2009年12月26日土曜日

小沢サンタ メリークリスマス!

2000年代最後のクリスマス。2009年12月25日、平成22年度の予算案が閣議決定された。

個人的には今年のクリスマスは特別思いいれのあるものとなったが、日本人の場合、クリスマスといえば人から何かしてもらうもの、プレゼントをもらうものという感覚が強いのではないだろうか。

あまりにも世俗的で書くにも忍びがたいが、高校生がクリスマスにちなんだパレード仕立てで「高校の無料化」と「雇用の安定」を求めてデモを行った。「サンタさ~ん、プレゼント頂戴!」これがいまどきの高校生の考える権利の発露だろうか。この背景には日教組がらみの大人の影が見え隠れする。マスコミ相手にデモ用の大型車に乗ってスピーチするなど、高校生だけでここまでの用意周到な準備は無理だろう。

まあ、そんなことは左翼系団体のよくすることなのでなんとも思わないが、それでもやはり政府の行動となると見過ごせない。

今日も毎日、毎日、鳩山政権には頭に来ることばかりだが、またしても「小鳩政権」よろしく韓国への配慮(一体何のために?)という訳の分からない口実の元、高校の学習指導要領の解説から「竹島」問題が消されることになった。日本の文科省が単独で判断できるようなこととは決して思わない。やはりそこには大きな影の存在を感じざるを得ない。文字どおり「小鳩政権」の小沢の存在だ。

かつて少しだけ触れたことがあるが、小沢氏のルーツは朝鮮半島にあるというものだ。この件は、政府関係筋から直接聞いた話だが、あるネットでは「かつて父親は、日本に渡った朝鮮半島の工作員で、国籍は父親が戦後のどさくさに紛れ闇市で買ったものである」とも書き込まれている。裏はとっていないものの、しかし、こうした小沢氏のバックボーンは、至るところで顕著に見え隠れするようになってきた。

その最たるものが、アメリカを捨て、中国の防衛支配下に入らんとする東アジア共同体構想だ。(ここでは詳細は省きます)中国から、韓国へ。訪韓し大学で講義を行った小沢氏は、天皇のルーツに触れ、まさしく自分と同じといわんばかりに「天皇のルーツは朝鮮騎馬民族にある」という少数説を嬉しそうに語っていたという。

そして、ついに高校指導要領網から「竹島」を消し去った。

つまりは、小沢さんは日本よりも韓国が大切だ、という意思表示の表れだろう。日本人よりも韓国人が大事。そして自身のルーツである朝鮮半島の人々に最大限の配慮をし、日本の影の政権担当者として、「竹島」を御土産よろしく差し出したというわけだ。

竹島は明治時代に遡って国際法上、日本の固有の領土とされてきた。第二次大戦の敗戦以降、GHQによって行政権が失われたものの、日本の固有の領土であることはアメリカも認めていることなのだ。しかし、戦後の混乱期に韓国側がつけ込む形で、竹島周辺海域の水資源を狙って「李承晩ライン」(平和線)をしいた。当時は、この海域をめぐって日本の漁船が銃撃されるなどかなりきな臭い状態が続いたようだが、戦後、韓国と日本に国交が樹立されていない時代のことだ。

そして、日本と韓国双方の歴史認識のずれ、というだけでなく韓国人の「ハン」(恨み)がうまく政治利用された形で今日、竹島は、韓国に占領されたままになっている。韓国の「ハン」と、日本の戦後の自虐史観がワンセットになって、本来あるべきの日本の権利を放棄した状態が続いたのだ。

実際に、政府はこれまで韓国に対して何ら法的処置は行ってこなかった。日本人のこの海域での身を守るために竹島を明け渡して半世紀以上が経つというのに。

今ここにきて「竹島は日本の固有の領土です」といったところで韓国の実行支配は解けないかもしれないが、それでも国際法上の権利を主張して国際司法裁判に持ち込むことも出来たはずだ。それが出来なかったのは、日本の外交戦略のなさと、自虐史観、事を荒立てず近隣諸国と付き合っていきたいという日本政府の負い目のようなものが潜在的に働いてきたと思われる。しかし、ここに来て臆せず日本特有の領土を戦う前に譲り渡す姿勢は、これまでの自虐史観とは明らかに違う。 (マスコミの報道の仕方は韓国の方を持っているとしか思えないが、これも左翼系ならではだ)

これが左翼同盟・売国奴のなせる業でなければ何であろうか。
恐るべきは現政権の参院選後の継続だ。


竹島の権利を主張せず、事実上韓国支配を認めた後は、次は沖縄だ。沖縄を中国に(在来中国人や韓国人をどんどん受け入れる)あげちゃう予定なのだ。もしくは、国家の概念を持たない鳩山と一緒にかき混ぜられた小鳩政権は、韓国人、中国人の第二故郷として沖縄をささげ、日本との複合国家を目指しているのではないかと思われる。

この民主連立政権の恐ろしいストーリーにどれだけの心ある国民が気づいているだろうか。

聖なるクリスマスの日に、怖い小沢サンタの正体を知らず、日教組に洗脳された高校生たちがおねだりしちゃっている状態だ。もっと怖い共産政権下に自分たちがおかれかねないのにね。一体彼らが20代、30代になった時、この国は今と同じ国家の枠組みを呈しているのだろうか。

来年の参院選は大きな勝負の時だ。決して両院とも過半数を超える民主などあってはならない。

2009年12月13日日曜日

国民は何らかの意思表示を!

12月13日(日)産経新聞1面を飾ったのは、米側(キャンベル事務次官補)が伝える普天間問題決着の期限だった。2011年会計年度予算案に移設費用を計上するかどうかをめぐってアメリカ側が最終合意を求めてきたものだ。

万が一、今月18日までに日本がキャンプ・シュワブ(名護市)への移設計画に難色を示した場合は、11会計年度予算案に計上せず、「別の予算に回す」そうだ。

「ついに来たか。」

11月の会談で「トラスト・ミー」といっておきながら、舌のねも乾かぬ内に決着時期の先送りを決め、しかも米国を絡めないで「東アジア共同体構想」を東南アジアでぶちあげた鳩山内閣。それだけでは飽き足らず、戦後の核機密の検証や、思いやり予算の削減、インド洋からの自衛隊撤退。そしてついに一作日には、小沢幹事長率いる600人の大訪中団での中国参りときた。

日本最大の同盟国である米国との関係が首の皮一枚でつながっているような状態のなか、堂々と現政権による日本の傾中路線を表明したようなものだ。小沢を中心とする現政権の傾中思想(日米よりも日中同盟を強化)をより鮮明にした形だ。さらには天皇の政治利用による中国ナンバー2との会見要求。しかも調整期限がとっくに過ぎているのにも関わらず無理やり宮内庁に要求を呑ませたのだ。一体、何様のつもりだ。日本国はじめ、日本国民の象徴天皇を愚弄しているのか。

民主党政権が左派リベラルと呼ばれる(何を信条として生きている人たちかよく分からないが)存在であることは理解しているが、なかでも鳩山由紀夫という宇宙人は、国家という概念を持たない人だ。

日本という固有の領土に、古来より日本民族(大和民族)が暮らしてきたことで”日本”という国家が築き上げられてきた。が、しかし鳩山論文によると、「そこに住む人によって国家というものは有機的に変幻していくものである」と述べている。

国家という枠組みが、自在に変幻していくようなものとして捕らえたならば、国家は、時の政権(民主党)次第でそこに住む人民(民族)も変わり日本固有の領土は、日本人だけのものではなくなることを意味している。あるいは今後、中国の介入によって日本は複合国家にもなりかねない事態さえ予想させるものだ。

天皇の政治利用を恥ずかしげもなく堂々とやってのける狡賢さ、図々しさはこのまま放置するにはあまりある。

今こそ、どうすれば、日本は、アメリカに信用「Trust」を取り戻せるのか、民間レベルでも日米同盟をどうすれば堅持できるのかを真剣に模索しなくてはならない。

それは今後の日本の未来を大きく左右することになるからだ。日本の軍事のみならず経済にも大きな影響が及ぼされかねない。トヨタのリコール問題なども日本に対する嫌がらせの一つだと言われている。日本製品の不買運動なども今後は予想される。

草の根レベルでもよい。デモでも何でもよい、日本の未来を憂う団体(スモールグループでもよい)団体同士が連携して声を上げることが必要だと思う。

あくまでこの民主政権の動きは国民の総意ではないことを、心ある日本人はこの事態を憂えている、ということを米国に訴えるべきだ。

鳩山政権発足より100日が過ぎた今、「この政党を選んだことを日本国民は後悔しはじめている」と、日本最大の政治的、軍事的パートナーである米国に伝えることが日本崩壊のシナリオに歯止めをかける選択肢であるといえるだろう。

2009年12月11日金曜日

どう見てもおかしい 小沢訪中事件簿★

小沢訪中、誰が中国言ってくれと頼んだ?
誰がこの日米同盟危機の最中、国会議員143名も連れて中国参りをしてくれと頼みましたか??!

