2014年2月24日月曜日

真央ちゃんのオリンピックが終わった!

ああ、もうもうほんとにドラマチックだったソチオリンピック。

メダルに届いた選手もメダルには届かないまでも熱いドラマを届けてくれた選手たちに感謝したい。
一人ひとりのことをほめたたえたい気持ちでいっぱいだけど、やはり人間としてその真価をみせてくれたのは(個人的にはですが)、大好きなフィギュアの浅田真央選手だ。私は彼女がシニアデビューしたときからの大ファンだった(いたいけな彼女のお母さんになってあげたいという気持ちになることもあるほどだ)。

 


ソチに向けてJALの特別機やバスなどに特大で描かれた真央ちゃん。マスコミはもちろんのこと、政府関係機関に、フィギュア連盟、スポンサーなど、ありとあらゆるところからの”期待という名のプレッシャー”が浅田選手の細い肩にかかっていたことだろう。


加えてロシアという開催国。テレビで観ていても独特の聴衆の雰囲気に圧倒されるほどだった。
とりわけアジア人によるフィギュアに対しては厳しい目があるなか、完全アウェーで戦いぬくのはどれほどの怖さだったことだろう。

 


決して心地よいとは思えない集合想念のなかで戦ったせいか、これまでミスなく滑れていた日本人選手たちがことごとくミスを連発した。ショートでは羽入選手がノーミスで過去最高得点を、フリーでは浅田選手のみが(厳しいジャッジだったため成功とはみなされなかったジャンプもあるが)自己ベストの演技をやってのけた。
 


「なぜ、ここで?」というタイミングでミスを繰り返した日本人選手たち。
きっと心優しく繊細な選手たちは、自分たちにかかるプレッシャーに加え、あのソチの空気にのまれてしまったのだろう。

そんな中、自身でもこの4年間目標としてきた金メダルに遠く及ばなないまでも、たった翌日1日で、あの完璧ともいえるフリーを滑りきり、日本国中をいや、世界に感動を呼んだ浅田選手には本当に頭が下がる思いだ。

聞けば海外の一流アスリートをはじめ、浅田選手と関わったスタッフ関係者は皆彼女の虜になってしまうという。言葉を超えてその生き様で、誠意あふれる自分と向き合う姿勢に、われわれの心は揺さぶられずにはいられないのだろう。

もちろんほかの日本のアスリートたちも、10代で金メダルを取った選手たちもみな素晴らしかったが、いつの間にかわれわれ日本人は、「これぞ真のサムライ」と呼ばれるような素晴らしい女性を、宝物を授かっていたのだ。


本当に今回のオリンピックはメダルではない、メダルが取れなかったからこそ、意味のある何か、目にはみえないストーリーに気づかさせてくれたようにも思う。

フリーの演技を滑りきった後の浅田選手の涙は、今年一番の全国民レベルで「共感」という言葉を味わせてくれた瞬間ではなかっただろうか。

今後も浅田選手の幸運を祈りながら、こういうオリンピック選手たちと同時代に生まれ、その生き様を垣間見ることができたことに感謝したい。

これでソチオリンピックは終わっていくけれど、日本の快進撃はこれからなのだと信じたい。
そして自分自身の人生も本番はこれからだと・・・。

 

2014年2月20日木曜日

永遠の0を観た

やっと観に行けた。
ご多分にもれず、泣いた。

映画館は平日の日中にも関わらず、品のよさそうな年配の方から、比較的若い世代も多くて、若い男の子が映画が終わってしばらく経っても目をこすっていた。

私の涙が最初こぼれたとき、実はみんな同じ場面ですすり泣くというシンクロが起きた。日本人同士、日頃はどんなに希薄に見えても目に見えない縁で繋がれているんだね。

う~ん。
脚本の素晴らしさ。戦後70年経ってようやく今、こうした映画ができたこと、各新聞社朝日も日経も協賛としてかかわってこんな映画が撮れたんだなって、最初のテロップを観たときから感慨深いものがあった。
 
