2012年4月29日日曜日

今あえて観た、幸福の科学対オウム真理教「朝まで生テレビ」

今から20年程前になる幸福の科学対オウム真理教の「朝まで生テレビ」。

このときに麻原教祖が出てきていたこと。教祖は出席せず、インテリ幹部によるやや難解な解説が共感を得られるところまでいかなった幸福の科学に対して、オウム真理教側が教団PRビデオやダライラマの映像を流し、原始仏教と何ら変わらないことを強調したことでまんまと彼らのペースでオウムにとって良い宣伝になってしまった。

当時の論客で今もってテレビ番組の中心にいる人はほとんどいないが、このとき、オウム真理教が危険な殺人集団であることを見抜けず、(まだ殺人事件は起きていなかったかもしれないが、着々と地下鉄サリン事件の計画は練られ、サティアンではマインドコントロール、拉致監禁が行われていた)テレビ番組で堂々と彼らの思想、言説を報道するなどまったく持って由々しきことであり、悔やみきれない思いがする。

もう少し事前にまともな調査を当時の朝日は出来なかったのか。
この番組を通して「幸福の科学よりもオウムが優勢」などと当時、論評されることが多くなっていたが、いずれにしてもこの番組では両者の価値の違い、本質の相違を何ら明らかにさせることが出来ず、当時の若者や社会に対して何ら益することのない無駄な討論番組に化けていたのではないだろうか。

それに対してはやはり論客がまだまだ正しく宗教を見定める、宗教に関する知見が足りないと言わざるを得ない。知識、論理、情熱、何らそうした意欲を感じさせることのない論客がでて新宗教の何を明かせるというのだろうか。この人選自体に疑問を感じ得ないのだが、宗教に素人のマスコミが宗教を裁く、あるいは査定する、ということの恐ろしさ、難しさをこの番組は物語っている。

今後もこうした過ちを砂鉄をマスコミが踏まないように、いや踏ませないためにも、日本人がもう少し新々宗教に対する知見を深めて、本物の宗教、社会の幸福化に寄与する宗教を見抜く必要があるのではないか。

この当時、幸福の科学を学び、オウム真理教というとてつもない幻想殺戮集団によって、友人を殺された当時の若者として今もって思い返せば涙を禁じ得ない。

宗教は人間を立ち直らせ更生させる力を持ちえるが、翻って悪魔にも身を売る危険性をはらんでいる一面もある。日本人は宗教アレルギーでもあると言われているが、アレルギーを持つだけでは宗教の善悪についても判断することができず、そのまま蓋を閉じたままになってしまうのだ。私たち一人ひとりが宗教や、心の世界についてもっともっと虚心坦懐に学ぶ必要があるのではないのか。そしてそれが今を生きる私たちの使命ではないのか。少なくともあれから20年、私は生きてきて、そのことを忘れずに使命を果たしていきたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=QhetLKdjHeQ





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