オバマがアメリカ国民に、全世界の人々に戦争を正当化するために、ノーベル平和賞なるものの受賞式にいってる隙に・・・。

ニッポンでは口先だけの友愛モットー総理が政局に翻弄され、何の英断も出来ない、日本が先の見えない不況下で苦しむ中、ユーゼンと、「それこそ経費の無駄遣いではないか」、と糾弾したくなるような訪中団600名を従えての訪中騒動。 いったい何のために?

「日米同盟捨てて、日中同盟を機軸にしますと」と、「これからもあなたの国の忠実な僕になります」とアピールしにいったのではないか?!

日本人はあなたの売国奴行為に気づかないほどアホたれではないぞ。

あなたが日本人ではないことを、国籍を親が買って日本人になったことも知っているのだからな。
メジャーマスコミは黙殺、その生い立ちにまつわるいかがわしい情報を取り上げられないだけだ。

このまま日本人のアイデンティティを持たない小沢一郎によって日本は舵をとられ「日中同盟」へとひた走り、沖縄は手土産よろしく引き渡されてしまうのか。

そのときに日本本土はどうなる?誰が北朝鮮の侵略から日本を守れるのか?!このままでは日本が危ない!!!(有事に備え法改正を総勢で訴えるか、もう時間はないぞ)

野に下った自民党はもっと真剣に事態の脱却を考えて、相手の懐深く入り込んで柔の技をかけるが如く心技体一体となって、この売国奴政権から一本しとめなくてはならない!

それには「身命を賭してもかまわない」と思うくらいの勇気が必要だ。

日本という国をこよなく愛する、そして国政への熱い、熱い情熱が不可欠だ。

真の保守派、真なる自由を愛する人々で真剣に世論を巻き込んでいかなくてはならない。

2009年12月9日水曜日

岡田外務大臣ご決断を!

今日も民主批判の産経コラムネタ、小池ゆりこ元防衛大臣のメルマガ、その他もろもろ盛りだくさんだにゃあ。
(ん?なんか人格が違う)

もういいんです。あまりの現政権のあきれるミスリードに、いやミスリード?そんなモンじゃないよ。確信犯的動きに左翼政権支援報道何もかもうんざり。
「どうだっていいんですっ!」とは、さすがにいえないけれど…。だからブログ書いてるんですけど。(完全な独りごとです)

あっ、それで何が書きたかったかというと、皆さんもうんざり気味な「普天間基地移設問題」、「日米同盟の危機」ですね。いわずもがな。

これはもう、アメリカに対してここまで来たニッポン(現政権)への信用不振をどう取り戻すかという話になれば、日本は言論の自由によって革命を起こして?現政権を打倒するか、現実的なシナリオとして、まずは岡田外務大臣が「日米関係同盟危機に際して私が責任を取る」といって外務大臣職を辞せばよいのですよね。 

彼が、この件の責任担当大臣でありもっとも危機感を持っている現政権の一人であるのならね…。

それが出来ない、いやしない。
小池ゆりこ氏の本日のメルマガにも岡田大臣との会話が紹介されていたが、簡単に言えば「ねえ、ちょっとヤバ過ぎない?」「えっ、何が?!」ってな感じのものだ。

要はあのルース長官に顔を真っ赤に抗議され、日米間の矢面に立っている張本人が、「えっ、何が?!」のしらの切り方。この危機感のなさが超ヤバイと小池ゆりこ氏の弁。この超鈍感力の鍛えられた交渉人を米の高官はどう判断し、どう接していくのか。

アメリカの立場になったら「もうわしゃニッポンのことなど知らん!」だわね。
アメリカが受け入れなければ物事が動かないだけ、日本に選択の自由がハナからこの問題にはない。※ただし、この時期に、余裕の小沢訪中を見てもこれはいよいよ売国奴(中国に)が本格化してきたな、という感じ。リバティ誌で掲載された左翼政権による日本の中国属国化は現実味を帯びてきたのかと思うね。

日本人全員の国防の危機が今、そこに足元に起きているのにこの裏腹な行動、これは明らかに確信犯だな。

民主党全員が左翼ならもうどうしようもないけど、もしもまだまともな政治家がいるなら、この場合は、役割として外務大臣の岡田さんが辞職すれば若干、日米同盟解消に至る時間稼ぎができる。

どうか、政治家としての良心を発揮してほしい。

2009年12月8日火曜日

テレ朝!!古館一郎いい加減なこと言うな!!!

テレ朝ーー馬鹿ヤロー。
古館いい加減にしろーーー。

思わず怒号で始まってしまいました。(汚い言葉ですみません!)

しっかし、しかし、皆さん余りにもではないですか。先ほど『報道ステーション』なる報道番組?にチャンネル(あっ、古)があってしまった瞬間、古館から飛び出した言葉がかの鳩山兄弟9億虚偽報告、脱税疑惑報道に対して「でも、これは母親のお金、家族のお金ですよね。ゼネコンやどこかの献金疑惑とはまったく悪質性が違いますよね?!」と堂々と擁護し始めたのだ。その畳み掛けるような言葉は、その日のコメンテーターに同意を求めたもの。

「ええ、ちょっと違いますね~。」と控えめにコメンテーター。(どこの誰だが見たこともないおじさん)一瞬戸惑った様子で同意して見せたが、すかさず古館「ちょっとですかあ?」おじさんコメンテーター
動揺しつつも横目で古館をチラミして「ああ、だいぶ違いますね。」

ぎゃっ、誘導されちゃった。 ってか、スタジオの奥か、編集ルームで見ているお偉方の意向が反映されたのか、古館一人でそんな大胆発言が許されるとは到底思えない。

ついに民主政権擁立立役者・極左放送局の正体を隠すこともやめたのか。

恐るべし。何と法を捻じ曲げた発言を公共の電波を使って堂々と知識人の仮面をかぶってさらりと言ってのけたのだ。こんな法破りを容認する発言を公共の電波で恥ずかしげもなく言えるようになったらお終いだぞ。

じゃあ、誰が贈与税を脱税しても、相続税を支払わなくても許されるのか。家族間であれば。いつからそんな法律に日本は変わったのだ!!

鳩山兄弟にのみ通用する法律か!?

傲慢すぎるでしょう。あなた方は政治家を裁き、誰を政権の座に着かせるか自分たちに権利があるといわんがばかりの暴挙を平然と行っている。

自分たちの傲慢さにもうそろそろ気づくべきだよ。

マスコミは正義を追求するためにあるのじゃないの?
人々の幸福のためにのみ、その存在が許されるのじゃないの?

報道陣としての良心を取り戻せ!あるべき姿に立ち返れ!!!

2009年12月6日日曜日

「子どもいらない」は本当か??

内閣府といっても「男女共同参画局」による世論調査だが、「子どもを持つ必要はない」と答えた人は男性で38,7%、女性で46,4%に達したそうだ。これは平成4年の調査開始以来の伸び率で2年前に比べても6,0ポイント増だという。しかも年代別でみると30代では、59%、20代では63%もの人が「子どもを持つ必要なない」と答えているそうだ。

まったく末恐ろし~い。
この数字だけで見るとなんとも日本は、沈没船に乗っているようなものではないだろうか。
ちなみに人口減少問題は、お隣韓国では妊娠中絶をより厳罰化することで歯止めかけようとしている。

この記事を一面で報じた産経新聞によると、『内閣府の担当者は、「個人の生き方の多様化が進んでいる」としている。』とだけあったが、本当にそれだけか、と思ってしまう。

『個人の多様な生き方』といえば、もちろんそういえないこともない。

が、しかし、本当にそう答えた人は、本心から望んで『子供はいらない』といっているのだろうが。
確かに最近は、草食系男子とか、それに対して肉食系女子とか、論じられる風潮を見ると、子どもを持つ、持ちたいと思う以前の生殖行動の問題も大きいような気がするのだが。
種の根絶の危機かな~。

しかしなぜ、そうも人は「子孫を生み増やす」、という自覚が少なくなってきたのか。

自分自身のことで言えば、別に独身でいたいとか、子供はほしくないとか、明確にしてきたわけではないけれど、しいて言えば、余裕がなかったのは事実である。自分が生きていくことだけで精一杯であったのだ。
ましてやバブル崩壊以降に成人した若者(20代や30代)であれば、長引く不況下で育ち、先行きの見えない社会情勢の中で、前向きに自分たちの未来を創造していくこと、未来が明るいものとして末広がりの人生というのがイメージしづらいのではないだろうか。

未来を生きる自分の姿を思い浮かべる時、そこに家族はいるのだろうか。

そして自分が選んだ相手と結婚をし、「子はかすがい」と呼ばれるけれど、二人の間に苦労を分かち合って生み育みたいと思わせる存在は、そこにいるのだろうか。 イメージできますか?

