2014年6月1日日曜日

野口健さんにみる、アルピニストはリアリスト

なかなか秀逸なTV講演番組「テレビ寺子屋」(フジテレビ)を思わずみいってしまった。

メジャーリーグ中継の後、すっかり夜もあけて「土曜のよふかしはこれで終わり。さて寝ましょう」
と思ったら始まってしまったのだ。それもすごく気になるはいり方で・・・(笑)。

以前から注目していたアルピニスト野口健さんの出演だ。
 
http://www.noguchi-ken.com/

このあとの講演のいいところを番組冒頭に流すのだが、「死ぬ覚悟もあれば、生きる覚悟もある」と、威厳すら感じさせる佇まいで話す野口さんに、もう眠ることはできなくなってしまった。
http://www.sut-tv.com/show/terakoya/backnumber/post_218/

「死ぬ覚悟と同じくらい生きることにも覚悟がいるんだ」と話はじめたのは、数々のヒマラヤ登頂で死と向き合わざるを得ない経験を野口さんがしてきたからだ。

下山途中に数多くみるアルピニストの亡骸。そして、ある時、体験したのは、仲間のアルピニストがもう息絶えるとわかっていて、自分は彼を見捨てて一人下山できるか、それとも一緒に死ぬことができるのか、という問いだ。

考えて考えて、そして、仲間に先に行くよう促されても野口さんは、彼が息絶えるまでその場を動けなかったそうだ。そして最後の仲間の言葉を聞いて、見送った後、野口さんは、下山しながらそのことについて、考え続けたそうだ。

その時、ビルマで大東亜戦争を戦い抜いて、最後は捕虜となって日本に帰ってきたおじいさんの言葉が深く思い起こされたそうだ。おじいさんは、参謀という立場で多くの部下を死なせてしまった。それにも関わらず自分だけは、日本に帰り、孫にまで恵まれて、幸せであればあるほど、「苦しい」と、野口さんには話していたそうだ。

野口さんは、「生き死にを覚悟する」経験を得たあと、
おじいさんや戦争のさなか「死ぬ覚悟」をしたであろう軍人に、重なる思いがうまれたそうだ。

その気持ちが現実に、「国のために死んでいった人を軽んじるようなことがあれば、その国は滅びる」と、遺骨収集に向かわせることになった。

野口さんの遺骨収集は今年で7年目だ。
2010年には所属していたNPOを離れ、個人として活動されているようだが、その思いと行動はより一層、熱くなっている。

野口さんのこの活動が少しずつでも、実を結び、日本でも戦争のことをタブー視せず、自由に話せる空気が生まれるといいなと思う。なかなか歴史教育というのは難しいことだけどね。

それでも、真なるリアリスト、野口さんに習って何か自分の思うところをかたちに行動にしていけたら、こんなに素敵なことはない。

http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html


2014年5月21日水曜日

Nobuyuki Tsujii - Liszt's Mephisto Waltz No. 1

2014年4月27日日曜日

果たして日本に女性首相は誕生するのか!?

日本は古来より、天照大神に始まり、卑弥呼や、推古天皇など日本を実質的に女性が統治していた時代があった。

それが武士の時代が長く続いたせいか、近現代における政治の活躍に女性の姿はない。世界的には、欧米をはじめ、昨今では中南米や、東アジアなどの発展途上国においても女性首相が誕生している今日においてである。

日本の政治家には地盤、看板、カバンがなくてはならないといわれているように、2代目3代目の「政治や」が数を動かしているためか、民間に比べても女性の進出は少ない。



今、世界を見渡しても世界に通用する女性政治家リーダー(首相)は、ドイツのメルケル首相を筆頭に、国のパワーとしては下がるものの、オーストラリアのギラード首相、ブラジル初の女性大統領ルセフといったあたりだろうか。

ほかには、タイ史上初の女性大統領インラック、そして、お隣韓国でも18代目で初の女性大統領朴 槿惠(パク・クネ)などがおり、さらには、インド、パキスタンやバングラデシュなどのイスラム国家、アルゼンチン、コスタリカ、リトアニアなど小国にも女性首相は誕生しているのである。


女性首相といってもやはり傾向として活躍しているのは、国の力としても安定しているドイツなどの先進国であり、過去、イギリスを国民病から立ち直らせたマーガレット・サッチャーが、圧倒的な安定とパワーを感じさせるものだ。


私なりに考察してみるに、国家元首として成功しているマーガレット・サッチャーや、メルケル首相はいわゆる家庭もちである。それに引き替え、国を二分するような戒厳令まで敷いて危うい状況に陥ったインラック首相は1男がいるも独身、朴韓国首相は完全なる独身、中には暗殺された女性首相や、わけありで家族に首相を務めた男性がおり、その娘や妻がリベンジで戦っているケースが多い。

