2014年4月27日日曜日

果たして日本に女性首相は誕生するのか!?

日本は古来より、天照大神に始まり、卑弥呼や、推古天皇など日本を実質的に女性が統治していた時代があった。

それが武士の時代が長く続いたせいか、近現代における政治の活躍に女性の姿はない。世界的には、欧米をはじめ、昨今では中南米や、東アジアなどの発展途上国においても女性首相が誕生している今日においてである。

日本の政治家には地盤、看板、カバンがなくてはならないといわれているように、2代目3代目の「政治や」が数を動かしているためか、民間に比べても女性の進出は少ない。



今、世界を見渡しても世界に通用する女性政治家リーダー(首相)は、ドイツのメルケル首相を筆頭に、国のパワーとしては下がるものの、オーストラリアのギラード首相、ブラジル初の女性大統領ルセフといったあたりだろうか。

ほかには、タイ史上初の女性大統領インラック、そして、お隣韓国でも18代目で初の女性大統領朴 槿惠(パク・クネ)などがおり、さらには、インド、パキスタンやバングラデシュなどのイスラム国家、アルゼンチン、コスタリカ、リトアニアなど小国にも女性首相は誕生しているのである。


女性首相といってもやはり傾向として活躍しているのは、国の力としても安定しているドイツなどの先進国であり、過去、イギリスを国民病から立ち直らせたマーガレット・サッチャーが、圧倒的な安定とパワーを感じさせるものだ。


私なりに考察してみるに、国家元首として成功しているマーガレット・サッチャーや、メルケル首相はいわゆる家庭もちである。それに引き替え、国を二分するような戒厳令まで敷いて危うい状況に陥ったインラック首相は1男がいるも独身、朴韓国首相は完全なる独身、中には暗殺された女性首相や、わけありで家族に首相を務めた男性がおり、その娘や妻がリベンジで戦っているケースが多い。

そうした家庭に問題のあるケースは短命で終わることが多いのだが、メルケルやマーガレットのように家庭的で理解のある夫を持った場合は、長期政権に至るケースが多い、といえるのではないのだろうか。

女性でありながらも一国の首相、国のリーダーである。
それを支えたのは、鉄の女の影で世間的には馬鹿なふりをしながらも、家庭では良き相談相手であったという夫ロバーツであり、この夫の支えなくしてはマーガレット・サッチャーは、11年の長きにわたってイギリスを正しく導いていくことは困難ではなかったのか、とさえ思えるのだ。

今日に立ち返って、女性が男性以上に社会で活躍するには、それなりの犠牲も必要なことだろう。それと同時に何よりも自分を支えてくれる、影ながらサポートしてくれる裏方の存在が必要なのではないだろうか。

普通の仕事をしていても日本では、まだまだゆるぎない男性社会であることを、強く思わされることがある。そうした男性論理の社会を生き抜いていくには、女性であっても男性であっても、影で自分を支え、癒してくれる存在があってこその輝きではないだろうか。

日本にはまだまだそうしたパートナーの存在が薄く、また、男性がそこまで内助の功に徹したいと思うほどの女性リーダーが育っていないのかもしれないが、これからのパートナーシップの変容に期待しつつ、どんな立場であっても双方がのばし合っていける人間関係というものを築いていきたいものだ。

そして、日本に限らず、世界的に見てもアジアはいまだ女性政治家が完全に政権を掌握し、安泰といえるレベルには達していない。この状況から見ても、各国とも女性リーダーの真価は試されているといえるだろう。

だからこそ、日本は若干の遅れをとっているにすぎず、アジアをリードする女性リーダーの到来にこれから期待できるのではないかと思わされるのだ。
そうした希望を持ちつつ、その希望が絵に描いた餅に終わってしまわないように、晴れある日本を押し上げていくためにも良き女性リーダーの登場に一役買いたいものである。

