2012年5月6日日曜日

民主党政権にみる天変地異からの脱出を!

夜、自宅に戻り、テレビをつけてみると竜巻が発生のため、茨城で30棟もの家屋が倒壊になったこと、死傷者が50名も出たことが分かりました。

日本で被害が出る程の竜巻が起きるのは珍しいことと思います。
しかも関東圏だけではなく、わたしの実家のある四国・徳島でも1センチ周囲程の雹(氷の塊)が降ったそうです。「全国区で」ということになります。

先の雹(氷)を見た直後に書いたブログと重なる内容にはなりますが、やはりこの問題、私は無関心でいることが出来ません。

なぜなら、神々というのは気候を自由に操ることが出来る存在であると伺っているのです。中東のアラーやジーザス、日本神道の神々も。その御技を天候を操ることでもって神の威光(神の意志)というものを地上のものを伝えてこられたのです。

であるならば、私たちはもっと神の意志、神の望まれる光の方向に気づかなくてはならないのではいでしょうか。天変地異は明らかに天意のはずです。時は、東日本大震災の翌年、左翼政権とそれを支持する環境左派の人々によって全原発が停止された翌日に起きた出来事。

国体が誤った方向にあるのなら、善人の上にも悪人の上にも等しく、天変地異という形でその御意向を、お姿をお現しになるのではないでしょうか。

この状況が続けば原発停止の挙げ句、今夏は猛暑で生命を断つ方も現れるでしょう。また、人命はもちろんのこと、日本の中小企業をはじめとする企業への打撃は言うまでもありません。また世界で最も高い技術と、世界が認めた日本の原子力技術を継承することができず、第三国などの海外へ輸出することが出来なければ日本の経済的損失のみならず、海外の人々にとっても電気を供給する、という貢献を出来ずに終わってしまうかもしれないのです。

代替エネルギーへの移行はまだまだ諸手を挙げて喜べる程、簡単なことではありません。また、日本の原発が停止する一報で、万が一、北朝鮮が核開発がうまく行って日本に弾道ミサイルを打ちこんで来る、というようなことでもあれば、原発さえ稼働していれば日本は、報復、いや先制攻撃(どちらも穏やかではありませんね)、抑止力としての核を開発することさえできたのです。

しかし、その道は断たれたことを日本は発信したことで,世界の見る目はどう変わるか分かりません。まさしく猛獣の中に解き放たれたウサギか鹿のようなそんざに見えるのではないでしょうか?(なぜならアメリカも中国との協調路線を重視しており、アジア地域からその防衛戦力をひいていっていますよね?)

そんなアジアの状況の中、日本は自主防衛こそが自らを安全にこの国家を運営していく道なのです。

まさしくその矢先のことです。

よくよく、国家運営の責任者として民主党政権には考えて頂きたいと思います。
次々に原発を停止し、国体を弱体化させているという罪を、この国の守り神である神々はどうみているのか。神の警告として今日のことは受けとめよう、この小さな海洋国家に、左派政権を誕生させた国民の悲劇は自ら受けとめ、この状況を打破するその一歩を今日も明日も刻んでいかなくてはならない。

その思いを多くの方々と共有していきたく思います。

ついに日本の神々の鉄槌が下されたか

今、まさに出かけんとしていた矢先、ベランダで固い物があたる物音が。。
目をやるとそこには雨の音に混じってかつて見たこともないような大きな白い塊、氷が幾重にも重なって振ってきているのだ。


「こんなの見た事ない!」そう、45年生きてきてこんなに大きな氷の塊を見たのは初めてだ。それも何というか、白い大きな結晶はまるで地上で細々としたことで煩い生きる人間をあざ笑うかのように、まるでこの世を浄化させんとばかりにむち打つように強く、勇ましく降りしきってくるのだ。

ベランダに打ち付ける氷に矢も盾もいられず、一度はベランダの戸をきっちりとしめ、冷静さを取り戻そうと自室のパソコンに向ったのだが、この状態を収めておきたいとカメラを構えた。なかなかうまく映すことができなかったが、10分程して雨音がやみ、氷がみるみるうちにさーっと小ぶりの雨へと変わっていった。直後、集合住宅の前の通路や裏手の中庭で子供が泣き叫んだり、町内会のお世話役の方が声をかけて回っている声が響いてきた。


外階段を下りて駐車場に目をやればついさっきまで穏やかな光と風を浴びて美しく照り返していた新緑がそこいらじゅうに葉を撒きちらし、まるで台風の後のような光景になっている。テレビはこの間、緊急臨時ニュースになるようなこともなくあくまで、栃木で死者がでたこと、茨城で30棟が東海したことなどがテロップで流れていた。

