも正しいとは言えません。経験則上、「正しい」と、はっきり分かってるものについては、よろしいのですけれども、「これから始まる未知の領域においては、多数の意見が正しいとは言えなくて、新しい起業家なり発明家なりが道を拓くことが多い」ということを知らなくてはいけないのです。


大川隆法著「未来創造の経済学」ハイエクの章より抜粋。

信仰心があるとかないとか、幸福の科学がどうとかではなくて、虚心坦懐にこの20世紀に降り立った巨人ハイエクのスピリッツを感じとり、多くの日本人がこれ以上違った選択をしないよう、心していくのみである。

尚、大川隆法総裁渾身の説法、そして”霊言”に関心のある方はご連絡を。
何か一言と思われるかたもどうぞ遠慮なく。
本日はこれにて。

2010年6月7日月曜日

中国におけるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の役割とは

今日は6月6日。相変わらず日本の政治はぱっとしない。
そうした中、日本では日々、世界中の人の苦しみは忘れ去られているようだ。

アジア諸国の共通の課題として近隣国の北朝鮮の問題がある。(引いては中国問題に繋がるが)人間として最も基本的なこと『基本的人権』が蹂躙され続けている。

最近、日本でも映画「クロッシング」が公開され、また未公開映画「キムジョンジリア」が一部日本のメディアで紹介されるなど、北朝鮮の凄惨さが民主主義国家に伝えられている。実際、日本に逃れてきた脱北者の話では、「現実はクロッシングで描かれていることの100倍は悲惨」なのだという。

ここではその脱北者の話については触れないが、内容は想像していた以上で、もしかしたら第二次世界大戦のホロコーストに匹敵する悲惨さなのかもしれないと思った。思想犯にされた場合、幼い子供でも精神病棟に隔離され家族との面会は一切なく精神が崩壊する。挙げ句人間としての尊厳は失われ動物のようになってしまうのだという。

なぜ、同一民族である国民に対してこうも非道な仕打ちが出来るのか。長年に渡って洗脳され続けた国民は、互いに監視し合う中で人権意識が損なわれ、人間としてのまっとうな感覚が失われてしまったのだろうか。しかし、それが彼らの本来の姿ではないことが脱北した人の言葉を聞けばわかる。

ポル・ポトといいアジアにおける独裁者の共産主義体勢、先軍体勢は実に恐ろしいものだ。

一党独裁国家の中国には底の見えない恐さを感じるが、それ以上に北朝鮮が絶望的なのは、国交を持たず、市場経済の導入が破綻したことだ。(現在はデノミを導入、その後さらに経済は悪化している)。よって、いまのところ現体制を崩壊(権力者の死もしくは権力の剥奪)させることによってしか国民が自由になる術は浮かばない。

もちろん1%の可能性でも内部から崩壊していくというシナリオがないことはないけれど、それでも取り残されている国民にそれだけの知力、気力、財力があるかどうかが問題だ。

映画「キムジョンジル」でインタビューに答えていた脱北者は、『北朝鮮を抜け出すまでは外国は自国の事しか考えない悪い国だと聞かされていた』という。そして日本からの援助があったことも知らないというのだ。上層部の横流しは話によく聞くが、援助を受けていたお米の一部は、外貨欲しさに韓国に輸入していたという。(そんなバカな話はあるまい!)

という訳で本日の表題、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の話である。
北朝鮮からの脱北ルートは主に中国東北部になるわけだが、ご存知の通り中国は北朝鮮との外交を重視し、脱北者を積極的に捉え北朝鮮に送り返している。この理由には、脱北者には政治的亡命意識が弱く政治的理由ではなく、生活苦で自国を逃げ出してきた、つまりはカリフォルニアに不法滞在するメキシカンと同じだという味方をしているからだという。

そうした解釈の裏には限りなく流失してくるであろう北朝鮮の人々の受け入れ問題がある。何万、何十万と想定できる難民を受け容れる用意がある国などはほとんどなく、これ以上の負担を背負いたくないという各国の本音だろう。

しかしだ、何よりも攻めを負うの中国政府の対応だ。
政治的本質が北朝鮮と同通する中国は、北朝鮮との関係にのみ重きを置き、自国に戻れば絶対に国際法上も許されない拷問や、あるいは死刑に値する処罰が待っていることを分かっていながら、脱北者を積極的に引き渡す。

その残忍さは中国の内政そのもに通じるが、せめて一時預かり、国際法上守られるべき人権に照らし適切な対応を取る義務があるはずだ。それが出来ない中国政府には、UNHCR(国連難民高等弁務官)が動かなくてはならない。UNHCRは、北朝鮮が人権侵害国家であるが故、中国には安易に脱北者を引き渡さないことを約束させなければばらないのだ。たとえ中国の出方がどうであれ、UNHDRには通告の義務はある。それがいま、出来ないという現状を国際社会は何と見るか。

中国にも駐在するというUNHCRの意味は一体何なのか?
『すべての難民・被災民を人道的に保護すること』がその創立の目的ではないのか。

UNHCRは、中国から北朝鮮への強制送還、そして北朝鮮政府による公開処刑、精神病院への強制収容、北朝鮮のおけるあらゆる拷問に対して禁止命令を実行せよ。

政治的既得権目当てにアフリカ諸国だけを援助することなく、今ここにあるアジアの現実にも目を向けてもらいたい。様々な問題があるにしろ、命をかけて逃げ出してきた人々に新たなチャンスを与えることなく、葬りさることは民主主義国家に生まれた人間としてその責務を果たしていないのではないか。また人権蹂躙国家に加担する中国が国連の常任理事国として相応しいかどうか、諸外国はもっと検討すべきである。

一人の人間の力ではどうする事も出来ない状況がそこにはあるが、それでも同じアジアの同胞として何か手助けできることがないか、もっと真剣に考えてみたい。

日本政府はこの問題に対してもっと積極的にUNHCR働きかける義務があるだろう。

次期政権に期待できる事ではないが、過去の菅首相の責任(シンガンス釈放嘆願事件)を考えた際に気の毒なアジアの同胞を救う行為はばかられることではあるまい。

単に戦略的互恵関係などといって自国を差し出すような民主党政権にはほど遠い、自己犠牲的精神を発揮しなくては実現できない話ではある。

2010年6月1日火曜日

お別れはお早めに…(社民離脱に思う)

日付変わって昨日のことになるが社民党が民主党との連立政権を正式に離脱した。

最初から『読めていた事』と言えばそうではあるが、郵政票獲得のために画策した亀井静香の国民新党が何とかぶらさがっているものの、この連立政権は発足時より、各政党の思惑だらけ、政局がらみの利潤共有のみでの繋がっていることは大半の国民の目には明らかであったと思う。

強いていえば、なぜか本来は保守であるはずの自民党出身者の寄せ集めであった民主党に、郵政改革で自民を離脱した亀井氏率いる国民新党が加わり、少なからず日本に根付いた護憲派と呼ばれるリベラル(左派)・社民党との3党が「大きい政府路線」で一致団結しタッグを組むことを実現した。唯一この点だけは、一貫して彼らの政治方針は一致していたと思う。

実際にはどういう経緯で改憲派であった小沢一郎が社民に近づき、いつの間に護憲派よろしく中国共産党にすり寄り、東アジア東亜圏なるものを鳩山と共に構想するように至ったのかは分からない。

日本を代表するような政治家(闇将軍)小沢、その信条の変節ぶりは本人でしか知り得ない部分があるだろうが、推測を許してもらえるとするならば、やはり「自民党とは逆にいく事で民主党の存在感をアピールしたかったのではないか」ということと、さらに「長きに渡る野党生活でいつの間にか根性がひねくれ左傾化し、政界で暗脈するうちに社会主義思想(中共への思慕?)の中に、未来の権力者としての夢を拡大させていたったのではないか」ということだ。

しかし、この連立政権において最大の障害であった社民党の真性左派である核心、アメリカとの外交問題(基地問題)の前に、その思惑はもろく崩れ去ろうとしている。

小沢がいかに選挙目当てで(労組や日教組などの組織票狙い)愚策を労したとしても、さすがに日本国の最高責任者(事実上)である鳩山には、『米国を切り捨てる』などそんな勇気も気概も持ち合わせてはいなかった。(胸をなで下ろすもこれからが大変だ)

どんなに内閣発足当時『日米中の三角形・対等な関係』といったところで、アメリカの核の傘に守られて生きるより他ない日本国民の生命を危険にさらしてまであがきを続けても何ら利することはないということを、鳩山はようやくこの8ヶ月で悟るに至った。

これが鳴りもの入りで政権交代を遂げた民主党政権の断末魔、鳩山のすべてなのだ。

遅まきながら、鳩山がしごく当たり前の(それでもまだ足りないが)日本の政治家としてのあるべき姿に近づきつつある今、福島瑞穂の社民党とは決別をせざるを得なくなったのは、むろん当然のことだ。原点に戻っただけの話だ。

それが何だか昨夜から深夜にかけてニュースでは福島(少子化大臣)と辻本(国交副大臣)の女二人が、泣いて泣いて、女の涙でだいぶ同情を誘ったようだった。しかしこの数ヶ月間、普天間基地問題が揺れに揺れ、総理の判断を惑わすような社民党からの圧力で日本の国は大きな外交的損失を受けたことを忘れてはなるまい。