我々の子ども時代から核家族化が進みはじめたように記憶しているが、バブル崩壊以降になると、親の共働きが多くなり、家族で食卓を囲まないことや、コンビニ弁当を子どもの学校行事に持たせる親が増えていることが数年前には新聞報道されていた。

家族の絆は、思っている以上に簡単に結ばれるものではないことは承知している。どんな家族でも固有の悩みや苦労は抱えているものだ。特に経済的な問題、親の余裕のない姿というのは、家族崩壊の予兆であるし、実際に、親が「今は苦しくても先行きはこうなるのだ、こうするのだ」、という強い光明思念(ビジョン)を持っていないと、子供の人生を明るい希望に満ちたものに導いてやるのはやはり難しいものだ。

逆に将来に夢や希望が一杯あるものだと、親がその身、その言葉ででもって教えてあげれば子供は、自分の将来を夢一杯に描き、「自分に親がしてくれたように家庭を築き子供を育てたい」と考えるのは自然なことだ。

それが、学校教育(日教組)で「なぜ子供が出来るのか」→「親の性欲の結果である」などという教育がまかり通っているようでは、生徒が明るいビジョンをもち、子供を生み育てるという苦労を買って出るようなことは、割に合わないと考えても当然だろう。人間の尊厳がそこにはないからだ。

『聖域なき構造改革』は、本当は教育の領域に踏みこまなくてはならないのではないか。

子供手当てのように使えばなくなるお金のばら撒きではなく、「本当に日本に生まれてよかった」と、「日本人でよかった」と思えるような未来が明るく育まれていくような国家ビジョンを指し示すこと、そして、ニッポンが世界の中心となってリーダーシップを発揮し、世界を繁栄に導くようなシナリオを描いてこそ、真の少子化対策といえるののではないか。


おっと、社民党の党首が少子化担当大臣じゃあね。
そもそも論が間違ってるか。

2009年11月29日日曜日

マスコミと危機管理

というわけで今日のお題は、「マスコミと危機管理」です。















一昨日、衆議院第一議員会館に行ってまいりました。

目的は防衛庁OBで構成されている学術社団日本安全保障・危機管理学会という団体のセミナーへの参加です。

一見年配のOBの皆様ばかりで固い雰囲気ではありますが、意外にもオープンでご紹介があれば、セミナーへの参加は可能です。ちなみに保守系議員の先生方も名を連ね、あの「みんなの党」の渡辺喜美党首が名誉顧問です。

今回のセミナーのお題は、「パンデミック・インフルエンザの今後は」、「アフガニスタン情勢と自衛隊派などの派遣」についてです。私の関心は専ら正確な情報が入りづらいアフガン問題と危機管理の関係でしたが、思ったとおりというか、予想していた以上「ここでしか聞けない話」のオンパレードでした。

ここでは詳細を明記するのは控え、幸福の科学出版「The Liberty」にて記事を寄稿したいと思っています。
今日、これだけは伝えたいと思うことは、たった一つ、「なぜ、日本のマスコミはアフガン問題と日本の国際援助について報道をなさないか」、ということです。もっと言えば、日本の大手マスコミはほとんどアフガンの現地取材を行っていないし、情報源はほとんど海外メディアに頼っています。

(もちろん危険性が高いため、行かせるとしたらフリーのジャーナリストになるだろうが)、国際問題のとりわけODA絡みや自衛隊派遣問題は、つまびらかにその状況、実態を明らかにし、「自衛隊派遣はどうあるべきか」「日本における効果的な国際貢献とは何か」を真剣に議論すべきです。

日本人の血税を無駄にしないためにも、世界のスタンダードに照らし合わせても日本が世界から取り残されないために真っ向からの議論が必要です。
まともな情報を与えないで国民に何が世界貢献なのか分かるでしょうか?

しかし、現状では『正しい国際援助のあり方』について日本人が議論するには、情報量が圧倒的に足りない。なぜか。 

ジャーナリズムの質が問われることですが、現地で起こっている部族間の争い、テロの実態、過激派組織の構成、国家公務員の汚染等せいぜいインターネットで発信される裏情報か、海外マスメディアのニュースを入手する以外に日本語発信では見ることはできません。それは、日本の大手マスコミの島国根性、弱腰もさることながら、それに輪をかけて現政権による左翼思想の影響であると考えられるのです。

マスコミは現政権と結託し、情報統制を行い二者択一の選択選挙を強引に押し切りました。現在の鳩山由紀夫の献金問題の緩やかな報道ぶりをみてもこの手の迎合や、結託は明らかです。

いま、日本人は、自分たちで自発的に積極的に情報を得る努力をなくしては何も知りえないのと同じ状況が起きているのです。

日本のマスコミだけでこの世界の真実を知ることもならず、このままマスコミによる情報貧困が長引けば、新たなメディアの創造が必須となるでしょう。(既にその芽はネットから出ていますが、協力者を多く募らねばなりません。資金もある程度必要です)

2010年、民主党による日本解体か?(詳しくは後日執筆していきます)10年不況にあえぐ日本を見るのは火を見るより明らかな現在、マスコミ改革も急先鋒であるのです。


新たなジャーナリズムの創造を祈念して。

幸福を実現するフォトジャーナリストより

皆さん、こんにちは。
「幸福を実現するフォトジャーナリスト」というタイトルで今年の7月からblogを書き始めましたが、今年も残すところ1ヶ月となりました。早いものですね。

「できれば毎日更新を、、、」と思っていましたが、やはり続けるということは難しく、途中、無力感のようなものも(まだ何もやってないけど^^)出てきて、とみに最近は、事業仕分けや普天間基地移転問題など、どうにもこうにも頭に来ることばかり?いや、あきれることだらけで毎日頭がぶちきれてしまっていて、毎回blogを更新する以前の問題になってました。

結局ブログに書くというのもある一定の余裕といいましょうか、書けるうちはまだ自分とその物事の間に距離があるのかもしれません。

本気でいろんなことが我がこととして認識されはじめた時、あるいは様々な事象が重なり、もうどうしても個人の限界であることを感じた時、人はモチベーションを奪われ、また日記的な手法で我が思いを吐露するには余りあるものになっててしまうのだと思い知りました。

今後も変わらず発信し続け、情報情報共有していくことは大事だと思っていますけどね。
そんなところで「日本のマスコミと危機管理へと続く。

2009年11月15日日曜日

行政刷新会議は怖~い粛清の始まり?!

皆さん、こんにちは☆

最近は秋風が強く感じられる毎日になりましたね。
本格的な冬に備える準備をしなくてはなりません。

オバマ大統領もなんだか取り繕った笑顔に一見、耳障りの良い親日的迷言
だけを残してアジア列国に足早に走り去ったように思います。
具体性はなく、懸案事項に対する深堀は一切なかったですね。
深堀するほどかまうほどの国ではもはや日本はないということでしょう。
日本と?(いや鳩山総理との)絆はうっすーいものであるように思いました。

さて『行政刷新会議』。
私はこの言葉の響きにとても威圧的、示威的な言葉の響きを感じます。

事業仕分けは一見、無駄を省いて国民から頂いた税金を有効活用しますよ
というような公約のように聞こえますが、その根本には、どうしても自分たち
のばら撒き政策を実施するために国民との公約と称し日本政府及び日本人
のこれまでの努力を無駄にするような反リストラクチャー的な動きであるよう
に思うのです。

まさに破壊や的志向です。
その極みが連ほう議員による文科省の次世代コンピューターの開発予算に
事実上のストップをかけたものです。 
スパコン開発は、日本が世界に誇れるものづくり技術とテクノロジーの合体で
あり、自由経済における競争力を高める『国家基幹技術』のプロジェクトです。
「一番だからよいというわけではない、二番ではなぜだめなのですか?」と言
い放った瞬間、ここまで来たか、と頭をガンと殴られたような感じがしました。

日本は、これまで『技術立国日本』であり、それによって未だに中国や東南
アジアに大量生産の部品製造が流れても、高いテクノロジーやテクニカルの
応用分野に関しては日本でしか製造できないものがたくさんあるのです。

日本の半導体技術や光通信技術、品質管理などを磨いてきた日本である
からこそ、スパコンの開発を機に世界との技術差をつけなくてはならない。

「一位になぜこだわるのか、なぜ二位ではだめなのか」
その答えを文科省のプレゼン担当者が十分に説明できなかったとしたら、
大変残念なことですが、おそらく民間企業のトップレベルの経営陣なら、経済
効果や21世紀以降の日本の繁栄を見据えて、すぐには目には見えない効果
かもしれないが、雇用の創出や企業の税金としての見返りとなっていつかは
帰ってくることをきちんと説明できたのかもしれません。

