人生の先がそろそろ見え始めた頃、中年期。
それは40代なのか、50代なのか定かではないけれど、必ずやってくる人生の未来。
というか、そのものずばり真ん中に足を踏み入れている私ですが・・・(^_^;)
そんな中高年に送るポジティブなラブストーリーを今日は観てきました。
タイトルは、 「Love is all you need」(日本語タイトル=愛さえあれば)。
デンマークの女性監督が描くストレートなロマンチックラブコメディ。
先の見えた中年には、子供のこと(最後の総仕上げ)、わが身のことに、パートナーの病など起こるべくして起こるトラブルがある。
その時に見えてくるのが「真実の愛」。いや、そんなど真ん中なことを、ど真剣に笑いもなく描いているわけじゃない。でも見えてきてしまうのが、人生を長く生きただけある中年の男と女。
完治したわけじゃない乳がんを明るく乗り越えた感に見える妻イーダ。夫は自分の体以上に自分の存在そのものを愛してくれているから、乳房再建手術は必要ないと 医師に伝える。その直後、夫の浮気を自宅で目撃。言い訳は、「病気した君を見るのがつらかった。俺の気持ちも理解してくれ」と。(ちょっとセンシティブな男の気持ちに浮気も同情の余地ありという気持ちにさせるシーン)
実はここで既に泣いた。
そんな傷心妻に思いもよらないアクシデントから生まれる新たな出会いが・・・。
舞台は、紺碧の海にレモンの果実が実る美しい島、南イタリア・ソレントへ。
ここからの展開は家族の身に起きるドラマあり、男女の接近あり、波瀾万丈の様相を見せるのだが、そのことがきっかけで、「自分にとって大切なものは何か」「限りある時間を誰と、どんなふうに生きていきたいか」 を登場人物の中高年たちに投げかける。
(決して重たい展開ではなく、あくまで南イタリアの爽やかな気候のまま、ありのままの人間を受け容れつつ、今の自分にできることに向かい合う。登場人物は自立した軽やかな女性像だ。)
非常にストーリー展開も素直で、かつ家族の中にある異文化にもメスを当てたヒューマンドラマでもあるけれど、あくまで本質は、大人の酸いも甘いもかみ分けてきた大人の男女の温かいラブストーリーだ。
私はこの映画で2回泣いた。2回目に思わずしらずに涙してしまったのは、007でも活躍した甘いマスクのピアーズ・ブロスナン扮するフィリップの表情だ。イーダを気遣い「病気のことを聞いてもいいかい?」と慈愛に満ちたまなざしで手を取り尋ねるシーンだ。
なぜ、3秒足らずのピアーズ・ブロスナン(フィリップ)のこの表情に涙が出てしまったのか、後でパンフを読んで知ったことだけど、実際のピアーズ自身が癌で最初の奥様を亡くしているということがあったためだ。演技を超えてシンクロする悲しみの中に「本物の愛」が伝わってきたからなのだ。
あくまでポジティブに考え、ユーモアを忘れず、自分自身と冷静に向き合うイーダという女性。最後は、本物の愛に出会い、ハッピーエンドを迎えるのだが、最後の最後まで、これまでの人生を誠実に愛深く生きてきたからこそ出会えた本物の愛。
あまり詳細をお伝えしすぎるのは、映画を観る楽しみを奪ってしまうようだが、それでも実際にこの映像を観てみなければ味わえないストーリーの醍醐味と、登場人物のキャラクターに面白味がある。
女性監督ならではのきめ細やかなストーリーに映画の世界だけではない、「自分自身にも起こりうる真実のラブストーリー」としてマジックにかけられるのも心地よい。最後の最後まで、人生とはわからないものだよ、と。よい意味で「自分の人生にもっと期待してもよいのでは?」と勇気を与えてくれるこの映画に乾杯!ぜひ、多くの方に観て頂きたい、中高年に希望を与えてくれる稀有なる作品である。3か国語での国際色豊かな会話も映画を観る上での驚きと楽しみの一つだ。6/27までは上映。http://www.aisaeareba.jp/
日本の国難を憂える一市民です。 仕事は執筆業、撮影を生業にしています。 まともなことをまともにいえる(これは保守政権への奪還を目指すものです)日本にしていきたいですね。 マスコミによる国民コントロール、売国奴から日本を守りたい!その一心でブログを書き綴ります。夢のある未来を築いていきましょう!