そうした家庭に問題のあるケースは短命で終わることが多いのだが、メルケルやマーガレットのように家庭的で理解のある夫を持った場合は、長期政権に至るケースが多い、といえるのではないのだろうか。

女性でありながらも一国の首相、国のリーダーである。
それを支えたのは、鉄の女の影で世間的には馬鹿なふりをしながらも、家庭では良き相談相手であったという夫ロバーツであり、この夫の支えなくしてはマーガレット・サッチャーは、11年の長きにわたってイギリスを正しく導いていくことは困難ではなかったのか、とさえ思えるのだ。

今日に立ち返って、女性が男性以上に社会で活躍するには、それなりの犠牲も必要なことだろう。それと同時に何よりも自分を支えてくれる、影ながらサポートしてくれる裏方の存在が必要なのではないだろうか。

普通の仕事をしていても日本では、まだまだゆるぎない男性社会であることを、強く思わされることがある。そうした男性論理の社会を生き抜いていくには、女性であっても男性であっても、影で自分を支え、癒してくれる存在があってこその輝きではないだろうか。

日本にはまだまだそうしたパートナーの存在が薄く、また、男性がそこまで内助の功に徹したいと思うほどの女性リーダーが育っていないのかもしれないが、これからのパートナーシップの変容に期待しつつ、どんな立場であっても双方がのばし合っていける人間関係というものを築いていきたいものだ。

そして、日本に限らず、世界的に見てもアジアはいまだ女性政治家が完全に政権を掌握し、安泰といえるレベルには達していない。この状況から見ても、各国とも女性リーダーの真価は試されているといえるだろう。

だからこそ、日本は若干の遅れをとっているにすぎず、アジアをリードする女性リーダーの到来にこれから期待できるのではないかと思わされるのだ。
そうした希望を持ちつつ、その希望が絵に描いた餅に終わってしまわないように、晴れある日本を押し上げていくためにも良き女性リーダーの登場に一役買いたいものである。

状況がいまだ整っていないにしても女性首相が誕生するころには、きっと日本は、真に上流国家として世界を導く立場にいるのではないだろうか。優しく、強い国を理想に、今とは少し異なる人々がこの国を背負ってくれる時代になることを願う次第である。

それは、我々の日々の少しずつの心がけ次第なのかもしれない。



2014年4月25日金曜日

苦手なカップル

いえ、まあいいんですけどね。
どうにも解せないカップルというのが私の中にありまして。
小田急線で見かけたいい中高年というよりも、男のほうは団塊世代の60代後半くらい(結構いい爺です)女性はおそらく声の感じで40前後くらいでしょうか。

電車のなかでいちゃいちゃ・・・
まあ、思ったんですけどね。若い子たちがいくら電車でいちゃいちゃしたって、多少、動物的に感じることはあっても不潔感はない。
でも、どうでしょう。いかにも後妻に入った風な中年がらみの女で、しかも娘と父親位歳の離れたカップルが手つないで二人だけにしかわからない会話をあえて、聞こえるような耳打ちでしゃべられても・・・。

いやあ、気持ちわるかったなあ。
どうにもこういうの受付られないんですよ、生理的に嫌悪感が(~_~;)いやあ、あえて、多くを語らずともお互いのことが分かり合えるくらいの距離感で、手をつないでいても微笑ましいくらいのかわいいカップルになりたいものです。(あっ、相手が!(^_^;))ガーン。

齢をとったら、これくらいが息の合った歩調でしょうか。

2014年4月23日水曜日

神の見えざる手を信じて・・・・

消費税が8パーセントにあがりました。
それでもって「消える1コインタクシー」。ほんまにそうやわ。
「お役人さんの考えていることはわかりません」(500円タクシー運営会社運転手)。

来月から大阪名物(いや東京にもありますけど(~_~;))、500円タクシーが姿を消すことになりそうです。

最低運賃を満たしていないということで、5月には事業者資格取り消されないように、サービスを撤回するようです。お客様が得するサービスを提供しているのに、自ら経営に行き詰って辞めるならわかるけど、やれるからやってんのに、まったく道理がわかりません。

ペナルティーとして2回勧告受けたら、次は、事業者資格を取り消すそうです(;一_一)

なんなのでしょうか?行き過ぎた規制緩和って!?そのサービスが必要かどうかは、見えざる手の消費者が決めることではないのでしょうか。

http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/140329/ecn14032918460014-n1.html