状況がいまだ整っていないにしても女性首相が誕生するころには、きっと日本は、真に上流国家として世界を導く立場にいるのではないだろうか。優しく、強い国を理想に、今とは少し異なる人々がこの国を背負ってくれる時代になることを願う次第である。

それは、我々の日々の少しずつの心がけ次第なのかもしれない。



2014年4月25日金曜日

苦手なカップル

いえ、まあいいんですけどね。
どうにも解せないカップルというのが私の中にありまして。
小田急線で見かけたいい中高年というよりも、男のほうは団塊世代の60代後半くらい(結構いい爺です)女性はおそらく声の感じで40前後くらいでしょうか。

電車のなかでいちゃいちゃ・・・
まあ、思ったんですけどね。若い子たちがいくら電車でいちゃいちゃしたって、多少、動物的に感じることはあっても不潔感はない。
でも、どうでしょう。いかにも後妻に入った風な中年がらみの女で、しかも娘と父親位歳の離れたカップルが手つないで二人だけにしかわからない会話をあえて、聞こえるような耳打ちでしゃべられても・・・。

いやあ、気持ちわるかったなあ。
どうにもこういうの受付られないんですよ、生理的に嫌悪感が(~_~;)いやあ、あえて、多くを語らずともお互いのことが分かり合えるくらいの距離感で、手をつないでいても微笑ましいくらいのかわいいカップルになりたいものです。(あっ、相手が!(^_^;))ガーン。

齢をとったら、これくらいが息の合った歩調でしょうか。

2014年4月23日水曜日

神の見えざる手を信じて・・・・

消費税が8パーセントにあがりました。
それでもって「消える1コインタクシー」。ほんまにそうやわ。
「お役人さんの考えていることはわかりません」(500円タクシー運営会社運転手)。

来月から大阪名物(いや東京にもありますけど(~_~;))、500円タクシーが姿を消すことになりそうです。

最低運賃を満たしていないということで、5月には事業者資格取り消されないように、サービスを撤回するようです。お客様が得するサービスを提供しているのに、自ら経営に行き詰って辞めるならわかるけど、やれるからやってんのに、まったく道理がわかりません。

ペナルティーとして2回勧告受けたら、次は、事業者資格を取り消すそうです(;一_一)

なんなのでしょうか?行き過ぎた規制緩和って!?そのサービスが必要かどうかは、見えざる手の消費者が決めることではないのでしょうか。

http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/140329/ecn14032918460014-n1.html

意識の波のなかで

朝、いや昼から気分の悪い映像を見せられてしまった、facebookで。

慰安婦像の撤去を求める行動を日米でとってくれている人の投稿だけど、女子高生(おそらく香港)4,5人がよってたかって同じ位の東洋系の女子高生を蹴り上げ殴りつける映像だ。
コメントには、「中国人によるウイグル人への暴行もこれと同じことが繰り返されている」と・・・。

投稿者の意図がわからないではないが、ちょっと耐えきれなかった。
どこにも救いをその映像には感じられなかったからだ。私は思わず、フォローを解除してしまった。

今こうして自分の気持ちを書いているのは、世界がこの映像を見たとしても何も変えられないと、自分がさっき思ったことと、一瞬にして今少しだけ気持ちが変わったからだ。

確かに、本当に見たくない映像だった。気分が悪かった。頭では日本でもそういうことが子供たちの間で行われているのを知っている。でも、何も知らなければ、世界は変えられない。知らないとは、知っているつもりでも事実を直視しないことだ。

私も同じ人間、憤りや悲しさ、無信仰の人間たち、親が子にきちんと教えていないことの大切なことの多さに情けない気持ちがこみ上げる。が、毎日、毎日、こうしたことが自分の認知していないどこかで行われていることを知っているのと、知らないのとでは自分の意識もきっと変わってくる。

世界は変えられないとは決して言いきれない。一つ、二つ、意識の波の中に、変えたいことを強く記憶しておくは決して悪いことではない。

2014年4月20日

2014年4月1日火曜日

仕事と愛ってこういうことかな・・・

この頃つくづく思うことの「仕事編」!?