国益とは無関係に「沖縄には基地を作らせない」の一点ばりで、アメリカにバッシングされた日本は、TOYOTAが叩かれ、肝心のギリシャ金融問題でも国際社会において何ら存在感を示すことが出来なかった。アメリカに嫌われた同盟国には、グローバル外交などできやしないのだ。

また日本の海域では、中国の調査船が海上保安庁の調査船を追い回してみたり、海上自衛隊護衛艦に中国軍の艦載ヘリが接近したりと、まともに米国ともつきあえない弱っちい日本をあざ笑うかのように中国になめた行動を取られ続けている。(来日した温家宝のリラックスした満足げな表情には日本の属国化が近づいたかと思った)

実際、韓国の軍事行動も辞さないとする李大統領の毅然とした対応を鳩山はどう見ているのか。相手が中国であった場合は、誰に泣きついていくのだろうか。(もちろん米国しかあるまい)

自滅するだけの鳩山政権だが、それでも8ヶ月、正直長過ぎたように思う。
まだ参院選では決着がついてないが、この後に及んでまだ総理の座に居座り続けようとする鳩山にそれを擁護する民主党の重鎮たちがいる。「鳩山くんじゃなくても誰がやっても同じ結末になったと思うな」とは、渡部恒三最高顧問の弁だ。

そんなところで決着はまだついてないが、しかし社民党とのそれと同じように別れは長引けば長引く程に、結論を先延ばしにすればする程に男女の仲と同じように、愛憎劇は酷なものになるだろう。

どうやら鳩山さんには神経が通っていないみたいだから平気そうだが、まともな人間なら、彼女(国民)との愛憎劇がこれ以上根深くなる前に潔く身を引くというものだ。
それともやもや今でも国民との間に蜜月を取り戻せるなどと甘い幻想を抱いているのではあるまいな。

鳩山さんもそろそろこの辺りで本物の男らしさを見せて『国民に真を問う』、『解散総選挙だー!』とたまには叫んでみてはどうか。

そうすれば愛想を尽かした国民(彼女)も「あら、少しはいいとこあったのね」と、別れ際に一瞬だけ振り向いてくれるかもしれない。

2010年5月24日月曜日

ネット投票選挙が待ち遠しいこの頃

どうも民主党政権が長引きしそうだ。

なぜなら鳩山首相はじめ、小沢幹事長、赤松農林大臣など、何が起きても自分の非を認めず、反省する、という事を知らないからだ。

反省の以前に、自分の言葉や立場に責任を持つ、という人間としての基本的な在り方を持ち合わせていないからだ。「責任のとり方はいろいろあると思う」、とか野党時代に自民党を追い込んだ人たちの言葉とは思えない。野党生活が長かったせいか、政権を渡したくない念い一筋なのか、どこまで責任を取らないで済むのか国民と我慢比べでもしているようだ。

しかしそんな我慢比べにつきあっている場合ではないのは良識ある人なら気づいていることだろう。

当然、混乱を極めている沖縄普天間基地問題、外交問題が最たるものだ。

これまで「コンクリートより人」などとして、景気刺激対策を疎かにしておきながら、バラマキだけをやりたがるなど、言語道断の数々を繰り拡げている現政権だ。それでも今この時期において8ヶ月間も沖縄県民やアメリカを振り回した挙げ句に、「辺野古案に戻ってきました」という(しかも地元に了解を得られていないままだ)この結果を作り出したことは、内閣総辞職を持って償うほかない事案ではないのか。

それがなぜマスコミは追い込めない。たたき出せない。

国民支持率20%を切るところまでいっておきながら、マスコミの体たらくといったらないだろう。国民を愚弄する政権を誕生させたのは現代の第三権力マスコミだ。日本のマスコミが持ち上げて出来た政権に他ならない。人気が落ち目の自民と、民主との一騎打ちの構図に仕立ててみせて、日本の政権交代「チェンジ」を見事成し遂げてみせた。

これまで自民党の政治と金の問題に嫌気がさしていた国民や、バブル崩壊以降、これといった基幹産業も打ち出せない、本来の保守本流の気概を失った自民政権にノーを叩き付ける形で自動的に対抗馬の民主党が過半数を制したワケだが、マスコミがあれだけ「チェンジ」を騒ぎ立てなければ民主党の一人勝ちは避けられたはずだ。公正に報道さえしていればだ。


マスコミの情報統制が行われているのではないかと昨今、ネットユーザーの間でも宮崎県の口蹄疫問題にも触れられるように、「どうもマスコミには最初から結論ありきで動いているようだ」ということは、ネットユーザーを中心とした知識層に広く広がり見識になってきている。

今後、ネットによる投票選挙が解禁になれば、今よりは少しでも正しい国政選挙が行われるのではないかと期待するものでもある。

この参院選においては、民主党自身が最近になって反対しているようだが、第三権力のマスゴミをものともしないネトウヨとも揶揄される人々が現政権を認知していないという事実を察知してのことか…。

いずれにしろ、60年、70年安保闘争に明け暮れた人々がトップに立つマスゴミによって「作られた政権与党民主」は、いくら居座ったところで、国民の正しい見識に寄ってその正体は暴かれるところとなり、そう遠くない未来においては必ずや破れることだろう。

その時期は早ければ早い程良い。
国民の被害が少なくて済むからだ。特にこの政権与党によって繰り広げられた外国のしっぺ返しは、何より国民全体でその付けを支払わされることになるからだ。

その時になってはもう誰も1,500万円の小遣い手当を出して補填してくれる人はいないのだという事実に気づかされることになるのだ。

鳩山はそのときになっても責任を取ることはないだろうが…。

2010年5月20日木曜日

民主「宗教と民主主義研究会」発足にあたり

宮崎県の口蹄疫問題。初動が立ち遅れ被害を拡大させたのは民主党政権だ。

国民の血税をバラマキ、内閣批判の矛先を沈めようとする。誰も責任を取らない居座り内閣は、それだけで空き足らず、功名に自分たちだけの論理で重要な法案を通そうとする。

外国人参政権や、夫婦別姓などもそうだが、連立与党の社民党による彼らの思想信条に基づく自己実現がこの政権の方向性を危うくさせている。

今度は、その矛先が宗教法人に向けられたようだ。

にわかに結成された民主党池田元久衆院議員を会長とする「宗教と民主主義研究会」だ。

何を理念に研究しているのかさっぱり分からないが、どうも兼ねてから民主政権になった暁には、やりかねないと目されていた「宗教法人の税制(改革)」を巡り意見交換しているという。

現行法は、宗教法人においては物販以外のものは課税対象から免除されるという(書籍やグッズなどは課税対象だが、目に見えない祈願料などは課税の対象にはならない)至極常識的な税制だが、このことについて議論しているというのだ。

ただし、それだけではない。

産経ニュースによると、「池田氏は、政教は明確に分離しなければならない。現状は問題が多い」と会合で強調したそうだ。

いまいま、そのターゲットは、創価を母体とする公明党としているようだが、真の狙いはそれだけではあるまい。

要は、宗教法人からお金を巻き上げ、政界に進出したり、政党の支持母体になって支えたりする力を根こそぎ奪ってしまおうといものだ。

実際に、数日前発表された、現役参議院議員の獲得に成功した幸福実現党(第三の勢力)を恐れてのことではないかとこの動きを見ることは難くない。

いま以上に力がついたり、宗教政党が保守派として連立を組むようなことにでもなったならと…、信仰を持つ人間の勢力は侮れない。

そう、ある意味脅威を感じているのだ。だからこそ姑息な手段を使ってでも政敵になるものを除外しようとする。

宗教政党を圧制し、左翼根性にまみれた政権を不動のものとしようとする恐れを知らぬ暴挙にでようとする政権与党。

自分たちの組織を守るためには仏神の世界まで踏みにじろうとしているのだ。もちろん宗教すべてが良いものばかりとは限らないが、その神仏を恐れぬ心を、恐れよ。

聖徳太子の時代に混迷にあって仏教の徳の力によって国を治め、政事を行っていた事実を何とみるか。

「宗教政権=排除」という図式でもしも過ちを犯すのならば、この国は亡国の一途をたどるばかりだ。信教の自由のないかの共産主義国家の奴隷となり長くつらい支配下におかれることは間違いないだろう。そのときになって神仏に救いを求めても遅いのだ。

朝鮮半島の有事という危機がいま目前に起きようとしているとき、いまこそ唯物思想国家(北朝鮮、中国)の闇を打ち破るべく宗教政党こそ待望論が起きてこなくてはならない!

日本国民の未来をいま背負えるのは誰か。

一体どの政党が国民のことを真っ先に考えているのか。

国民は、この機会に真剣に宗教に対して根本的に考えてみるのもいいだろう、政教分離についてもオープンに議論するのもいいだろう。亡国の民とならぬ為にも日本人は、いま徹底的に宗教と政治について考え抜く時である。

それが日本の未来を決めることになるのだ。
政権与党の好きにさせてはいけない。
政教分離をいうならば、国民的議論が是が非でも必要だ。

唯物思想か、それとも信仰の自由のある世界を選ぶのか。

国民はいずれその選択を迫られることになるだろう。

2010年5月19日水曜日

中国共産党 7月国防動員法決行

いかん、いかん、これはいかんぜよ。


中国共産党が、7月1日より、国防動員法を開始するって?!