意識の波のなかで

朝、いや昼から気分の悪い映像を見せられてしまった、facebookで。

慰安婦像の撤去を求める行動を日米でとってくれている人の投稿だけど、女子高生(おそらく香港)4,5人がよってたかって同じ位の東洋系の女子高生を蹴り上げ殴りつける映像だ。
コメントには、「中国人によるウイグル人への暴行もこれと同じことが繰り返されている」と・・・。

投稿者の意図がわからないではないが、ちょっと耐えきれなかった。
どこにも救いをその映像には感じられなかったからだ。私は思わず、フォローを解除してしまった。

今こうして自分の気持ちを書いているのは、世界がこの映像を見たとしても何も変えられないと、自分がさっき思ったことと、一瞬にして今少しだけ気持ちが変わったからだ。

確かに、本当に見たくない映像だった。気分が悪かった。頭では日本でもそういうことが子供たちの間で行われているのを知っている。でも、何も知らなければ、世界は変えられない。知らないとは、知っているつもりでも事実を直視しないことだ。

私も同じ人間、憤りや悲しさ、無信仰の人間たち、親が子にきちんと教えていないことの大切なことの多さに情けない気持ちがこみ上げる。が、毎日、毎日、こうしたことが自分の認知していないどこかで行われていることを知っているのと、知らないのとでは自分の意識もきっと変わってくる。

世界は変えられないとは決して言いきれない。一つ、二つ、意識の波の中に、変えたいことを強く記憶しておくは決して悪いことではない。

2014年4月20日

2014年4月1日火曜日

仕事と愛ってこういうことかな・・・

この頃つくづく思うことの「仕事編」!?

堅い話をすれば「仕事とは何か」、「生きることと仕事とのつながり」ってこういうことなのかなあ、と思うのですが、いや最近、つくづく実感することがあります。

仕事を推進していく力は、やはり愛と人間力だなということ。
 
人間ってさまざまな力をもっているし、仕事の能力が高いひとがたくさんいるとは思うのですが、私は最近、渋谷にある某企業でお仕事ご一緒にさせていただいてつくづく思うのは、「この人でなくてはこの仕事はうまくいかなかっただろうな」ということです。

日頃、お世話になっているエディターE氏ですが、この方の仕事能力はなんというか、いかにも”できる人”って感じじゃない。むしろ、ほんわかした笑顔に、ちょっとふっくらとしてきたお腹でまわりに安心感を与えてくれるようなひとなんです。

周囲(私を含む)に対する自然な気配りや、リスペクトはもちろんのこと、後輩や、同僚に対してもひとりひとりの呼び名も可愛らしくて、相手に対する優しい眼から発する言葉があります。

温かい。そう、人柄が。


私もかれこれ社会人になってメディアに携わる仕事をはじめて20年以上が経つけれど、
いろいろな人とお付き合いしてきたと思うし、「袖すり合うも他生の縁」で、何かのご縁を感じることも多かったようには思います。けれど、そうしたインパクトの強さを感じるよりも、人と人の間に馴染んで、その繋がりがあたり前のように感じられる、ということが大切なんだなあと。

取り立てて何か話題に上ったり、何か考えなきゃいけないような人間関係があるわけではない。

自然に見える形でその人の存在がある、その人の働きかけによって物事が滞りなくうまくいっている、そんなことがとても肝心かなと。多分そんな風に自然にその人が見えなければ我々の間には何か無理をしているものがあるってことでしょ(笑。

そう考えたら、あたり前のようにうまくいってるように感じさせてくれるって人ってすごいな。

そんなふうに思わせてもらえる人との出会いがあったんだ。



実際、どこの業界でも誰でも、人を色眼鏡で見たり、自分たちの企業カルチャーや、仕事のやり方をあたり前に感じてて、それ以外の人のやり方や、カルチャーに物言わぬ批判をしていることが多いんじゃないかと思うんだ。ちょっとうがった見方と思われるかもしれないけどね、やっぱり中に入り込んで仕事してみると、そういうことって多いよね。どんな業界でも。

だから、「他人のふり見てわがふり直せ」なんて、昔のひとが考えた教訓がいまも生きているわけだね。

仕事やひとに対して自分の色をつけず、人と人との潤滑油になるような生き方をすること、これができる仕事人間ていうのはどんな企業でも、どんな相手でもきっとうまくいくと思うんです。確信こめて!

