2012年9月30日日曜日

経済支援の名のもとに中国共産党に犯されるアジア、そして日本へ



昨日、2012年9月29日の産経新聞国際面では、「中国の圧力に抵抗」と題して、チベット亡命政府による国際社会の支援要請について言及していた。

近年、中国のアジア近隣諸国に対する侵略行為が国際社会においても明るみになり、人権侵害国家であることが知られるようになったが、事の始まりは、1949年10月中国共産党政府が樹立されたことに端を発する。

翌年にはチベットに侵攻。独立国家として抵抗を試みるも、文化大革命時には6千を越える僧院と膨大な数の宗教芸術品が破壊された。また今日に渡って最大の迫害ともいえるのが、チベット人の政治的自由と言語、文化を奪い、中国の一自治区としたことだ。漢民族の大量移入による民族浄化は歴然とした事実であり、抵抗した女性が公開処刑されるというショッキングな当時の写真がマイケル・ダナム著『中国はいかにチベットを侵略したか』山際素男訳(講談社インターナショナル) に掲載されている。



その抵抗はどれほど激しいものだったか。

ダライ・ラマ14世は友好的だったインドに逃れ亡命政府を樹立するが、チベット民族の学究の中枢である僧院には、中国当局の「工作隊」が駐在し、力ずくで僧や尼僧に政治的・宗教的信念の「愛国再教育」をしていると、ダライラマ法王代表部事務所公式サイトでは明言している。しかし、60年を経た今日においてもなんら中国政府とチベット亡命政府との間では対話が行われることなく、普遍的な自由とチベット特有の文化を守ろうとする人々や僧侶によって焼身自殺という激しい抗議が続発しているのだ。


その間にも中国は旧東トルキスタン(現ウイグル自治区) をはじめ、内モンゴル、そして、世界で最も国民総幸福量が高い国として有名になったブータン王国においても、チベット自治区と隣接する兵庫県程の国の面積18%が中国人民解放軍によって中国領になってしまったという(国際紛争で明るみになったのは2005年、2006年にブータン政府正式発表)。

何ということだろうか。

「中国・ブータン国境地帯の平和と安定を保つ協定」を1998年12月に締結した両国は、国境線もその際に画定。しかし、中国はその後、境界線付近で「チベットを含む西中国の経済発展のため」として道路工事を行い、ブータン政府も管理が甘かったのか、役人が裾の下を握らされたのかいつの間にか中国領に編入されていたのだそうだ。1万人程度とされるブータン国王軍に224万人を擁するという軍事大国(しかも核兵器を開発済み)にいったいどんな対抗措置がとれるといえようか。

あまりにも隣接しているためか、直接的な争いを避け国際社会にもほとんど訴えることなく、今日のシグミ・ケサム・ナムゲル・ワンチュクブータン国王の控え目な外交活動は行われている。



一方、この手の中国による卑怯な国際貢献の名目によって、間接的な中国自治区にならんとしている国家がある。アジアの最貧民国であるラオス人民共和国だ。総工費70億ドルを見積もるラオスの国家的プロジェクト『高速鉄道建設』は中国が受注しており、中国共産党のビジネスモデルである経済特区+外資導入+賃借権”を国境のみならず全土で展開しているそうだ。5万人の中国人労働者に、中国製品が氾濫するラオス。同国の識者によれば、「大多数のラオス人に現状、高速鉄道は無用の長物」、「粗悪な中国製品と中国人が今以上になだれ込んでくるだけ」と同プロジェクトに否定的だという(川添恵子著 月刊SAPIO2011年7月20日号を参照)。

しかしもはや政治的に入りこまれているとしか言いようのない憶測を覚える。その手口で今度は、ミャンマーにも手をかけ始めているのだから。ビルマの安定的民主化への道を模索するアウンサン・スーチー氏は、”同国の援助によって軍事政権が長期化する”として懸案を示している。実際は、中国進出のみならず、「安易な経済協力を望まない」として現政権との経済協力にばかりに目を向けがちな先進諸国に自重するよう呼び掛けているそうだ。



