私と幸福の科学の出会い。
それは、現在、キリスト教の伝道師となった小澤利夫さんによってもたらされたものである。
20数年前の幸福の科学の理事長を務めた方でもあり、現幸福の科学総裁によって、
草創期にたったひとり「野に下って伝道するように」との特命を与えられた人物だ。
それまで新興宗教と関わり合うことなく生きてきた私だが、強烈な姉の愛と導きによって、
私は小澤さんと出会うことになった。
1987年の3月23日だったと記憶している。
当時、私は、20歳。18歳から自由奔放に田舎から東京に出て美大浪人を続けていた。
ただこの年にかねてから、経営状態が悪化していた父の事業が不渡りを出して倒産。
父と母は離婚、実家は競売にかけられ、もはや帰るところを失っていた。
2度の浪人の失敗に、実家の倒産、そして物心ついてから私を悩まし続けてきた性同一性障害。
もうこれ以上ないくらい、破滅的な人生を送るかもしれない矢先だった。
私を霊的世界に誘い、救ってくれたのは他でもない、私を支え続けくれた姉であり、
赤の他人でありながらいち早く宗教的覚醒を得た、人生の大先輩である小澤利夫さんだったのだ。
当時、小澤さんの眉間には大きなほくろがあり、時々、目を伏せて見えない何かを察知するかの
ようなしぐさで相手の話を聞いていたのが特徴的だった。彼は、若い頃から真実の宗教を求めて
放浪、日本に仏陀が再誕されるという仏教末期の教えを
信じて、今日まで本物の師を求め続けてきたという。
あるとき、第3の眼と言われるチャクラから、「霊眼が開いた」のだそうだ。
「あなたの20年間の人生をスクリーンで見てくるように昨日見てきたよ」
「苦労のための苦労ではないんだよ。親が子どもをよい子だよい子だと言い続ければ、子どもは
よい子に育つ。でも親がおまえは悪い子だ、悪い子だと言って育てたら、子どもは悪い子に育つ
よね」といった。
この日、いろいろな言葉を投げかけられたが、それは光のシャワーのようなものだったのかもしれない。たった一生の内、
一度訪れるかどうかの「貴人との出会い」によって私の人生は前後裁断されたのだ。
「あなたはこの方の本を読めばわかるよ。我々には使命があるんだからね。」と。
その後、一冊、自ら本屋で「日蓮の霊言」を見つけ、それ以降は、隔週くらいで発刊される高級霊
と言われる方の霊言集、そして「太陽の法」などの理論書を夢中になって読みふけっていった。
私の人生は、まるで眼には見えない決壊が破れ、魂が大きく揺さぶられ、もう元の自分に戻ることはできないくらいに、大きな魂の変化が起きていた。
その後も本を読み続け、友人知人を小澤さんに紹介(伝道)し、若輩者の身で「畏れ多いこと」
と、幸福の科学の会員になるには、10年位かけて社会貢献ができる自分になったら胸を張って
会員にならせていただこう、と心に誓っていた。
思いのほか、その日は早くやってきた。22歳 の夏、いてもたってもいられず、当時は試験制度があったため入会願書に読書感想文と、「何のために会員になるのか」、を書いて提出。
ほどなくして二重◎付で「大川」と直筆サインの入った試験用紙と、合格証が届いた。
その大切な記念品のようなものさえ、今はどこにあるのか、おそらく数度の引っ越しで
紛失したと思わるが、もっと大切にとっておけば、今もう少し違った人生になったのかもしれない。
その時から、25年の歳月が流れた。
長いようで短かった、青年期の20代前半~40代後半までのこの時間。
何ひとつ後悔がないと言えば、嘘である。
宗教的真理に出会い、ある種の覚醒が起き、ビギナーズラックのようなことが立て続けに起きた
のは、最初の3年間だ。
それ以降は、やはり、伝道しようと、押し広げようとすると友人や、職場での人間関係に
亀裂は入った。なにより、自分自身が未熟だった。何も「良い教え」を知ったからといって、
それを即座に
人生に使いこなせるほど、簡単なことではないのだ。
それでも周囲に家族を始め、「仏法真理」と呼ばれる幸福の科学の教えが広がっていくと
家族間の人間関係はもちろんのこと、一人ひとりの人生も大きく変わり始めた。
そして今、70代半ばになる母は 、毎回、幸福実現党の選挙になるたびに、全力で応援し、
わが身を顧みることなく選挙を駆け抜けた後は、原因不明の病に侵され、吐血を繰り返し、
足はこむら返りを何度も繰り返す。
それだけボランティアに、伝道に残りの人生を、お返しの人生として命をかけているのだ。
私としては、母の誠意ある思いに心打たれながらも、「何もそこまでやらなくても」と、田舎
に帰る度に、母の姿を見ておもったりもするものだ。
そんな信者として真面目な母の想いもあってか、こどもの時、幼稚園がミッションスクール
だったのが影響してか、信仰をベースに生きる指針としてきた私の人生だが、そんな私も
40代の後半に入り、人生の転換期を迎えているように思う。
永遠の求道者にして、伝道師・小澤利夫さんについて、書きたかったのだが、本題に入る
前の序文が長くなってしまったので、残念ながら今日はここまで。
今後は、私と幸福の科学とを運命的に繋ぎ合わせた小澤利夫さんのこと、そして、大川総裁
との少なからずある思い出についても折に触れて、書き記しておきたいと思う。
とにかく、25年前に一つの人生の始まりがあったということを記して。
ここまで読んで下さった皆さま、ありがとうございます。
また、お会いしましょう。
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