2010年4月25日日曜日

あの世からのメッセンジャー チャーチルの霊言

どこまで種明かしをしてよいのか私には分からない。

しかし私は今日、この話を聞いて俄然、心に火が点いた。

それはこの国の未来を憂える偉大なる宗教家、幸福の科学大川隆法総裁による「政治家の霊言」(金丸信、大久保利通、チャーチル)を聞いたからである。

まさしく氏は巨大な霊能力を持つ予言者であり、人類のワールドティーチャーである。

その証明が霊言という形で数多くなされている。そして今日も…。

約10日前に幸福の科学総合本部で収録された「政治家の霊言」を後日拝聴した。その内容を鑑みて全国の支部信者、政党関係者などに幅広く拝聴(視聴)を呼びかけられたものだった。

この霊言の趣旨としては、何か新しい角度から現在進行形の政治に対してアドバイス出来る霊人を呼び出す、というものだった。

政治家の霊言最後の1人がかつてヒトラーの正体を見抜き、第2次世界大戦を勝利に導いた英雄、ウィンストン・チャーチルであった。

信じようか信じまいがそれは人の勝手だが、その内容は、肝心要の国防問題、現在の米中関係にあって日本のあるべき姿、その未来に言及し、大変センセーショナルなものだった。

私の心に刺さった霊言のメッセージに「やがて姿を現す中国ナンバー2の存在」という言葉がある。まだ、表面には出てきていないものの、ヒットラーに匹敵する独裁者が次の世代の権力者として待っているのだという。

米中でこの世界を二分する同盟関係を結ぶ可能性はもちろんあるが、それ以降については、ベトナムに続きイラク、アフガンとの戦争で痛手を負ったアメリカが衰退していくのを待って世界の覇権を握ろうとしているのが中国の正体なのだという。

さてそのとき、日本はどうなるか。かつての侵略に恨みのある国ニッポン、いつ盛り返してくるかわからない経済大国ニッポンに対して、中国は徹底的に叩こうとしてくるだろうとチャーチルの霊は警鐘をならす。

日本のみならず、日本の独裁国家による支配は、世界にとっても大きな試練が訪れることを意味しているのだ。そしてこのことを預言できるのは、あの世の高級霊と通じる大川総裁の霊言以外にはない。

未来を神通力で見渡したならば、台湾から、沖縄、そして日本全土へ、中国の侵略はそう遠くない未来に起きることをチャーチルは預言する。

信じるも信じないも読者の自由だ。

しかし、中国の軍事的台頭の前に、新しい政治が成し遂げなくてはならないことは、マッカーサーによって創られた日本国憲法の刷新である。軍事・防衛の自由である。

日本を敗戦のくびきから解放し、信なる世界のリーダーとして責任を果たすためには、このシナリオを自ら選びとらなくてはならない。それ以外に中国という最大の一党独裁国家を隣人に迎え撃つ手段はないのだ。

何もなさず民主党政治が長引けば、間違いなく日本の弱体化が進み中国による日本の支配、従属化という悲惨な未来が待ち受けていることだとう。

次なる参院選、総選挙は心して幸福実現党は戦い抜かなくてはならない。そして心ある保守政党はなんとしても民主政権打破に寄与し、新たな国づくりをはじめていかなくてはなるまい。

この国に生まれたことを誇りに、自分に出来る精一杯のことを天命を信じて行動していきたい。

2010年4月19日月曜日

新党結成の嵐、そして幸福実現党

昨日、首長経験者等による新党「日本創新党」の結成のニュースを聞いたかと思えば、今日は大阪の橋本知事による新結党だそうだ。

動きが加速している。

たまたまつけた日本テレビの情報番組「ミヤネ屋」に新党「日本創新党」の政調会長が出演していた。遠隔地での中継ではあったが、語る内容をsnsの書き込みを確認しながら片耳で聞いていたが、党の政策方針の具体性については分かりかねる内容であった。

まだ発表できるほど固まっていないのかもしれないが、しかしお昼の情報番組の10分近い時間を使ってあの程度の話しかできないのかと、少々がっくりした思いで聞いた。

これが幸福実現党ならば…。悔しい。

新党の政調会長が「現政権に対する怒り」という言葉を発し、有権者と共有していきたいと言っていたが、実際にそれがどういう内容であるのか。具体的に国民にとって何が不利益で、何に対して怒っているのか、具体的に言及できていないのだ。

