2010年8月27日金曜日

誕生日を迎えました(私の予感)

いやはやこの歳にして誕生日も何もあったものではないですが、しかし、この世に生を受けた事実を、その逃れようのない事実にいやが応にも向き合わざるを得ない1両日であるように思うのです。

8月後半になり、にわかに身辺が慌ただしくなり始めました。
何かがきっといま、動き出しているのです。きっと、それは良い方向に。

そして「変われ」といわれているのは、私だけではなくもちろんこの国の同胞、21世紀の地球に生きるすべての民族、すべての国の国民がメッセージを受けているように思うのです。きっと、私だけが受け取っているメッセージではないと思います。

ああ、そうそう、今年に入り頻繁に宇宙からのコンタクトや、アブダクションの解明も進みました。実際に30年ももっと以前からあったことではありますが…。霊界通信できる偉大な魂の肉体を通じて、宇宙人の魂を持つ方のリーディングもなされましたね。幸福の科学総裁大川隆法(エル・カンターレ)によって。これはもうとにかくすごいことが起きているってことですね。

つまりは、目先のことだけしか考えていない方には分かりづらいことと思いますが、「聖なる使命を持つ人間は目覚めていなさい」ということでしょう。

つまりは、人類の創世記にあたることが起きているといっても過言ではないと思うのです。

このブログを読んだ皆さんも目覚められるように、私自身の魂もいま、大きく覚醒しようとしています。これまでの過去を振り払い、何か大きな海洋に船出しようとしている感じがひしひしとしているのです。これを決して無視できませんね。自然体でありのままにこの感覚を受け止め、生き方を見つめ直す時にきているのだと思います。


何か無理にというよりも、宇宙人にアブダクションされた記憶が少しずつ蘇り始めたような感覚で。もともとあったものを「常識的ではない」と、記憶の奥に閉じ込め封印されていたものを必要があって、いまの人類の進化に、目覚めさせようとしている感じがするのです。
(抽象的ですみませんね)

でもいま、いえることは「私たちは時代の要請があって生まれた」ということだけです。

現在、「日いずる国が日沈む国になろうとしている」などと海外メディアでGDPの件で揶揄されていますが、これで終わるわけがありませんね。使命のある日本が。日本人が。この国は神様の国ですから、何といっても。どれだけ大きく考えても、大きすぎることはない程、大きな使命を抱えているのです。ぜひ、そう信じて下さい。


そして、深淵なる目的と使命を持った国民が集合想念を持ち同時代に生まれたのです。

私にも分からない計り知れない変化がこの国に、この星に迫って来ているのではないかということだけはいえると思います。もう少々お待ち下さいね。真実が明らかにされる日まで。

そして、私自身、これからはかつてない程のスケールでダイバーシティー「多様性の甘受」を体験してみたいと思います。自らの心の内にぜひともその機会を与えたいと願っています。そして、これからはいままでとは異なった心象を発見し、楽しんでみたいと思います。


きっと新たな運命を生き始めますね。

愛すべき皆さんの人生もきっとこれからが本番ですよ。

これからを楽しみに過ごしていきましょうね。

2010年8月15日日曜日

戦後65年を迎えて(2010年8月15日)

本来なら戦後65年の節目の年として、日韓併合100年という歴史を俯瞰して、時の政府は、新たな「歴史認識」を発表しなくてはなならない時にきているのだと思う。未だ日本では正統な議論がなされることのないままこの時を迎えてしまったが。

私自身は、戦前生まれの両親のもとで育てられ、祖父母が戦時中にどのように地域社会の中で尽くしてきたかということを母親から子供時代に聞かされたこともあった。13歳の頃にはヒロシマ原爆記念館を家族で訪れ、戦争で亡くなった罪のない人々の痛みにも触れ、そのときの戦争を憎んだ気持ち、衝撃は忘れることはない。

