2010年5月5日水曜日

プロレタリアートへのオマージュ

私が子供だった頃、高度経済成長期に向ってまっしぐらだった時代、私の親は自営業で地元ではそこそこ成功を収めていたものだ。その当時にしては珍しい3階建て鉄筋コンクリートのエレベーター付きの家を店舗兼自宅にしていた。

短間間ではあったものの、隣の空いた土地にプールを作ったりして、家族だけでなく近所の子ども皆遊ばせていた。ご近所の自営業さんたちとは仲良しで、協力し合って保守派の政治家を応援し、両親も政治ボランティアやモラロジー(道徳科学)などの啓蒙活動にいそしんでいた。

そんな両親の元、ぬくぬくと子ども時代を送った私だが、子ども時代の幸福はそう長くは続かなかった。

もともと人の良い父は、「人にだまされるならいい、自分が人をだまさなければいいんだ」とか。店舗に入りきらなかった商品を玄関先に並べて「盗まれてもしょうがない、自分が盗むんじゃないからいいんだ」とかやや、訳のわからない自分なりの道徳感を持っていた人だった。(後に稼業は私が20歳のときに倒産する。)


そんな人の良い親に育てられた私だが、私が小学校の高学年くらいになると、同級生の一部から嫉妬を受けるようになった。あの当時の子どもの脳みそではそれが嫉妬という言葉で理解できたかどうかはわからないけれど、私の両親に雇われていたような親の子どもが、私に対して学校でもライバル心をむき出しにしたり、逆にあざ笑うような態度で接してきたりしたのだ。

当時はよく分からなかったけど、今思えば労働者階級が経営者に対して搾取されていると思い込んでの理不尽な反逆であった。私の母親の妹でマルキシズムに傾倒していた男性と結婚したおばは、やはり自分の子どもに私の両親に対する不平不満を聞かせていたようだ。
(その根拠はどこにあるのかが未だに見いだせないが、人はしてもらったことは忘れやすく、人にしてもらえなかったことをよく覚えているものなのだろう。)

こちらはといえば、育ちが良くネアカで、親に何不自由ない暮らしをさせてもらっているものだから、他人に対して嫉妬するとか、ライバル心をむき出しにする、などといった本能的な感情は芥子粒一つもはない。思いつくこともなかった。

育ちが良すぎたのが悪かったのか、未だにおっとりとしすぎていて、社会の競争という面では結構つらい目にもあっている。人を疑うということを知らない無防備なままの人間に育った。


しかし今にして思えば、父は経営者として未熟な点があったかもしれないが、幼少のときからミッション系の幼稚園に通わせてもらい、家庭のなかではいち早く新しい文化、教養を取り入れ、芸術的なことに親しみ、宗教教育を与えてくれた。その両親には大変、感謝している。

この歳になっても子ども時代が良かったため、他人をやっかむとか、うらやむ、自分にないものをほしがるとか、そういったことはほとんど皆無なのだ。それが幸福というものなのかもしれない。少なくとも心は天国的だ。

70年代当時のプロレタリアートのご子息には申し訳ないけれど、やはり左翼思想を強く持った親の元に生まれて子どもがその影響を受けずに成長するかといえば、かなり難しいものがあると思う。だからその人がまったく駄目だ、という訳ではないけれど、真なる保守政権への奪還を訴えても日本で理解されにくいいのは、マルキシズムの影響を受けた親の世代が2代目、3代目になってきているということもあるだろう。

子ども時代に受けた親の影響は、後々まで子どもの人格に影響を与え、大人になってからの価値判断を左右するものだ。しかしあきらめず、昔の同級生に会ったならば、にこやかに笑って、保守派の経営者の家庭に生まれた自分の人生が幸福であると、肯定してみせたいと思う。

それがあのとき、家庭が裕福だからという理由で嫉妬の対象にされた自分が、皆に恩返しできることだと思うからだ。なぜなら私は、真の教育を受けた真の保守派なのだから。

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