時間がなかったのか、それとも宮根アナウンサーの誘導が悪かったのか、いやそんなことはないだろう。あれだけズームアップして一人語れる時間があったのだから、政策の柱だけでなく、具体的に現政権との違いを浮き彫りにし、もう少し突っ込んだ内容も語れたはずだ。

「なぜ、いま政党を立ち上げたのか」。「現政権の動きに対する評価、総括」「だから私たちの党ではこれをやっていきます」と、具体的な現政権との違い、政策の中身について国民は聞きたいのだ。あの受け答えでは、きちんとした結党理由を説明できていないし、実は、その中身はまだこれからで、党内の思想性、具体的ビジョンなど何もまだ定まっていないのではないか、と危惧を感じるほどだ。

気概がある人たちが組んでいるのなら少しは応援してやろう、話を聞いてみよう、という思いではいる。しかし、核心をずばっと語れないようでは、他の新政党との違いを明確にし、現政権を打破するとことろまでは行かないのではないか。

私は正直、〔幸福実現党〕のことを思った。
数日前に党首交代になった、毎度のことお騒がせ政党だ。

しかし、〔幸福実現党〕であれば、もう少し明確な指針、日本のあるべき姿、現政権の何が国民に不利益であるか、それをどう変えていくか、といったことを具体的に説明したことだろう。

それは誰が党首になっても同じことだ。
オリジナルの思想は、大川隆法総裁、その人が発信している預言の言葉でもあるからだ。

しかし、何ともメディアの頑なことよ。あまりにも既存の宗教や宗教政党(今回独立した)に信頼性の乏しいとしても、この幸福実現党の認知を阻んでいる、妨げているということは『国民の知る権利』を奪っているのと同じことだ。

これほど真剣に、日本という国の国益を守る立場に立って、「国民の生命、魂、そして地球の未来」の立場に立って政策を掲げている政党は、かつてどこにも存在しない政党だろう。

それが先見の明に欠くメディアのパッシングによって日の目を見ることなく国民の多くには気づかれることない。もちろん知ろうとしない国民にもその責任の一端はあることだろう。

しかしレガシーメディアはこの『報道しない自由』にどこまで責任が持てるというのか。

公平性を欠くメディアの態度は、後世、なぜ『幸福実現党』をあれほど馬鹿にし、その存在を無視してきたのかと、嘆くことになりはしまいか。先の衆院選でいち早く勇気を持って新党を結成したのは幸福実現党であることをよもや忘れてはいまいか。

外交問題、国内問題(不況、増税議論、教育、外国人参政権問題)しかりである。

日本の未来を期待しない国民に幸福実現党の存在を無視するメディア。
この国は真にチェンジできるチャンスをみすみす見過ごしてしまうだろうか。

情けなくなる程悲しいこの現実に泣けてくる。大切な参院選まで後3ヶ月だ。

2010年4月17日土曜日

ジャパニーズティーパーティーは?

いま、オバマの国民皆保険法案や財政支出などに見られる大きな政府(増税)に反対するティーパーティー(ボストン茶会事件にちなんだ草の根活動?)が、全米で展開されている。

アメリカ保守の本流ともいえる人々(政府に頼らない、自分の財産は自分で守るべきと考える人びと)が気概を持って立ち上がったように思える。が、やはりここで気になるのが日本人の政治との関わり方だ。

同じ「民主」という名前を掲げた政党を支持した日米、鳩山首相よりはオバマ大統領の方リーダーシップがあるように見えるが、やはり左よりの政策には似た部分が多い。
どちらも福祉を拡大する「大きな政府」を目指している。

だが、違うのは双方の国民の反応だ。

日本では今ひとつ「大きな政府」=「増税」に対する危機感が薄いように感じられる。
少なくともアメリカのように草の根でデモ活動が起きるようなことはない。

日本は平和ぼけしているから、今更ながらファイティングスピリッツをかき立てることは案外難しいことなのかもしれない。

ある政治評論家は、「皆、もらうものをもらってから政権批判をするのだ」といっていた。子ども手当の給付を待って本音の支持率が出てきたのだ。

大きな政府を目指しつつ、これといった大きな雇用対策(基幹産業の創出など)を打てない政府。確かにゼネコン丸投げ型の従来の公共投資が決して良いとは思わないが、それでも建設業界が干上がれば雇用に多大な影響を与え、さらには関わりを持つすべての業界に悪影響を与えてしまう。

