2013年12月31日火曜日

2013年の暮れに。

2013年もあと残りわずかとなりました。

そんななか、今日は茨城で少し大きめの地震が発生しました。
来年を占ううえでもこの時期にと思うと、「来年も震災に気をつけよ」、「心引き締めよ」という天からのメッセージのように思えなくもありません。

とはいえ、人生の艱難辛苦も震災も起こる時には起こるものなので、どっしりと構えて、日頃から心残りのない生き方をしたいものだと思います。

さて、今年一年を振り返るにはあまり時間がありません。

今日は、師走の忙しさを実感する間もなく、温かな日和を続いた折り、一つの悲報が入りました。
昭和生まれの音楽ファンならぴんと来られたことと思いますが、数々の名曲を生み出された
ミュージシャン大滝詠一さんの死去です。

自宅でくつろいでおられるとき起きた突然の死だったそうですが、驚きと同時に、私はある方のことを思い起こしました。

1999年1月に50歳の若さで他界した作家の景山民夫さんです。
景山さんは比較的私の自宅からも近い成城で住んでおられて、趣味のプラモデル作りに熱中していた際に発生した火災で亡くなれたそうですが、景山さんが生きておられたらちょうど、今年65歳。大滝詠一さんと同い年です。

なにか偶然とは思えない巡りあわせのようなものも感じるのですが、家族に別れの挨拶を言う間もなく訪れた突然の死。才能のある作家やミュージシャンらしい最期のような気もいたします。

いま、実際にどんな状態であれ、生きながらえるリスクを抱えているひとの本当は多いのではないかと思うのです。

それが事故死であったとしても、ある意味、長らえることなく、数十分か数時間ほどの苦しみで旅立てるのならば、それは考えようでラッキーと呼べるのかもしれません。ほんの少しだけ身辺整理と、家族にお別れをいう時間があればなお、よかったのかもしれませんが・・・。

そんな私にとっても身近に感じていたひと(景山民夫さん)を思いだし、10代の頃から大好きだったミュージシャン大滝詠一さんの冥福を祈りつつ、今年は、高齢の親のこと、自分に残された時間のことなど、いろいろと思いは廻ります。


さて、皆さんは来年はどんな年にしたいですか?

2013年、私は、自分の新しい一面も発見したような、自分の思いに気づかされるようなことの多い1年ではありました。よくも悪くもこれが始まりだったといえる1年になるのかもしれません。

来年は、自分自身がよき種となって、出会う人によき感化を与えらる自分になっていきたいと心から願っています。何より、まず自分自身を鼓舞して、新しい自分にチャレンジできるような1年を過ごしていきたいですね。これまで以上の自己変革を目指して。

さあ、ここでは書けない課題は目白押しですが、何もしなくては時間が過ぎ去っていきます。

ここで冷静になって自分自身の人生に必要なスキルや、なりたい自分に目標を置いて、今だけは挑戦的に考え、行動できる自分でありたいと思います。

今年も1年関わって下さった皆さま、ありがとうございました。

そして、何がこの時代に起きたとしてもよい1年をお迎えください。
絶対に自分は幸せになれると信じて。

私自身、この時間の自分も、明日以降の自分も幸せを選びとっていける自分であると、胸を張って生きていきたいと思います。

2014年が皆さまにとって素晴らしい飛躍の1年となりますように。

いつ、どこにいても変わらぬ愛と祈りを込めて。

2013年12月3日火曜日

市川海老蔵さんに、訊け!!

市川海老蔵さんがNHKの番組でインタビューに応えています。

お父さまが亡くなられて来年の2月で丸1年ですが、赤裸々にお父さま《団十郎さん》のことを
テレビで語るのは、初めてではないでしょうか。

私は、代理店で勤めていた自分に約8年前ですが、彼に一度インタビューでお会いしたこと
があります。

別に歌舞伎好きなインタビュアーを立てて、2時間あまりいろいろと話を伺い、撮影をさせて
いただきました。
http://ameblo.jp/ebizo-ichikawa/

周囲の海老蔵さんの評判はかなり良かったのですが、中でも制作者の間では、「目がきれいだ」、
「こんな目のきれいなひとはなかなかいないよ」という言葉が写真の感想として伝わってきました。