しかし、今日のマスコミを始めとする一般的な「日本が犯した戦争」と位置づけられる戦争懺悔論には違和感を憶えずにはいられない。そもそも日本人が侵略行為を行ったとして、「アジアの方々に多大な迷惑をかけた」というのが極左政府の見解であるようだが、果たしてそうだろうか。

日本人が満州へ、現在の台湾へ。そして朝鮮半島へ。日本からも労働力として日本の人材を送り込みインフラを整え、学校を創設したからこそ、当時の国の生活が向上した。そして、イギリスやフランスに統治されていたインド、ベトナム、カンボジアのようなアジアの国々を開放し、これ以上アジア諸外国を蹂躙されないためには、アジアから大国が出る必要があったのではないでしょうか?


先の戦争に対して、私の両親や周囲の大人が総括するような、個人的見解を述べるようなことはなかったけれど、ある種、保守派である我が家では、「戦争を起こした日本は悪」「日本人が悪い」というような単純な議論にはならなかった。

それよりも無言の内に、先の戦争でお国のために、天皇陛下のために自らを犠牲にして今日の日本の繁栄の礎を築かれて先祖に対する哀悼の思い、尊崇の思いのようなものを肌身で感じられるような家庭教育がそこにはあったような気がするのだ。

私の両親は信仰深いひとたちであったし、起業もしていて働きものであった。
戦争そのものも「誰かのせい」にするような風潮もなく、かといって礼賛することもなく、ただただ先人の苦労を思い、祖父母や日本人という勤勉に努力し、義を重んずる民族に生まれたことを感謝するような思いを手向けていたように思うのだ。

さて、いまの時代はどうであろうか。
終戦65年を迎えて、戦後生まれの人が8割を超えたというが、日本がアメリカと戦い、その結果、敗戦を迎えたものの、それによって今日の繁栄を手にいれたという真実を知らない若もの世代、親から戦争の話を聞かなかった若い世代が圧倒的に増えているのではないだろうか。

若者に限らず、団塊世代の「日本の戦時教育が悪かった」として自信を根こそぎはぎ取られ、左傾化した世代は、日本の戦後をどう見ているだろうか。家庭ごとに両親から受け継がれた教育は異なるものではあるだろうが、どうも談話と称して、現政権が、朝鮮半島への謝罪を繰り返している状況を見ると、これは総じて日本の戦後史観が正しく論じられることなく今日を迎えてしまったことであり、それに対して危惧を感じざるを得ないのだ。

昭和40年代生まれの私が、それより上の世代のことを論じるにははばかられるものがあるが、それでも真実と思われることを語り続けなくてはなるまい。

本日も某番組でNHK出身の人気ジャーナリストによる戦後を語る特別番組が組まれているが、その番組にゲストとして出演していた女優が番宣で「日本人がまた戦争を繰り返さないという自信が私には持てなくなりました。過去の過ちを繰り返す可能性がないだろうか」というようなことを堂々と発言していた。

これは思想的にいえば左翼発言ということになるだろうが、決して本人にリベラルの意識があっての発言ではないかもしれない。あくまで個人的な番組に出演しての雑感を述べたものであるだろうがそれでも彼女の言葉の真意を解説すれば、「私たちの先祖は第二次世界大戦という過ちを犯したのだ。」「日本人は過去間違いを犯した民族なのだから、また今を生きる私たちも過ちを犯しかねない」ということをいっているのだ。

果たしてそうなのか。前述したことと繰り返しになるが、それはあなたの戦後受けた左傾教育がそういわしてめているのではないか。

本当に日本が世界大戦を戦った理由とは?

そして日本人が生命を賭けてお国のために、愛する祖国、そして愛する人々を守るために戦った理由が果たして分かるのだろうか?

