2015年11月17日火曜日

暴力に対して暴力では何も解決はしない

2001年の9.11から14年が過ぎたというのに益々テロの脅威は増し、サウジアラビアなどの一部の外交同盟国を除いては、中東全土を巻き込んでの欧米とのテロの戦いに入ってしまいました。

油の問題なのか、宗教の問題なのか、といえばそもそもはアメリカとイスラエルの癒着に始まる油の利権争いであり、これまで搾取され続けた西アジア、アラブ諸国の独立国家としての威信をかけた戦いだといえるでしょう。

つまり民族や宗教における同族による連帯を掲げて戦ってはいるものの、背景にあるのは、もうこれ以上、自分たちを支配下に置こうとする異教徒たち欧米列強(第二次世界大戦を彷彿とさせますが)の?思い通りにはさせないという強い抵抗とも言えるものです。

なので、フランスにおけるテロも残忍そのもので、決してテロ行為は許されざるものではありませんが、これに対してどう対処していくべきかは、報復合戦ではもうどこにも行き着かない、つまりは第二次世界対戦でアメリカが広島に原爆が落としたように、国を壊滅状態にまで落としいれないと決着がつかないところまで行くことが考えられるのです。

なんといったらよいのでしょう?

私一人の力で及ぶところでは全くないのでこうしてBlogにアップすることもためらわれる部分があるのですが、私は一人の人間としてこの承服できない行為に対してもある一定の理解と許しを与えられる人間でありたいと思うのです。

この残忍なテロ行為の連鎖、暴力を断ち切るためには今一度、人間の尊厳、本来の宗教の奥の奥にあるものを取り戻すべきだと思うのです。そして虚心坦懐に、平和な仏教国であり、森羅万象に神が宿ると考える神道の教えの中にこそ、イスラムとの共通点を見出し、救いの手を彼らにも差し出してよいのではないかと思うのです。

世界のあらゆる不条理に対して、全ての国の全ての人が同じ対応をとる必要はありません。「テロリストとは取引しない」それも正義でしょう。しかし、唯一の理解者が仲介役が現れることによってこの問題は解決の糸口が見出されると思うのです。

どうか日本の政治家も宗教家も民主主義国家という価値観を共有する国の同盟を尊重するだけでなく、相対するように見えるような相手(イスラム国)に対しても胸襟を開いて出来うる限りに善なる思いで対応していただきたい、と思います。なぜなら彼らの歴史において現在の行いに至るまでの理由がアメリカやヨーロッパの白人至上主義者たちにもあると考えられるからです。

過去に非があれば、それは虚心坦懐に認め、謝るべきでです。そして、どんな相手に対しても一理あると、許せる心で接しなければ未来は開けないものと思うのです。日本においては冷静な対応をとりつつ、あくまで公平な観点で、暴力だけでは解決しないことを双方に訴えて行くべきではないかと思います。

写真はアメリカの無人空爆によって負傷したナビラ・レフマンさん。「暴力に対する暴力では何も解決しない」と訴える。

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