私自身、インタビューの間と、その後の撮影とでお話しを伺っていて、彼のピュアなこころに十分
打たれていました。言葉の端々に純粋さが感じられて、一言でいえばすれてないのです。

例えば、ご自分が江戸時代から牽引する、歌舞伎役者の家柄になぜ、生まれてきたか。

「なぜ、僕はこの家に生まれたのか。ずっと考え続けてきたよ、子どもの時から。」

「僕がこの家に生まれたのは本当にラッキー。おそらく、もっとたくさんの人が市川家に生まれたがっていたでしょう。でもその中でも天国からこの地上を眺めながら、俺があの家に生まれるんだってね、周りをはねのけて生まれてきたんだと思うよ。」と、あの涼しげな眼で少しほほ笑んで語ってくれました。

「歌舞伎役者として生きることが僕の使命なんでしょう。で、なければこんな家柄に生まれることは
絶対にない」と。

世の中には宗教を勉強したり、転生輪廻を信じている人はいるものの、こうして、自分の生まれてきた意味を考え続けて、自分なりの答えをだしきった人に、若者にあったことはないと思いました。

そんな海老蔵さんも立派な奥様を迎えられて今では、二児の父です。
いろいろあったものの、海老蔵さん主演の「千利休にたずねよ」が公開される運びとなり、くしくも
お父さまとの最後の共演映画となりました。
http://www.rikyu-movie.jp/

そんな中、本日のインタビューは非常に海老蔵さんのお父さま団十郎さんに対する思い、そして、
さらに以前お目にかかった時よりも、ご自分の使命をご自覚されている想いがひしと伝わるもの
でした。

これからが本番で、日本の伝統芸能「歌舞伎」をしょって立つひとですが、それだけでなく、芸能の道を極めながら、ご自身の生まれた理由をそこに見出した海老蔵さんのピュアな感性に、これから多くの方が触れられる機会があればと思います。

真実をこの世において知ることは難しい。
されど、あれだけ歌舞伎という大きなテーマ、職業を通して”己を知った”海老蔵さんは、ほんとうに現代に生きる天使のひとりかと思います。

これからがほんとうに楽しみな役者であり、一人の人間として興味深く見させてもらっています。
あの生き方、言葉に触れたら、私自身もほんとうの自分を探さずにはいられなくなる。

海老蔵さん、ありがとう。
ホンマ、惚れてまうがな。

追記:当時の写真(フィルム)が掘り起しできず、本日は写真なしでアップ、恐縮です(~_~;)
私の写真家人生にとっては海老蔵さんと出会えたことはひとつの宝もの、よき思い出です。

2013年10月16日水曜日

再登板した安倍政権自民党よ、いったいどこへ向かうのか。

2013年10月15日。昨日から久々に開催された第185回臨時国会。
ながーい国会議員の皆さまの夏休みを経てようやく開催の運びとなりました。



ねじれを解消しての本国会は、どこか政治家の先生方も(あきらめるべきところはあきらめたせいか)、皆晴れやかで、威勢のよい掛け声も「よっ!」「そうだー!」(拍手―!!!)と、まるでお正月がやってきたみたいにノリノリ♪

それはそれで、脱民主政権後の我々国民は、すっきりとした心持ちで いいんですけどね。

にしても、総理の所信表明も、「消費税8パーセント増税をきめた」後だけに、「成長戦略の実行」「アベノミクスの徹底」に終始徹底していました。

そんな中、懸念されていたことが現実味を帯びて・・・、安倍さんが官僚にさらに取り込まれていっているのではないか、もっといえば、官僚主義の自民党実力者議員に歩みよっていっているでのはないか、ということです。


今日もっとも残念だったことは、あの石原前都知事の棺桶一歩手前のほぼ最後のお訴えを(質疑)をまったく無視されたことです。

もちろん質問にはきっちり回答をされました(お役人の原稿をそのまんまの読み上げでした)。今日ほど、安倍さんがロボコップに見えた日はありませんでした(涙)。

とにかく残念というよりほかないのですが、あれだけ老齢の、政治家人生残りわずかな石原さんが、言論人としての「最後のご奉公」に打ってでてるのに、あれはないですよな。
(※以下、いつもの体言止めで語ります)
http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/ghq.html