さしずめ中国に関わる有事とは、「朝鮮半島の統一」(北朝鮮に加担)、
そして中国による「台湾統一」あくまで手始めに…。


その後は、明らかに日本を狙った侵略戦争(その前に沖縄の属国化)に突入
するというシナリオだろう。

以下、国防法とは、中国有事には…


※中国国内の全財産没収&世界中の中国人の財産没収

※外資系の全財産没収

※全中国人に兵役を課す

※海外の中国人も、兵隊として活動する

※場合によっては全世界の中国人が、その場で決起する!



ということだそうだ。

つまり、中国が、沖縄侵攻を決定するや、日本国内にいる全中国人が兵隊として、日本人虐殺に決起するということになる。信じられるだろうか。日本では想像だにしづらい法案だが、この意味するところは大きい。



事実、ウイグル地区での民族洗浄など強行支配を実行する中国では、反体制の少数民族勢力などによる国家分裂の危機や戦争、テロなどの有事の際に、国民に対し動員令を発する内容や国民の権利・義務を規定している、という。


以下、唯一ともいえる報道を規制しなかったmsnニュースより。

戦争になった場合、民間の航空機や港湾、列車、漁船、商業船を徴用し、軍事物資や兵員を輸送。あらゆる民間の経済力を後方支援と位置づけ、戦略物資を生産し、民間企業の技術者を動員することというわけだ。

国防動員法は明確に「軍民(軍と民間)結合」「全国民参加」「長期準備」と位置づけている。



この法案施行に際して、恩家宝が来日するという噂であるが、事実ならどう民主政権は対応するつもりなのか?
日本だけは安全、日本には向かってこないと思っているのだろうか。


それとも…。
米軍に変わり中国軍に実行支配の代わりに他国から日本を守ってもらおうとでもいうのか。


日本民族が根こそぎ絶やされるかもしれないというのにだ。


時の政権はどんな見識で未来の中国軍事支配を迎え撃つのか。


日本の危機を前に衆参合わせての同時選挙、民主党の解散総選挙を願うのは私だけではなかろう。

国防の危機が迫るいま、保守の復権が時々刻々と迫られている。

2010年5月16日日曜日

NHKよ、亡国に加担するのを今すぐ止めよ!!

情けない、まこと情けなか。
これが国営放送のあるべき姿か…。

時計は回ったが、2010年5月15日は沖縄本土返還の38周年であった。
38年前というと私は、小学校に上がる前ではあったものの、沖縄が
日本に戻ってきたというのは当時はすごいニュースであったことを
記憶している。

1970年当時、ベトナム戦争を経て新しい時代に日本が駆け抜けよう
とする頃だ、ちょうどそれに反してマルキシズムを掲げる学生運動
がくすぶっていた時代でもあった。戦後の反動が未だ色濃く日本に
影をさしていた時代でもある。

2010年、時代が遡ってソ連邦が崩壊したにも関わらず、日本では
(他の先進国でも)未来の確たる地球的ビジョンが見えておらず、
大きな政府(福祉国家、社会主義国家)に向かって歩を進めようと
している。

言わずもがな、ことここに来て沖縄基地返還要求デモ偏向報道はじめ
世界ドキュメンタリーではその自虐史観に基づいて日本国民を嘲るが
ごとく「沖縄返還と密約」を取り上げ、ことさらアメリカを悪の枢軸
のごとく(日本外交に対して)あげつらっているのがNHKだ。
(NHKの中にも心ある人はいると思うが…)

自国をどう守るか、という議論さえまともに出来ないクセに、沖縄の
基地返還が出来ないのはアメリカにはめられたからだと言わんばかり
の一方的なナレーションを流す。「返還要求こそが正義!」とばかりに。

もういい加減にしてもらいたい。
この後に及んで日本に60年、70年の安保闘争に帰れというのか。

正しい国家としての議論を促すことなく、左翼の亡霊が日本の至る
ところにトップとして居座り続ける。

その最たる機関の一つが国営放送のNHKだ。

朝の「おはよう日本」でもゆとり教育是正の行政措置を批判するか
のごとく取材レポートをしておきながら、日本の教育の混乱は誰に
いつ、どこに責任があるのか、触れることなく、言葉を濁す。

挙げ句の果てに誰に向かって放送しているのか、誰に対して何を
現場の声としてまとめたのか、レポーターも司会者も皆、その相手
を、主語を口に出せないのだ。

「政府」というべきところを口をもごもごさせたようにレポーター
はうつむき加減で「今後きちんとした対応が迫られます」という。
答えは誰が聞いても分かる、そこは「政府は」と主語をつけなくて
はいけないところ、それが言えないのだ。明らかな隠蔽である。

いまや、北朝鮮を笑えないとさえ思うようになってきた。

M主党さんとの仲が深すぎてご批判にあたることが出来ないのは、
党も放送局も同じ論理ということか。

NHKよ、茶番はもうよせ。
日本を北朝鮮にしたいのか、中国の一州にしたいのか。
誰がこの国を守るのだ。日本人以外に日本を誰が守ってくれると
いうのか。同盟国の秘め事を暴き、侵略をもくろむ国にすり寄る。

あんたたちのトップは日本人ではないのか。

もしもあなた方に良心が残されており、日本を真実思う心がある
のならば、今すぐその左傾思想から脱却せよ、改心せよ。

日本人としての気概を持て! 日本人としてのまことを貫け!!

2010年5月9日日曜日

日本人はアジアの抑止力に責任を持て!

ここ数日総理の「昨年の衆議院選の時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないと思っていなかった」という発言を受け、各社マスコミでは、日本の防衛問題、海兵隊の抑止力について議論を活性化させている。

はっきり言って「日本の防衛問題」「日米同盟」「アジアにおける抑止力」について議論できないマスコミはこの世に存在しなくてよいと思う。

国民の生命、安全、財産を守るという根本的な議論をなくしてこの問題を政治的に利用することは相成らんと思うのだ。

これまでほとんどのマスコミでは、まともに「普天間問題の本質」についての議論してこなかったからだ。しかし、それでもまだまだ「マスコミの本質に迫れない体質」、左傾派の「そこにある危機」に対して国民の目をそらそうとする姿勢は根深いものがあると思う。

結局彼ら、いや、国民に問いたいことは、「普天間からアメリカを追い出し、日本は一体どこに向かうのですか?」ということだ。

「日本の軍事力(自衛隊)を外国並みにしますか?」それとも「アメリカを離れて中国につきますか?あるいはロシアと同盟を結びますか?」ってことだ。

日本の軍事力(軍事そのものを認めない人もいるが)は、憲法改定して自衛隊を独立した国家の軍隊として認めるか、それともやはり大国と同盟を結び、アジア、太平洋地域における紛争時に日本を助け、守ってくれる国と負担を分けあってやっていくかだ。

現在は後者だ。

沖縄問題について基地移設問題を語るとき、この議論をなくしては日本にとっての最終的な問題解決はない。どこに着地点をおいて、方向性を持って沖縄基地移設問題を議論するか、これは国民一人ひとりの人生にとっても大きな問題である。

既に日本は、アメリカから基地移設問題で不快感を示されており、このままでいけば日本は、周辺地域の脅威(中国、北朝鮮)に対して陣地を守りきれないところまでいく可能性が高いからだ。中国のや北朝鮮においては軍拡を続けており、「外交」において解決する、などとそんな生易しいものではないからだ。(それを甘くみたミスリードは許されない)

日本国民はいま「そこにある危機」に対して目を背けずに、しっかりとした国防の中身について議論を重ねていく時である。

沖縄県民だけの問題として捉えず、一見優しげな、思いやりに満ちたような政府の「県民の負担軽減を最優先」などという言葉に惑わされず、「その後はどうなるの?」と国民は前向きに、前のめりに突っ込む必要がある。

5月11日は、国会周辺で保守派の市民団体を始めとする「早期沖縄問題の解決」を求める人々のデモが行われる。最後は、国会請願を予定している。ぜひ、興味のある方は、13時「日比谷野外音楽堂」に集結されたし。

最後に防衛庁関係者、OBが主催している団体「日本保障・危機管理学会」についてご案内したい。2、3ヶ月に一度程度、北朝鮮問題や、アフガン問題、外交や危機管理全般について識者を招きセミナーを開催している。毎回交流会も催され、国防に関するエキスパートと顔を合わせる良いチャンスでもある。ぜひ、興味のある方は、コンタクトを。↓
http://ききかんり.jp/

日本人として今そこにある危機に対して認識を高めたい時である。

日本の未来について日本人がどれだけいるか、どれだけ世界のことや、日本のあるべき姿について考えてきたか、それが問われる時代でもある。

2010年5月5日水曜日

プロレタリアートへのオマージュ

私が子供だった頃、高度経済成長期に向ってまっしぐらだった時代、私の親は自営業で地元ではそこそこ成功を収めていたものだ。その当時にしては珍しい3階建て鉄筋コンクリートのエレベーター付きの家を店舗兼自宅にしていた。

短間間ではあったものの、隣の空いた土地にプールを作ったりして、家族だけでなく近所の子ども皆遊ばせていた。ご近所の自営業さんたちとは仲良しで、協力し合って保守派の政治家を応援し、両親も政治ボランティアやモラロジー(道徳科学)などの啓蒙活動にいそしんでいた。