このまま日本の疲弊した経済状況が続けば、貧困化がさらに進み、中流層(財政支出などで増税を引き起こす)を圧迫し、ひいては国民全体が貧困層へと落ちていかねない。

このままでは明るい未来が見えてこないのだ。


2010年のいま、日本国民が「大きな政府」、「福祉に手厚い政府」に心が完全に飼いならされないうちに、現政権の問題点、明らかなマニュフェスト違反になるであろう普天間問題(未決着)を追求し、国民に信を問うべきだろう。

このままいけば何もしなくても落ち込む支持率(4月16日時点23、7%)に7月の衆参同時選挙は免れないようだが…。

しかし現政府から政権交代が出来るかどうはやはり国民の心根一つ。
真なる自立を目指して踏ん張って現政権「民主」に『NO!』を叩きつけられるかどうかが問題だ。

今こそ、国民は同じ鉄を踏まないように熟考すべきである。日本の未来のあるべき姿を考え私心なくより良い政治を実現してくれそうな人に、政党に一票を投じなくてはならない。

あっ、そうそうボストン発のティーパティー。

志を同じくするコンサバな人々がたまには日本でも声を上げてみてはどうだろうか。

日本ではデモには良いイメージがないかもしれないが、それでも明るく正々堂々とまともなことを主張する集団が、礼儀正しく訴えられたならマスコミの後押しなど関係なく、自然発生的に支援者が集まる可能性があるのではないか。それこそtwitterやsnsによる人の繋がりで賛同者が増えれば(なんといってもネトオタは右より)、どれほどの大きな展開になるかはわからない。

アメリカのように右か左か、白か黒かはっきりさせなくてはならないというわけではない。しかし伝統を重んじる保守派の人々ははこれまで自己表現において控えめすぎたように思う。

これからはネトウヨも(失礼な言い方?)も、保守本流も、無党派層も、皆虚心坦懐に、「日本の繁栄をどうつくっていのか」を議論しなくてはならない。 

いまがそのチャンスだ。

デモ、ティーパーティー、おおいに結構!やりたくなってきたー!

2010年4月8日木曜日

桜散る頃に…

なっ、なんですとー。
またしても情けない日本の政情が明らかに…。
4月8日の産経新聞だす。

もー書くのもやーですが、今日はちと優雅な午後を明治通ぞいに
ある「347Cafe』で過ごしていたのです。
知らない方のために… http://www.347cafe.com/

しかーし、しかし優雅どころは日本政治は情けないことだらけ。
産経新聞1面の櫻井よしこ氏のコラムには、先に中国で実行され
た日本人の死刑執行に対して、冷たい対応だった日本政府に対し
『中国死刑執行に物申せ』と吠えていた。

本当にその通りなのだ。
人権を守るのが、守りたがるのが左翼のはずだが、このリベラル
を気取る現政権は、相手が中国となるととたんに及び腰だ。

しかしその一方で、本日の散歩のフィナーレともなった国連大学
前で目撃したミャンマーの民主化運動はちょつと違う様相を呈し
ていた。

よく聞き取れない(なぜか生声で叫んでいた)声だったが、日本
語とミャンマー語を織り交ぜながら『スーチーさんの開放』、
『ミャンマーの軍事政権に日本はNOを』といったようなことを
訴えていた。


あまり幸福な姿ではないので、近寄りづらいものを感じつつも
このこと自体は長く続いている問題で関心を抱いていたので、
彼らの訴えが終わるのを待って話かけた。

『私はこういうものですけど、記事をかいているものですが』と
名刺を差し出したが、あまり関心のない様子。
多分、大きなバックが付いているのだろうな。

しかし、ビラを渡されたがその内容についてはまったく正当な
ミャンマーの民主化、スーチーさんの開放を訴えかけるもので
はあったが、気になったのが最後。


「長井健司さん殺害から逃げ続ける日本政府』と題したビラの本文
には、日本の皆様へ、とあって『日本政府は軍事政権への指示を
続けてきましたが、新政権には鳩山首相はじめ民主化活動に理解の
ある大臣が就任されましたので、対ビルマ政策が転換されるのでは
ないかと期待しております」とある。

どうやら主には岡田外務大臣のことを指しているようなのだが…。
民主党だから民主政権?まさかそんな認識でいるのか!?