要は、GHQ占領下での「日本国憲法を破棄しろ」と求めたくだりである。
あっ、そんなストレートなものいいではなかったですけど、それができるのは、「現役の総理だけである」、ともっとも安倍さんに対して期待を込めて発した直談判だ。

そう、冒頭、石原さんは、かの尊敬する三島由紀夫氏の比喩をだして、今、何が日本に大切か、日本人の政治を預かるものの、精神に魂に、何が必要であるかを指し示したのだ。

総理の答え方によっては、この国の根本を変えることになった重要な質問。
(その後の尖閣問題・有人化など、国を守る国民の実態にも触れて)


もう少し考える余地を残す発言であったならば、石原さんのみならず、中韓に国際的な激しいゆさぶりを受けている日本国民全員に対して福音ともなったものを、「60有余年たった今、日本国憲法は有効である」として、その一言でもってして、すがる腕を振りのけたのだ。

これは総理にとっても後に大きな禍根を残すことになるのではないかと、ようやく返り咲いた安倍政権にたいして危惧するものである。

あれだけ朝日や毎日のバッシングを受けて、いわれなき非難を受けた後に、その人柄と保守の心を請われて、国民の期待を受けて帰り咲いただけに、安倍さんの本心にかけて、これはひとこと、申し上げたいと思ったのである。


私は、安倍さんには心から「ご苦労様」とねぎらいのお言葉をおかけしたい。

しかし、されど、この10月、消費増税にふみきった過ちと同様に、深く官僚と結び付いた麻生さんを始めとする自民党中枢幹部にネゴる必要はないのではないか、ということをお伝えしたいのだ。

安倍総理は、安倍さんらしく、国民の期待を背負って再登板されたわけだから、その国民に対する背信行為をこそ、もっとも恐れるべきことなのではないか、ということだ。

さまざまなやっかみがあるであろう、まだまだ成長戦略も本物にはなっていないだろう。しかし、もうかつてのように、改憲派の安倍総理を目の仇のようにしてバッシングしていた朝日主幹はここにはいないのだ。だからこそ、「最後の敵は己自身である」と腹をくくっていただきたいのである。

そしてどうか、次に機会がもしも訪れたならば、大先輩である石原慎太郎議員の手を、払いのけるようなそうしたことはしていただきたくない。誠意ある言葉を投げかけていただきたいのである。

いまだからこそ、野党であっても進言してくださる最後の長老(保守政治家)であるのだから。
http://www.sensenfukoku.net/
 https://twitter.com/i_shintaro

最後に、三島由紀夫氏が海外特派員相手に英語で講演する希少な音声(youtube)を発見しましたので、リンクを張っておきます。
三島は、フランス語も話せたそうですが、時にユーモアをまじえ、あの当時でどうやってこれだけの英語力を身に着けたのかと、驚くばかりです。稀代の天才作家は、どこか違う宇宙空間からやってきて、国際人となる日本人に戦後の生き方を問いかけたのかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=JwGNfZqfiao

2013年9月8日日曜日

2020東京オリンピック招致おめでとうございます!

いやー、ついにやっちゃいましたね。
昨日はさすがに眠れませんでした。

2016年のオリンピック招致から次の2020年こそが東京の年、と思い続けて早2年、決選投票を迎えてのこと。 
ほんとうに今回のことは、原点に遡って、石原前都知事に感謝申し上げたいです(涙)。

この方が原点であり、東京都が、そして今の猪瀬知事が引継、安倍首相になり、大いに盛り上げてくださった。ほんとうに「勝つべくして勝った!」オリンピック招致だったと思うのです。






これから7年間、きっとあっという間だと思いますが、
その頃中堅から、熟年になりつつある私たち世代にも大いにやることが一杯あると思います。

今から考えられるインフラ整備に、観光、秋葉系アニメ、原宿ファッション、サブカルチャー、飲食、日本の伝統工芸品、音楽、アドバタイジング、不動産などの経済波及効果を考えれば、もう際限なく広がって、全国規模でみれば150兆円効果とも言われています。
(大和証券シニアストラテジスト木野内栄治氏の試算より)