そんな両親の元、ぬくぬくと子ども時代を送った私だが、子ども時代の幸福はそう長くは続かなかった。

もともと人の良い父は、「人にだまされるならいい、自分が人をだまさなければいいんだ」とか。店舗に入りきらなかった商品を玄関先に並べて「盗まれてもしょうがない、自分が盗むんじゃないからいいんだ」とかやや、訳のわからない自分なりの道徳感を持っていた人だった。(後に稼業は私が20歳のときに倒産する。)


そんな人の良い親に育てられた私だが、私が小学校の高学年くらいになると、同級生の一部から嫉妬を受けるようになった。あの当時の子どもの脳みそではそれが嫉妬という言葉で理解できたかどうかはわからないけれど、私の両親に雇われていたような親の子どもが、私に対して学校でもライバル心をむき出しにしたり、逆にあざ笑うような態度で接してきたりしたのだ。

当時はよく分からなかったけど、今思えば労働者階級が経営者に対して搾取されていると思い込んでの理不尽な反逆であった。私の母親の妹でマルキシズムに傾倒していた男性と結婚したおばは、やはり自分の子どもに私の両親に対する不平不満を聞かせていたようだ。
(その根拠はどこにあるのかが未だに見いだせないが、人はしてもらったことは忘れやすく、人にしてもらえなかったことをよく覚えているものなのだろう。)

こちらはといえば、育ちが良くネアカで、親に何不自由ない暮らしをさせてもらっているものだから、他人に対して嫉妬するとか、ライバル心をむき出しにする、などといった本能的な感情は芥子粒一つもはない。思いつくこともなかった。

育ちが良すぎたのが悪かったのか、未だにおっとりとしすぎていて、社会の競争という面では結構つらい目にもあっている。人を疑うということを知らない無防備なままの人間に育った。


しかし今にして思えば、父は経営者として未熟な点があったかもしれないが、幼少のときからミッション系の幼稚園に通わせてもらい、家庭のなかではいち早く新しい文化、教養を取り入れ、芸術的なことに親しみ、宗教教育を与えてくれた。その両親には大変、感謝している。

この歳になっても子ども時代が良かったため、他人をやっかむとか、うらやむ、自分にないものをほしがるとか、そういったことはほとんど皆無なのだ。それが幸福というものなのかもしれない。少なくとも心は天国的だ。

70年代当時のプロレタリアートのご子息には申し訳ないけれど、やはり左翼思想を強く持った親の元に生まれて子どもがその影響を受けずに成長するかといえば、かなり難しいものがあると思う。だからその人がまったく駄目だ、という訳ではないけれど、真なる保守政権への奪還を訴えても日本で理解されにくいいのは、マルキシズムの影響を受けた親の世代が2代目、3代目になってきているということもあるだろう。

子ども時代に受けた親の影響は、後々まで子どもの人格に影響を与え、大人になってからの価値判断を左右するものだ。しかしあきらめず、昔の同級生に会ったならば、にこやかに笑って、保守派の経営者の家庭に生まれた自分の人生が幸福であると、肯定してみせたいと思う。

それがあのとき、家庭が裕福だからという理由で嫉妬の対象にされた自分が、皆に恩返しできることだと思うからだ。なぜなら私は、真の教育を受けた真の保守派なのだから。

2010年4月25日日曜日

あの世からのメッセンジャー チャーチルの霊言

どこまで種明かしをしてよいのか私には分からない。

しかし私は今日、この話を聞いて俄然、心に火が点いた。

それはこの国の未来を憂える偉大なる宗教家、幸福の科学大川隆法総裁による「政治家の霊言」(金丸信、大久保利通、チャーチル)を聞いたからである。

まさしく氏は巨大な霊能力を持つ予言者であり、人類のワールドティーチャーである。

その証明が霊言という形で数多くなされている。そして今日も…。

約10日前に幸福の科学総合本部で収録された「政治家の霊言」を後日拝聴した。その内容を鑑みて全国の支部信者、政党関係者などに幅広く拝聴(視聴)を呼びかけられたものだった。

この霊言の趣旨としては、何か新しい角度から現在進行形の政治に対してアドバイス出来る霊人を呼び出す、というものだった。

政治家の霊言最後の1人がかつてヒトラーの正体を見抜き、第2次世界大戦を勝利に導いた英雄、ウィンストン・チャーチルであった。

信じようか信じまいがそれは人の勝手だが、その内容は、肝心要の国防問題、現在の米中関係にあって日本のあるべき姿、その未来に言及し、大変センセーショナルなものだった。

私の心に刺さった霊言のメッセージに「やがて姿を現す中国ナンバー2の存在」という言葉がある。まだ、表面には出てきていないものの、ヒットラーに匹敵する独裁者が次の世代の権力者として待っているのだという。

米中でこの世界を二分する同盟関係を結ぶ可能性はもちろんあるが、それ以降については、ベトナムに続きイラク、アフガンとの戦争で痛手を負ったアメリカが衰退していくのを待って世界の覇権を握ろうとしているのが中国の正体なのだという。

さてそのとき、日本はどうなるか。かつての侵略に恨みのある国ニッポン、いつ盛り返してくるかわからない経済大国ニッポンに対して、中国は徹底的に叩こうとしてくるだろうとチャーチルの霊は警鐘をならす。

日本のみならず、日本の独裁国家による支配は、世界にとっても大きな試練が訪れることを意味しているのだ。そしてこのことを預言できるのは、あの世の高級霊と通じる大川総裁の霊言以外にはない。

未来を神通力で見渡したならば、台湾から、沖縄、そして日本全土へ、中国の侵略はそう遠くない未来に起きることをチャーチルは預言する。

信じるも信じないも読者の自由だ。

しかし、中国の軍事的台頭の前に、新しい政治が成し遂げなくてはならないことは、マッカーサーによって創られた日本国憲法の刷新である。軍事・防衛の自由である。

日本を敗戦のくびきから解放し、信なる世界のリーダーとして責任を果たすためには、このシナリオを自ら選びとらなくてはならない。それ以外に中国という最大の一党独裁国家を隣人に迎え撃つ手段はないのだ。

何もなさず民主党政治が長引けば、間違いなく日本の弱体化が進み中国による日本の支配、従属化という悲惨な未来が待ち受けていることだとう。

次なる参院選、総選挙は心して幸福実現党は戦い抜かなくてはならない。そして心ある保守政党はなんとしても民主政権打破に寄与し、新たな国づくりをはじめていかなくてはなるまい。

この国に生まれたことを誇りに、自分に出来る精一杯のことを天命を信じて行動していきたい。

2010年4月19日月曜日

新党結成の嵐、そして幸福実現党

昨日、首長経験者等による新党「日本創新党」の結成のニュースを聞いたかと思えば、今日は大阪の橋本知事による新結党だそうだ。

動きが加速している。

たまたまつけた日本テレビの情報番組「ミヤネ屋」に新党「日本創新党」の政調会長が出演していた。遠隔地での中継ではあったが、語る内容をsnsの書き込みを確認しながら片耳で聞いていたが、党の政策方針の具体性については分かりかねる内容であった。

まだ発表できるほど固まっていないのかもしれないが、しかしお昼の情報番組の10分近い時間を使ってあの程度の話しかできないのかと、少々がっくりした思いで聞いた。

これが幸福実現党ならば…。悔しい。

新党の政調会長が「現政権に対する怒り」という言葉を発し、有権者と共有していきたいと言っていたが、実際にそれがどういう内容であるのか。具体的に国民にとって何が不利益で、何に対して怒っているのか、具体的に言及できていないのだ。

時間がなかったのか、それとも宮根アナウンサーの誘導が悪かったのか、いやそんなことはないだろう。あれだけズームアップして一人語れる時間があったのだから、政策の柱だけでなく、具体的に現政権との違いを浮き彫りにし、もう少し突っ込んだ内容も語れたはずだ。

「なぜ、いま政党を立ち上げたのか」。「現政権の動きに対する評価、総括」「だから私たちの党ではこれをやっていきます」と、具体的な現政権との違い、政策の中身について国民は聞きたいのだ。あの受け答えでは、きちんとした結党理由を説明できていないし、実は、その中身はまだこれからで、党内の思想性、具体的ビジョンなど何もまだ定まっていないのではないか、と危惧を感じるほどだ。

気概がある人たちが組んでいるのなら少しは応援してやろう、話を聞いてみよう、という思いではいる。しかし、核心をずばっと語れないようでは、他の新政党との違いを明確にし、現政権を打破するとことろまでは行かないのではないか。

私は正直、〔幸福実現党〕のことを思った。
数日前に党首交代になった、毎度のことお騒がせ政党だ。

しかし、〔幸福実現党〕であれば、もう少し明確な指針、日本のあるべき姿、現政権の何が国民に不利益であるか、それをどう変えていくか、といったことを具体的に説明したことだろう。

それは誰が党首になっても同じことだ。
オリジナルの思想は、大川隆法総裁、その人が発信している預言の言葉でもあるからだ。

しかし、何ともメディアの頑なことよ。あまりにも既存の宗教や宗教政党(今回独立した)に信頼性の乏しいとしても、この幸福実現党の認知を阻んでいる、妨げているということは『国民の知る権利』を奪っているのと同じことだ。

これほど真剣に、日本という国の国益を守る立場に立って、「国民の生命、魂、そして地球の未来」の立場に立って政策を掲げている政党は、かつてどこにも存在しない政党だろう。

それが先見の明に欠くメディアのパッシングによって日の目を見ることなく国民の多くには気づかれることない。もちろん知ろうとしない国民にもその責任の一端はあることだろう。

しかしレガシーメディアはこの『報道しない自由』にどこまで責任が持てるというのか。

公平性を欠くメディアの態度は、後世、なぜ『幸福実現党』をあれほど馬鹿にし、その存在を無視してきたのかと、嘆くことになりはしまいか。先の衆院選でいち早く勇気を持って新党を結成したのは幸福実現党であることをよもや忘れてはいまいか。

外交問題、国内問題(不況、増税議論、教育、外国人参政権問題)しかりである。

日本の未来を期待しない国民に幸福実現党の存在を無視するメディア。
この国は真にチェンジできるチャンスをみすみす見過ごしてしまうだろうか。

情けなくなる程悲しいこの現実に泣けてくる。大切な参院選まで後3ヶ月だ。

2010年4月17日土曜日

ジャパニーズティーパーティーは?