自分も他人も認め合ってリスペクトして仕事しあうには、自分を抑える必要もあるし、時には”無になって”仕事そのものと向き合う必要があると思うんだけど、自然体の姿の自分で生きていくために必要なのは、やっぱり愛だな。

愛ある人生を地で生きているひと(家族や友人・他人を大切にしているひと)っていうのは、自然と許したり、仕事仲間やお客様にも優しく、温かいまなざしで向き合えるものだと思う。

最近は、そんな温かい家庭を持った優しい諸先輩がた、私の見習うべき歳の若いディレクターたちも多くなったなと思います。やっぱり所帯を持つって人間にとっては大事なことなんだよね。

いまの自分には一生こないことかもしれないけれど、
自分自身に対する正しいリスペクトと愛を持ち、他人にも自分同様、愛と敬意もって自然体で、ことにあたりたいと思います。今の自分にできること、どんな環境のなかでも最善を尽くして大輪の花を咲かせる蓮の花のような自分になりたいなあ、なんて思う次第です。

最後までお読みいただきありがとうございました。
 

2014年3月9日日曜日

この頃つくづく思うこと(友人たち、そして愛する日本のすべての人へ贈る)

日本人は奥ゆかしい民族ですが、最近では犯罪に走ったり、自らの権利を主張する欧米型の人権主義者も多くなってきています。

何が言いたいかというと、そういう人権主義者のひとは、同時にリベラリストであることが多いわけです。いわゆる戦後型のですね。戦争下の日本において、自らの人生を最大限に伸ばしたり、自由に生きることができなかったのは事実だと思うのですが、ほんとうに悪いことばっかりだったのでしょうか?(先人の苦労は計り知れないこととは思いますが)

私の母は言います。
「昔は、おいしいジュース(夏に沖縄のフルーツジュースを贈った後)なんかなかったけど、それでも豊かだった。家族がみな一緒だった。そこには家庭の団欒があった。幸せだった。」

これは、母の子供時代(戦中・戦後)を回想しての話です。
母は昔から文章を書くのが好きなひとで、よく若いときから亡くなったおじいさんやおばあさんのことを筆にしたためていました。

その母の書き遺すおじいさん、おばあさんは、戦争時代に人として大切なことを守り抜き、豊かに生き抜いた誇り高き人たちとして描かれていました。おばあさんは「救国の母」と呼ばれ、良妻賢母の鏡として徳島新聞に報道されたこともあったひとでした。

だから、私は、そんな日本人が先の大戦を戦った先人たちが、まったく無謀な野蛮な行為として、戦争を仕掛けたとは思えないのです。

あの母から聞いたおじいさん、おばあさんは、公のために尽くし、神仏に感謝し、生命をはぐくんでくださった日本という国土に感謝して生きた人たちです。とても気高く生きた。苦しいことがあっても、弱音を吐くことなく、子供たちの未来に希望を託した。わたしは、その苦労を、気高さを忘れたくはありません。

それが私に生命をつないでくださった祖父祖母への、せめてもの恩返しだと思うのです。そして、ここに記しておきたいのは、戦争をしたくて戦争をする国家はないということです。少なくとも日本において、明治期以降、近代国家になってからは、一度もなかった。やむに已まれぬ大和魂はあったことでしょう。そして、当時のひとは、自分の人生も丸呑みして生きてきたと思います。

だからこそ、先の世界大戦を戦った日本人を悪くいう現代人に、権利主義者に、伝えたいことがあるのです。

いま、この一見平和に見えるグローバル世界になっていることが、先人たちの戦争という代償を払って得た結果だ、ということです。ひとは、最初から喧嘩せずしてお互いの実力を認め合い、仲良くし続けることは難しいものです。国家のレベルにおいても。どこかで文明の衝突、価値観の衝突は起こるものです。その究極の姿が、最終形が戦争だと。人間は、未熟かもしれないが、そのことでのみ、最終決着をつけるしかないことも起こりうる。

だからこその、いまの平和なんです。

平和はただで買えるものではない、ぜひ、このことを、皆さんに刻んでいただきたいと思います。
みなさんは、ご先祖様をどう思いますか?
日本人の子孫に生まれてよかったと思いますか?