まあ、しょぼい経済アナリストの森なんちゃらさんなどは、3兆円やら4兆円など足もとレベルの話しかしていませんが、いや、これはもっと凄いことなんです、われわれの意識次第で。

だから、今から自分には何ができるか、「この歳だから」とあきらめずにポジティブに考え続けて、、
行動していくことを躊躇してはいけないな、と思います。


そして、日本的なるもの=『ジャパニズム』のかつてない規模で脚光を浴びる時期。
日本の産業で伸び悩みを感じていたもの
(かつての升とか、日本では使われなくなったものが外国人からみたら超クールってことで、海外ブランドのギフトボックスとして使われるようになりました)見直され、脚光を浴びる最大のチャンスでもあります。


目に見えないサービス、「おもてなし文化」も具体化していけば商機がもっともっとあるのだと思います。それは、東京だけにとどまらず、地方への観光誘致も成功するよう日本全域の交通インフラの整備も検討していくべき時期ではないでしょうか。


また、外国人の日本への移住を考えるチャンスにもなればいいですね。
法整備もその頃にはもっと進んで、規制緩和とともに、「よき日本人」を育てるカルチャーも東京を中心に日本全体で育てていきたいですね。

東京に住む人間、企業にとってのビッグチャンスですが、地方から見ても何かウリがあれば、東京進出、そして地方への外国人誘致は多いにチャンスあると思います。



特に私は、交通インフラのほか、デザイン、映像、音楽などアート、クリエイティブに関わる分野にも大きな特需があると思います。特需だけではなく、きっとオリンピックイヤーならではの芸術産業が生まれていくことでしょう。

ブエノスアイレスでのプレゼンテーション映像を見ても、日本の映像は格段に、トルコよりも進んでいる感じがしました。映像のスピード感、盛り込まれる情報量が圧倒的に違うのです。
日本は、いつの間にか映像大国でもあったのですね。



まだまだな私ですが、これから何かビジネスの種を見つけて、取り組んでいきたいと思っています。もしかしたら思わぬところにその種は転がっているかもしれません。業界を問わず、きっといたる所にその芽はありますね。

7年後はもうすぐ。
未来には夢がある」「希望がある」と信じるところから、道は開けます。

”明日を信じて” 

2013年9月5日木曜日

今、ここに記しておこう。ある伝道師との出会い(Part1)

私と幸福の科学の出会い。

それは、現在、キリスト教の伝道師となった小澤利夫さんによってもたらされたものである。

20数年前の幸福の科学の理事長を務めた方でもあり、現幸福の科学総裁によって、
草創期にたったひとり「野に下って伝道するように」との特命を与えられた人物だ。

それまで新興宗教と関わり合うことなく生きてきた私だが、強烈な姉の愛と導きによって、
私は小澤さんと出会うことになった。
1987年の3月23日だったと記憶している。

当時、私は、20歳。18歳から自由奔放に田舎から東京に出て美大浪人を続けていた。

ただこの年にかねてから、経営状態が悪化していた父の事業が不渡りを出して倒産。
父と母は離婚、実家は競売にかけられ、もはや帰るところを失っていた。
2度の浪人の失敗に、実家の倒産、そして物心ついてから私を悩まし続けてきた性同一性障害。
もうこれ以上ないくらい、破滅的な人生を送るかもしれない矢先だった。

私を霊的世界に誘い、救ってくれたのは他でもない、私を支え続けくれた姉であり、
赤の他人でありながらいち早く宗教的覚醒を得た、人生の大先輩である小澤利夫さんだったのだ。

当時、小澤さんの眉間には大きなほくろがあり、時々、目を伏せて見えない何かを察知するかの
ようなしぐさで相手の話を聞いていたのが特徴的だった。彼は、若い頃から真実の宗教を求めて
放浪、日本に仏陀が再誕されるという仏教末期の教えを
信じて、今日まで本物の師を求め続けてきたという。

あるとき、第3の眼と言われるチャクラから、「霊眼が開いた」のだそうだ。

「あなたの20年間の人生をスクリーンで見てくるように昨日見てきたよ」
「苦労のための苦労ではないんだよ。親が子どもをよい子だよい子だと言い続ければ、子どもは
よい子に育つ。でも親がおまえは悪い子だ、悪い子だと言って育てたら、子どもは悪い子に育つ
よね」といった。

