2012年6月23日土曜日

心の果実「祈り」

祈りの意味は、誰もが本能的に知っていることであり、信仰の対象に関わらず、一度は誰もが祈りを捧げたことがあるのではないだろうか。

かたや祝福とは、何か。辞書をひもとけば「幸福を喜び祝うこと」、または「幸福を祈ること」とあり、キリスト教で「神の恵みが与えられること」、「神からの恵み」とある。
聖書において繰り返し出て来る言葉であるが、旧約聖書のヘブライ語では、「救済に満ちた力を付与する」という原意があるそうだ。

元来、物質的な恵みを神から与えられることを指す。ユダヤ教的なまるで神と取引をしているような契約の言葉のように思わなくもないが、今日、私が書き留めておきたいのは、神から与えられる恵みをどのように受け取ったか、ある人の心の声についてである。

渡辺和子著「愛を込めて生きる」より
「祈り」の章より抜粋

ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁に一人の患者が詩を残している。その一部を紹介する。


大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜をまなぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは すべて聞きとどけられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表わせない祈りは
すべて叶えられた

私は最も豊かに祝福されたのだ

・・・・
「求めよ さらば与えられん」というみことばは決して、求めたものが与えられることを約束していない。私たちは、往々にして“欲しいもの”を願っている。しかし神が与え給うのは、私たちが”必要としているもの”であり、そこに神の愛がある。

何を与えられるようと、それを”祝福”と受け取れること、それが祈りの真に求めるべき果実ではないだろうか。 

一部抜粋

これ以上の解釈や説明は不要かと思う。
人生の果実とは思わぬところにあるものだ。日々、心の中の言い表せない思いは聞き届けられていると私は実感しているひとりである。



2012年6月15日金曜日

12年前におきた奇跡の体験


この夏、買ったばかりのスポーツサイクルで颯爽と取材へって、もちろんそんな颯爽とはしていないんですが、昔は車でよく通っていた目黒通り沿いを今日は、久しぶりに自転車で目黒方面へと向いました。

昼間の目黒区は碑文谷のダイエーとか、クイーンズ伊勢丹やらで意外と歩行者の通は混雑していて、意外と爽快感がなかったですね。自転車はスピードの出る広い4車線道路の目黒通りを走れるわけもなく、ひたすら行き交う歩行者と、自転車、そして一時停止を無視して通行する車やバイクと格闘しながら往復2時間半の距離をこぎ続けました。

そんな帰り道、ホームタウンの世田谷通りに入ってから路地から飛び出してきたばいくとぶつかりそうになって…。「ほんと危ないなあ」って思っていたらある日のことを思い出したんです。

今思えば、あれは奇跡に近いものだったのかなと思うんですが、2000年頃、日産のマーチに乗っていた頃、比較的、車間を空けて、自然な流れに任せて目黒通りを走行していたのですが、いきなり前を走っていたアルファロメオが後ろ向きにスピンしながら、わたしの運転する車に向って暴走を始めたのです。

一瞬の出来事でしたが、くるくる旋回しながら後退してくるアルファロメを見ていたら「もうこれはダメだ」と思ったんです。その瞬間,心の中で「せめて取り乱すことなく、安らかにあの世に旅立てますように」と自分でも一瞬のうちに頭が切り替わって覚悟ができたんですね。

それでもう目を閉じてしまおうかなと思った瞬間、30mくらい手前のところで急にアルファロメオのスピンが止まって歩道の脇に停車したんです。

目黒通りは片道2車線、そのままでは車体がぶつかってしまう距離だったのですが、ふと横をみると、いつも往来が激しい目黒通りの片側に車は走行していない。その隙にハンドルを一気に右に切り、私はアルファロメを難なく交わし、先程までの異常事態が嘘のように、何ごともなかったかのように他の車から見ると平然と走行している私の車があるだけでした。

あまりの一瞬とも言える時間だったのですが、でもスローモーションのようにその時、頭によぎったこと、覚悟を決めたときの自身の安らかな気持ちを今でも鮮明に覚えています。

人間、いざとなると強いものです。

覚悟をきめられるものなのですね。それはまあ、子供のときから信仰のある生活環境に生き、何ら疑問の余地を挟むことなくあの世の世界を信じて生きてきましたから、そのお陰でしょうか。それとも目に見えないところで見守って下さっている霊的パワーのお陰かもしれません。