「戦争したから不幸になった」。それは事実かもしれませんが、その悲惨な体験によって先人の尊い犠牲によって、今の自分たちがあることを、この身にしかと自覚して、これからの時代を生きていきたいと思います。

ケネディ大使インタビューに思う。

つくづく思うこと。

相変わらずこの国は、戦後の自虐史観による強烈な精神的呪縛受けている。

太平洋戦争に負けたことで日本人は、自分たち祖先を否定し、ことさらマイナス点を暴き出すことに余念がない。しかし、それは、ほんとうに太平洋戦争を戦い抜いた先人たちに対する正しい評価なのか。朝日系記者によるねつ造記事「南京大虐殺」に始まり、慰安婦問題、河野談話、村山談話。過去の首相たちは、中韓関係に配慮を重ね、その場はお茶を濁すという日本的手法で当時を逃げ切った。そのつけが今の我々にのしかかっているというのに、政府は大鉈をふって、過去の呪縛を断ち切るまでの腹積もりはないようだ。保守系の首相になった今でも、それだけ政治的逆圧力、左派マスコミの容赦ないアタックがあり、自虐戦後史に支配されている日本人が多いということだ。

先のクローズアップ現代に出演していたケネディ大使も完全なリベラリスト。

どこかの団体が○言と称して、彼女を持ち上げていたのが不思議でならないのだが、あの容姿に可憐な立ち振る舞い、明るい雰囲気、古き良き時代のアメリカを彷彿とさせるケネディ家の娘。そんな彼女のレッテルが親しみやすく、理解あるひとに見せがちだが、実際に彼女が言ったのは、従来のオバマ政権で繰り返されてきた日本軽視ともいえる見解だ。「太平洋地域の安定を脅かす、火種になる行為に対してアメリカは同盟国としていうべきことは言う」。「中韓とは話し合っていくことが大切」では、いったいどう話せば中韓が胸襟を開いて、友好的かつ建設的な関係構築に乗り出してくるというのだ。見せかけだけの騙しテクニックではなくて・・・。安倍総理は今もって気長に胸襟を開いている。それでも竹島を乗っ取り、尖閣周辺の領海侵犯を繰り返し、日本の国益を脅かし続けているのは奴らなのだ。もとをただせば、日本人の自虐史観が中韓に好き放題する隙を与えただけだが。

アーサー・ウォルドロンペンシルバニア教授は、3月7日(金)付の日経新聞。堂々二段抜きのコラムで「米国との同盟、過信は禁物」という見出しで、注意深く日米中関係について考察し、軍事的対応についても具体的に述べている。

詳細を割愛させていただくか、鳴り物入りで来日した政治家経験零のど素人ケネディ大使にそれなりの発言、日本の未来の行く末に対し重要なコメントを求めるのは無理があるという話だ。おそらく誰も期待していなかったと思うが、唯一左巻きの公営放送NHKだけは違ったようで、国谷キャスターの自国の保守政治家に対する冷たいあしらいに比べ、かつてないほどの素直なうなずきで、まるで環境左派のケネディに感銘を受けたとでもいう表情で聞き入っていたのだ。さらに失望をしたしだいである。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi01.htm

2014年2月24日月曜日

真央ちゃんのオリンピックが終わった!

ああ、もうもうほんとにドラマチックだったソチオリンピック。

メダルに届いた選手もメダルには届かないまでも熱いドラマを届けてくれた選手たちに感謝したい。
一人ひとりのことをほめたたえたい気持ちでいっぱいだけど、やはり人間としてその真価をみせてくれたのは(個人的にはですが)、大好きなフィギュアの浅田真央選手だ。私は彼女がシニアデビューしたときからの大ファンだった(いたいけな彼女のお母さんになってあげたいという気持ちになることもあるほどだ)。

 


ソチに向けてJALの特別機やバスなどに特大で描かれた真央ちゃん。マスコミはもちろんのこと、政府関係機関に、フィギュア連盟、スポンサーなど、ありとあらゆるところからの”期待という名のプレッシャー”が浅田選手の細い肩にかかっていたことだろう。


加えてロシアという開催国。テレビで観ていても独特の聴衆の雰囲気に圧倒されるほどだった。
とりわけアジア人によるフィギュアに対しては厳しい目があるなか、完全アウェーで戦いぬくのはどれほどの怖さだったことだろう。

 


決して心地よいとは思えない集合想念のなかで戦ったせいか、これまでミスなく滑れていた日本人選手たちがことごとくミスを連発した。ショートでは羽入選手がノーミスで過去最高得点を、フリーでは浅田選手のみが(厳しいジャッジだったため成功とはみなされなかったジャンプもあるが)自己ベストの演技をやってのけた。
 


「なぜ、ここで?」というタイミングでミスを繰り返した日本人選手たち。
きっと心優しく繊細な選手たちは、自分たちにかかるプレッシャーに加え、あのソチの空気にのまれてしまったのだろう。

そんな中、自身でもこの4年間目標としてきた金メダルに遠く及ばなないまでも、たった翌日1日で、あの完璧ともいえるフリーを滑りきり、日本国中をいや、世界に感動を呼んだ浅田選手には本当に頭が下がる思いだ。