この日、いろいろな言葉を投げかけられたが、それは光のシャワーのようなものだったのかもしれない。たった一生の内、
一度訪れるかどうかの「貴人との出会い」によって私の人生は前後裁断されたのだ。

「あなたはこの方の本を読めばわかるよ。我々には使命があるんだからね。」と。

その後、一冊、自ら本屋で「日蓮の霊言」を見つけ、それ以降は、隔週くらいで発刊される高級霊
と言われる方の霊言集、そして「太陽の法」などの理論書を夢中になって読みふけっていった。

私の人生は、まるで眼には見えない決壊が破れ、魂が大きく揺さぶられ、もう元の自分に戻ることはできないくらいに、大きな魂の変化が起きていた。

その後も本を読み続け、友人知人を小澤さんに紹介(伝道)し、若輩者の身で「畏れ多いこと」
と、幸福の科学の会員になるには、10年位かけて社会貢献ができる自分になったら胸を張って
会員にならせていただこう、と心に誓っていた。

思いのほか、その日は早くやってきた。22歳 の夏、いてもたってもいられず、当時は試験制度があったため入会願書に読書感想文と、「何のために会員になるのか」、を書いて提出。
ほどなくして二重◎付で「大川」と直筆サインの入った試験用紙と、合格証が届いた。

その大切な記念品のようなものさえ、今はどこにあるのか、おそらく数度の引っ越しで
紛失したと思わるが、もっと大切にとっておけば、今もう少し違った人生になったのかもしれない。


その時から、25年の歳月が流れた。
長いようで短かった、青年期の20代前半~40代後半までのこの時間。
何ひとつ後悔がないと言えば、嘘である。

宗教的真理に出会い、ある種の覚醒が起き、ビギナーズラックのようなことが立て続けに起きた
のは、最初の3年間だ。

それ以降は、やはり、伝道しようと、押し広げようとすると友人や、職場での人間関係に
亀裂は入った。なにより、自分自身が未熟だった。何も「良い教え」を知ったからといって、
それを即座に
人生に使いこなせるほど、簡単なことではないのだ。

それでも周囲に家族を始め、「仏法真理」と呼ばれる幸福の科学の教えが広がっていくと
家族間の人間関係はもちろんのこと、一人ひとりの人生も大きく変わり始めた。

そして今、70代半ばになる母は 、毎回、幸福実現党の選挙になるたびに、全力で応援し、
わが身を顧みることなく選挙を駆け抜けた後は、原因不明の病に侵され、吐血を繰り返し、
足はこむら返りを何度も繰り返す。

それだけボランティアに、伝道に残りの人生を、お返しの人生として命をかけているのだ。

私としては、母の誠意ある思いに心打たれながらも、「何もそこまでやらなくても」と、田舎
に帰る度に、母の姿を見ておもったりもするものだ。

そんな信者として真面目な母の想いもあってか、こどもの時、幼稚園がミッションスクール
だったのが影響してか、信仰をベースに生きる指針としてきた私の人生だが、そんな私も
40代の後半に入り、人生の転換期を迎えているように思う。

永遠の求道者にして、伝道師・小澤利夫さんについて、書きたかったのだが、本題に入る
前の序文が長くなってしまったので、残念ながら今日はここまで。

今後は、私と幸福の科学とを運命的に繋ぎ合わせた小澤利夫さんのこと、そして、大川総裁
との少なからずある思い出についても折に触れて、書き記しておきたいと思う。

とにかく、25年前に一つの人生の始まりがあったということを記して。

ここまで読んで下さった皆さま、ありがとうございます。

また、お会いしましょう。

2013年6月12日水曜日

「Love is all you need」(愛さえあれば)中高年のためのロマンティツク・ラブコメディ♪

人生の先がそろそろ見え始めた頃、中年期。
それは40代なのか、50代なのか定かではないけれど、必ずやってくる人生の未来。

というか、そのものずばり真ん中に足を踏み入れている私ですが・・・(^_^;)
そんな中高年に送るポジティブなラブストーリーを今日は観てきました。


タイトルは、 「Love is all you need」(日本語タイトル=愛さえあれば)。
デンマークの女性監督が描くストレートなロマンチックラブコメディ。

先の見えた中年には、子供のこと(最後の総仕上げ)、わが身のことに、パートナーの病など起こるべくして起こるトラブルがある。


その時に見えてくるのが「真実の愛」。いや、そんなど真ん中なことを、ど真剣に笑いもなく描いているわけじゃない。でも見えてきてしまうのが、人生を長く生きただけある中年の男と女。