予想できる効果は予算とのバランスにおいて今現在、どのように説得を持た
せるかは、既に切り捨てをミッションとする人々の前では意味を持たないこと
でしょう。

しかし、閣僚や議会議員が、「日本は一番でなくて良い」「二番で何が悪い」
などと言い出したら日本の世界での競争力はがた落ちになり、未来を背負う
子どもたちに遺産として残せるものはやがて何もなくなるのではないでしょう
か。
その裏で現政府は、格差是正にばかり目を凝らして奔走しているようです。

開業医と勤務医の収入格差を引き下げるために診療報酬の見直しを図る
目的で診療報酬をみなす。政府のこうした介入は明らかに左傾化した政策
であり、市場原理や自然な競争原理に伴う自由を阻害していくものでしょう。

格差是正、結果平等主義がこの国において蔓延したなら、それは民主主義
から、共産主義への先祖がえりです。


共産主義、全体主義は、暴力革命によって起こるのではないそうです。
自由主義国が資本主義経済に行き詰まり、やがてだらだらと気づかぬうち
に左翼化していくのだと。
民主主義が行き詰ったときに訪れるポスト共産主義が真の共産主義なのだ
とシュンペーター研究者は悟っています。

友愛を唱える鳩山政権の裏には恐ろしい共産化への道が既に始まっている
のです。

たとえ以前と同じ民主主義、自由主義経済に戻らなかったとしてもハイエク
の説く人間の「自由をいかに守るか」は、人間が神から与えられた自由性の
限りない発揮であり、誰も統制することの出来ない人間の根源的なる尊厳に
訴えるものであると思います。ハイエクが自由を仏神から与えられたものだ
と認識していたかどうは不明ですが。

どのような時代が到来しても自由主義のベースはあくまで漂流させてはなら
ないし、日本経済の成長、繁栄は決してたち止まらせるようなことはあって
はならないと思うのです。

2009年11月6日金曜日

どちらが責任政党かわからない

11月6日、衆院予算委員会での自民党との質疑応答。

午後2時46分、いまだ民主党の野次治まらず。
むしろ午後一からの川口前外務大臣の質疑応答時よりももっと野次が声高になったのは、鳩山総理の政治資金不正問題~小沢衆議院議員の政治資金団体「陸山会」との借り入れ問題が西田昌司委員から出されてからだ。質問の最中に醜い野次を飛ばし続けるのは、中堅の民主党女性議員と、どすを聞かせて脅しのような罵声を浴びせる民主党男性議員だ。

質問に立つ自民党議員をニヤニヤと横目で見ながら、攻勢不利とみればやたらと野次を飛ばす。
国会議員という国民を代表する者としての品格についてこの人たちは考えたことがないのだろうか。
どんな公約をこの人たちが自分たちの選挙区でしたかではない。

今国民の目の前でこの醜い姿をむき出しにした有様は、人間としていわんや政治家として基本的な品性に関わる問題だ。この様を見ただけで人間としての基本的な道徳観や倫理観、ひいては人間を尊重する宗教観までもが養われていない人々なのだと改めて思わざるをえない。

冒頭の川口順子(前外務大臣)委員の普天間基地移転問題についての質問。
「オバマ大統領との会談では、12月までに結論を出すとおっしゃるのですね。」と期限をつけ、明確な回答の必要性を問う川口委員の念押しに対して、総理は、「日米首脳会談においては、日本とアメリカの2国間だけが重要ではない。アジア共同体構想やグローバルについても話さなければならない。個別的な普天間だけが重要なのではない。」と言い放った。

防衛の観点でいけば、まず日本とアメリカの関係構築が最重要課題だろう。何をかいわんやである。

アフガニスタン問題については、「これまでの海上自衛隊の活動は非難しているわけではない」と。
すかさず川口委員が、「私は総理から信じられない言葉を今、聞きました。非難どころか、海上自衛隊の活動については感謝をしなくてはならない。総理は感謝していますか?」と、たしなめられる場面が。渋々「海上自衛隊に感謝しております」と釈明交じりで答えた総理は、インド洋での補給支援について代替案を尋ねれると、「農業支援や警官の給料を上げることによって支援を行っていきたい」と述べるにとどまった。

「えっ??」
「これは民生支援ではないのです。柱はテロ対策なのです。具体的な代替案をお聞かせください」とまたしても誇りに満ちた保守党政治家、外務大臣経験者の言葉が重く響く。

そうだ。
子どもの使いではないのだから、これは国家責任を負う一国の総理にしか出来ない、時の内閣にしか決断できない支援対策を聞いているのですぞ、総理!!!

総理はそれでも「テロ対策が軍事的側面から行うものだけではないと思う。民生支援に近い形で行いたい」と重ねて応えた。

それで国際社会の中の役割は済まされるのか?

実際にいま、ジャイカが農業支援を一切引き上げ、近隣のパキスタンとの境界線では益々タリバンの活動が激しくなってきている折りにだ。

総理。まだまだそういった民生支援レベルで片付けられる問題ではない。かといって、最適な方法はと問われると、本当に政治や宗教が変わらなければアフガンに対して何ができるのだろうかと、難しい問題だとは思う。歴史的に根深い根本的な原因があの砂漠の国ではあるのだろう。しかし、鳩山総理の答弁にはあまりにも夢見る夢子さんのような発想で耳を疑いたくなる。

普天間基地移転問題については、早急に結論を出していただきたい。
日本にとって現時点では唯一とも言える防衛同盟国アメリカに対してあやふやな時間稼ぎのような対応は日本の未来に禍根を残しかねないからだ。グアムへの海軍移転もなかったことになってしまう危険がはらんでいるのだ。

結論は、判断は早ければ早いほどよい。
応じるべきときには気持ちよく応じてこそ確固たる信頼関係は生まれるというものではないだろうか。

自国で正当な防衛政策を持たない日本にとって、今、他にどんな外交手段があるというのだ。『防衛』に対する危機意識があまりにも民主は低すぎる。

自民党が最近、保守政党らしく、左翼政権民主との違いを浮き彫りにし始めたが、今後もこの方向性で大いに頑張ってもらいたいと思う。

民主にはこれ以上任せては置けない。左翼思想によって日本を根本的に骨抜きにし、アメリカとの関係に支障をきたすような政府なら放置しておくことは出来ないはずだ。

どうか民意という言葉に惑わされることなく、責任政党として本当にふさわしいかどうか国民は、厳しく民主政権の言動を見つめていかなくてはならない。国民の冷静な目と、マスコミの国益を重視した報道に期待したい。

2009年11月4日水曜日

良書を読もう。そして仕事をしよう

最近、官公庁のお仕事をちょいと手伝ってまして。


「ものづくり中小企業の魅力を発信していこう」というプロジェクトです。


まあ、ここではあまりかけない事もいっぱいあるのですが、とにかく取材先に足を運ばせていただく度に私は感動しているのです。日本にはまだこんな立派な志を持った企業があったのかと、日本はやはりものづくり企業、中小企業に支えられて日本経済の今日の発展があったのだなあ、と改めて感慨深くさせられました。

で、経営の原点に戻ってこの夏感動した松下幸之助氏の本を味読しながら、心をまっすぐに真面目に働くことの重さをかみ締め、当たり前のことを当たり前にやることの大切さ、その感動を書き記しておきたいと思います。
地味に一見見えることの中に素晴らしい発見があって、毎日が突然生き生きと輝きだして見えてくる、そんなこともあるのだな、と思って素晴らしい経営者と社員の皆様にお会いした喜びを、自分も人を愛する喜びに変えて良い仕事をしていきたいと思います。

ここでは制作会社のモラルハザードの話を書くよりは、日本の底力に感動したことを素直にお伝えした方が良いかな~と実は思いました^^ 自分もまだまだあきらめません。
日々、経営環境の悪化の中でいろんなことで苦境に立たされている方たちも多いと思いますが、お互いに頑張りましょう。

そして、「中小企業魅力発信プロジェクト」別な企画で出版も考えています。

今では当たり前になった経営理念を持つこと、使命感を持って商いを考えること、これいつから始まったことなのか分からないけれど、たぶんこれを普遍的なものに認知させたのは、日本では松下幸之助氏ではないでしょうか。

難しいことは分からない、でも小学校しか出ていない人が偉大な経営者になった。この事実は、大小の規模を問わずすべての経営者、経営者のみならず日本人の良心として深く心に刻んでいかなくてはならない。

勇気が大切だ。

2009年10月26日月曜日

鳩山首相 所信演説

はっはっは、ついにここまで来たか鳩山ちゃん。
(世も末だな。社会主義国家日本万歳ってか!)