政治が不安定な国に対してあえて『手を貸しますよ』と働きかけてくる近隣国(ましてや軍事国家)に対してどれ程の信用がおけようか。

かくいう日本は、昨今の中国との冷めた関係が「政冷経冷」と取沙汰されることが多くなったものの、まだまだビジネスを中心に世界をみる人々にとっては中国は捨てがたい、魅力を兼ね備えた大国であることだろう。

しかしそろそろ日本人も本気を出して近隣諸国や日本のみならずアジア全体の幸福のために行動しなくてはいけない時にきている。海洋国家であったため、これまで「近隣諸国に侵攻されることはないだろう」と安穏としてきたことがまったく通用しない時代になってしまったのだ。
尖閣諸島をはじめとする領海権から脅かされることになってしまった。

日本政府が小さな手立てを打って国際社会に働きかけとしてもこのままのアピール力では大した効もなく、いずれは軍事的行動に出なくてはならない日が来ることだろう。恐るべき中国帝国主義の分子をこれ以上アジアの国々にばらまくことはもはや許されることではない。今まで平和憲法の名のもとに世界が平和であるかのような錯覚を抱き、グローバル化といえども国内向けのマスメディアの情報よって踊らされてきた日本。本来は、政治的思想的信条を共有する国家、またはそれを目指している発展途上国に対してこそ援助し、日本は同盟を結ぶべきであるのだ。


次の政権交代では可及的速やかに憲法改正を行い、自分たちの国を守れる国家に生まれ変われるよう左翼政権から真正保守に政権を奪還していく。

そして、英雄願望ではなく改めて一人の人間として、執筆家として、この国のマスコミが正しい報道をなせるように促していくこと。そして自分の活動領域を拡大し、正々堂々と論陣を張り、左翼(中共より)に対して論破していく自分でありたいと思う。

さまざまな角度から自身のできることを問い直し、また日々ご愛顧頂いている皆様のご協力を賜りながら、共に協力しあっていければ幸いと考える次第である。 

2012年9月23日日曜日

「うちには宗教がない」とつぶやく子供

最近、日本を取り巻く周辺諸国(尖閣問題など)もあってか、海外プレスによれば日本は右傾化している、もしくは中道化路線になってきているそうだ。

そのことは、日本のマスメディアで紹介されるよりもネットでみる保守派の言論や、twitter、facebookでも盛んに議論されていることからも明らかであるのだが、日本人の感情の奥に眠るものは何か。

そうした国防だとか明確な保守の意識がなかったとしても「日本人の本心、善なる心」として、我々日本人の健やかなる繁栄を願い、無私なる心で日々祈ってくださっている天皇陛下(天皇家)への思慕、日本人のルーツへの回帰があるのではないだろうか。

今まで若い世代を含めて言葉に出せなかった素朴な日本人の宗教的感情の一つが沸々と湧き上がってきている、地熱のようなものを私は感じ始めている。

マザー来日時の通訳も務め、クリスチャンで教育者、執筆家である渡辺和子氏の書籍「愛をこめて生きる」の一節には、家庭内暴力を始めた子供を心配し、氏を訪ねた親子の話が載っている。その子が落ち着きを取り戻し始めたころ、両親が「なぜあのようなことをしたのか」と尋ねたら、男の子は、「うちには宗教がない」と、つぶやいたそうだ。

 私自身、その言葉の意味が胸に迫る。
家庭内に宗教のあることの大切さを実感している一人だ。

幼少期はミッション系の幼稚園で過ごしたが、小、中、高は公立学校。ただし、高校時代はミッション系の幼稚園で3年間を共に過ごした仲間と再会。皆、公立校当時は、宗教的な会話はしなかったが、それぞれに大学などを卒業した後、アメリカやヨーロッパ、インド(コルカタ)に渡りクリスチャンや、その他の信仰を持つに至った。

本当に「三つ子の魂百までも」というのは真実なのだ。
当時、幼かった私は経済的にも恵まれ、洋の東西を問わず偉人の成したことを尊敬する、かつ神道の神棚に仏壇、マリア像にキリスト像を置く、信心深い両親に育てられた。このことは私にとっては奇跡ともいえる、有難い人生の一コマであった。