2013年6月12日水曜日
2013年6月7日金曜日
「食べログ」に思う。匿名性とネットビジネス
以前から噂されている《食べログ》のやらせ問題。
実際に業界内には、「良い評価を投稿するから月額5万円で契約してください」というような業者が横行しているようで、カカコム本体がリテールの飲食店から広告費をもらっているというケースがあるのかどうか定かではませんが、それについては、☆を操作するというようなことが目的事態で行われてはいないようです。
なぜ急にこうしたことを書いているかというと、わたしの場合は、20代から情報誌などの取材で数多くの都内各地の飲食店に行くことが多いのですが、最近のWEB系の広告媒体では、つまらぬ話ではあるのですが、「食べログ」の☆の数で取材先をチョイスするという”馬鹿な”ことが行われているのです。
あまりクライアントのことを悪くいうようなことはもちろんNGですが、ただそういう偽りの(真剣に投稿している人もいますが)情報に振り回されて情報を発信するプロはずの人たちが、実際に行ってみると『そうでもなかった』店について、おいしかった、どこそこがよかったなど、媚びたことを書かなくてはならないことがいやなのです、単純に。
以前、まあ90年代、2000年初頭の頃ではありますが、当時はよかった(て、年よりみたいですね)。
大手の雑誌編集者(そうでないところも?)皆、店やモノを取り上げる際には必ず覆面取材をして(名乗らず)二回目で取材交渉を行う、というのが通常のスタイルでした。
結果、同じお店に行って取材時も含めると二度三度と食事するという、まるで行きつけの店のようになってしまうのですが、編集者は皆、自分の足で見つけた「自慢の店」を外部スタッフに得意げに紹介していて、強気な態度で、店の一押しメニューすべての皿を注文していたものです。
そんな時代を知っているだけあって、なんだかネットの時代とは言えども、コストを抑えて素人情報に振り回されるわれわれクリエイター、取材者は何とも自分自身の価値が落ちたようにも感じられてなりません。
ネット情報が氾濫する時世を反映してか、最近では情報料として『1万円申し受けます』とか、ドン引きな、まったく人情もメディアに対する愛着もないような金銭を要求してくる飲食店も現れてきました。これは、われわれの責任でもあるかとは思いますが、なんだかとても世知辛い世の中です。
だからなんでしょうかね。今日の話はまとまりませんが、ネット時代の情報発信を考えるのと同時に、口コミサイトがどうのこうのだけではなくて、ネット上の匿名性自体にも疑問を感じるものです。
だから無責任に批判したり、表現が極端になっても自分の責任を感じないような鈍い感性の人間が育てられていくのではないかと・・・。現在、ネットでは、facebookや、一定のソーシャル以外ではほぼすべて匿名で発進できるようになっています(その最たるものは掲示板、2chとかですが)。
私は以前から、勝間和代さんと同じ主張で、ネットのすべての情報発信は「匿名ではなく、実名で」されるべきだと考えています。実際には個人情報の悪用などネガティブのことも考えられなくはありませんが、それでも自ら主張を問うようなシチュエーションでは本名で発信されるべきだと思います。
あまりにも社会問題化するような事案があればもちろん考え直さなくてはなりませんが、どうして人は、匿名で情報を発信したがるのでしょうか。ある意味、これは人間の二面性を顕著に表しているのかもしれません。表向きの顔と匿名で通じるネット上の顔、人は皆、自分を守るために(どちらも自己発揮したい)使い分けないといけないのかもしれません。
かくいう私も日頃書けない本音の部分をときに食べログに投稿してみたくなります。しかしその内容があまりにもリアルで店に与える影響が大きいせいか、昨夜は、即削除依頼が来ちゃいましたね。まあ、そうでしょう。我ながら、ちょっと反省しました。あくまで主観であって自分にとって気になることと、他の人が気になることとは違いますからね(^_^;)
まあ、カカクコムさんも必要以上に裁判などに巻き込まれたくないでしょうから、ほどほどに、というお気持ちお察します。
というわけで行き過ぎた情報発信には気を付けなければなりませんが、しかし、本気発信ならぜひ匿名ではなく実名でね!と思います。2chの人たちも、まともな人で自分に自信があるならすべて本名で発信勝負すべきです(笑)。皆がそうするとこの世の中は「正直者がバカを見るではなく」、正直ものが得をする?いや、少なくともフェアな世界になると思いますね。
まあ、本気ならネットの世界ではなくて、リアルで勝負すべきなのでしょうけどね。
(正直、そこはなかなか受け皿がない)
リアルの世界では皆、人は忙しく生産性を生む情報しか聞きたがらないという人間の本性がありますからね。
とにかくこの世界を変えていくのは並のことではありませんが、やはりカカクコムのようなサイトや、きちんとした信憑性のあるビジネスをしていくならあくまで本名で投稿を!というのが私の持論であります。それだけは結論としてやっぱり思います。結果、人は自分の顔に責任を持ち、”本当のこと”しか書けなくなるのではないでしょうか。※ご意見あればお待ちしています。