堅い話をすれば「仕事とは何か」、「生きることと仕事とのつながり」ってこういうことなのかなあ、と思うのですが、いや最近、つくづく実感することがあります。

仕事を推進していく力は、やはり愛と人間力だなということ。
 
人間ってさまざまな力をもっているし、仕事の能力が高いひとがたくさんいるとは思うのですが、私は最近、渋谷にある某企業でお仕事ご一緒にさせていただいてつくづく思うのは、「この人でなくてはこの仕事はうまくいかなかっただろうな」ということです。

日頃、お世話になっているエディターE氏ですが、この方の仕事能力はなんというか、いかにも”できる人”って感じじゃない。むしろ、ほんわかした笑顔に、ちょっとふっくらとしてきたお腹でまわりに安心感を与えてくれるようなひとなんです。

周囲(私を含む)に対する自然な気配りや、リスペクトはもちろんのこと、後輩や、同僚に対してもひとりひとりの呼び名も可愛らしくて、相手に対する優しい眼から発する言葉があります。

温かい。そう、人柄が。


私もかれこれ社会人になってメディアに携わる仕事をはじめて20年以上が経つけれど、
いろいろな人とお付き合いしてきたと思うし、「袖すり合うも他生の縁」で、何かのご縁を感じることも多かったようには思います。けれど、そうしたインパクトの強さを感じるよりも、人と人の間に馴染んで、その繋がりがあたり前のように感じられる、ということが大切なんだなあと。

取り立てて何か話題に上ったり、何か考えなきゃいけないような人間関係があるわけではない。

自然に見える形でその人の存在がある、その人の働きかけによって物事が滞りなくうまくいっている、そんなことがとても肝心かなと。多分そんな風に自然にその人が見えなければ我々の間には何か無理をしているものがあるってことでしょ(笑。

そう考えたら、あたり前のようにうまくいってるように感じさせてくれるって人ってすごいな。

そんなふうに思わせてもらえる人との出会いがあったんだ。



実際、どこの業界でも誰でも、人を色眼鏡で見たり、自分たちの企業カルチャーや、仕事のやり方をあたり前に感じてて、それ以外の人のやり方や、カルチャーに物言わぬ批判をしていることが多いんじゃないかと思うんだ。ちょっとうがった見方と思われるかもしれないけどね、やっぱり中に入り込んで仕事してみると、そういうことって多いよね。どんな業界でも。

だから、「他人のふり見てわがふり直せ」なんて、昔のひとが考えた教訓がいまも生きているわけだね。

仕事やひとに対して自分の色をつけず、人と人との潤滑油になるような生き方をすること、これができる仕事人間ていうのはどんな企業でも、どんな相手でもきっとうまくいくと思うんです。確信こめて!

自分も他人も認め合ってリスペクトして仕事しあうには、自分を抑える必要もあるし、時には”無になって”仕事そのものと向き合う必要があると思うんだけど、自然体の姿の自分で生きていくために必要なのは、やっぱり愛だな。

愛ある人生を地で生きているひと(家族や友人・他人を大切にしているひと)っていうのは、自然と許したり、仕事仲間やお客様にも優しく、温かいまなざしで向き合えるものだと思う。

最近は、そんな温かい家庭を持った優しい諸先輩がた、私の見習うべき歳の若いディレクターたちも多くなったなと思います。やっぱり所帯を持つって人間にとっては大事なことなんだよね。

いまの自分には一生こないことかもしれないけれど、
自分自身に対する正しいリスペクトと愛を持ち、他人にも自分同様、愛と敬意もって自然体で、ことにあたりたいと思います。今の自分にできること、どんな環境のなかでも最善を尽くして大輪の花を咲かせる蓮の花のような自分になりたいなあ、なんて思う次第です。

最後までお読みいただきありがとうございました。