完治したわけじゃない乳がんを明るく乗り越えた感に見える妻イーダ。夫は自分の体以上に自分の存在そのものを愛してくれているから、乳房再建手術は必要ないと 医師に伝える。その直後、夫の浮気を自宅で目撃。言い訳は、「病気した君を見るのがつらかった。俺の気持ちも理解してくれ」と。(ちょっとセンシティブな男の気持ちに浮気も同情の余地ありという気持ちにさせるシーン)
実はここで既に泣いた。

そんな傷心妻に思いもよらないアクシデントから生まれる新たな出会いが・・・。

舞台は、紺碧の海にレモンの果実が実る美しい島、南イタリア・ソレントへ。

ここからの展開は家族の身に起きるドラマあり、男女の接近あり、波瀾万丈の様相を見せるのだが、そのことがきっかけで、「自分にとって大切なものは何か」「限りある時間を誰と、どんなふうに生きていきたいか」 を登場人物の中高年たちに投げかける。
(決して重たい展開ではなく、あくまで南イタリアの爽やかな気候のまま、ありのままの人間を受け容れつつ、今の自分にできることに向かい合う。登場人物は自立した軽やかな女性像だ。)

非常にストーリー展開も素直で、かつ家族の中にある異文化にもメスを当てたヒューマンドラマでもあるけれど、あくまで本質は、大人の酸いも甘いもかみ分けてきた大人の男女の温かいラブストーリーだ。

私はこの映画で2回泣いた。2回目に思わずしらずに涙してしまったのは、007でも活躍した甘いマスクのピアーズ・ブロスナン扮するフィリップの表情だ。イーダを気遣い「病気のことを聞いてもいいかい?」と慈愛に満ちたまなざしで手を取り尋ねるシーンだ。

なぜ、3秒足らずのピアーズ・ブロスナン(フィリップ)のこの表情に涙が出てしまったのか、後でパンフを読んで知ったことだけど、実際のピアーズ自身が癌で最初の奥様を亡くしているということがあったためだ。演技を超えてシンクロする悲しみの中に「本物の愛」が伝わってきたからなのだ。

あくまでポジティブに考え、ユーモアを忘れず、自分自身と冷静に向き合うイーダという女性。最後は、本物の愛に出会い、ハッピーエンドを迎えるのだが、最後の最後まで、これまでの人生を誠実に愛深く生きてきたからこそ出会えた本物の愛。
あまり詳細をお伝えしすぎるのは、映画を観る楽しみを奪ってしまうようだが、それでも実際にこの映像を観てみなければ味わえないストーリーの醍醐味と、登場人物のキャラクターに面白味がある。

女性監督ならではのきめ細やかなストーリーに映画の世界だけではない、「自分自身にも起こりうる真実のラブストーリー」としてマジックにかけられるのも心地よい。最後の最後まで、人生とはわからないものだよ、と。よい意味で「自分の人生にもっと期待してもよいのでは?」と勇気を与えてくれるこの映画に乾杯!ぜひ、多くの方に観て頂きたい、中高年に希望を与えてくれる稀有なる作品である。3か国語での国際色豊かな会話も映画を観る上での驚きと楽しみの一つだ。6/27までは上映。http://www.aisaeareba.jp/

2013年6月7日金曜日

「食べログ」に思う。匿名性とネットビジネス

以前から噂されている《食べログ》のやらせ問題。
実際に業界内には、「良い評価を投稿するから月額5万円で契約してください」というような業者が横行しているようで、カカコム本体がリテールの飲食店から広告費をもらっているというケースがあるのかどうか定かではませんが、それについては、☆を操作するというようなことが目的事態で行われてはいないようです。