いま、オバマの国民皆保険法案や財政支出などに見られる大きな政府(増税)に反対するティーパーティー(ボストン茶会事件にちなんだ草の根活動?)が、全米で展開されている。

アメリカ保守の本流ともいえる人々(政府に頼らない、自分の財産は自分で守るべきと考える人びと)が気概を持って立ち上がったように思える。が、やはりここで気になるのが日本人の政治との関わり方だ。

同じ「民主」という名前を掲げた政党を支持した日米、鳩山首相よりはオバマ大統領の方リーダーシップがあるように見えるが、やはり左よりの政策には似た部分が多い。
どちらも福祉を拡大する「大きな政府」を目指している。

だが、違うのは双方の国民の反応だ。

日本では今ひとつ「大きな政府」=「増税」に対する危機感が薄いように感じられる。
少なくともアメリカのように草の根でデモ活動が起きるようなことはない。

日本は平和ぼけしているから、今更ながらファイティングスピリッツをかき立てることは案外難しいことなのかもしれない。

ある政治評論家は、「皆、もらうものをもらってから政権批判をするのだ」といっていた。子ども手当の給付を待って本音の支持率が出てきたのだ。

大きな政府を目指しつつ、これといった大きな雇用対策(基幹産業の創出など)を打てない政府。確かにゼネコン丸投げ型の従来の公共投資が決して良いとは思わないが、それでも建設業界が干上がれば雇用に多大な影響を与え、さらには関わりを持つすべての業界に悪影響を与えてしまう。

このまま日本の疲弊した経済状況が続けば、貧困化がさらに進み、中流層(財政支出などで増税を引き起こす)を圧迫し、ひいては国民全体が貧困層へと落ちていかねない。

このままでは明るい未来が見えてこないのだ。


2010年のいま、日本国民が「大きな政府」、「福祉に手厚い政府」に心が完全に飼いならされないうちに、現政権の問題点、明らかなマニュフェスト違反になるであろう普天間問題(未決着)を追求し、国民に信を問うべきだろう。

このままいけば何もしなくても落ち込む支持率(4月16日時点23、7%)に7月の衆参同時選挙は免れないようだが…。

しかし現政府から政権交代が出来るかどうはやはり国民の心根一つ。
真なる自立を目指して踏ん張って現政権「民主」に『NO!』を叩きつけられるかどうかが問題だ。

今こそ、国民は同じ鉄を踏まないように熟考すべきである。日本の未来のあるべき姿を考え私心なくより良い政治を実現してくれそうな人に、政党に一票を投じなくてはならない。

あっ、そうそうボストン発のティーパティー。

志を同じくするコンサバな人々がたまには日本でも声を上げてみてはどうだろうか。

日本ではデモには良いイメージがないかもしれないが、それでも明るく正々堂々とまともなことを主張する集団が、礼儀正しく訴えられたならマスコミの後押しなど関係なく、自然発生的に支援者が集まる可能性があるのではないか。それこそtwitterやsnsによる人の繋がりで賛同者が増えれば(なんといってもネトオタは右より)、どれほどの大きな展開になるかはわからない。

アメリカのように右か左か、白か黒かはっきりさせなくてはならないというわけではない。しかし伝統を重んじる保守派の人々ははこれまで自己表現において控えめすぎたように思う。

これからはネトウヨも(失礼な言い方?)も、保守本流も、無党派層も、皆虚心坦懐に、「日本の繁栄をどうつくっていのか」を議論しなくてはならない。 

いまがそのチャンスだ。

デモ、ティーパーティー、おおいに結構!やりたくなってきたー!

2010年4月8日木曜日

桜散る頃に…

なっ、なんですとー。
またしても情けない日本の政情が明らかに…。
4月8日の産経新聞だす。

もー書くのもやーですが、今日はちと優雅な午後を明治通ぞいに
ある「347Cafe』で過ごしていたのです。
知らない方のために… http://www.347cafe.com/

しかーし、しかし優雅どころは日本政治は情けないことだらけ。
産経新聞1面の櫻井よしこ氏のコラムには、先に中国で実行され
た日本人の死刑執行に対して、冷たい対応だった日本政府に対し
『中国死刑執行に物申せ』と吠えていた。

本当にその通りなのだ。
人権を守るのが、守りたがるのが左翼のはずだが、このリベラル
を気取る現政権は、相手が中国となるととたんに及び腰だ。

しかしその一方で、本日の散歩のフィナーレともなった国連大学
前で目撃したミャンマーの民主化運動はちょつと違う様相を呈し
ていた。

よく聞き取れない(なぜか生声で叫んでいた)声だったが、日本
語とミャンマー語を織り交ぜながら『スーチーさんの開放』、
『ミャンマーの軍事政権に日本はNOを』といったようなことを
訴えていた。


あまり幸福な姿ではないので、近寄りづらいものを感じつつも
このこと自体は長く続いている問題で関心を抱いていたので、
彼らの訴えが終わるのを待って話かけた。

『私はこういうものですけど、記事をかいているものですが』と
名刺を差し出したが、あまり関心のない様子。
多分、大きなバックが付いているのだろうな。

しかし、ビラを渡されたがその内容についてはまったく正当な
ミャンマーの民主化、スーチーさんの開放を訴えかけるもので
はあったが、気になったのが最後。


「長井健司さん殺害から逃げ続ける日本政府』と題したビラの本文
には、日本の皆様へ、とあって『日本政府は軍事政権への指示を
続けてきましたが、新政権には鳩山首相はじめ民主化活動に理解の
ある大臣が就任されましたので、対ビルマ政策が転換されるのでは
ないかと期待しております」とある。

どうやら主には岡田外務大臣のことを指しているようなのだが…。
民主党だから民主政権?まさかそんな認識でいるのか!?

ありえへんなー。中国にさえまともに日本人の命を祖末にするな。
日本に帰せ、とはいえなかった鳩山政権。『残念です』の一言で
片付けるような一国の首相はじめ外務省が「ミャンマーの民主化」
のためにどうして本気で動いてくれるのだ。

そして北朝鮮の拉致問題。
拉致家族会(略称)も結局は、今何ら北に影響力を及ぼさない黄
(ファン)元書記をわざわざ日本に招致し、家族会と引き合わせ
たが、それ自体で何ら有力情報がもたらされることはなく、解決
への糸口が掴めたわけではない。

民主の時間稼ぎの小道具でしかないのだ。
ファン書記にいま力がなく有力情報をもたらさない一脱北者でし
かないことがわかっているのに。

人の心をもて遊んでいるのか。
家族会も当初、民主党政権に変わったときに『新しい政治』に
期待を表明した。これで『何か突破口が開けるのではないか』と。

しかし、日本の未来を普天間問題で危うくさせ、中国に捉えられた
日本人一人を救出させることが出来ないこの政府に一体何が期待
できるというのだろうか。

『民主』という言葉の意味のはき違いも恐ろしい。
民主党の『デモクラティック』とは数の上での民主制であり、彼ら
の自由とは中国共産党と手を結ぶ自由である。
決して人々を自由にするという意味でのリベラルではない、という
ことを肝に銘じておかなくてはならない。

共産主義国家、独裁国家と手を結ぶ自由を意味する政党の民主には
ほとほと気をつけなくてはならない。

ミャンマーの民主化を支援する人々が民主党を頼りとしてそれを
背景に動いているとしたら何か他の思惑があることを疑わなくて
はならないだろう。

正確な情報を得るためにも真実、ミャンマーの民主化を応援
させて頂くためにも近いうちに活動団体のトップと直接、
会って話を伺いたいと思っている。

今日は穏やかな春の日差しを体いっぱいに浴びながら、最後
は厳しい現実に対面する機会をまた与えて頂いた。

百花繚乱の春に



百花繚乱というにはまだ助走か…。

何十年もその恩恵に浴した自民党を70代にしてダッシュしたシニア議員。
「たちあがれ日本」とは景気の良い政党名だが、石原都知事の命名とか…。

日本の政治はこれから荒れまくる。一人ひとり覚悟の必要な年だ。

補助金を当てにする人が続々と生まれる一方、twitterや新しいメディアを
使って日本の政治を立て直したいと熱く行動する若もの?(オーバー30
だったりして)も増え始めている。