これが貴族左翼の姿だ。貴族左翼とは、育ちの良いお坊ちゃんが気の毒な人、貧しい人、病んでいる人をみては「かわいそ~、僕ちゃんがなんとかしてあげたーい」と思う優しい心?を持って、人間皆結果平等を思想・信条とする人たち。

かくいう私も60年代後半の高度経済成長期の成り上がりの親の元に生まれて、地域社会のなかでは否が応でも何かあれば「寄付金を」、と迫られてしまう、そんな家庭のなかで10代前半まではぬくぬくと育っていた。

あれは小学校の中学年の頃、いつも帰り道が一緒だったサラリーマン家庭の女の子がその日の帰り道、何気なく「ねぇ、今日の晩御飯て何?」って聞いてきた。「ああ、たぶんステーキかな」って、いつもの母親の十八番でもある超簡単・焼くだけのレシピのいらない肉料理を口にした。するとその子が真顔で「ステーキってなぁに?」って聞き返してきたんだ。「えっ!?」しばし沈黙があって「そっ、それはお肉だよ。うしの」そう答えたものの、当時ステーキは週1で当たり前に食卓に並んでいた私にとってはかなりの衝撃だった。「この子は家で何を食べているのだろう、貧しいってことは物を知らないってことになるんだな、怖いな。」そんなことを子ども心に思ったものだ。しかし、それと同時に『なぜ、人は豊かな人と貧しい人が存在するのだろう、なぜみんながステーキを同じように食べられないのだろう。生まれの違いだけで。』と思ったものだ。

やがては弱者への関心、福祉に興味を持つような子ども時代を迎えた。

そして20代になり、東京で一人たくましく社会人となって生活を始めた頃には、それは、弱者への救済の思いは、努力による格差を認めない『人間皆結果平等』の左翼的思想へと移り代わっていた。

そう、弱者を限りなくかわいそう、と思う心は自分の境遇の不遇さを嘆く心へと。
なぜ人間は皆同じ環境に生まれないの?親が豊かであれば大抵子どもはその恩恵によくする。しかし、貧しい家に生まれた子は親の財布事情で世の中に対する教養も豊かさも限られたものになってしまう。「そんなの不平等だよ。」20歳過ぎて親の会社が倒産した私には、それが社会の矛盾のようにすり替えられ始めていたんだな。

まあ、今もそういうところが無いかといえばまったくないとは言えず、これが本当につらいところで、自分の中のこの左翼思想さえ抜本的に追い出すことができれば、自分は本当に豊かになれるんだけどな、って思うんだよ。

だってマルクス思想を愛した人は、貧しさを愛したから貧しくなっただけなんだもの。

でっ、今回の鳩山首相の所信表明演説。
確かに今までの首相にはない、力の入った自分の言葉で自分の思うところを述べたある意味、ご立派なスピーチではあったと思う。しかし、私が鼻についてならないのは、自分が幼少期にそうであったように彼は、国民という弱者に対して、「僕ちゃんが何とかしてあげるよ、僕はヒーローなんだからね。君たちにできないことでも僕にはお金持ちのお父さんが付いてるから何でもできちゃうんだよ、だから何でも買ってあげるね。お父さんのお財布から持ってきてあげるよ」と行っているように聞こえるのだ。

だって総理は、首相として今回の予算編成も大臣任せ、行革会議任せで自ら陣頭指揮を執るおつもりはまったく見受けられない。総理、あなたは、日の当たる輝かしい僕ちゃん街道まっしぐらなんだよね。

鳩山家という日本の真の貴族階級に生まれて、財閥のお嬢様と結婚して、華やかな経歴を持つこの人には国民は、『施しをあげる人』にしか映っていないのではないだろうか。

本当の意味で国民自身が、国の産業そのものが立ち直って、企業が再生し、国に堂々と税金を払って社長が誇りを持てる、そんな社会にしていこうという理想をあの所信演説からはまったく感じられない。

ああー。世も末だな。
このまま行けば日本は戦後帰りの左翼思想にどっぷり汚染されて、長引く不況からの起死回生はしばらくお預けだな。
お気楽首相め。いいことしていると思っているからこれが困るんだよ。貴族左翼は本当に始末が悪い。
皆さま、お気をつけてね。10年不況に備えましょ!

2009年9月25日金曜日

悲惨な話(八ッ場ダムとマスコミ)

 またしても書かざるを得ないのは八ッ場ダムのことだ。

感情論でジャーナリズムの端くれを語ってはいけないのは重々承知しているが、あまりにもひどい悲惨な話だ。

私が生まれたのは、昭和41年。ちょうど東京オリンピックが終わり、日本の繁栄を象徴するかのごとく建立された太陽の塔(大阪万博)を見た日の衝撃は今でもありありと覚えている。子供心にこの世界は未来への希望に満ち、繁栄の未来は約束されているのだよ、と、そんな暗示にかけられたようなまだ見ぬ近未来への希望を彷彿させてくれる象徴そのものだった。今日に繋がる豊かな時代の幕開けだった。

今は昔となったこの万博ブームも当時の日本が高度経済成長をたどる中、必然として現れたのものだった。当時は子供でこの社会の仕組みも経済もよく分からなかったが、ただ自営で金物工具店を営んでいた父の事業が大変な繁盛し、いつの間にか3階建てビルを自宅として持つようになったのがこの頃だった。

やがてバブルを迎える数年前、素人の経営でも儲かる時代は終わったと、これまで黒字経営をしていた中小企業や商店がバタバタと倒れ始めた時期が70年代代~80年代にかけて起きた。大手資本が台頭し始めた矢先だったのかもしれない。父は、既に経営者としてある程度成功していたが、その驕りが足元をすくわれる原因になった。やがて父の経営する金物工具店は、不渡りを出し倒産、一家離散の憂き目にあうことになった。私は高校を出て美大浪人生として東京で一人生活していた時のことだ。

ああ、そもそもはこんな話を書こうと思っていたのではない。われわれ40代になる世代の人間が歩んできた高度経済成長期のかすかな思い出を思い起こし、自民党政権時代の全盛期に思いをはせたいと思ったからだ。だって、ダム建設の問題(是非)は、半世紀にもわたり、豊かな生活を保障する代償である、かつては水資源の不足に苦しんでいた地域や首都圏に対する正当な公共事業でもあったのだ。今でこそ、ほとんど給水制限等は首都圏ではなくなったが、20年くらい前の東京では夏になれば何度となく給水を制限しないと回らないこともあったものだ。 もちろんダム建設のためには大きな犠牲を伴うことは必至である。そのためにこの問題は半世紀を越えてしまったのだ。

そして時代は移り変わった。そのときに悩み苦しんでいたことも大きな流れの中であきらめ、自分を説得し、心の整理がつくことも多い。そして意地になるだけではない、大きな意味で他の人の利益(利他)になることであれば、自分たちの生活の一部が犠牲になることも致し方ないと思えることもある。 それが人間の素直な心だ。

八ッ場ダム建設問題は、ニュースで何度も報道されているが、昨日、今日に始まったことではないのだ。 何十年の歴史の中で住民が嘆き、悲しみ、悩み抜き、その結果、政府の事業に同意するという結論に至ったものだ。

それを民主党の責任大臣は、住民が頼んでもいないことをマニュフェストに掲げたからといって、地域住民や行政の長の思いを聞かず、「ダム建設は中止する」とお題目を唱え続けている。

最近、各局でもこの問題をニュースに取り上げることが多くなったが、はっきりと分かる形で民主政権よりの左翼系マスコミ(テレビA)は、反対派住人の声を黙殺しようとしている。一見、公平に住民側の意見を取り扱っているように見せながらもそのコメントは冷淡そのものだ。ダム建設中止見直しを検討の視野に入れたテーブルにはつかない前原大臣に対して、住民の代表が向けた「頑なな人だ」という言葉を、朝早くから電話取材に応えてくれた地元住民に対してそっくりそのままテレビAの司会者Sが「住民の方も頑なになってますね~。」といってのけたのだ。頑なではなく、陳情をしているのだ、その人は。

自分たちのメディアの取材に対して真摯に受け答えしてくれた一般市民に対して、自分たちの耐えてきた苦しみを吐露しただけの住人に対して「頑な」という一言で締めくくり、相手の電話を切ってしまったのだ。住人の方もなんだかわけの分からないコメントになってしまい「お役に立てずにすみません」と力なくいった。一体A局は何を考えているのだ、一住民に心苦しいを思いをさせて、自分たちの支援する政治団体の片棒を担ぎたいのか。弱い力を持たない、政治に翻弄されやすい住民の声なき声を吸い上げ、正しい世論形成や、政治に反映されるように導くのがマスコミの仕事ではないのか。