聞けば海外の一流アスリートをはじめ、浅田選手と関わったスタッフ関係者は皆彼女の虜になってしまうという。言葉を超えてその生き様で、誠意あふれる自分と向き合う姿勢に、われわれの心は揺さぶられずにはいられないのだろう。

もちろんほかの日本のアスリートたちも、10代で金メダルを取った選手たちもみな素晴らしかったが、いつの間にかわれわれ日本人は、「これぞ真のサムライ」と呼ばれるような素晴らしい女性を、宝物を授かっていたのだ。


本当に今回のオリンピックはメダルではない、メダルが取れなかったからこそ、意味のある何か、目にはみえないストーリーに気づかさせてくれたようにも思う。

フリーの演技を滑りきった後の浅田選手の涙は、今年一番の全国民レベルで「共感」という言葉を味わせてくれた瞬間ではなかっただろうか。

今後も浅田選手の幸運を祈りながら、こういうオリンピック選手たちと同時代に生まれ、その生き様を垣間見ることができたことに感謝したい。

これでソチオリンピックは終わっていくけれど、日本の快進撃はこれからなのだと信じたい。
そして自分自身の人生も本番はこれからだと・・・。

 

2014年2月20日木曜日

永遠の0を観た

やっと観に行けた。
ご多分にもれず、泣いた。

映画館は平日の日中にも関わらず、品のよさそうな年配の方から、比較的若い世代も多くて、若い男の子が映画が終わってしばらく経っても目をこすっていた。

私の涙が最初こぼれたとき、実はみんな同じ場面ですすり泣くというシンクロが起きた。日本人同士、日頃はどんなに希薄に見えても目に見えない縁で繋がれているんだね。

う~ん。
脚本の素晴らしさ。戦後70年経ってようやく今、こうした映画ができたこと、各新聞社朝日も日経も協賛としてかかわってこんな映画が撮れたんだなって、最初のテロップを観たときから感慨深いものがあった。
 
  

映画はなんというか、独特の空気感が流れてて、
特に岡田准一扮する宮部久蔵が束の間横浜の自宅に帰って、家族とくつろいだとき。
自宅の玄関や、内風呂のあるしっかりとした日本家屋、家庭の象徴であるかまどのある光景など、何もかもが嘘のような静けさで、それが怖いほど昔の日本人の凛とした佇まいを漂わせてていた。

葬式を終えて、宮部の孫たちが戦友たちに話を聞いて回ったとき、それぞれに設定された空間は、時間が止まったような映像感覚で、まるで異次元空間に引き込まれたような気持ちになった。
私にとっては、これまでに観たことのない、純然たる日本を表した映画なんだなって初めて、そんな風に思える映画だったんだ。

だから、すごく新鮮で、この世ではない別次元に自分がいて、あの世のスクリーンを通してこの世をみているような、そんなイリュージョンな感覚だった。



戦中・戦後という歴史が、同時代に交錯する。そして、日本人として連綿と続く存在の不思議さよ。

かつて流れた太平洋戦争という歴史を、その時代の先祖の生き方として俯瞰して見れるとき、人は、生命を受け継いだ孫たちは、おじいさんたちのつないでくれた生命を、その歴史の重みを肌身を持って感じずにはいられないんだ。

だから、観ているこちらは、三浦春馬扮する孫の立場になってみえてくる。尊い先祖の犠牲の上に自分たちの生命の継承が、繁栄が成り立っているんだって。口幅ったい言い方だけど、「日本人として国を守りたい」、「愛する家族を守りたい」という気持ちに守られ、支えられ続けてきたんだなって実感させてくれる。

本当に戦前の日本人たちは偉かった。

ありがとう、おじいさん、おばあさん。

魂を失なったかのような殺人事件や人間関係のトラブル、仕事上の熾烈な利害関係の争い。
現代に生きる日本人が全員この映画を観られるような時代になればきっと、この社会も日本という国も変わっていることでしょう。

いくらでもない利己的な欲望の赴くままに、与えられた生命を生きることをよしとはしない、そんな価値観が芽生えてくることをきっと多くの人が実感できるのではないでしょうか。

そして、世界中の人にみてもらいたい。

太平洋戦争という時代を生きた、誇り高い、強い責任感と愛を胸に秘めた日本人の姿を、多くの人に知っていただきたいと思います。

 