政党として認められるには現役議員の最低でも5人の登録が必要、という
大きな障壁がある一方、国民新党のように最低の支持率(?)0,6%など
と数字にならないような政党支持率を持つ党の実力者が現役大臣に任命さ
れるという不思議な時代。

いくら連立政権とはいえ、現役議員で権力さえあれば国民に信を問わずとも
入閣できるこのシステムは何だか民主主義の在り方としてしっくりこない。
ある種法の網をかいくぐったような詭弁ではないのか。

実際に違憲ではないにしろ、内閣の長がそのリーダーシップを放棄した時点
で、国民の真意とかけ離れたところで強引に物事が押し進められることには
断固反対し、一石を投じていかなければならない。

何の縁故もない、お金もない、地位もない人物が政治の世界に参入すること
はまさにラクダが針の穴を通るほどの難しさといえるだろう。

好人物が限られた選挙活動を愚直にやるだけでは今の日本では時間がかかり
過ぎる。

この国の世論を変えていくには、レガシーメディアとそれを支えるリベラル
と呼ばれる左翼知識人に道を明け渡さない新しいメディアの創出が必要だ。

自由に保守本流の意見が述べられ、若者や起業家の声を生で届けられる通信
手段だ。それはネットであり、やはりデジタルテレビ番組なのだろう。

もしかしたら仕掛けを持ったフリーペーパーなのかもしれない。
ポピュリズムではない大衆普及こそが我々の次の仕事なのだ。

そんなことを頭で巡らせつつも、まだ自分の仕事としてこの手に引き寄せら
れない弱さがこの国の未来を変えていく力を弱めているのかもしれないとも
思う。

今は結果を焦らずに、雌伏の時。

しかして時間はあまりない。”その時”を信じて今は歩伏前進あるのみだ。

2010年3月31日水曜日

祝☆リバティ15周年記念号出版

幸福の科学出版「ザ・リバティ」が15周年を迎え、5月号が発刊された。昨日の産経新聞の広告にも載っていたが、メインは大川総裁のコラムと最新の教え(宇宙もの)、そして政治経済(幸福実現党の提言など)だ。

個人的な話になるが、リバティ誌とは創刊以来からのおつきあいになる。
当時駆け出しのフリーカメラマンだった私は、何もわからず編集者と共に(ボランティアで)昨日時効になったオウム関連の取材や、東村山市議殺人事件などの取材に同行していた。そして時には自身が矢面に立つことになり、オウムの青山本部ビル前での取材では、丸腰でカメラを構えた私が、麻原が教団に現れるのを待って撮影するという危険な経験もした。(それもそのはずこの数日前に目黒公証人役場事務長が拉致されたばかりだったのだ)

実際、当時はまだどのマスコミも本格的な取材活動は行っておらず私一人(リバティ)だけだったが、その危険性は編集部からは聞かされていなかったのだ。そして、それは案の定、飛んで火にいる虫のごとくで本部ビルから駆け下りてきた信者数名に取り囲まれ、押し問答を繰り広げることになった。

当時の私は、血気盛んで「ここで怯んではいけない。相手を折伏してみせる!」と、自身が危険な状態におかれていることが客観的に見えておらず、青山の交差点で白昼堂々、6名位の信者に囲まれつつも彼らにインタビューを試み、持論を展開するなど危険きわまりない取材行為に及んでいた。

それを50M位離れた交差点の角から見ていた付き添いの編集者が慌てて総合本部に電話。
本部(現出版)から以前の師匠であるカメラマンの大塚氏が車で駆けつけてきてくれ、逆拉致された形で本物の拉致からは救われたのだ(笑)。

今となっては回りをヒヤヒヤさせたものの、自分自身にとっては若い頃の青春の思い出で、記憶に残るエピソードのひとつとなっている。
そんな歴史のあるリバティ誌が今月15周年を迎えたことはやはり感慨深い。

そして今月号は何より自身の取材原稿である「不況でも頑張る中小企業」(特集5ページ)が掲載された号である。ダブルで嬉しいというのが素直な気持ちだ。

「不況でも頑張る中小企業」に出てきた取材先ものづくり系中小企業のオーナー二人は本当に素晴らしいものをもつ会社の代表だ。

他にもたくさん素晴らしい日本の企業を取材させて頂きたかったが今回は2社にとどまった。伝えたい思いのごく一部しか伝えられていないかもしれないが、それでも栄えある「リバティ」15周年号に掲載して頂いたことは自身にとっても誇りと思っている。

今後もリバティ誌には、その唯一の価値を大切にしながらも、多くの人に長く深く愛される雑誌であって頂きたいと願っている。

リバティ編集部の皆様、そしてリバティ創刊当時から陰に日向に関わってくださった皆様や、愛読者の皆様に、「創刊15周年、本当におめでとう!」と心からの祝福を贈りたい。

2010年3月10日水曜日

第82回アカデミー賞におもう

第82回アカデミー賞が一昨日、3月7日(現地)に決まった。
誉れあるアカデミー賞を受賞したのは、ジェームズ・キャメロンの
「アバター」ではなく元妻のキャスリン・ビグロー監督の「ハート
・ロッカー」だった。

何だ、いややっぱり、そんなーって、感じの連発だったのが今年の
アカデミー賞。しかも皆さんご存知和歌山県太地町のイルカ漁を
盗み撮りした?いや、真っ向正面から撮影していますが、地元住人
の許可など一切なく勝手に撮影して編集した”ドキュメンタリー”
??が栄えある”長編ドキュメンタリー賞”を受賞したのだ。

いやぁ、これが今のアメリカの姿なのでしょうか。
かつてハリウッドは赤狩りの対象になり、政治思想と密接に結びつ
いていた業界であることは記憶にまだ残るところです。
もちろん当時自由闊達な議論が交わされていたハリウッドの知識人
をターゲットに警察権力の行使があったことは否めないと思います
が、その陰には時の監督や俳優で過激な思想を持つ方がいたことも
事実でしょう。

アカデミー賞を受賞した「ハート・ロッカー」はまだ観ていません
が、(近日必ずいきますね)今のアメリカ人の勇気を鼓舞するよう
な話なのではないかなと思います。
きっと素晴らしい映画なのでしょう。


しかしイラク戦争で傷ついているアメリカ…。
そのアメリカを代表するような映画が、イラク戦争ネタとつれない
日本の現政権などまったく配慮する必要がないといわんばかりの
日本たたきとも思える動物(いやイルカは動物じゃないとか)偏愛
ネタ。この賞を贈った意図を想像するにどこか空しさを感じます。

かつてない高収益を誇る「アバター」を無視してまで戦争映画を
選ぶ理由とは?そして同盟国日本に容赦ない(トヨタに続いて)
バッシング映画を選ぶアメリカとは?

今回、ナショナルジオグラフィックに所属するカメラマンがイルカ
愛護の精神とはいえ、人間よりも動物(いや失礼イルカ)の方が
大切だといわんばかりの人権侵害フィルムを撮って(それをドキュ
メントと称するのも気に食わないが)世界最高の映画賞のひとつを
受賞するのなら、アメリカの精神性も実は地に落ちたものだといわ
ざるを得ないでしょう。


リアルな場面でかつての「世界のリーダー」として力を誇示する
ことなく凋落に向うアメリカ。
何かと無理やりに戦っているようなアメリカ。どこか危なげで、
もの悲しげなアメリカの姿がそこに投影されているように私には
思えてならないのです。

10代の頃から世界をリードしてきたアメリカに憧れた私にとって
今年のアカデミー賞はなんだかすっきりしないものでありました。

2010年2月26日金曜日

女子フィギュア・日韓対決☆

カナダバンクーバー冬季オリンピック女子フィギュアが終わった。

結果は、ある程度予想されていたが、韓国のキム・ヨナが金メダル。
日本の浅田真央選手が銀メダルの2位に終わった。うーん、残念。

しかし、あの銀メダルの結果はすごく考えさせられる意味のある
メダルであったと思う。
もともと構成の難易度から、浅田選手にとって不利ともいわれ、
金メダルを取りにいくには難度が高いことが予想されていた。

それに比べて韓国人選手のキム・ヨナは最初からメダルを取ること
ことに焦点を合わせたプログラムで構成、苦手なジャンプをカバー
すべく演技力を磨いてきた。加えてetc…。

その結果、今期オリンピックは、勝てるプログラムを組んだキム・
ヨナが予想通り(それ以上であったが)確実に点数を積み上げ
お約束通り、優勝、金メダルに輝いた。勝つべくして勝ったのだ。

今回の浅田とキムの違いをどう見るか。
あの韓国の国旗が日本の上を揚がっていく姿を見て私は薄ら寒い、
身の毛のよだつ感じがした。
なんていったって落日日本経済に追いうちを賭けるように迫って
きている国のひとつが韓国だ。

日本のトヨタがリコール問題で揺れる中、韓国製のヒュンダイ、
サムスン等3分の2の値段で使い勝手が良い、音が静かななど、
日本のお家芸から学んだ技術製品が、注目され始めている。