なぜ急にこうしたことを書いているかというと、わたしの場合は、20代から情報誌などの取材で数多くの都内各地の飲食店に行くことが多いのですが、最近のWEB系の広告媒体では、つまらぬ話ではあるのですが、「食べログ」の☆の数で取材先をチョイスするという”馬鹿な”ことが行われているのです。

あまりクライアントのことを悪くいうようなことはもちろんNGですが、ただそういう偽りの(真剣に投稿している人もいますが)情報に振り回されて情報を発信するプロはずの人たちが、実際に行ってみると『そうでもなかった』店について、おいしかった、どこそこがよかったなど、媚びたことを書かなくてはならないことがいやなのです、単純に。

以前、まあ90年代、2000年初頭の頃ではありますが、当時はよかった(て、年よりみたいですね)。
大手の雑誌編集者(そうでないところも?)皆、店やモノを取り上げる際には必ず覆面取材をして(名乗らず)二回目で取材交渉を行う、というのが通常のスタイルでした。

結果、同じお店に行って取材時も含めると二度三度と食事するという、まるで行きつけの店のようになってしまうのですが、編集者は皆、自分の足で見つけた「自慢の店」を外部スタッフに得意げに紹介していて、強気な態度で、店の一押しメニューすべての皿を注文していたものです。

そんな時代を知っているだけあって、なんだかネットの時代とは言えども、コストを抑えて素人情報に振り回されるわれわれクリエイター、取材者は何とも自分自身の価値が落ちたようにも感じられてなりません。

ネット情報が氾濫する時世を反映してか、最近では情報料として『1万円申し受けます』とか、ドン引きな、まったく人情もメディアに対する愛着もないような金銭を要求してくる飲食店も現れてきました。これは、われわれの責任でもあるかとは思いますが、なんだかとても世知辛い世の中です。

だからなんでしょうかね。今日の話はまとまりませんが、ネット時代の情報発信を考えるのと同時に、口コミサイトがどうのこうのだけではなくて、ネット上の匿名性自体にも疑問を感じるものです。

だから無責任に批判したり、表現が極端になっても自分の責任を感じないような鈍い感性の人間が育てられていくのではないかと・・・。現在、ネットでは、facebookや、一定のソーシャル以外ではほぼすべて匿名で発進できるようになっています(その最たるものは掲示板、2chとかですが)。

私は以前から、勝間和代さんと同じ主張で、ネットのすべての情報発信は「匿名ではなく、実名で」されるべきだと考えています。実際には個人情報の悪用などネガティブのことも考えられなくはありませんが、それでも自ら主張を問うようなシチュエーションでは本名で発信されるべきだと思います。

あまりにも社会問題化するような事案があればもちろん考え直さなくてはなりませんが、どうして人は、匿名で情報を発信したがるのでしょうか。ある意味、これは人間の二面性を顕著に表しているのかもしれません。表向きの顔と匿名で通じるネット上の顔、人は皆、自分を守るために(どちらも自己発揮したい)使い分けないといけないのかもしれません。

かくいう私も日頃書けない本音の部分をときに食べログに投稿してみたくなります。しかしその内容があまりにもリアルで店に与える影響が大きいせいか、昨夜は、即削除依頼が来ちゃいましたね。まあ、そうでしょう。我ながら、ちょっと反省しました。あくまで主観であって自分にとって気になることと、他の人が気になることとは違いますからね(^_^;)

まあ、カカクコムさんも必要以上に裁判などに巻き込まれたくないでしょうから、ほどほどに、というお気持ちお察します。

というわけで行き過ぎた情報発信には気を付けなければなりませんが、しかし、本気発信ならぜひ匿名ではなく実名でね!と思います。2chの人たちも、まともな人で自分に自信があるならすべて本名で発信勝負すべきです(笑)。皆がそうするとこの世の中は「正直者がバカを見るではなく」、正直ものが得をする?いや、少なくともフェアな世界になると思いますね。

まあ、本気ならネットの世界ではなくて、リアルで勝負すべきなのでしょうけどね。
(正直、そこはなかなか受け皿がない)
リアルの世界では皆、人は忙しく生産性を生む情報しか聞きたがらないという人間の本性がありますからね。

とにかくこの世界を変えていくのは並のことではありませんが、やはりカカクコムのようなサイトや、きちんとした信憑性のあるビジネスをしていくならあくまで本名で投稿を!というのが私の持論であります。それだけは結論としてやっぱり思います。結果、人は自分の顔に責任を持ち、”本当のこと”しか書けなくなるのではないでしょうか。※ご意見あればお待ちしています。

2013年5月5日日曜日

「生きる力がわいてくる本」くじけそうなあなたへ 川村則行著 

2013年のゴールデンウィークいかがお過ごしですか?