この映画が長く上映され、NHKでもいつか放映される日が来ることを願ってやみません。

一人の日本人として、この映画がこの時代に製作されたことに感謝いたします。

2014年2月16日日曜日

失われた宗教、道徳教育の果てに中国が得たものは・・・

あまりにも怖い現実なので早めにアップしておきます。

タイトルは「6歳児の夢。銃があればママを殺したい」。
中国の3世代に渡る共産党一党独裁の影がここまで子どもに深刻な影響を与えているとは・・・。
人間にとって大切なことはやはり、心の教育です。人間の根源的な優しや同情心、人間としての尊厳を教える宗教や道徳が人間には必要なんです。人間を国家の従属する奴隷、モノのように扱えば、どんな人間ができていくか、想像に難くありません。中国共産党が存続する限り、中国人は、大切なものを失ったままに家畜のように活かされ続けるのかもしれません。

この番組を制作されたNtdtv、コメントを寄せられた朱欣欣さん。中国の心ある方々に敬意を表します。http://buzznews.asia/?p=15

近くて遠い国、中国ですが、我々も何ができることがあればやっていきたい。
中国共産党の一党独裁支配から一刻も早く、中国人、ウイグル人、トルキスタン人、アジア近隣諸国の皆様方がその影響下から解放されることを祈ります。

NtdtvのTVニュースはこちらから。
http://jp.ntdtv.com/society.html

2014年1月8日水曜日

東京都知事選にみる政治の困惑

お正月明け早々に、東京では都知事選が始まろうとしています。
今年はさらなるスピードアップが求められる年になりそうです。

その前に、保守言論人として若くしてご活躍されていた拓殖大学の遠藤浩一教授が他界されましたことを心よりのお悔みを申し上げます。


また、くしくも1月3日にミスター大阪と敬意をもって称されたやしきたかじんさんもお亡くなりになられたとのこと、こちらも東京のマスコミでも大々的に取り上げられていますが、生前の人望のたまものと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。


さて、そうした話題に事欠かないマスコミ世論ではありますが、東京ではにわかに猪瀬直樹氏後任の都知事選に向けて、各党の熱戦が繰り広げられようとしています、のはずですが・・・。

いえいえ、これがなんとも政治の世界の摩訶不思議さ。
民主党も自民党も同じ穴のムジナとでもいうのでしょうか。結局は無難なところで舛添候補を両党とも推すよう、党内調整を初めているようです。

まあ、もともと自民党出身の政治家ではあったわけですが、その辞め方の問題でいまだに快く思えない議員がいるというのは当然のことでしょう。

そして、民主党ですが、こちらは実質、舛添氏の政治思想に近かったのでしょう。秘密保護法案に舛添氏が反対を表明したことを買って、今回の都知事選に升添氏を推すのだとか。


生前、故遠藤浩一教授は、民主、自民両党とも付き合いを深め、二大政党制を要望し、民主党にたいしても保守路線の方向性を示唆していたようですが、実際のところ、保守路線で共闘することなく、左派路線で落としどころをみつけたという感じが今回の都知事選では否めません。

まだ決定ではないようですが、結局は民主はもちろんのこと、自民にも首相をさておき左派勢力が大きいということが露呈されたように思います。

本来なら、安倍さん個人が都知事選を誰を応援したいかといえば、言うまでもなく、田母神氏でしょう。麻生総理時代に更迭された幕僚長ではありますが、安倍さんとは懇意の仲。田母神さんを励ます会にも出席して、その行く末を案じておられた政治家、言論人の代表が安倍総理自身に他なりません。


そうした経緯を振り返ってみても実に日本の政治とは異なもの。
現職の総理大臣が自分自身の考え(保守路線)を、本来保守政党であるはずの自民党の代表であるにも関わらず、表明することができないのですから。
何とも日本の本音と建て前の落差に愕然とする思いです。

そんな日本固有の自虐史観を背負った政治状況下で、育まれたともいえる左派勢力と本音と建て前を使い分ける政治家群。こんな曖昧にして、矛盾だらけの政治理念なき国家がこのまま世界のリーダーとなりえるとは到底私には、思えません。

たとえば日米同盟の亀裂や、国際的な信用問題、国内の政治の問題など、今以上にほころびが生じるかもしれません。

また、現象的に表れるのが遅い場合でも、安倍総理の後に続く、保守政治家が現状、育っているとは思えない状況で、安倍さんが順調に2期目を務め終えたとしても、そのあとはどうなるのでしょうか?
 