このまま行くとどうなってしまうのか。

日本は浅田選手の銀メダルのように稀少な技術(女子初の三回
転半ジャンプを二度)を持ったまま、表現力や、勝つためのした
たかなネゴシエーションを置き去りにして純粋無垢な本物が持つ
価値だけでこの世界の競争を生き抜いていくことができるのか。

今回、国際社会のしたたかさを日本人は思い知ったのではないか。

しかし、浅田真央選手の価値はこの一度のオリンピックで下がる
ことはないだろう。大きな理想を持って難易度の高いプログラム
に挑んだ。その自らの才の赴くままにミッションを持って挑んだ
勇気は今後、益々、課題を克服して磨きをかけていくに違いない。

しかして今の日本の政府をはどうか。

一位でなくても良い、二位ではよいではないか、などという必殺
仕分け人(もともと日本国籍ではない)議員たちが徒党を組むこの
国では日本は益々競争力を失ってしまうのではないか。

ゆとり教育や、左翼思想、平等思想のはびこる日本だけに通用する
価値観では日本経済の再生はありえない。

浅田選手はこの負けを真摯に受け止め、誰よりも悔しがり、自分の
至らぬ演技を(本当はすごいのに)認め、大会直後にもその闘志を
燃え上がらせている。

本当に彼女すごい、目先の勝ち負けではない、もっと長い目でみて
本当にこれ以上ないというくらの素晴らしい逆転劇が彼女の人生に
は待ち受けているのかもしれない。
これから4年後のソチオリンピックが楽しみだ。タラソワコーチと
少し早すぎた?平和の鐘を思い切り鳴らしてほしい。

しかし、その時の日本は世界でどういう立場に立っていることか。

浅田選手から不屈の精神と負けたら悔しがる心(本物のプライド)
を我々日本人は学ばなくてはならない。

2010年2月7日日曜日

小沢問題よりも朝青龍(この国はいったい…)

この国は一体な・ん・な・ん・だ。
一昨日、東京地検の小沢不起訴を受けたその直後、朝青龍の引退が決まった。翌日、NHKのゴールデンタイムは「朝青龍引退の真相」特集番組だ。

まったく!!あきれるよな〜この国は!
この国営放送は、マスコミはいったいどれだけ体たらくなんだ!
日本という法治国家の基盤、民主主義政治の根幹が危ういのだ。
日本に長年巣くう黒い政治家一人を起訴できずしていったい何が自由主義国家だ。

これは国民が馬鹿にされとるっちゅうことか?
日本はそんだけ左翼思想の人間が放つ念力に左右されとるってことか。

それも悪徳政治家を追求する番組ではなくて、自国の恥をさらすような自虐的ネタの相撲界のスキャンダルを世界に配信する。モンゴル国民に嫌みのひとつも言われるわな。

自浄能力がないのは、時の政権だけではない左翼マスコミそのもの、検察庁そのものではないか。

一体これはどういうことなのだ。国民は何も声を上げていないのと同じことにされてしまうのか、良心が傷まないのだろうか、NHKの幹部は。民放は。どこもまとものこの小沢問題の根深さを取り上げとらんやないか。(鳩山政権をだらだらのさぼらせとるやないか)

日本人の空気に支配されるのにも程がある。長引くデフレ基調に加え鳩山政権のバラマキ政策によって日本人が自らのイデオロギーや、左翼に立ち向う勇気が根こそぎはぎ取られてしまったのではないかと思う。

これでええのか、日本人。このまま民主政権が長引けば益々国民の多くは自ら考え、行動する力を失っていくことだろう。
自浄能力のない政権と大手左傾マスコミによる支配が今日もこの国を蝕んでいく。

新たな政党の必要性は言うまでもないが、まともな言論がこの社会で形成され、通用する仕組みの創出と、個人の脱藩がどうしても必要だ。

2010年2月3日水曜日

いろいろありすぎて…(ダメだし!)

 なんだかこの頃、国会質疑とか、答弁等を聞いていても最初っからシナリオありきみたいで本当に薄ら寒い感じがいたします。自民党議員の先生たちも(一部?)頑張ってくれていますが、どうしても同じ調子になりがちで、鳩山総理の偽装献金問題と、普天間基地問題、小沢幹事長の政治規制法違反(裏金問題)と、先生が変わっても同じことをちょっと違った切り口で突っつくくらいで相手の真偽をただす、解散総選挙をかけてマニュフェスト違反を叩くとかっていうほどの盛り上がり?勢いがないですよね。

実際に、総理に「普天間基地問題が5月に決着つかなかったら、どう責任をおとりになるおつもりなのですか?」とかって谷垣総裁が国会質疑で迫っていっていたけど、なんだか谷垣さんの追求の仕方って、パシッと締めなきゃいけないときに変な言葉遣いで、女みたいな感じで攻めきれてないんですよね。思いと行動が一致しているのかな?と思うのは私だけでしょうか。

言葉の問題で言えばあの坊ちゃん総理がこれだけ甘ちゃんなことをしていながら、国家のリーダーとしておかしな発言を繰り返しながらもなかなか支持率が下がらないのは、もしかしたらあの甘えたような何とも頼り無さげな、かわいそうな感じがするくらいのしゃべり方が国民に同情を買ってる?鳩山総理。というかむしろ国民は、坊ちゃん総理に母性本能でもくすぐられて「仕方ないな〜、鳩山さんは育ちがいいからなー」なんて思っちゃってる?

そんなわけある?日本国民てもしかしたら、かわいそうな感じのする人に支配者でいてほしいと心の奥底で、潜在意識で願ってます?(だとしたらこわくないですか?)

あの論理性のない国益を無視した発言と行動を繰り返す鳩山、小沢の両名を断罪しきれないとしたら、それはもう国民が(もち自分も含めて)アホ!、自虐史観にどっぷり浸かりきって脳みそが腐っているとしか思えない、と思うのです。

まともな人間だったらGDP2位から今にも転落しそうな国の舵取りに成長戦略なしのお馬鹿な政党をいつまでものさばらせたりしない。長引く普天間問題に、ましてや偽装献金疑惑が出ただけでも一国の総理として許しがたいのに、真正面から責任追求ができず放置に近い状態が続いている。この国家、この国民はどっかおかしいでしょう!?もはや末期なんじゃないかと思い始めているのですよ、私。(この状況が続けば…)

頼るべきところは検察庁しかないのか。マスコミも含めて、一体この国の正義はどこにいってしまったのでしょうか。

今日も産経新聞に拓殖大学大学院教授の遠藤浩一さんが論客として、『「保守の精神」が問われる自民党』というタイトルで日本の保守政党の在り方に一石を投じていました。本当に素晴らしい論客、インテリジェンスを持ち合わせた識者はまだまだ日本にはおられるのですよね。でも、皆さん大手マスコミを前には(特にTV)では本音を語りたがらないです。左翼の空気に支配されるテレビ局ではね。

でもね、そろそろ識者の皆様も、本音を語るべきときが来たのではないかと思います。

事なかれ主義が転じて、左翼思想に支配される国日本、気高い自国の姿を描けず、プアな総理に立て、自国の不利益に対しても声をあげられない日本人。早くこんな「異常な事態」から抜け出さないと日本は大変なことになる。日本に夜明けがこない。

どうかこの異常な事態に一人でも多くの人が公憤を持ってマスメディアや検察庁に働きかけてほしい、と思います。強い日本人になろう。なりたい!

2010年1月28日木曜日

親の子供虐待(事件)絶対撲滅!

皆さん、こんばんは。
何かこのタイトルだけでとっても悲しくなってしまいますね。

というのは、ここ数日報道されています7歳の男の子が親から暴行を受けて亡くなった事件のことです。ふぅー。

ニュース番組などにその子と関わりのある大人がインタビューを受けていましたが、学校長なども堂々と顔だしでインタビュー受けていました。ある意味「すごい鈍感力だな」と思わせていただきました。

企業でいえばなんでしょうか。企業努力が足りずに人が一人殺されてしまったと。

そうしたらどうなんでしょうか。あのように顔色ひとつ変えずに「出来るだけのことはしました」とマスコミの前に出てきて自分には一切非がないことを証明するためだけにコメントをする。あれで教育者といえるのでしょうか。

本当に子供に対して「申し訳なかった」という気持ちは一切持ち合わせていないのでしょうか。心の奥底では「何かもっと出来ることがあったはずだ」と思っていてほしいと願うのは私だけでしょうか。人として…。

しかし、涙も見せない。被害者の子だけではない、あの映像(インタビュー)を見た全国の子供たちはどう思ったでしょうか。失望したのではないでしょうか。何かあっても学校は、大人は何もしてくれない。守ってくれないのだと。

日教組の下で社会主義的な発想で学校運営をし、外部からの監視を受けない聖域で守られている日本の学校。自らの職業倫理も尊厳を失い、子供や親からも尊敬の念を受けない先生。
自分の良心に誓って、お天道様に向って「私は一生懸命できる限りのことをしました」といえるのだろうか。

私は日本は子供の尊厳が守られていない国だなと思う。堕胎率も高いし(宗教的バックボーンの違いからか)親が子供を自分の一部として見る。過保護にするか、虐待するかどちらかのケースが頻繁に見受けられる。