いずれにしろ、その時の私は、まるで異次元空間にタイムスリップしたような、この世とあの世の一瞬の間にいたような時間を過ごしたように思います。

あのとき、自分を加護して下さった存在があったのならそれはどこかでお参りにでも行って感謝しないといけませんね。今思えばそれだけでは感謝が足りないかもしれません。

生きる必要がなければ、あの時、33歳くらいの自分であの世に旅立っていてもおかしくなかったのですから、生かされている意味が、何か大きな意味があるのかもしれません。

であるならば、だいぶ時間が経ってはしまいましたが、何らかの形で今後の人生でお返しをしなくてはいけませんね。

今日はそんな10数年前のことを昨日のことのように思い出したので、blogに書き留めてみました。

皆様方は、決して惜しまれるような交通事故等に遭いませんように。

ただいつでもあの世に旅立てる心境というのも人間いつ何時何があるか分かりませんから、心の準備だけはしておきたいものです。

またあの時のような透明な心境になれるかどうかは分かりませんが、自分が霊界から来た天上の住人であり、またそこに還るのだと思えば死は恐れるに足りないものであることは言うまでもありません。

どんな人もに等しく死は訪れますから。またその日は決して悪いことではなく、自分の生きた人生を清算する新たな旅たちの日でもあるのです。


2012年6月13日水曜日

またまた総選挙か。 Is Japan a general election again?





これは、あくまで私の予見です。
This is my foreknowledge to the last. 

このままいけば、日本の総選挙は早まるのではないでしょうか?
If it goes as it is, isn't it probably rash in a general election of Japan? 

恐らくは早ければ今年の秋。
Probably, the beginning of autumn of this year will come a general election. 

なぜなら、日本の与党である民主党と、野党である自民党との社会保障に関する考えは異なり、消費税増税案は、可決されるとは思えないからです。6月12日時点
It is because I cannot think that the ideas about the social security of the Japanese present governing party and main opposition party differ, and the tax increase bill of a consumption tax is approved. 
June 12 time. 

加えて、日本の中国大使である丹羽宇一郎氏の「尖閣諸島購入支持する日本国民はおかしい」等の発言で外相及び現政権の対応が注目されています。
Besides, in addition, in the remark of Mr. Uichiro Niwa who is Japan's China ambassador made "amusing [ the Japanese who do the Senkaku Islands purchase support ]", correspondence of the Foreign Minister and the government attracts attention. 

丹羽氏を更迭することなく、現状のまま据え置けば保守派層との火種はくすぶり続け、自民党が解散総選挙へのステップボードにする可能性があるからです。
For example, it is because it may become a spark with a conservatives layer and the Liberal Democratic Party may make it the step board to a snap general election, if it keeps unchanged, without dismissing Mr. Niwa as it is. 

何かとちぐはぐな日本政治です。
Politics of Japan does not show composure. 

現在の野田首相は心を入れ替え、何とか防衛面、原発(電力)面では、前向きに取り組んでいますが、しかし、民主党政権全体の成果で考えると、このまま政権を任しておいて良いはずはありません。
Although Prime Minister present Noda reforms himself and being somehow tackled positively in respect of defense and a nuclear power plant (electric power), however if it thinks with the result of the whole Democratic Party Administration, political power is not left as it is. 

来年の春くらいをめどに少し国民も原発反対熱や、尖閣諸島問題の道筋が見えてきたところで総選挙になることが私自身は、望ましいと考えますが、早ければ年内、あるいは年明け早々などになる可能性があります。
 I think that it is desirable to become a general election in the place where people have had nuclear power plant opposite heat and a route of the Senkaku Islands problem visible to the prospect in the spring of next year as for myself, if early -- the period before the year end or early next year -- the beginning etc. may come. 

その際には、次もまた民主党政権に、あるいは代わり映えのしない自民党政権に簡単に票を投じないように熟考しなくてはなりません。
To the Liberal Democratic Party Administration which neither the Democratic Party Administration nor becoming better for the change also makes the next in that case, the people have to consider carefully so that a vote may not be cast simply. 

まずは、これからの東シナ海における覇権争い、そして中国の台頭に備え、真正保守であること、そして平成の長く続く不況に対して日本の明るい未来を提示できる経済に精通した政党であること。
It is the political party well versed in the economy which prepares for the hegemony argument in the future East China Sea, and Chinese rise, and can, first of all, present the bright future of Japan to that it is genuine maintenance and the depression which continues for a long time. 

少なくともこの2大要件は満たさないといけないと考えます。
I think at least that this 2 outline affair must be fulfilled. 