実際に業界内には、「良い評価を投稿するから月額5万円で契約してください」というような業者が横行しているようで、カカコム本体がリテールの飲食店から広告費をもらっているというケースがあるのかどうか定かではませんが、それについては、☆を操作するというようなことが目的事態で行われてはいないようです。
なぜ急にこうしたことを書いているかというと、わたしの場合は、20代から情報誌などの取材で数多くの都内各地の飲食店に行くことが多いのですが、最近のWEB系の広告媒体では、つまらぬ話ではあるのですが、「食べログ」の☆の数で取材先をチョイスするという”馬鹿な”ことが行われているのです。
あまりクライアントのことを悪くいうようなことはもちろんNGですが、ただそういう偽りの(真剣に投稿している人もいますが)情報に振り回されて情報を発信するプロはずの人たちが、実際に行ってみると『そうでもなかった』店について、おいしかった、どこそこがよかったなど、媚びたことを書かなくてはならないことがいやなのです、単純に。
以前、まあ90年代、2000年初頭の頃ではありますが、当時はよかった(て、年よりみたいですね)。
大手の雑誌編集者(そうでないところも?)皆、店やモノを取り上げる際には必ず覆面取材をして(名乗らず)二回目で取材交渉を行う、というのが通常のスタイルでした。
結果、同じお店に行って取材時も含めると二度三度と食事するという、まるで行きつけの店のようになってしまうのですが、編集者は皆、自分の足で見つけた「自慢の店」を外部スタッフに得意げに紹介していて、強気な態度で、店の一押しメニューすべての皿を注文していたものです。
そんな時代を知っているだけあって、なんだかネットの時代とは言えども、コストを抑えて素人情報に振り回されるわれわれクリエイター、取材者は何とも自分自身の価値が落ちたようにも感じられてなりません。
ネット情報が氾濫する時世を反映してか、最近では情報料として『1万円申し受けます』とか、ドン引きな、まったく人情もメディアに対する愛着もないような金銭を要求してくる飲食店も現れてきました。これは、われわれの責任でもあるかとは思いますが、なんだかとても世知辛い世の中です。
だからなんでしょうかね。今日の話はまとまりませんが、ネット時代の情報発信を考えるのと同時に、口コミサイトがどうのこうのだけではなくて、ネット上の匿名性自体にも疑問を感じるものです。
だから無責任に批判したり、表現が極端になっても自分の責任を感じないような鈍い感性の人間が育てられていくのではないかと・・・。現在、ネットでは、facebookや、一定のソーシャル以外ではほぼすべて匿名で発進できるようになっています(その最たるものは掲示板、2chとかですが)。
私は以前から、勝間和代さんと同じ主張で、ネットのすべての情報発信は「匿名ではなく、実名で」されるべきだと考えています。実際には個人情報の悪用などネガティブのことも考えられなくはありませんが、それでも自ら主張を問うようなシチュエーションでは本名で発信されるべきだと思います。
あまりにも社会問題化するような事案があればもちろん考え直さなくてはなりませんが、どうして人は、匿名で情報を発信したがるのでしょうか。ある意味、これは人間の二面性を顕著に表しているのかもしれません。表向きの顔と匿名で通じるネット上の顔、人は皆、自分を守るために(どちらも自己発揮したい)使い分けないといけないのかもしれません。
かくいう私も日頃書けない本音の部分をときに食べログに投稿してみたくなります。しかしその内容があまりにもリアルで店に与える影響が大きいせいか、昨夜は、即削除依頼が来ちゃいましたね。まあ、そうでしょう。我ながら、ちょっと反省しました。あくまで主観であって自分にとって気になることと、他の人が気になることとは違いますからね(^_^;)
まあ、カカクコムさんも必要以上に裁判などに巻き込まれたくないでしょうから、ほどほどに、というお気持ちお察します。
というわけで行き過ぎた情報発信には気を付けなければなりませんが、しかし、本気発信ならぜひ匿名ではなく実名でね!と思います。2chの人たちも、まともな人で自分に自信があるならすべて本名で発信勝負すべきです(笑)。皆がそうするとこの世の中は「正直者がバカを見るではなく」、正直ものが得をする?いや、少なくともフェアな世界になると思いますね。
まあ、本気ならネットの世界ではなくて、リアルで勝負すべきなのでしょうけどね。
(正直、そこはなかなか受け皿がない)
リアルの世界では皆、人は忙しく生産性を生む情報しか聞きたがらないという人間の本性がありますからね。
とにかくこの世界を変えていくのは並のことではありませんが、やはりカカクコムのようなサイトや、きちんとした信憑性のあるビジネスをしていくならあくまで本名で投稿を!というのが私の持論であります。それだけは結論としてやっぱり思います。結果、人は自分の顔に責任を持ち、”本当のこと”しか書けなくなるのではないでしょうか。※ご意見あればお待ちしています。
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