  

映画はなんというか、独特の空気感が流れてて、
特に岡田准一扮する宮部久蔵が束の間横浜の自宅に帰って、家族とくつろいだとき。
自宅の玄関や、内風呂のあるしっかりとした日本家屋、家庭の象徴であるかまどのある光景など、何もかもが嘘のような静けさで、それが怖いほど昔の日本人の凛とした佇まいを漂わせてていた。

葬式を終えて、宮部の孫たちが戦友たちに話を聞いて回ったとき、それぞれに設定された空間は、時間が止まったような映像感覚で、まるで異次元空間に引き込まれたような気持ちになった。
私にとっては、これまでに観たことのない、純然たる日本を表した映画なんだなって初めて、そんな風に思える映画だったんだ。

だから、すごく新鮮で、この世ではない別次元に自分がいて、あの世のスクリーンを通してこの世をみているような、そんなイリュージョンな感覚だった。



戦中・戦後という歴史が、同時代に交錯する。そして、日本人として連綿と続く存在の不思議さよ。

かつて流れた太平洋戦争という歴史を、その時代の先祖の生き方として俯瞰して見れるとき、人は、生命を受け継いだ孫たちは、おじいさんたちのつないでくれた生命を、その歴史の重みを肌身を持って感じずにはいられないんだ。

だから、観ているこちらは、三浦春馬扮する孫の立場になってみえてくる。尊い先祖の犠牲の上に自分たちの生命の継承が、繁栄が成り立っているんだって。口幅ったい言い方だけど、「日本人として国を守りたい」、「愛する家族を守りたい」という気持ちに守られ、支えられ続けてきたんだなって実感させてくれる。

本当に戦前の日本人たちは偉かった。

ありがとう、おじいさん、おばあさん。

魂を失なったかのような殺人事件や人間関係のトラブル、仕事上の熾烈な利害関係の争い。
現代に生きる日本人が全員この映画を観られるような時代になればきっと、この社会も日本という国も変わっていることでしょう。

いくらでもない利己的な欲望の赴くままに、与えられた生命を生きることをよしとはしない、そんな価値観が芽生えてくることをきっと多くの人が実感できるのではないでしょうか。

そして、世界中の人にみてもらいたい。

太平洋戦争という時代を生きた、誇り高い、強い責任感と愛を胸に秘めた日本人の姿を、多くの人に知っていただきたいと思います。

 


この映画が長く上映され、NHKでもいつか放映される日が来ることを願ってやみません。

一人の日本人として、この映画がこの時代に製作されたことに感謝いたします。

2014年2月16日日曜日

失われた宗教、道徳教育の果てに中国が得たものは・・・

あまりにも怖い現実なので早めにアップしておきます。

タイトルは「6歳児の夢。銃があればママを殺したい」。
中国の3世代に渡る共産党一党独裁の影がここまで子どもに深刻な影響を与えているとは・・・。
人間にとって大切なことはやはり、心の教育です。人間の根源的な優しや同情心、人間としての尊厳を教える宗教や道徳が人間には必要なんです。人間を国家の従属する奴隷、モノのように扱えば、どんな人間ができていくか、想像に難くありません。中国共産党が存続する限り、中国人は、大切なものを失ったままに家畜のように活かされ続けるのかもしれません。

この番組を制作されたNtdtv、コメントを寄せられた朱欣欣さん。中国の心ある方々に敬意を表します。http://buzznews.asia/?p=15

近くて遠い国、中国ですが、我々も何ができることがあればやっていきたい。
中国共産党の一党独裁支配から一刻も早く、中国人、ウイグル人、トルキスタン人、アジア近隣諸国の皆様方がその影響下から解放されることを祈ります。

NtdtvのTVニュースはこちらから。
http://jp.ntdtv.com/society.html