2012年9月23日日曜日

「うちには宗教がない」とつぶやく子供

最近、日本を取り巻く周辺諸国(尖閣問題など)もあってか、海外プレスによれば日本は右傾化している、もしくは中道化路線になってきているそうだ。

そのことは、日本のマスメディアで紹介されるよりもネットでみる保守派の言論や、twitter、facebookでも盛んに議論されていることからも明らかであるのだが、日本人の感情の奥に眠るものは何か。

そうした国防だとか明確な保守の意識がなかったとしても「日本人の本心、善なる心」として、我々日本人の健やかなる繁栄を願い、無私なる心で日々祈ってくださっている天皇陛下(天皇家)への思慕、日本人のルーツへの回帰があるのではないだろうか。

今まで若い世代を含めて言葉に出せなかった素朴な日本人の宗教的感情の一つが沸々と湧き上がってきている、地熱のようなものを私は感じ始めている。

マザー来日時の通訳も務め、クリスチャンで教育者、執筆家である渡辺和子氏の書籍「愛をこめて生きる」の一節には、家庭内暴力を始めた子供を心配し、氏を訪ねた親子の話が載っている。その子が落ち着きを取り戻し始めたころ、両親が「なぜあのようなことをしたのか」と尋ねたら、男の子は、「うちには宗教がない」と、つぶやいたそうだ。

 私自身、その言葉の意味が胸に迫る。
家庭内に宗教のあることの大切さを実感している一人だ。

幼少期はミッション系の幼稚園で過ごしたが、小、中、高は公立学校。ただし、高校時代はミッション系の幼稚園で3年間を共に過ごした仲間と再会。皆、公立校当時は、宗教的な会話はしなかったが、それぞれに大学などを卒業した後、アメリカやヨーロッパ、インド(コルカタ)に渡りクリスチャンや、その他の信仰を持つに至った。

本当に「三つ子の魂百までも」というのは真実なのだ。
当時、幼かった私は経済的にも恵まれ、洋の東西を問わず偉人の成したことを尊敬する、かつ神道の神棚に仏壇、マリア像にキリスト像を置く、信心深い両親に育てられた。このことは私にとっては奇跡ともいえる、有難い人生の一コマであった。

振り返れば自分を見失い荒れ果てた人生をまさに送ろうとしていた自分が、その後、周囲の助けを得、宗教的真理を得たことは神の見えざる手業だったのかもしれない。自暴自棄から自殺することや、大きな事故に合い死んでいたことも考えられたのだ。

宗教はすべてが正しいものとは思わないし、信心だけすればよいものとは思わない。

それでも古今東西の偉人と言われるイエスやブッダ(インドや日本にも存在する民族神の存在も)、その教えや存在を信じ、自国をまとめ上げた歴代アメリカ大統領に、無抵抗非暴力主義を説いたガンジー、神の使徒として生きたマザー・テレサ。彼らの信仰による努力は決して空しいものだったとは言えないだろう。その志は後継者をは育み、アメリカという20世紀最大に繁栄した国家を生み出した。さらに今日では欧米やインド、日本で学びビルマ(ミャンマー)民主主義化のために戦い続けるアウンサンスーチー氏は、日々、小乗仏教の修行(毎朝の精神統一や祈りなど)を続けていると聞く。

人間には自然権としての”信仰する権利”を持ち合わせているのだ。


前述した子供がぽつりと漏らした「うちには宗教がない」は、誰もが素直な心になれば、宗教というものはかくも人間の希求する自然な欲求であり、共に生きていくことが当たり前の存在なのだということに気づかせてくれる言葉である。

信じるところに人間の人間たる神秘、普遍性があり、それこそが自分の心の声に素直に傾け、懸命に生きる人間の正しい姿ではないのだろうか。

日本人の右傾化とは、まず、至極当たり前の信仰という感情を取り戻すこと(神道に限らず)にあり、自ら決して否定するものではない、と私は思うのだ。

多くの日本人がまだ自覚していない宗教的真理はいたるところに隠されているのかもしれない。
取り戻すべきは根本的に「信じることの大切さ」である。

そして私たちは決してひるむことなく、自虐史観や反日思想から日本を解放すべく、戦い続けなくてはならない。

もっと言えば強い信仰心さえ日本人が持てば主権を脅かされない、強い日本を海外に示せるのではないかということだ。その時に国教となるべき宗教については言及はしないが、日本はキリスト教国でありながら多様な宗教を合わせ持つ、ブラジルのような複合型宗教国家が望ましいのではないかと考えている。もちろん日本はブラジル以上になれる国である。予想をはるかに超えて自由闊達でありながら、保守の理念と合致する創造的な国家が創られる可能性もある。

小さな一言が人間の根本にあるものをあぶり出し、その後の人生を大きく変えることもある。


同時代に生きる日本人同士が愛し合い、シンプルにともに歩める未来を考えるきっかけになれば幸いである。

拙文お許しいただければ幸いである。

1 件のコメント:

  1. 私も西の果ての地で、幼稚園時代カトリックでした
    http://ameblo.jp/yonohanashi/
    http://ameblo.jp/nteeth/
    こんな感じの所でした。

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