私は、内心この状況に焦っていた。
ほんとうにこれで終わることができるのか。なぜ、みんなこんな恐ろしい光景を前に、これが日本神道の神の怒りなのだと感じとることができないのか!?
「これは当たり前のことじゃない!」わたしの心はつぶやいている。

日本にはつい昨年、東北大地震が起き1万人近い死者、行方不明者を出し、何万人もの人が被災者となったが、左翼政権が続く中、これで終わったとは決していえないだろう。

石原慎太郎都知事が、先の件を「天罰だ」と発言したらたちまち、バッシングにあい、訂正せざるをえなくなったが。それでもこの神の国は、地上で住まう人間がこの神の国、日本に信仰を取り戻し、国土を守る政権を奪取しない限りはこのような突然の雨風、氷、地震などを使って何らかの人間への気づきのメッセージを与えようとされるのではないだろうか。

私は身をもってそうした恐さを実感することがある。
自分自身への戒めでもあるが、自然の脅威は時に奢り高ぶる人間への警告へと変わることがあるのだ。

神社へ参るのも良いだろう。時には心を静めて柔らかな心を取り戻し、真なる自己との対話、心で繋がる仏神との対話を試みるもよいだろう。いずれにしろ何らかの形で、この国の人々は、これまでとは違うステージに一歩を踏み出さなくてはいけないのだ。変わらなくてはならないことがあるのだ。

来月は、宗教法人幸福の科学から「ファイナル・ジャッジメント」と題する映画が公開になるが、実際、人間は神に試しを与え、真実の自己と対面させるため時に厳しい選択を迫ることがある。

私自身も多分に漏れず、試されている一人である。
この現実を、今日の天の怒りのような天候を受けとめ、心を新たに引き締めていきたい。

今日GWの最後、今後の日本を占う意味でも大きな衝撃を与えた天変地異のひとつであったように思う。一人ひとりの心の素直さ、善なる心が試されている。

2012年5月4日金曜日

仏・サルコジ大統領VSオランド候補討論に観る日本のゆくえ

昨日あたりから日本でもフランス大統領候補の討論会の様子が断片的に紹介されている。

オランド候補は最大野党社会党の党首でいわば左派にあたるわけだが主張が面白い。 

ユーロ危機等の経済問題を抱えるサルコジ大統領が緊縮財政による財政再建を訴えれば、左派で雇用対策や社会保障の充実を主張するオランド候補が「緊縮財政だけでは景気は回復することはできない。成長戦略を盛り込むべきだ」と反論する。確かに西側のコンサバティブの経済評論家や保守政治家層ならいいそうな発言だが、緊縮財政花盛りのヨーロッパで、しかも、左派の党首がそうした発言をするのは少し面白い。

また、フランスといえば原発を120機も保有しているといわれるが、やはり原発は国の財産なのだ。

サルコジ大統領は、最後懸命に原発の必要性を訴え、古くなった原発も『フランスの原発は最高水準にある。日本の福島は地震ではなく、津波によって冷却装置が直撃されたのであって原発自体に問題があるわけではない。フランスでは津波が起こりようがない」と熱弁を振るった。この討論番組を一部報道した朝日では、古館伊知郎アナによって、「勝手なことばかりお互いに言ってる感じがする。福島の原発も地震によって亀裂が入った可能性があることが噂されている」と、一蹴した。

しかし、日本のマスコミはこぞって原発反対を訴え、その理由をさもありなんとくっつけてくるのだが、まっこうから原発を国にとって必要なエネルギーとして持論を力強く展開したサルコジ大統領の熱意をみならってもらいたいとさえ思う。何ら論理性を持って実証されていない『原発=危険』の図式を繰り返し、国民の不安を煽るだけで何ら国益に資することのない不毛な発信といえるのだ。

左派の社会党でも国家の実益を考え、「緊縮財政だけでは国が富むことはない」と積極的に成長戦略を取り入れようとするフランス次期大統領候補。『フランスの原発技術は最高峰だ』として国家の基幹産業を守ろうとする現役フランス大統領。

どちらも各政策においては違った顔を持つが、それでも日本のようなどちらともつかないような政策論争、主体が何なのかさえ分からない日本の政争の愚とは明らかに違う。
日本のマスコミも政治家も虚心坦懐に日本の未来にとって何が国益に叶うことなのか、何を守れば政治家として、日本のマスコミとして使命を果たしたといえるか、もう一度、真摯に問うべきではないだろうか。

今、日本の産業問題も原発を含め、もう一歩踏み込んだ国家議論が必要ではないか。日本の、日本人による成熟した、国益についての発展的議論を切望するものである。