2009年8月11日火曜日

今日も…

世の中に偏見を持つ人は多い。

人は皆、自由意思というものを神仏から与えられた存在であるから、
様々な環境に生まれ、色んな修行課題が与えられている存在だから、
あなたがどう考えても心の中は自由だ。

宗教を否定する人や、日本国憲法をご本尊か何かのように後生大事
に護憲しなくてはならないものと刷り込まれている人がいる。
政教分離という言葉をあたかも生まれる前から知ってたみたいな顔を
して自分の刷り込みが間違いかもしれないとほんの一瞬でも思うゆとり
のない人がいる。
そんな人の言葉に何を言われても平気さ、ただちょっと、悲しいというか、
人として違和感を感じるんだな…。


あなたが数十年生きてきて、自分ひとりで考えてきたわけではない。
色んな思想や教育の影響を受けながら育ってきた。
そうして刷り込まれてきた考えは正しいですか?

たとえば宗教の中にはその正当性を信じて迫害を受けても、信仰を
捨てない強さや頑強さを持っている人は結構いる。私もその一人だ。

しかし、誰かに真摯に「私はこういう信仰を持っておりまして…。
こういった ことで信じておりまして…」と正直に愚直に話しを切り出さ
れたのなら、誰が その人のことを悪しざまにできるだろうか。

例え自分と同じ信仰観でなかったとしても、たとえ自分と相容れない
信仰を 持つ人であったとしても、私ならその人がなぜ、信仰を持つに
至ったか、 私は、その人に興味を持つと思う。
どれだけ踏み込むかは別の話だが。

「キリスト教であれば構わないが、新興宗教の信者であるならばお付き合
いは できない」とはっきり言われた。「当社のブランドに合わないので」と、
おっしゃる人に今日あった。
私は、その束縛された思考に、世間の価値観に悲しみを感じる。
あなたの価値観、絶対ですか?世間のその価値観、変わらないですか?

私は、変わることを信じる。この世の中にたった一人になったとしても正しい
信仰 について探求する。信教の自由や憲法問題、教育問題、そのほかの
民族や国家、 宗教間の統合について、世界の政治の在り方について。

この世の幸福について研究する。具体的な方法論について、真理について
探求する。

あなたが今日思ったこと、考えたこと。それは必ずしも明日も来年も、5年後も
10年後も同じではない。

人智を遙かに超えた世界で、世界必ずより良い方向に向けて動いているという
ことを私は信じる。

頭を柔らかく、そしていついかなるときにもその時が来るかもしれない ということ
に恐れをもって。

今日も明日もしなやかに生きていこう。

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