ありえへんなー。中国にさえまともに日本人の命を祖末にするな。
日本に帰せ、とはいえなかった鳩山政権。『残念です』の一言で
片付けるような一国の首相はじめ外務省が「ミャンマーの民主化」
のためにどうして本気で動いてくれるのだ。

そして北朝鮮の拉致問題。
拉致家族会(略称)も結局は、今何ら北に影響力を及ぼさない黄
(ファン)元書記をわざわざ日本に招致し、家族会と引き合わせ
たが、それ自体で何ら有力情報がもたらされることはなく、解決
への糸口が掴めたわけではない。

民主の時間稼ぎの小道具でしかないのだ。
ファン書記にいま力がなく有力情報をもたらさない一脱北者でし
かないことがわかっているのに。

人の心をもて遊んでいるのか。
家族会も当初、民主党政権に変わったときに『新しい政治』に
期待を表明した。これで『何か突破口が開けるのではないか』と。

しかし、日本の未来を普天間問題で危うくさせ、中国に捉えられた
日本人一人を救出させることが出来ないこの政府に一体何が期待
できるというのだろうか。

『民主』という言葉の意味のはき違いも恐ろしい。
民主党の『デモクラティック』とは数の上での民主制であり、彼ら
の自由とは中国共産党と手を結ぶ自由である。
決して人々を自由にするという意味でのリベラルではない、という
ことを肝に銘じておかなくてはならない。

共産主義国家、独裁国家と手を結ぶ自由を意味する政党の民主には
ほとほと気をつけなくてはならない。

ミャンマーの民主化を支援する人々が民主党を頼りとしてそれを
背景に動いているとしたら何か他の思惑があることを疑わなくて
はならないだろう。

正確な情報を得るためにも真実、ミャンマーの民主化を応援
させて頂くためにも近いうちに活動団体のトップと直接、
会って話を伺いたいと思っている。

今日は穏やかな春の日差しを体いっぱいに浴びながら、最後
は厳しい現実に対面する機会をまた与えて頂いた。

百花繚乱の春に



百花繚乱というにはまだ助走か…。

何十年もその恩恵に浴した自民党を70代にしてダッシュしたシニア議員。
「たちあがれ日本」とは景気の良い政党名だが、石原都知事の命名とか…。

日本の政治はこれから荒れまくる。一人ひとり覚悟の必要な年だ。

補助金を当てにする人が続々と生まれる一方、twitterや新しいメディアを
使って日本の政治を立て直したいと熱く行動する若もの?(オーバー30
だったりして)も増え始めている。

政党として認められるには現役議員の最低でも5人の登録が必要、という
大きな障壁がある一方、国民新党のように最低の支持率(?)0,6%など
と数字にならないような政党支持率を持つ党の実力者が現役大臣に任命さ
れるという不思議な時代。

いくら連立政権とはいえ、現役議員で権力さえあれば国民に信を問わずとも
入閣できるこのシステムは何だか民主主義の在り方としてしっくりこない。
ある種法の網をかいくぐったような詭弁ではないのか。

実際に違憲ではないにしろ、内閣の長がそのリーダーシップを放棄した時点
で、国民の真意とかけ離れたところで強引に物事が押し進められることには
断固反対し、一石を投じていかなければならない。

何の縁故もない、お金もない、地位もない人物が政治の世界に参入すること
はまさにラクダが針の穴を通るほどの難しさといえるだろう。

好人物が限られた選挙活動を愚直にやるだけでは今の日本では時間がかかり
過ぎる。

この国の世論を変えていくには、レガシーメディアとそれを支えるリベラル
と呼ばれる左翼知識人に道を明け渡さない新しいメディアの創出が必要だ。

自由に保守本流の意見が述べられ、若者や起業家の声を生で届けられる通信
手段だ。それはネットであり、やはりデジタルテレビ番組なのだろう。

もしかしたら仕掛けを持ったフリーペーパーなのかもしれない。
ポピュリズムではない大衆普及こそが我々の次の仕事なのだ。

そんなことを頭で巡らせつつも、まだ自分の仕事としてこの手に引き寄せら
れない弱さがこの国の未来を変えていく力を弱めているのかもしれないとも
思う。

今は結果を焦らずに、雌伏の時。

しかして時間はあまりない。”その時”を信じて今は歩伏前進あるのみだ。