日本より欧米では子供を大人として扱うカルチャーが強い。他人の目が厳しく、親が子供に手を挙げたり、保護責任を果たしていないと思われるとすぐに通報される。行き過ぎな面もあるかもしれないが、お互いを監視することで子供の被害を最大限少なくしている。

子供のいわれなき虐待は、ずっと昔からあったことだ。家庭の問題に他人が口出ししづらいというのはいまも昔も変わらないかもしれないが、それでも日本ではおせっかいする人が少なくなりすぎた。

私は少なくとも自立できる年齢になるまでは、どんな関わりであれ、まったく通りすがりの人間であっても社会のなかで活かされている限り子どもを保護してやる、子どもを正しく導いてやる努力をするのは大人の責務ではないかと思う。

宗教的なバックボーンからいわせてもらえば、人間は転生輪廻を繰り返す存在である。

魂があり、生まれ変わりがある。「子どもはなぜ尊いか」それは、「子どもも大人と同じ一個の魂を持っている」からだ。魂を持っているが故に親も子どもも独立した存在として尊重されなければいけないのだ。

信仰を持っている人にしか分からない世界なのかもしれないが、基本的に宗教を学んでいないような教師が子供を教えることは難しいと思う。魂の世界を知らずして、人を真に導くことはあらず。この世の中でお互いを尊重し合って生きていくということは、それぞれが仏神から与えられた輝く仏性を持っているということを”知っている”からだ。

そこに互いへの責任が生じると、私はそう信じている。

先生方もそろそろ戦後教育や日教組の呪縛から解き放たれて魂を尊重する教育に目覚めなくてはならないと思う。

良き心の教え(宗教)を学び、まずは自分の心を宗教性に目覚めさせて頂きたいと思う。心から人間としての反省や感謝をし、そして素直に涙を流せるような人間であってほしい。

教育者としての責任がそこにあると、私はそう思うのです。

2010年1月23日土曜日

二つの見るべき局面

   日本国内と、日本を取り巻く世界の国で最も気にかかる国の未来に揺らぎが起きている。
日本では、連日報道され、国会でもやり玉にあげられている小沢問題だ。いよいよ事情聴取は、今日。あるメディアの報道ではすでに検察側は立件の準備を進めているという。政治の中枢で己の野望実現のために権力を集中させていった小沢最後の章となるだろう。

まあ、おそらくは逮捕されると踏んでいる。そして、どんなに逃げの口上を使っても、日替わりで言い逃れを続けている鳩山総理もこの流れには打つ手はないだろう。マスコミのリークや検察批判を繰り返しているが、これ以上、民主の横暴を放置しておくことは決して民意ではない。まだ予断を許さない状況ではあるが、それでも参院選を半年後に控え、このままもはや民主の一人勝ちは許されないだろう。

この状況下で民主の化けの皮をきれいに剥いでみせるのは、既存マスコミや検察だけではない。我々のような草の根的言論活動をしている一人ひとりにもかかっている。

そしてもうひとつ。いま最も国際社会で注目されている中国問題だ。
この国の行く末は、我々日本の、世界の人々の未来に大きな影響を与える。かの国が日本を超える経済成長を遂げるいま、国際社会での役割は大きくなる一方だ。だが、これは言い換えれば日本の陰が薄くなるということを意味している。まあ、それは別の問題として、中国が本当の意味で国際社会の一員となって、活躍してくれればそれはそれ良いことだと思う。世界人口の5分1にあたる13億の人々が中国にはいるのだ。まだこの数の分だけ、世界には共産圏下の軍事国家に人々が住んでいるのかと思うと末恐ろしい数字だ。

その中国に民主化、自由化への揺さぶりをかけているのは、国家間の外交ではなくて、一民間企業のアクションからだ。

昨年、オバマ大統領が中国に訪問した際にもほとんど人権問題には触れられることはなかったし、政治犯の釈放や、ウイグル・チベット問題について協議することはなかった。指導力の失ったアメリカが動くことができなくて中国の民主化はいったいどう進むのか、その道筋が見えなかった矢先、『希望』を与えたのはGoogleだ。本当に民間企業の力は強い。これから世界を変えていくのは、衰退していく国家ではなく、希少な価値を生む国際的ベンチャー企業と世界市民だろう。

現在、アメリカ政府は中国当局と交渉に入り、強くネット利用の自由保護を訴えているというが、中国はいったいどこまで譲歩できるのか。中国はかつてない経済発展と人口パワーを武器に世界の覇権を狙っている。この国がどういった思想を受け入れていくのかが注目される。一方このまま独裁軍事国家としての中国には未来はないという見識者は多く、上海万博以降は中国経済は崩壊するという見方もある。

この中国問題は、日本の未来にも大きな影響を及ぼす。
なぜなら売国奴小鳩政権は、日本を『中国の属国化』にし、東アジア共同体を構築しようとしているからだ。日本の危険はこの思想を受け入れてしまうのか、自由と民主儀主義の繁栄によってこの闇を打ち砕くのか、日本はいま大きな選択を迫られれている。

小沢問題、中国政治問題、この2つの問題は、現状が破局することによって日本と国際社会にとってよい方向に進むというベクトルを持っている。

長年巣くってきた日本の闇政治家と、このままの政治形態で成長し続けることは許されない人権侵害国家中国。この2つの巨悪が法に則って、そして社会の良識にのって正当な手段で転覆されることを一人の人間として切に願う。

2010年1月16日土曜日

Google万歳!(人はパンのみに生きるにあらず)

Googleが中国から撤退をマジ検討していることは、多くの読者の皆様がご存知のことと思う。ついに執拗なサイバー攻撃にたまりかねてあの、次世代のマスコミに変わるであろう世界的インターネット企業が本気になったのだ。この情報だけでも小躍りしたくなるような清々する思いがしたが、さらに良かったのはアメリカ政府が後押ししたことだ。「あれさ、あの件どうなってんの?」と聞いたかどうかは知らないけれど、中国大使を呼んで「説明を求めた」というのには少しほっとした。

今後もアメリカは、ビッグマーケット中国を前に事を荒立てることはしないと思うけれど、それでもアメリカ政府がGoogleの意図を汲み取ってかすかな?援護射撃を行ったことは評価できる行動だ。

それが我が国ではいまどうであろうか。

日本の国益のために、日本人の人々の幸福のために政府は動いているだろうか。国益に反することをやるのは得意な現政権のことだ。同盟国の機嫌を損ねさせ、自分たちの政権維持を最優先し、日本人でもない日本にただ居座っただけの人々、帰化しようとはしない人々のために「外国人地方参政権」を与えるという。

この法案が成立すればいずれ日本は大変なことになる。日本国内にスパイのような人間があちこちに現れ、その数が多ければ多いほど、生粋の日本国民の当たり前の権利や公益を損なうような法案や既成事実が生まれてくるだろう。

私たちは個人の利害を度外視しても立ち上あがらなければならない時がある。それがいまだ。あからさまな人権無視やサイバー攻撃ではなく、じわじわと南や西から押し寄せてくる日本の朝鮮化もしくは中国化、(日本人の朝鮮人化もしくは中国人化)をここで押しとどめなければならない。

言うべきときにはいう。立つべきときには立つ。

日本の国益を失わせる輩に「こんなことをするあなた方にはついていけない」「私たちの方が良識なのだ」と、真正面から言ってやる必要がある。今日は、日比谷で民主党大会が行われる日だ。多くの人々が法案反対デモに参加し、血も涙もないおごり政権に一喝を与えられることだろう。来週前半にでも小沢逮捕の可能性が出来てきたいまが最大のチャンスだ。一気に民主をつぶせ!民主は日本からは手をひけ!

企業の理念のなかの二つでもある「WEBでも民主主義は機能する」と「情報のニーズはすべての国境を越える」に則ったGoogleの中国への抗議行動は我々に勇気を与えてくれた。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年2010



皆様、明けましておめでとうございます!
フォトジャーナリスト北野容子です。年明け早々、悩ましい初夢を見てしまいました。悩みがまだまだあるってことは生きていく価値があるってことですね。

今年の目標はやっぱりよいお仕事きっちりして、自分の潜在能力を倍々倍々化うーーーんとさせることかな。 潜在意識が寝てちゃダメですね、ちゃんと起きてないと^^

守護霊様よろしくお願いします。(見えざる仏神の導きを受けられる自分となれますようにご指導ください)合掌

皆さんも心の中で守護霊様とお話するとよいと思いますよ。
私は年末にある話を聞きました。商才を磨くコツとは何か?まず自分自身にたいして納得させる、自分のやるべきことはこれなんだと、心から府に落として自分をます説得することだと。他人への説得力(商売繁盛の秘訣)は、まず自分を説得してからということですね。(これには納得です。)

やはり自分に始まり、自分に終わるということでしょうか。自己責任の原則にも似ていますね。

これまで他人のせい、他人任せにする性格が強かったので今年こそは自分に厳しく、説得力を持って生きたいと思わせていただきました。
すべてはそこから始まるのだと思います。

というわけで鳩山不況も個人的な悩みも何もかも自分への説得力を高めて解決していきましょう。

案ずるより生むが易し。
本年こそは説得力と執筆力を高めてよい感化を社会の方に与えられますように頑張ってまいります。本年もどうぞよろしくお願い致します。

皆様と皆様方の愛する人のご多幸を祈念して。

2010年元旦 都内世田谷にて