平たく問題点を挙げるとすれば、一つの国民病でもある「自虐史観」が政治家の、そして日本人のもっとも心を暗くしている、事案だと思います。日本の政治的方向性は、この自虐史観を払しょくしないい限り、決して状況が改善されるとは、未来は明るいとは思えないのです。

都知事選に見る政治的混乱、またしても日本政治の危うさを突き付けられた思いです。

結果はまだわかりませんが、民主、自民両党の推す舛添氏の出来レースになることは避けたいと思います。ほかにも目を転じれば、有望な方々、ドクター中松や、田母神元幕僚長がいるのですから。

さらに一点だけ物申すとすれば、今回もまた元外交官の吉田重信氏が出馬されるようですが、「都民からの尖閣諸島への募金は、国際親善に使わせてもらえるよう訴える」と発言されているようです。これは、たまったものではありません。

この方は中国問題に関する研究所をお持ちで、日本人とは思えない中韓よりの発言をされている方ですが、日本国の利益を守るために一人ひとりが善意で募金したお金がわけのわからない国際親善という美名のもとに消えてしまうのであれば、いったい、自分たちの行為はなんだったのか、と
その思いがまったく報われないことになってしまいます。

こうした人物にも要注意です。
他にも一人ひとりに対して書きたいことはありますが、今日はもうこの辺で。

国政とは一線を画しているとはいえ、首都東京の都知事はどこの都知事よりもその任務は重いはず。ぜひ、その方の深い部分の思想、政治理念を知ったうえで一票を投じてたいものと思います。

あっ、ドクター中松さんは、もこれが最後の出馬となる可能性が高いですね。政治家としての資質はわかりませんが、頭はまだまだシャープです。最後の大穴になるのもまた一興か。

 




2014年1月3日金曜日

ようやく三が日を迎えて、明治神宮で御祈願を。

昨年の暮れから休みに入った安堵感からか、やや風邪気味で体調を崩しておりました。

元旦の1日、2日と参拝に行きたい場所がいくつかあったのですが、案の定寝正月で2日間すごし、
ようやく重い腰をあげて(といっても寝正月に飽きていたので)三が日の参拝に今日は向かうことができました。


とはいってももう午後の3時を回って、出かけたい場所がいくつかあったものの、まずは、昨年、
新年の参拝に出向けず後悔しておりました明治神宮へ。

原宿は東京に出てきてからというもの縁のある場所(ターミナル駅)ということもあって、明治神宮
へは、ふらりと散歩がてらの参拝に出かけることも何度かありました。

ただ実際に元旦に行くとなると大変な混雑でまず、初日はよほど根気強くなければあきらめた方
が良い場所です。

ということもあって今日は、通常の神殿が閉まる30分前にすべりこめれば何度かなるだろう、と
いう安直な思いで、出かけたら、参道を軽快に歩いたのもつかの間、行き止まりとなりました。

ものすごい人、ひとです。3日目にして。


1時間も並んでいた頃、ようやく社殿のあるお社が見えてきました。
遥か遠くに(実際の物理的距離よりも)見える鳥居と社殿があれほど頼もしく見えたことはありませんでした。

ここで思ったのは、やはり神仏への道は遠くにあって、物理的距離を縮める行動を起こしていく
からこそ、値打ちのあるものなのだということ。ちょっとこれしきのことで大げさではありますが、
正直、参拝するまでに何時間がかかるのだろうかと思ったとき、やはりちょっとした試のようなものを感じました。

安易にまっすぐ自分の道を邪魔するものなくいけることは楽なのですが、いつ、あそこにたどり着けるのだろうと思うと、感謝の念がいっそう湧いてくるものなのですね。

そんな日頃は感じられないことも感じ取りながら、いろいろと今年の抱負に思いを寄せて無事、1時間半待ちで、社殿前に到着です。

ここで簡単な参拝だけで済ませるのはもったいないと、思ったことは当然の成り行きといえるのかもしれません。


本殿に一歩でも近づきたく、また、新年の願を全託したく「心願成就」を受けることにいたしました。

名前や住所、祈願名などをかきいれると、とても丁寧な対応をいただき、順を追った流れのなかで御祈願いただくことができました。

最期は、神楽の奉納もあり、祈祷御守護とともに、お神酒や御神米などが入った神饌をいただいて帰りました。


神聖な本殿で、新年の願いごと、そして祈りを捧げられたことは有難く、より一層心願成就に向けて思いを新たにいたしました。

後で振り替えれば、悲喜こもごもさまざまな学びあるストーリーが用意されているかもしれませんが、今年は何と言っても干支の「午年」。
こういう時にこそ、火事場の馬鹿力(?)を発揮しない手はないかもしれません。

ようやく迎えた新年、まだ始まったばかりですが、皆さまには、今後ともご指導、ご鞭撻いただきたく何卒、よろしくお願い申し上げます。そして、お世話になります。

あっ、頂いたお神酒がおいしくて、これもまた神さま、目に見えないご存在のお蔭でしょうか(^_^;)