今年は意外にも東京で過ごす方が多いようにも感じます。人が東京に押し寄せているのでしょうか?

かくいう自分もその一人ですが、こういう時には普段なかなか思いを馳せることのできていない家族のことなどを考えてみたりするものです。

ズバリ、タイトルにもしました本の題名は、私の義理の兄にあたります精神内科医、川村則行の好著です。身内が言うのも何ですが、ここ何年もまともにおつきあいしていない間柄です。それでもここ数年は、本人の活躍は耳に入ることが多く(開業直後NHKでも取材されました)この広い世の中でどなたかのお役に立たれている事を嬉しく思う限りです。


そんな訳でつい先日、タイトルの書をアマゾンで購入してみました。
他にも著作は複数、他社出版社からも出版されていますが、アマゾンの本の中身を閲覧するでこちらに(PHP研究所発行「生きる力がわいてくる本」)決めました。

義兄の得意とするところの人間観察(まあ、精神内科医ですから当然ですが)が利いていて、これまで往診された患者さんの事例に沿って、「人はなぜくじけるのか」を紹介。人間のくじるける「心の法則」を解き明かしながら、「こんな時はどう考えればよいのか」(心が軽くなるか、幸せになれるのか)を川村独自の視点で紹介しています。

重ね重ね、身内が言うのもなんですが、40代半ば頃(今の私と同じ歳)に書かれたこの本は、円熟味を帯びて来ているように感じます。

実に様々な方の症例に合わせて、症状の根本原因を説き明かし、一刀両断すべきところは一刀両断し、一見冷たく感じられるかもしれませんが、その言葉の奥にあるものは人間への”愛”に他ならないと感じます。

また、具体的な症例も多岐に渡っており、どの方にもほとんどのケースが、「自分にもあてはまるのではないか」と感じられる事ではないかと思うのです。(誰しもが心の病にはかかる可能性はあるのです。)

詳細はこちらで書き記すよりもぜひ、一度ご一読頂ければと思うのですが、私自身、最近、自分に対して「正直にありたい」という気持ちを深めているところです。そして、なぜ、「人間はそのように考えるに至ったか」、という人間のバックボーンというものを改めて考える事の大切さを実感しているところです。

バックボーンを見つめ、新たな自分の人生を生きる切り口として、この本は非常に有効であると思われますので、ぜひ、義兄の辛口で切れ味鋭くも人間を真っ正直に見つめようとする学者魂に触れてみてください。

最後に、至ってプライベートな文脈ではありますが、私自身の姉に関する記述がありましたのでこちらを紹介したく思います。もう20数年になる二人の足跡ではありますが、社会に足場を固め、ふたり二人三脚で日々共に互いを助けとし、多くの方の方々に必要とされる人生を歩んでおられます事を心より、有難く、嬉しく思う次第です。

第4章 こんなときは、こう考えよう ーよくある悩みの処方箋ーより

「自分は自分らしく生きていないのではないかと思い始めたのは中学2年のころからで、(中略)しかしその後も、どうしても期待される人間像のように振舞おうとしたのです。

 そういう無理をして相手の要求に応じるということをやっているのがくだらないと思えるようになったのは、二十七、八歳頃になってからです。妻と出会い、二十九歳で結婚したころからようやく自分らしくなれたような気がします。妻とは本音でしゃべることができるので、一緒にいるとカウンセラーと話しているような癒しの感覚を受けます。やっと自分らしく生きる場所が見つかったという感じです。」

この書籍の中で一番実感のこもっている言葉なのではないでしょうか。

川村則行氏とその妻である姉、浩子に愛と感謝をこめて。