最近、テレビAの一貫して流れている政治的背景にマスコミによる統治支配を感じる。あまりにも露骨に、野に下った自民党議員をコケにした発言を繰り返す文化人と称すやからを抱えて自由に発言させているからだ。もちろん、報道番組の司会者やゲストによっても違いはあるが、しかし、文化人気取りの漫画家や芸能ネタで食っている司会者がにわかにこの問題を取り上げ、民主がなぜ、この八ッ場ダムを保有する地域で立候補者を立てなかったのか、いや立てられなかったのか、その意図すら見抜けない民主を擁護する発言を続けているのはまったくもって聞くに堪えないものだ。

マスコミはこの民主党の政治的意図、選挙戦略を見破らなくてはならない。「数にもならない八ッ場ダム周辺の住民には、民主を選ばない権利さえ与えられなかった。」このことを国民はもっと真摯に受け止めるべきだろう。

今後もマスコミ報道のあり方と八ッ場ダムの行く末を見守りたい。

2009年9月19日土曜日

八ツ場ダム凍結問題

 民主党政権が発足し、鳩山内閣が本格的始動したシルバーウィーク直前のこと。

続々と、自民党政権時代との違いを浮き彫りにせんがために躍起だって「公約実現」と称し、手荒な政府の方向転換が行われようとしている。
まあ、勝ったわけだから「公約実現」結構なことではあるが、何せそのやり方が荒っぽい。来年度の予算編成再編に始まり、何と言っても政府の公共事業として50年あまりの歳月をかけて県・町・各自治体の合意を得て工事が半ばまで終わったといわれる八ツ場ダムの工事を中断、凍結した。衆院戦の終盤から、民主党優勢と見た国土交通省が早くも工事業者の落札を中断。「様子を見る」とのこであった。しかし、信じられない思いがするのは、既に大規模の工事が進捗し、それ以前に土地の買収から、町民の移転、墓地の移転まですべて決着が付いていることだ。さらに町の地形や自然も現状復帰できるとは到底思えないからだ。この時点では、意地を通すだけの後先考えない強引な工事中止と思われる。

まだ現場をこれから前原大臣が視察に訪れるというが、町長は「ダム建設中止前提なら会わない」と、
そこまで自治体の長とこじれている。

ある方がくしくも語ったのは、「民主党は、経費削減と投資との区別が付いていない」という言葉だ。そう、NHKでも(土曜夜の番組)新しく若い市長を迎えた自治体が、プロジェクトチームとともに赤字経営を抜本的に改革していくというストーリーのドラマがあるが、そこでも時代錯誤な描き方のような気がするが、公益事業の甘い汁を吸って生きた来た地元ブローカーのような男と、役場のプロジェクトチームとが対立するという構造で描いている。それに加えて若い市長が予算削減派(プロジェクトチーム)と公益事業の継続という板ばさみに真摯に悩むという構図なのだが、やはりそこがNHK。公費削減を推進するプロジェクトが悲劇のヒーローのようにカッコよく正統派のように描かれているのだ。確かに無駄な経費を削るのは大切なことだ。それをしっかりやらなくてはならない。しかし、悪代官のように描かれているブローカーの言うことも一理ある。「希望のない街には誰も住みたがらない」「ビジョンを示せ」である。そうだ、そうだ、と私は思った。次週では、何やらプロジェクト反対派を説き伏せるために市長命令で「削減と同時に街の未来を指し示せ」というのがミッションとして与えられるようだが、このドラマは最後にどう決着をつけるのか。少々、生唾の思いを抱きながら今のところは見ている。

ほんとうは先にビジョンを差し示し、その上で経費の削減(赤字削減)を同時に進めていくことが望ましいのだと思う。

言われてからやるのではほんとうはもう遅い。削減することばかりを考えていては、未来を形作るビジョンや投資が尻つぼみになってしまう。同時に考えつつ、投資と経費のところを分けて考える、頭の切り替えが必要だ。それにはものすごく高い認識力と政治判断、経営能力が要すると思う。しかし、民主は政権政党となった今、その判断を過つことによって国民に多大な損失を生み、日本の経済の繁栄を後退させてしまうことになるのだ。 どうか慎重に物事を進めてほしい。

民主党よ、焦るな!今こそ焦らなくてもよい。300以上の議席を単独で取りつつも急激な舵回しをするということは、自分たちの政権担当者としての実績のなさ、自信のなさが大きく影響しているのだ。何せ、何の実績がなくても「民主」という看板の元で立候補した候補者はフリーターからでも、薬害患者でも議員先生になれるのだ。やや厳しい言い方だが、要は何の実績もないところから、何もやらなければ何もやらなかったと国民の目に映ることを恐れ、極端に過剰な「公約実現」に走っているのが今の民主政権であり、その犠牲になることが予想されるのが八ツ場ダムとその住人だ。ひいては今後の日本の景気そのものが萎縮へと進むだろう。(ああ、もう勘弁して!)

国民の大半は「そんなに言うなら一度民主にやらせてみようか、自民もだらしないしな」から始まったと私は見ている。ほんとうの意味でこの政党を支持してよいのかどうか、は国民はある意味ほんとうには判断できていない状況でもあると思われる。つまりは今は「御手並み拝見内閣」なのだ。あくまでテストケースの。

これ以上長々書いても仕方ないが、とにかく国旗に拝礼くらい出来る人に衆議院はおろか大臣にはなっていただきたい。(泣)

アメリカの民主党なら、アメリカ国旗に忠誠を近い敬礼をするが、日本の民主党は、国旗を破り貼り付け自分たちの党旗を作る。別にリベラルなんじゃなくて、ただの左派政党崩れなんじゃないの?と私は申し上げたい。来年夏の参院選ではもはやマスコミはじめ国民との蜜月は存在しないと思われる。早くも秋風が強く感じられるのは、気のせいだろうか。

2009年9月1日火曜日

民主連合政府・誕生の陰り

 8月30日の衆議院選の当選結果を持ってこの国の責任政党、政府が鳩山民主党政権に決まった。

この衆議院選で、自民は大敗し、新党幸福実現党は、1議席も獲得するに至らなかったが、これもある意味予想の範囲内の結果である。

ただ、日本のマスコミがこの新しく責任政党になった民主党に対して、比較的甘いいや、現時点において大甘な見方を示しているのは、マスコミ人の中の多くの層が左翼的思想を持ち、この民主という名を借りた左翼政権に1票を投じているせいであると思われる。

これはあくまで個人の主観ではあるが、22時代のニュース報道番組や、朝の生番組「生○○」を観ると案外、誰がどの政党を応援していたかは、はっきりと分かってしまう瞬間があるのだ。

それだけ分かりやすいということは、日本のマスコミは正当な評価を各政党に対して与えられていないという証でもある。

話は変って、このところ、アメリカの公的保険の問題でオバマ大統領の支持率が、70%から50%に急落したという。

それもそのはずだろう。この改革は、以前、クリントン大統領時代に、ヒラリーが特別任務につき試みたが、強硬な反対派(国民や業界)に押され実現することはなかった。

アメリカ国民が、この公的保険を嫌う理由は簡単に説明がつく。要は大きな政府になってしまうからだ。
日本ではあたり前になっている公的保険(国民皆保険)だが、それはセーフティーネットの一つではあるものの、所得の低い人の面倒を所得の高い人が多く支払う面倒を見る構図になり、それが過ぎると、アメリカ人の嫌うところの社会主義と変わりなくなるからだ。

つまりは、自分の面倒は自分で見るのがアメリカ的個人主義であり、民主主義の大原則だ。
金融危機で苦しんでいる時に余分な税金を払わされたくはない、というのも本音であると思われるが、基本は、成果主義で、公平に頑張る人を応援する国民柄、個人の努力に関わらず皆平等という考え方には彼らの忌み嫌うところの赤のイメージがつきまとうからだ。

実際にそうだと思う。個人の努力に応じた結果を受け容れる自由を取るか、それとも平等を取るか、と尋ねられたなら迷わず、生粋のアメリカ国民であれば、「私は自由を取る」と大半の人が言うであろう。
その結果が今回のオバマ政権の人気低下につながっているのだ。

ゆえに、ゆえに同じく民主を名乗る鳩山政権にも同じく平等主義、友愛主義が行き過ぎれば、その結果、不人気オバマ政権と同じ筋道をたどることだろう。

それでなくても社民党、国民新党の政治理念のまったく異なる政党の連立政権による混乱が予想される中、この政権を選んだ国民のリスクはあまりにも大きい。

早くもアメリカやイギリスの各経済誌に、鳩山論文が紹介され、その左翼的な政治思想と、アメリカ軽視の政治理念が日本に新たな危機をもたらすことを予言されているのである。※フォーブス誌、ニューズウィーク誌、フィナンシャル・タイムズ紙など。

分かりきった結果(個人的には)ではあるが、鳩山政権が自国日本を国際世界において有利に導けるかどうか、特に安全保障問題において日本にダメージを与えないか、今や政権政党となった民主党にこれまで以上に厳しくその目を光らせていかなくてはならない。

2009年8月28日金曜日

真実が勝利しますように☆

いよいよ決戦のときが来た。

明日一日でこの嵐のような衆議院選挙戦が終わる。
マスコミの国政選挙に対する報道が手薄な中、また、公職選挙法で既存の政党のみが利している今日。新たな戦いを挑み、静かに浸透し始めた新たな政党が命運をかけてその審判を仰ぐ日にもなる。

結果は神のみぞ知る。いや、神だとて人間の気ままな心根に最後までわからないと嘆いておられるかもしれない。

ただ私が願うのは、真実、国民の幸福を願う政治家に勝利していただきたいということだ。己の利害など一切関係なく、党利党略などに一切関わることなく、愚直に政治理念を訴える、心のきれいな政治家にこの世を託したいということだ。


左翼に長く親しまれている皆さん、戦後の日本が核を配備せず今日まで平和に暮らして来れたことを、今だに憲法9条を頑なに護憲で得られたと刷り込まされている人がいたとしたなら、私はあなた方に言いたい。あなたは、日本を愛していますか?日本の未来を考えていますか?日本の未来を真に繁栄させたいと願っていますか? 日本国民の生命はどうですか? 本気で大切な人を守りたいと、思っていますか?