私はこの国を思い、その尊い生命を散らしていった先祖を思う時、決して安易な戦争反対論を唱え、日本を骨抜きの国にしてはならないと思う。

いつか堂々と戦争責任論を日本人の口で語り、そして日本の本当の意味でのリーダーシップによって諸外国を幸福にしていきたいと思うのです。

2010年8月6日金曜日

8月6日 広島原爆投下の日に

8月6日8時15分。慎んで英霊の皆様に、日本国を支えて下さった先祖の皆様にご冥福をお祈りいたします。

今日は世界初の原爆投下から65周年を迎える日です。
65年とは実に歴史の重みを感じさせる歳月ではありませんか。

広島市内を歩けば過去のものとするには痛ましく、まだ時間が止まったようにさえ感じることでしょう。私が初めて広島原爆記念館を訪れたのは、小学校4年生の時でした。2泊3日の家族旅行でした。

両親は子供たちに原爆の実態を見せておくことが必要と考え、下の3人を連れて岡山方面の観光旅行から広島へと足を延ばしてくれました。

岡山から広島へ着く頃はなぜか居心地悪く、理由は分かりませんが父と母が車中で口喧嘩をしていたことが印象的でした。

楽しいはずの家族旅行がなぜか、広島へと近づく程に口が重くなり、私は幼少期からの敏感体質で、体がすっかり重たく何かを背負っているようにさえ感じていました。

そして、広島市内の原爆ドームへと向かう道すがら、当時、被爆した人皆川に飛び込んだという橋があって(橋の名前は今思い出せんが原爆ドームへ向かう途中に渡る橋です)その橋を渡る時に何とも重いものが肩にのしかかるようで、歩いても歩いても、この橋を渡り切ることができるのだろうかと、たかだが100メートル足らずの橋を背に思ったものでした。


自分でも不思議で、重いものから開放されたのか、宿泊する旅館についてからは、やたらとご飯が美味しかったことを憶えています。今までそんなにおかわりをしたことがなかったのですが、食べても食べてもお腹が満たされず、母親がびっくりするくらい三杯か四杯はおかわりしました。

きっと原爆ドームにいって、広島市街地を歩いて、成仏されていらっしゃらない英霊がたくさんおられたことと思います。その人たちの分も気づかず頂いてしまっていたのでしょうね。

原爆ドームの中では、最後の方にはたまらず「どうしてアメリカ人はこんなひどいことをしたの?」と母親に尋ねるふりをして、近くで真剣な眼差しで展示物を見ていたアメリカ人にわざと聞こえるように声を荒げたものでした。

月日が流れ、すっかり親米家となった私ですが、それでもあの時「子供の頃に原爆ドームを訪れたこと」、「広島の市街地を歩く」という経験をさせてもらったことは貴重な体験でした。原爆ドームを見たという事実は、私の人間形成に大きな影響を及ぼしたことでしょう。


そして今、世界は核兵器廃絶に向かって一歩を踏み出したかに見えるけれど、その前提にはもっと「Atomic Bom」=核兵器の恐さを世界中の人が知らなければならないと思うのです。

すべての日本国民が、そして世界中の人がこの悲惨な事実を受け止めなくては本当に広島の人たちが浮かばれることはないと…。

堪え難い苦しみと悲惨な光景が繰り広げられた場所、広島。人類が人類に対してこれほどの仕打ちが出来るだろうか、と「なぜ」「なぜ」と問い続けなくてはなならない場所。この事実こそが「ヒロシマ」の証であり、65年が経った今でも浮かばれえぬ人々の声なき声として私たちに語りかけてくるのです。ヒロシマは、人類にとって特別な場所です。

広島をまだ訪ねた事がない方がいたら、ぜひ、一度は訪ねてみて下さい。日本人として、その恩恵を受けた祖先として。私たちは過去を変えることはできませんが、その先祖の死を弔い、そして未来への祈りを捧げることは出来ると思うのです。

第二次世界大戦という時代を生きた日本人が、私たちの先祖がいたということを、私たちは決して忘れてはならないと思います。 二度とあってはならないこの日に。