あくまで私見ではありますが、日本人の考えの元にある判断力、そしてこの島国にあって先を見通す情報力を駆使して、最善の決断をしなくてはなりません。
Although it is a personal opinion to the last, you have to make the best decision, making full use of the judgment in the origin of a Japanese idea, and the information power which is in this island country and foresees the point. 

未来への責任は、私たち選挙権のある大人に委ねられています。
The responsibility for the future is left to the adult with us the suffrages.

この未来に対する責任を持つ大人の一人として迷うことなく、国益を優先する政党及び人物を選出し、応援していきたいと思います。
I  would like to elect and aid the political party and person who give priority to national interest, without wavering as one of adults with the responsibility for this future. 



追伸:翻訳ミスがあるかと思われますが、現時点での理解力のためとご容赦下さい。
あくまでチャレンジです^^








2012年6月10日日曜日

40代が死なないために

40代が死なないために。
なんてちょっと大げさな?タイトルにしてみました。

いや、なっちゃったんですね。

自分のこととか、周りの人のこととかいろいろ思うことがあって・・・。
結局、死なないように(自殺しないように)するにはざっくり言ってどうすればよいのか。やっぱり、「個性をつぶさない」ってことなのかな、って、思ったりしたんです。

本当に痛々しいことが今の世の中、多いんですよ。
ちょっとした行き違いなんかもあってね。

企業も政府も個人もどんな団体でも、今の世の中,平成不況が長引くなか、いよいよひずみがのしかかってきて、皆、余裕がないんですよ。

だから仕事したり、あるいは求職活動したりしても重箱の隅をつつくようなことでね、自分の価値が品定めされる。ちょっとした自分のミスや、ちょっとしたことでもAll or Nothingになって追いつめられたりしてしまうことも・・・。

企業はそこそこ利益を得ていても戦略に沿わない社員やターゲットはばさっと切り捨てていく。そんな中で何をするにも自信をなくしていく人が後を絶たない。また人間関係にも余裕がなくなってなかなか本音をぶつけ合ったりする機会にも恵まれない。

誰も自分が損したくはないんだ。
facebookやtwitter、おせっかいなソーシャルが幅を利かせるなか、一歩、間違ったら友人や知人を失ったり「あの人はこんな人だ」ってレッテル張られたりすることも恐いんだ。

だから、自分の安全圏を守ろうとする。
自分の守備範囲のこと以外はしたくないんだ。

何が言いたいかって。
やっぱりそりゃ、人には愛された方がいいし、人間関係もうまくいった方がいいけれど、それだけを考えてちゃダメだな、やっぱ。
捨て身になって生きられない。

個性を潰して生きてくって選択肢を選んでいる人も多いと思うけど、最後は中庸を取ろうとして何も得られない人生を歩んでいくことになるんだよ。
そんなことがようやくこの歳になって40代も半ばを迎えて分かるようになったきたんだ。


結局は、自分を助くる者は自分でしかない。

自分の個性が最後はきっと大きな花を咲かせるんだ。

だから自己卑下、自己憐憫は卒業して前を向いて歩いていかないといけない。

自分の個性こそが自分が何たるかを教えてくれて、自分がこの世に生まれてきた意味を教えてくれるものなんだ。

だからね、遅すぎたと思うことなく、今からでも自分の個性と向き合って(主に長所ね)、自分自身の花を咲かせようと思うこと。信念にすることだな。

もっと面白い人間になろう、と私も今日から思ってみることにしたから。
自分も他の人も、自分だけの面白い生き方見つけられたらいいね!

まだまだ未完成な自分が死なないように、この世に地に足をつけていきるようにするための方法。個性を生きるってこと。

自分の個性をきちんと生きた時に、必ずやこの人生の回答を得られると信じて。

誰も本当の自信を持っている人はそう多くはないからね。

自分を励ましながら、この不確実な時代を生きていこうよ。


2012年6月4日月曜日

2012年6月3日日曜日

シンプルに言ってみた方が良い映画『ファイナルジャッジメント』公開

幸福の科学出版の「ファイナルジャッジメント」(配給:日活)が昨日から公開されたが、それに呼応するようにNHK「ETV特集」でも天安門事件を生きた詩人のドキュメンタリーが放映されている。「母の胎内に戻るように私は眠る。母の胎内にいた時は監視されていなかったから…」
映画は爽やかな心地よさと切なさ、儚さを感じさせてくれる。
私は友の使命のために自分の生命をなげうった男が天使となって彼の活躍を隣で見るシーンが一番好きです。これ迄の概念を取っ払い日本人全員が、この国難に立ち上げるために見てほしい必見です!http://www.fj2012.com/