敗戦国日本が、アメリカの覇権によってにわかに(2週間)編み出された憲法を掲げたところで、日本人にとって有利なものではないのは当然のことだ。

さらに60数年たった今、世界のパワーバランスは変化し、憲法の根幹に関わる安全保障問題は、現実に即さなくなってきている。いくら甘えてみてもアメリカの核にも限界があるのだ。

超大国アメリカが国家の危機にある時、日本は成熟した大人の国に変貌しなくてはならない。

それは、世界基準に即した法体制であり、自国の軍隊といえる組織を堂々と有すること。そして憲法9条を始めとする日本を利さない憲法はただちに改正することだ。今からでも遅くない、日本人には主権国家としてその権利を有しているのだから。時代に応じて憲法は改正していけるのだ。

真実日本人は目覚めて、過去の敗北の痛手から自由にならなくてはならない。

うかうかとここで居眠りをしているわけにはいかないのだ。


日本人は、世界の在り方を素直に見て、日本はどうあるべきか、どう進んでいくべきかを、今、ここでじっくりと未来ビジョンを描き、構築していくときに来ている。

この選挙の結果次第でそれが付き従える方向か、それとも日本の経済不況を長引かせ、国防の不安を抱えたまま無策な国家運営者に身を委ねることになるのか。大きな日本の未来に関わる問題だ。


決して、北朝鮮の核ミサイルの脅しや、罪のない人を長い悲しみの淵に落とし込んだ拉致問題で、日本人を一人たりとも危機にさらすことはすべきではない。日本は、あるべき大人の国家の状態を作りださなくてはならない。

それが長引く北朝鮮拉致問題に対する解決の答えであり、北朝鮮の核ミサイルに屈しないということであるからだ。その毅然たる姿は、世界の覇権をもくろむ共産主義国家・中国に対する唯一の抑止力であるからだ。

これだけはいえる。民主党政権は決して日本国民を幸せにはしない、ということだ。左翼政権に擦り寄り、日教組の狂乱に片棒を担ぐ政党など、その存在さえ許されないと私は思う。

たとえ、今回政権をとったところで短命に終わるのは日を見るより明らかだが、日本を危険に導くこの政権にだけは、魂を譲り渡してはいけない。

左翼の手先となって国家主権を譲り渡すかのごとく行動する、日本人の魂と生命を危うくする小沢・鳩山民主政権などに決して政権を譲り渡してなどならないことだ。

日本のために、日本に生まれたきた1億3千万の魂のために。

どうか正しい政策を掲げる政党が、真実が勝利いたしますように。

真っ正直に国民本位の政治理念を掲げる政党が、政治家が、大勝利を遂げますように。

ここに日本の新時代を築いていこう!



2009年8月23日日曜日

日本の国防・安全保障に関する報告会に参加!

 今週末は、池袋メトロポリタンホテルで開催された「理想国家日本を実現する東京大学OBの会」に出席をした。テーマは、「北朝鮮・沖縄・国防・憲法改正」だ。講演会資料として、日本の国防・安全保障に関する報告会としたものが渡された。この日のメインスピーカーは、実話で敵兵(イギリス軍)を救助した日本人の騎士道精神を描いた「海の武士道」の惠隆之介氏だ。


特に今回、出席したかった理由は、主にこの会の主賓である現沖縄担当大臣小池百合子氏の講演が予定されていたからである。

事情を付け加えるならば、その数日前に北朝鮮の日本人拉致問題で方向性が一致したということで、幸福実現党の泉聡彦候補予定者が10区から撤退、小池百合子現沖縄担当大臣を支援に回るという事情があり、合同主賓参加となったため、党派を超えてこの衆議院選を国防・北朝鮮問題に焦点を当て戦うという小池百合子氏の勇姿を見ておきたかったのだ。

小池百合子氏といえば、アラビア語通訳から、テレビ東京のメインキャスターを務め、平成4年には日本新党の比例から初当選した後は、新進党、保守党、そして平成14年に自由民主党に入党と、なんと10年間で4党も渡り歩いてきた政界きっての世渡り上手とも揶揄される女傑である。

このオポチュニストぶり?が世間一般(特に女性有権者)に反感を買ったり、いらぬ憶測を呼ぶこともあるが、なかなかどうして、今回やや要点だけの短い講演ではあったが、直接、ご本人の人となり話を聞いてみると、その熱い国防に対する思い、日本を代表する政治家としての資質に感服する思いがした。

小池百合子氏の国防に対する思いは本物だ。日本でもこれだけ堂々と、防衛論、敵基地専制攻撃の必要性や、自衛隊の在り方にについて、問題定義できる人物は、ことに政権担当政党(自民党)においては、稀有であるといえる。
非常にデリケートにして細やかな配慮が出来る女性らしい一面もそのスピーチの内容から推測できた。そして真に、民主党が政権を握る可能性を排除し、左翼的思想に支配される国家の未来を杞憂している。


特定の政治団体というよりも事ここに来ては、保守党政権にほんとうに頑張ってもらいたい。
その政治生命をかけて、一人ひとりの志ある自民党議員の先生方にも頑張ってもらいたい。
時代錯誤もはなはだしい社民党や共産党と連立を組むことを公言してはばからない民主党政権の誕生だけはこの国の未来のためになんとしても阻止しなくてはならない。


私は、純粋に日本という国家を愛し、ただただ愚直に当たり前のことを当たり前に、国民のためだけを願い公約を語れる政治家を応援したいと思う。
それがこの国の未来の繁栄を決めるのだから。
心に誓って、左翼政権に魂を譲り渡すような政党がこの国の責任政党になどにしてははならない。
させてはいけないのだ、日本の子供たちの未来のために。
ひいては世界のために。

2009年8月13日木曜日

がんばれ!幸福実現党!!!



選挙だ!公示まであと5日。
これ以上ないという日本起死回生の政策を掲げる幸福実現党が昨日、今日
と大揺れに揺れた。
一部報道で見聞きしている人も多いと思うが、公式発表はこうだ。
「幸福実現党の出馬により、保守党である自民と投票を二分することになる。
ひいては、断じて国政をゆだねることが出来ない民主を利し、民主圧倒という
シナリオに加担することになることを恐れ、あえて身を引くという選択もあるの
ではないか」と。こうしたことが終日、党幹部内で議論されていたのだ。

8月時点において、十分会外に広く幸福実現党を浸透させるに至らなかった
点を踏まえ、このまま戦いを続けるよりは、自民に加担、連携する方が得策
ではないか、との意見が強くでたという。
大川隆法総裁の体調不良も大きな要因として全衆議院選撤廃論まで出て
いた。
しかし、本日午後、大川隆法総裁の信者への愛と熱意によって、また、会員
諸氏のこれまでの国政選挙に対する熱い念いを受けて再度頑張ろう!と、
もう一度仕切りなおし、戦おう!ということになったそうだ。(拍手!!)
まずは、ほっとした。その勇気に拍手だ!!