振り返れば自分を見失い荒れ果てた人生をまさに送ろうとしていた自分が、その後、周囲の助けを得、宗教的真理を得たことは神の見えざる手業だったのかもしれない。自暴自棄から自殺することや、大きな事故に合い死んでいたことも考えられたのだ。

宗教はすべてが正しいものとは思わないし、信心だけすればよいものとは思わない。

それでも古今東西の偉人と言われるイエスやブッダ(インドや日本にも存在する民族神の存在も)、その教えや存在を信じ、自国をまとめ上げた歴代アメリカ大統領に、無抵抗非暴力主義を説いたガンジー、神の使徒として生きたマザー・テレサ。彼らの信仰による努力は決して空しいものだったとは言えないだろう。その志は後継者をは育み、アメリカという20世紀最大に繁栄した国家を生み出した。さらに今日では欧米やインド、日本で学びビルマ(ミャンマー)民主主義化のために戦い続けるアウンサンスーチー氏は、日々、小乗仏教の修行(毎朝の精神統一や祈りなど)を続けていると聞く。

人間には自然権としての”信仰する権利”を持ち合わせているのだ。


前述した子供がぽつりと漏らした「うちには宗教がない」は、誰もが素直な心になれば、宗教というものはかくも人間の希求する自然な欲求であり、共に生きていくことが当たり前の存在なのだということに気づかせてくれる言葉である。

信じるところに人間の人間たる神秘、普遍性があり、それこそが自分の心の声に素直に傾け、懸命に生きる人間の正しい姿ではないのだろうか。

日本人の右傾化とは、まず、至極当たり前の信仰という感情を取り戻すこと(神道に限らず)にあり、自ら決して否定するものではない、と私は思うのだ。

多くの日本人がまだ自覚していない宗教的真理はいたるところに隠されているのかもしれない。
取り戻すべきは根本的に「信じることの大切さ」である。

そして私たちは決してひるむことなく、自虐史観や反日思想から日本を解放すべく、戦い続けなくてはならない。

もっと言えば強い信仰心さえ日本人が持てば主権を脅かされない、強い日本を海外に示せるのではないかということだ。その時に国教となるべき宗教については言及はしないが、日本はキリスト教国でありながら多様な宗教を合わせ持つ、ブラジルのような複合型宗教国家が望ましいのではないかと考えている。もちろん日本はブラジル以上になれる国である。予想をはるかに超えて自由闊達でありながら、保守の理念と合致する創造的な国家が創られる可能性もある。

小さな一言が人間の根本にあるものをあぶり出し、その後の人生を大きく変えることもある。


同時代に生きる日本人同士が愛し合い、シンプルにともに歩める未来を考えるきっかけになれば幸いである。

拙文お許しいただければ幸いである。

りせっとかふぇにてリセットされる吾輩




















りせっとかふぇにてリセットされる。
薬膳スープやアートセラピー(アートワークアイス)を提供して くれる藤沢りせっとかふぇ。
取材に応対してくれたスタッフ和田さんに完全に一目ぼれ。飾り気のないボーイッシュな雰囲気に何とも言えない穏やかな笑顔。しかもお客様一人ひとりに心のこもった笑顔で接する。サービスを超えた応対といえるのではないか。

「あー、こんな笑顔で人を受け入れる女性が世の中にはいたんやなぁ。」って久々に感動した。本当に癒し系カフェって名 ばかりじゃない心のこもった対応のもできるスタッフがあってこそだもの。

控え目だけど芯のある優しさ感じさせる日本女性ってやっぱり美しい。(和田さんは褒めると顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたけどそこもかわいい、女性らしい美徳です^^)

ちなみに6つのスープから体質別に選べる薬膳の写真はこちら。↓

 

















藤沢の飲食店のレベルの高さに脱帽な名店取材の一日でした。
ちなみにその他の素晴らしいお店の一つ一つは住宅ポータルサイト「itot」で紹介されております。 よかったらググってみてくださいね。愛すべき名店さんいっぱいありましたよ。