残すところ5日、まだまだ保守勢力との連携などを踏まえて、戦略を見直して
いるとのコメントが公式サイトには出ていたが、いずれにしても既に1歩も2歩
も大きく踏み出したことには間違いない!
幸福の科学で学んだ日本の未来を憂える心ある信者とそのシンパ、賛同者
一人一人の心が、力が大きくうねりはじめている。
賛同者を募り歩く日々、その成果が出るのはまだまだこれから先のことかも
しれない。しかし、日本人の良心を信じ続け、幸福実現党はあくまで愚直に
訴えかけ続ける。
どうか、これを読んだ人には、新政党「幸福実現党」の力を信じて応援して
ほしい。

幸福実現党の主政策は以下のとおり。(2009年8月)

1、大減税による消費景気で、日本を元気にします。
2、北朝鮮の核ミサイルから、国民の安全を守ります。
3、積極的な人口増加策で、2030年にGDP(国内総生産)世界一を実現します。

他にも景気拡大のためのあらゆる政策や、「日本の繁栄」という国家ビジョン
を 強く打ち出した政策を掲げている。正統な防衛のための憲法改正や、人口
増加政策、リニアモータカーなどによる交通革命、農業の自由化、基幹産業
を育て数百万万人の雇用を作り出す、日本は夢の未来に突き進む。
希望に満ちた明るい政策ばかりだ。

決して無責任政党にはならない!その信用力は大川総裁のこれまでの歩み
であり、「自助努力」=「セルフヘルプ」という言葉通りに人生を歩み続け、
これまで多くの人々を幸福に導いてきた幸福の科学グループ大川隆法総裁
の創設した政治団体であるから故である。

ガンバレ!幸福実現党!!負けるな幸福実現党!!!

どんなときにも雨の日にも風の日にも台風の日にも、地鳴りがするような
日にも、すべての逆境を逆手にとって勝ち抜く団体たれ!!!

必ずやこの先勝利の女神がほほ笑えんでいるだろう。











2009年8月11日火曜日

今日も…

世の中に偏見を持つ人は多い。

人は皆、自由意思というものを神仏から与えられた存在であるから、
様々な環境に生まれ、色んな修行課題が与えられている存在だから、
あなたがどう考えても心の中は自由だ。

宗教を否定する人や、日本国憲法をご本尊か何かのように後生大事
に護憲しなくてはならないものと刷り込まれている人がいる。
政教分離という言葉をあたかも生まれる前から知ってたみたいな顔を
して自分の刷り込みが間違いかもしれないとほんの一瞬でも思うゆとり
のない人がいる。
そんな人の言葉に何を言われても平気さ、ただちょっと、悲しいというか、
人として違和感を感じるんだな…。


あなたが数十年生きてきて、自分ひとりで考えてきたわけではない。
色んな思想や教育の影響を受けながら育ってきた。
そうして刷り込まれてきた考えは正しいですか?

たとえば宗教の中にはその正当性を信じて迫害を受けても、信仰を
捨てない強さや頑強さを持っている人は結構いる。私もその一人だ。

しかし、誰かに真摯に「私はこういう信仰を持っておりまして…。
こういった ことで信じておりまして…」と正直に愚直に話しを切り出さ
れたのなら、誰が その人のことを悪しざまにできるだろうか。

例え自分と同じ信仰観でなかったとしても、たとえ自分と相容れない
信仰を 持つ人であったとしても、私ならその人がなぜ、信仰を持つに
至ったか、 私は、その人に興味を持つと思う。
どれだけ踏み込むかは別の話だが。

「キリスト教であれば構わないが、新興宗教の信者であるならばお付き合
いは できない」とはっきり言われた。「当社のブランドに合わないので」と、
おっしゃる人に今日あった。
私は、その束縛された思考に、世間の価値観に悲しみを感じる。
あなたの価値観、絶対ですか?世間のその価値観、変わらないですか?

私は、変わることを信じる。この世の中にたった一人になったとしても正しい
信仰 について探求する。信教の自由や憲法問題、教育問題、そのほかの
民族や国家、 宗教間の統合について、世界の政治の在り方について。

この世の幸福について研究する。具体的な方法論について、真理について
探求する。

あなたが今日思ったこと、考えたこと。それは必ずしも明日も来年も、5年後も
10年後も同じではない。

人智を遙かに超えた世界で、世界必ずより良い方向に向けて動いているという
ことを私は信じる。

頭を柔らかく、そしていついかなるときにもその時が来るかもしれない ということ
に恐れをもって。

今日も明日もしなやかに生きていこう。

2009年8月8日土曜日

日本に国家ビジョンと戦略を

何といっても今の日本の政治の最大の負は、「国家ビジョン」と「国家戦略を持たないこと」だと思う。

「国家ビジョン」、「国家戦略とは何か」、というと、国の未来をデザインし、その方向に基づいて国家を繁栄に導いていくことだ。政府・国家は、日本国民の幸福を最大限に優先し、国を繁栄させる。そして、外国からの脅威に日本国民を守るということ、その国家の義務を果たすのが政府の役割だ。
そのために明確な国家ビジョンを持ち、国家戦略を立てるということが必要なのだ。

しかし、その当たり前のことがこの国ではまともに議論さえなされていない。ここでは詳しくは述べないが、戦後レジュームの脱却と安倍元総理が声高に叫んでいたのはもう2代も前の総理の事。
今では、もう誰も憲法改正問題に触れる気概のある政治家はいなくなった。高邁な国家ビジョンや戦略よりも目先の財源論争が先なのだ、この国では。

しかし日本には、戦後の繁栄を享受する国として、民主主義が根付いた開かれた国として、果たすべき国家としての大きな役割があるのではないだろうか。

なぜなら、日本の同盟国アメリカは、今、確実に衰退の一途をたどっている。前世紀までのアメリカは、世界の中の警察として、民主主義を謳歌する大国としてその役割を担ってきた、そのリーダーシップゆえに世界は3度目の大戦を迎えることなく今日までを過ごしてこられたのだ。

しかし、イラン・イラク戦争、アフガニスタン内乱を契機に中東地域との戦いにおいてアメリカは疲弊した。 ブッシュ政権下でイラクの核兵器は見つからず、実際には数万単位の戦死者を出していたという。 9・11の首謀者ビンラビンは今だ発見されることなくテロリストからの脅威に開放されたわけではない。

加えて昨年からの金融危機。こうした状況下で確実にアメリカは、以前の大国らしさを失い、その誇りを捨てて、自国のことのみに汲々とし、世界の警察としての役割を放棄し始めている。

その直近の例が北朝鮮問題だ。対話路線とでもいうのか、アジアの盟友日本が、北のミサイルの脅威にさらされているにも関わらず、友愛外交よろしくクリントン元大統領を密使で送り込み、アメリカ人記者二人を連れ帰ることに成功はしたものの、不正な行為(核実験や日本へのミサイル発射)に対して厳罰に対処することはなく、あくまで穏便に自国に直接的に降りかかる問題のみ解決されればればそれでよしとするオバマ大統領の心根が感じ取られるのだ。

世界の警察としての役割を20世紀に果たしたアメリカ、このアメリカが弱体化したとき、こうした自体は決して国際社会に平和と安全をもたらさないと思う。

今、この静かなひと時が嵐の前触れを感じさせる。この異様なまでの静けさは、アジアにとって新しい危機の到来の前夜だったと後に言わしめるかもしれないのだ。 アメリカが巨大マーケットの中国に擦り寄り、同盟国日本が、政治的混迷の中でさまよっているとき、世界は一瞬暗闇となる。

日本が自覚しようがしまいが、世界は新しい波に乗って、新しい潮流の中を進んでいく。その次なる光を探し求めているのも真実だろう。まだほの暗い明かりが差してきたくらいの混沌の中で。日本という国は大きな責務を負っている。世界の国々、新たな光を渇望する世界の人々に対して。

世界の灯台とも言うべき日本という灯りはこれからどんどんどんどん大きくこの世界を照らし始めるのだ。 幸福という名を冠した政党が現れ次なる日本のあるべき姿、そして国家ビジョンを打ちたて、その聖なる念いが勝利するとき、日本は変わり、世界は変わる。 だから出でよ新しい気概のある政治家。

そしてその時、日本は、世界に冠たる主権国家としてその実力を遺憾なく発揮することができるのだ。

どうかその光を一人でも多くの人に見出してもらいたい。
その光はいつも身近にある。その光をみようとするか、それとも見過ごすか。
それはすべての日本人の自由に委ねられている。

2009年7月19日日曜日

幸福を実現するフォトジャーナリスト

幸福を実現するフォトジャーナリストのブログ

ちょっと変わったタイトルだが、新しい視点でフォトジャーナリストの仕事を提案してみたいと思う。役に立って新しい、出来れば付加価値を生み出すような仕事をこのブログを通じて提案してみたい。
そして、今の世の中に幸福を生み出すための手段としてフォトジャーナリズムというものがあるということを提言していきたいと思う。個人と公の間を行ったりきたりしながら…。
『幸福』というキーワードを使って、そして、『幸福を生み出す』という仕事に言論・執筆の自由を使ってみたい。

ジャーナリストの仕事がもっと明るくポジティブなものでなりますように。
言論の自由が無責任の自由になりませんように。
そしてどうかこの仕事を通じて希望を見出すことができますように。
それがミッションであるよう祈りをこめて。